Civic Force 代表 大西健丞氏 Civil Society~紛争・災害地支援における日本の課題、「新しい公共」が目指すこと(前編・動画)
[2012年5月25日]
生きることの意味を求め20歳代で中東紛争地域に飛び込んで以後、まさに命懸けで人道支援活動を続けてきた大西健丞氏。世界の紛争地域における日本の民間組織の活動を支援する目的でジャパン・プラットフォームを設立。その後、政府・民間を調整する災害支援組織としてCivic Forceを設立、国内外の紛争地域・被災地の第一線で人命救助・物資配布に奔走する。常に極限状態の中で大西氏を献身的な活動に向かわせるものは何なのか。ODA大国日本の民間組織が、世界で果たすべき役割は何か。自らの原点、常に危険と隣り合わせでありつづけたその歩みを振り返りながら、大西氏が日本の紛争・災害地支援の現状と課題、民間組織と政府協働の可能性を語った(文中敬称略、肩書は2012年3月22日登壇当時のもの)。
【前編】Civic Force 大西健丞氏 Civil Society~日本の災害支援の課題
※音声が聞き取りにくい場合はイヤホンを使用ください
・私が紛争地域支援を始めるきっかけになった、20歳の強烈な原体験(2:30)
・いつ死ぬかわからないなら、自分が燃焼できることをしたい(5:10)
・父の死後、留学先のイギリスで目覚めた紛争支援(6:20)
・イラク国境でNGO職員の遺体を横目に、入国を決行(8:30)
・欧州のNGOは質、量が高く、政府よりも感謝されていた(9:30)
・オックスフォードの博士号保持者が、紛争解決に奔走するイギリス(11:30)
・1850万個の地雷が残るイラクで見たもの(15:00)
・戦争の影響で危険に陥る母親や奇形の幼児を扱う病院を建設(18:30)
・ついにイラク政府の暗殺候補者リストに――200万円の懸賞金がかかる(20:30)
・寄付集めに必要な期間は2~3カ月、危機支援は始めの1カ月が勝負(23:20)
・NGOを支える社会的インフラの不足を痛感、ジャパン・プラットフォームを設立(26:30)
・Civil Societyとは、NGO,NPOそのもの、またはそれらが形成するネットワークの総体(31:00)
・外務省と経済界とジャパン・プラットフォーム、3組織体制で透明性を確保(33:00)
・帝人と提携し、被災地用の巨大テントを開発(41:30)
・企業とNGO,自治体を結び付ける連携・調整組織としてのCivic Force 設立(44:00)
後編はこちらから
[2012年5月28日]
http://www.globis.jp/2103
【後編】Civic Force 大西健丞氏 Civil Society~日本の災害支援の課題
※音声が聞き取りにくい場合はイヤホンを使用ください
前編はこちらから
・残念ながら頓挫した民間のリソースで緊急事態対応する「新しい公共」の試み(0:00)
・今回の震災は最初の3日、生存者が死体より少なく、慣れている自分でも辛かった(6:00)
・物流が途絶え、ほとんどの避難所ではじめは一日一食(7:30)
・一日一食は、朝から晩まで遺体捜索の自衛隊員も(8:30)
・宮崎駿氏の協力で、封切前の映画を避難所で試写会実施(10:00)
・国は大規模災害対策を本当の意味ではしていなかった(11:30)
・Civic Forceは自然災害での即応体制をアジア各国へ(12:50)
・瀬戸内海プラットフォームをつくり、地域開発(17:38)
・難民を受け入れ、農業支援(21:25)
プロフィール
大西 健丞
Kensuke Onishi
公益社団法人Civic Force 代表理事
特定非営利活動法人ピース ウィンズ・ジャパン代表理事/統括責任者
特定非営利活動法人ジャパン・プラットフォーム理事
国際ボランティア学会理事
特定非営利活動法人チャリティ・プラットフォーム理事
公益財団法人 公益法人協会 評議員
1967年、大阪市生まれ。上智大を卒業後、英国ブラッドフォード大学の大学院に留学し、国際政治・安全保障学修士課程で紛争解決、人道介入を学ぶ。在学中、研究テーマとしたイラク北部・クルド人自治区での人道介入の実際を見るため現地を訪問。オックスファムなど欧米のNGOの大規模な活動ぶりに感銘を受け、NGOへの就職を志す。
1994年、NGOアジア人権基金に入り、イラク北部担当調整員に。同基金が資金難でイラクから撤退したのを受け、その事業を引き継ぐ形で96年に他の2人のスタッフとともにピース ウィンズ・ジャパンを設立した。モンゴル、インドネシア、コソボ、東ティモールなどへと活動を拡大し、紛争地や自然災害の被災地で難民・被災者らの支援を行ってきた。
日本のNGOが緊急支援の初動資金の調達に苦しむ状況を改善するため、政府、経済界などに協力を求め、ジャパン・プラットフォーム(JPF)の設立を主導。2000年、初代の評議会議長に就任した。現在は理事。
2001年にはアフガニスタンで国内避難民の支援に携わり、同年12月のアフガニスタン復興NGO東京会議の開催に奔走した。翌2002年1月に政府が主催した国際会議への「出席拒否」問題をめぐり、自民党の鈴木宗男衆院議員(当時)らと対立。この問題は政界を巻き込んだ騒動に発展し、結果的にNGOの認知を広めることにもなった。
その後もイラク戦争下での緊急支援、スマトラ島沖地震・津波の被災者支援などを指揮しながら、講演・シンポジウム・メディアなどを通じ積極的に発言。2006年2月、10年余のNGO活動をまとめ、初の単著である『NGO、常在戦場』を出版。
2009年12月から鳩山政権「新しい公共」円卓会議の委員として、民間による大規模災害への対応プラットフォームを構築し、支援物資、サービス、物資輸送等、迅速で効果的な支援を行う、企業やボランティアをコーディネートする民間主導のプラットフォームを提唱した。
著書:
『NGO、常在戦場』徳間書店 2006年2月
『平和政策』有斐閣 2006年10月(共著)
『国際緊急人道支援』ナカニシヤ出版 2008年9月(共著)
Kensuke Onishi
公益社団法人Civic Force 代表理事
特定非営利活動法人ピース ウィンズ・ジャパン代表理事/統括責任者
特定非営利活動法人ジャパン・プラットフォーム理事
国際ボランティア学会理事
特定非営利活動法人チャリティ・プラットフォーム理事
公益財団法人 公益法人協会 評議員
1967年、大阪市生まれ。上智大を卒業後、英国ブラッドフォード大学の大学院に留学し、国際政治・安全保障学修士課程で紛争解決、人道介入を学ぶ。在学中、研究テーマとしたイラク北部・クルド人自治区での人道介入の実際を見るため現地を訪問。オックスファムなど欧米のNGOの大規模な活動ぶりに感銘を受け、NGOへの就職を志す。
1994年、NGOアジア人権基金に入り、イラク北部担当調整員に。同基金が資金難でイラクから撤退したのを受け、その事業を引き継ぐ形で96年に他の2人のスタッフとともにピース ウィンズ・ジャパンを設立した。モンゴル、インドネシア、コソボ、東ティモールなどへと活動を拡大し、紛争地や自然災害の被災地で難民・被災者らの支援を行ってきた。
日本のNGOが緊急支援の初動資金の調達に苦しむ状況を改善するため、政府、経済界などに協力を求め、ジャパン・プラットフォーム(JPF)の設立を主導。2000年、初代の評議会議長に就任した。現在は理事。
2001年にはアフガニスタンで国内避難民の支援に携わり、同年12月のアフガニスタン復興NGO東京会議の開催に奔走した。翌2002年1月に政府が主催した国際会議への「出席拒否」問題をめぐり、自民党の鈴木宗男衆院議員(当時)らと対立。この問題は政界を巻き込んだ騒動に発展し、結果的にNGOの認知を広めることにもなった。
その後もイラク戦争下での緊急支援、スマトラ島沖地震・津波の被災者支援などを指揮しながら、講演・シンポジウム・メディアなどを通じ積極的に発言。2006年2月、10年余のNGO活動をまとめ、初の単著である『NGO、常在戦場』を出版。
2009年12月から鳩山政権「新しい公共」円卓会議の委員として、民間による大規模災害への対応プラットフォームを構築し、支援物資、サービス、物資輸送等、迅速で効果的な支援を行う、企業やボランティアをコーディネートする民間主導のプラットフォームを提唱した。
著書:
『NGO、常在戦場』徳間書店 2006年2月
『平和政策』有斐閣 2006年10月(共著)
『国際緊急人道支援』ナカニシヤ出版 2008年9月(共著)
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