2014年6月16日月曜日

秋山咲恵氏×佐藤文昭氏×吉川良三氏 21世紀型"ものづくり"とは

GLOBIS.JP

秋山咲恵氏×佐藤文昭氏×吉川良三氏 21世紀型"ものづくり"とは? ~日本の製造業に起死回生はあるか~ あすか会議2012レポート(動画)

[2012年7月18日]
 
http://globis.jp/2171

自動車・半導体・電機--日本の輸出産業を支えてきた製造業の多くは、今や巨額の赤字に苦しみ、リストラを進めながらも、いまだに出口を見いだせずにいる。インドを中心に巨大なBOP市場が生まれ、IT化や電気自動車の普及に伴って「ものづくり」は、今や大きくその姿を変えつつある。日本ならではの「21世紀型ものづくり」を実現するために、我々は今、何をするべきなのだろうか。外観検査装置で世界第二位のシェアを持つ秋山咲恵氏、『日本の電機産業再編へのシナリオ』が大きな話題を呼んだ佐藤文昭氏、サムスン電子の急成長を支えた吉川良三氏が議論する「日本のこれからの製造業」。(文中敬称略。肩書は2012年7月7日登壇当時のもの。視聴時間:1時間16分20秒)



秋山咲恵氏×佐藤文昭氏×吉川良三氏 21世紀型"ものづくり"とは  



2012/07/17 に公開
あすか会議2012 21世紀型 "ものづくり" とは? ~日本の製造業に起死回生はあるか~

パネリスト:
秋山咲恵 株式会社サキコーポレーション 代表取締役社長
佐藤文昭 株式会社産業創成アドバイザリー 代表取締役
吉川良三 東京大学大学院経済学研究科 ものづくり経営研究センター 特任研究員
ファシリテーター:
澤田宏之 ブーズ・アンド・カンパニー株式会社 特別顧問

自動車・半導体・電機--日本の輸出産業を支えてきた製造業の多くは、今や巨額の赤字­に苦しみ、リストラを進めながらも、いまだに出口を見いだせずにいる。インドを中心に­巨大なBOP市場が生まれ、IT化や電気自動車の普及に伴って「ものづくり」は、今や­大きくその姿を変えつつある。日本ならではの「21世紀型ものづくり」を実現するため­に、我々は今、何をするべきなのだろうか。外観検査装置で世界第二位のシェアを持つ秋­山咲恵氏、『日本の電機産業再編へのシナリオ』が大きな話題を呼んだ佐藤文昭氏、サム­スン電子の急成長を支えた吉川良三氏が議論する「日本のこれからの製造業」。(文中敬­称略。肩書は2012年7月8日登壇当時のもの)。

みどころ
・日本の製造業の現況の発端は、97年のアジア通貨危機(澤田)(4:29
・デジタルものづくりという社会変化に気づかなかった日本(吉川)(8:50
・これからは「地政学的ものづくり」が重要(吉川)(10:24
・日本の産業構造には3つの問題がある(佐藤)(18:44
・日本企業はまず国内市場ありき、アジア企業ははじめからグローバル市場を念頭(秋山­)(28:30
・日本企業が変化に対応できない理由(秋山)(37:18
・グローバル化の再定義が必要(吉川)(42:04
・出る杭は打たないで抜こう(吉川)(45:04
・産業構造の3つの問題に対処したジャパンディスプレイ(佐藤)(51:22
・2050年には、世界人口の半分がアジア圏になると言われている(秋山)(56:5­5)
・日本の潜在的な技術をどう引き出し、活かしていくかがリーダーの課題(澤田)(1:­00:42
・危機の時には今一度自身を見つめ直し、学び直そう(吉川)(01:09:06
・「スピード」と「差別化」を実現できれば、まだまだ「ものづくり」で勝負できる(佐­藤)(1:11:13
・今起きている現実を、ゼロベースで見つめ直すことが必要(秋山)(1:13:01


プロフィール
秋山咲恵
Sakie Akiyama

株式会社サキコーポレーション 代表取締役社長
アクセンチュアにてコンサルタントとして従事の後、1994年株式会社サキコーポレーション設立、代表取締役に就任。京都大学法学部卒。マシンヴィジョン技術を応用したFAロボット(自動検査)の開発に成功し、世界市場でトップグループのシェアを獲得。ゼロからの起業で世界市場で実績を挙げた製造業ベンチャー。東京商工会議所「勇気ある経営大賞」グランプリ受賞(2005)、日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2006」リーダー部門2位、総合3位受賞、日刊工業新聞第22回優秀経営者顕彰最優秀経営者賞など受賞多数。政府税制調査会委員(2003-2009)、経済産業省「産業構造審議会・新産業競構造部会」委員(2010-)、国家戦略会議フロンティア分科会(繁栄のフロンティア部会)委員など歴任。日経新聞電子版にて経営者ブログ連載中。

佐藤文昭
Fumiaki Sato

株式会社産業創成アドバイザリー 代表取締役
1981年に日本ビクター株式会社に入社、7年間に渡りビデオの研究開発に従事。その後1988年に証券アナリストに転じ、日本勧業角丸証券、スミスバーニー証券を経て、1998年から9年間、ドイツ証券で調査本部長兼電機全般および半導体アナリストとして業界や企業分析を担当。その間、1999年にITバブル崩壊を予想し、2000年から6年間連続で日経新聞の総合アナリスト・ランキングで1位にランクされた。2007年にメリルリンチ日本証券に移籍。副会長兼投資銀行部門マネージング・ディレクターとして電機・半導体・通信業界の業界再編やM&A関連業務に従事。著書に「日本の電機産業 再編へのシナリオ」(かんき出版)がある。 武蔵工業大学工学部卒業。

吉川良三
Ryozo Yoshikawa

東京大学大学院 経済学研究科 ものづくり経営研究センター 特任研究員
1963年  日立製作所入社 CAD/CAMの開発に従事
1989年  NKK(現JFEホールディング)エレクトロニクス本部開発部長
1994年  韓国三星電子 常務取締役 開発革新の推進に従事
2004年  東京大学大学院経済学研究科 ものづくり経営研究センター特任研究員
2006年~  日韓IT経営協会会長
2007年  東京設計管理研究会 学術会員
2008年~  立命館大学大学院 イノベーションセンター客員研究員
2009年~ 埼玉大学大学院情報処理研究科 非常勤講師
主な著書
 神風(シンパラム)がわく韓国(クニ) 2001 白日社
 シンパラムハング カミカゼイルボン  2001 韓国 ダラクイン社
 危機の経営 2009.9 講談社 畑村洋太郎共著
 「サムスンの決定はなぜ世界一速いのか」 2011.4 角川書店
 勝つための経営 ~グローバル時代に生き残り戦略 2012・4 講談社

澤田宏之
Hiroyuki Sawada

ブーズ・アンド・カンパニー株式会社 代表取締役
「事業変革」に関する豊富な経験を持ち、特に合併や提携、統合を伴う業界再編や、オペレーション改革を専門分野として追及している。また、日系・非日系企業の世界戦略、多角化戦略および組織変革等の長期企業戦略にも携わっている。2006年、米国アスペン研究所とブーズ・アレン・ハミルトンが共同調査した「企業価値経営の実態」に基き、企業経営者を対象に「企業価値経営会議」を開催。主たる著訳作に『グランド・ストラテジー』、『ビジネス・トランスフォメーション』、『企業浮上の経営革新』、『経営の断層』、『会社に潜むビジネスリスク100』等がある。全米経済学会会員、学校法人グロービス経営大学院理事。株式会社サイバード、株式会社リヴァンプ等の社外取締役も務める。ワシントン大学経済学部卒、同修士、シカゴ大学経営学大学院修士MBA。



=======================================================

秋山咲恵

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E5%92%B2%E6%81%B5

秋山 咲恵(あきやま さきえ、1962年-)は日本経営者1994年サキ・コーポレーションを創業し、その社長を務める。

経歴
1962年奈良県奈良市で3人姉妹の長女として生まれる[1]。小学生の頃から読書が好きで、京都大学文学部に入学した[1]。『第二の性』を読んで社会における男女の役割差別を意識するようになり、自立のために実学を学ぼうと法学部に移った[1]1987年に京都大学法学部を卒業するとアンダーセン・コンサルティングに入社し、主に金融関係の顧客を担当し、戦略企画から業務分析まで事業のシステム構築全般に携わった[1]
入社当初は大阪勤務だったが半年後に東京に転勤となったのを契機に[1]、大学の写真部で出会って交際していた秋山吉宏と結婚している[2]。吉宏は関西の松下電器産業研究所に勤務していたため、結婚とともに咲恵が東京に単身赴任するようになった[3]1991年にアンダーセンを退職し、その後は専業主婦として伝統芸能を学んでいたという[3]。自分の技術を製品化に繋げたいという吉宏の考えと、その技術を高く評価する咲恵自身の起業意欲などから1994年に2人でサキ・コーポレーションを設立。社名は社長の咲恵にちなんで副社長の吉宏が命名している[3]
かながわサイエンスパーク内に15のオフィスを借りて最初の1年間はフリーのコンサルタントをしながら市場調査を行ない、吉宏の得意とするプリンタースキャナー技術を応用できる事などからプリント基板の検査装置開発を手がけることを決めた[3][2]。1台2,000万円ほどの既存品との差別化を計り、価格は半額・スピードは2倍というキャッチフレーズで工場に売り込みをかけ、徐々に定価を引き上げながら1996年にはシンガポールマレーシアなど海外にも販路を広げた[4]キャッシュ・フローを重視し[4]、無借金で経営を行ない、2007年には会社の売上高が約50億円、世界シェアは2位となった[2]。この頃には社員が200人を超え、ロボット製造工場も兼ねた本社を品川インターシティ31階に移している[2]。また、2003年には小泉純一郎政府税制調査会の委員に就任し、2005年には日刊工業新聞から最優秀経営者賞を受賞した。
しかし2008年リーマン・ショックをきっかけに海外で次々に取引のキャンセルが続き、社員を100人近く減らして2009年に本社を品川区の築40年のマンションに移した[2]。ピーク時には25億円の借金を個人保証していたが、研究開発への投資を続けて2010年上半期には会社を黒字に復帰させている[2]

最終更新 2013年11月24日


=======================================================

吉川良三

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E8%89%AF%E4%B8%89

吉川 良三(よしかわ りょうぞう、1940年 - )は、日本経営学者東京大学大学院経済学研究科「ものづくり経営研究センター」の特任研究員、日韓IT経営協会会長。

1940年、大分県生まれ。1965年、神奈川大学工学部電気工学科を卒業。同年4月、日立製作所に入社。日立在籍中は、CAD/CAM向けシステムのソフトウェア開発に従事。1989年、日本鋼管株式会社へ移籍し、エレクトロニクス本部開発部長に就任。[1]次世代CAD/CAMシステムの開発を手掛る。1987年に知り合った、サムスン電子李健煕会長と知り合い、何度もサムスンの見学を行い当時会社の体を成していない企業状況を目の当たりにする。[2]1993年、李会長に誘われサムソン電子へ移籍し、韓国へ渡る。94年から常務取締役に就任し、2004年まで日本式の経営手法からCAD/CAMを中心とした開発革新業務を推進。帰国後は、東大経済学研究科ものづくり経営研究センターの特任研究員に就任。2006年には日韓IT経営協会を立ち上げ、会長に就任。2008年、立命館大学大学院イノベーションセンター客員研究員に就任。2009年、埼玉大学大学院情報処理研究科の非常勤講師に就任、現在に至る。

最終更新 2014年1月8日

=======================================================



 

0 件のコメント: