2013年3月24日日曜日

モザンビークで暮らす日本人女性ボランティア




なんにもないけどやってみたの画像
栗山 さやか【著】
岩波書店(2011/10/20 出版)


https://twitter.com/matuoka7ocean
matuokaisenokamikaze ‏@matuoka7ocean
モザンビークで暮らす日本人女性ボランティア http://blog.goo.ne.jp/takimoto_2010/e/6ca3f0038389fddf13e61b203535afc4 …

matuokaisenokamikaze ‏@matuoka7ocean
宝珠の如くにモザンビークで活躍する日本人女性ボランティア


https://twitter.com/ka2saori
saori‏@ka2saori
★栗山さやか さんのブログ=プラ子旅する。---まだアフリカです▼温かいコメント本当にありがとうございます。 2013.02.17  
 
saori‏@ka2saori
観終わりました  さん、栗山さやか さん お強い方ですね。★NPO団体「アシャンテママ」を設立したさやかさん。たった1人で政府と交渉し、2年がかりで立ち上げた=

=====================================

モザンビークで暮らす日本人女性ボランティア



公開日: 2013/02/18
2013.2.11 地方でボランティア活動をする栗山さんを父が訪ねる

=============================================================

参考リンク:

http://purako.jugem.jp/

プラ子旅する。 まだアフリカです。




以下抜粋:

ゴミ山のこと。
2013.02.24 Sunday

モザンビークにはたぶん、しっかりドラマとか映画を作る会社とか
ないみたいで(ここの州で放送してないだけかもしれませんが)
外のマーケットでナイジェリアやアンゴラの映画のDVDが売っています。
かなり前に買ったとき一枚240円?ぐらいだったと思います。
ハリウッドの海賊版?(字幕が中国語だった)も
途中で見れなくなったりしますが、買えます。
テレビ今は3チャンネルも見れますが、
ポルトガルや、メキシコ、ブラジルのドラマがやっています。
ときどきモザンビークのドキュメンタリーみたいなのもやっています。
前にもドキュメンタリーがやっていて、
首都でごみを漁って暮らす人々の生活が流れていました。
漁ったごみを映していたのですが、
大量のハエに囲まれながら、
大きな大ぶりのチキンを拾っておいしいーってほうばる若い男の子が
写っていて、あまりにもそのチキンの足の部分が立派で私も
おいしそう。。と思ってしまいました。
ネットで写真が載っていたので載せますね。
(ポルトガル人の写真家さんが撮られたそうです。)

写真を撮ったかたが、腐った犬の頭を食べてた人もいて
とても心が痛んだとCNNのニュースでも言っていました。
インタビューに答えていたゴミ漁ってた子が、
拾ったゴミを売っていい日は1日で3000MTs稼いだりもするって。。。
3000MTS= 9000円!!! です。
ここの人たちの政府が定めた最低の1か月のお給料は8250円です。
この仕事につける人は本当に一握りでほとんどの貧しい人たちは

自分で小さな畑を鍬一本で耕してそれを食べてなんとか暮らしています。

薪やわらを奥に行って切ってきて路上で売ったりもしています。
子どもがたくさんいる女性は1日一人あたり、20円以下とかで暮らして
いたりもします。1か月に1000円を稼ぐことも
難しいかたがたくさんいます。
物価もここで採れるかぼちゃの葉、さつまいもの葉とかは
まだ安いけど
普通のちょっといいものは値段、
日本より高かったりします。
工場で作られた、粉ミルク1缶(400g)660円とかコーヒーの粉(250g)
1330円とか
チーズ、1200円! コーラ1缶90円から120円。
全然可愛くない一番安い自転車7800円。
全部首都や南部の工場で作られていたり、モザンビークにはなくて
隣の国の南アフリカから陸路でローリーなんかで運ばれてくるので
運搬費がかかるためここではとても高くなってしまいます。
一度、この町までの道が大雨で悲惨な状態になって
ローリーとかトラック、車が通れなくなってしまって
その時、町中の砂糖が品薄になりふつう1K120円で買えるのに
この時は一気に240円にまで値上がりしました。
このゴミを漁って生計を立てている人たちの映像、
新しいごみを載せたトラックがやってくるとわーってみんな群がって
我先にとまだ走ってるトラックの荷台のごみに飛び乗って漁っていて
たまたま一緒に見ていたここの町に住む友人は、
じーと見ていて、
「こんなゴミ山あったらここの人たちももっと生活楽になるのにね。
食べるものや売れるものが探すだけで毎日手に入るなんて首都はいいね。
ここのゴミだめは、食べ物なんて落ちてないもんね」って。
日本にいたとき、どこかの貧しい国でゴミ山で暮らしながら
生活している家族のテレビがやっていて
なんて悲惨でかわいそうなんだろうって
思ったの思い出しましたが、臭いもすごいだろうし、
衛生上の問題、細菌感染等々問題は大ありですが、
それでもうらやましいっていう発想があることにまた考えさせられました。
人が食べ終わって捨てた地面に落ちている
マンゴのたねの部分とか、さとうきびのかすとか拾って
さらに吸ったり
腐ったおいも集めて
空腹を満たそうとする子達がいること、
それはここでは珍しいことじゃないこと。
あと何年経ったらこういう状態は変わっていくのかなと
思います。。
私ももっと頭を使って考えていきたいです。
写真。
レタスはここでも売られていますが、
高価な野菜です。
1個で売られているんじゃなくて、
数枚がちぎって15円からで売られています。
貧しいみんなにはもちろん買う余裕はないです。
勉強小屋の前の年の終わりの会でも
レタスを買わせていただきましたが、
予算、けちってしまって、
小さいくしゃってなったレタスの葉
1人一枚ずつしかあげれなくて、
去年の終わりの会には奮発して
1200円分ものレタスの葉を買わせていただいて、
みんなで食べました。みんな大興奮でした。
みんなのレタス付きのご飯を食べている嬉しそうな
写真を撮ろうと思ってカメラ持ってうろうろしてたら
写真の女の子、私が地面に落ちたものは食べちゃダメーっていつも言っているので
落ちていた腐りかけの部分をばれないようにこっそり拾って
自分のコップにいれて、勉強小屋の隅で食べていました。
あとで「レタスおいしいよね。 でもこれはもう食べれない部分だから
おかわりもらおうね」って言って
おかわりをあげたらとても喜んでいました。

ご寄付についてのご質問いただき本当にありがとうございます。
日本には協会の受け皿がないため、ソニーデジタルさんが
ボランティアでご協力してくださっています。
毎月、月末にいただいたご寄付の全額を
送ってくださっています。

また詳細ゆっくり書かせてください。
本当にご支援、コメントもありがとうございます。。

=============================================================

『壮絶プラ子のアフリカボランティア、「なんにもないけど、やってみた」』

http://blogs.yahoo.co.jp/senda3/52971018.html

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4005006965.html

2012/1/16(月) 午後 0:47


(今日は少し長いです。プラ子とは、栗山さやかさんのこと。)
アルマズは、19歳くらいで、エチオピアの施設の二階の小さな部屋、体のひどい損傷、腫瘍等、外見からその醜さがわかってしまう子たちがいた部屋にいました。彼女の右の肩から腕にかけて、大きな大きな本当に大きな腫瘍がありました。子供の頭くらいの大きさで、その腫瘍は、黒い緑色のただれた膿のような塊で、膿とどす黒い血がいつまでも大量に流れ出ていて。腫瘍の皮膚が腐ってしまっていたので悪臭が酷く、何十匹もの大量のハエが、いつもはらってもはらってもたくさん腕の腫瘍にたかっていました。

私が彼女の手当をしている間に、手伝ってくれようとしたその腕を初めて見る新しいボランティアの子、現地のワーカーの子、他の患者、みんなショックを隠しきれず、オランダから来た初老のボランティアは、へなへなと床に座り込んでしまい、ドイツから来た16歳の女の子ははき出してしまって。それから彼女の手当の最中は、その部屋に一緒にいた患者たち以外、誰にも見られないように部屋の扉も閉めて、私一人ですべてをやるようにしました。

治療は、彼女の腫瘍が大きすぎて普通のTシャツは着れず、片方の肩と腕の部分は切り取ったシャツをゆっくり脱がすところから始めます。それからぐちゅぐちゅになった腫瘍がガーゼにくっついてしまうので、慎重に薬品を使いながら何十巻きにもなった血と膿だらけになった包帯、ガーゼを痛くないようにゆっくりはがして、腐ってしまった腫瘍の部分を神経が通っていないか確認しながらメスで少しづつ慎重に切り取っていくため、いつも手当に1時間半以上かかっていました。

彼女の腫瘍に、ハエが止まって卵をたくさん産みつけて、すぐ数日後には、ウジ虫がぐちゅぐちゅの腫瘍の中で動き回ります。その動きで生じるかゆみは相当なもので、このときから彼女は痛みだけでなく、腫瘍の中で動き回るウジ虫のかゆさも我慢しなければならなくなりました。

時間を見つけて、片手ではむくことが出来ないアルマズの大好きなオレンジをむいてあげたり、他の患者さんのように体を洗うことは腕の腫瘍のせいで出来なかったので、全身を暖かいお湯でタオルを使って拭いてあげたり、体の垢をとってあげたり。排泄は、体を少し傾けながらベッドの上で洗面器を使えたので、おしりを持ち上げたりして手伝いました。

考えたくなかったけど、日に日に成長していく腫瘍、すべて手遅れだから、とだけ言って診察にも来てくれない外科医の先生。飲んでいる薬も、本当は痛み止めとビタミン剤だけ。塗っている薬も、ただ消毒するだけの、腫瘍とは全く関係ない薬。アルズマの亡くなってしまう日がそこまで遠くないのは信じたくなかったけど、私にも分かっていました。

ある日の夕方、外が暗くなり始めた時に、アルマズ、もう意識がなくなって、口から泡を吐いて、なぜか脚を一生懸命動かしていて、毛布をずらして見ると、失禁していました。いつもお尻を持ち上げてしっかり洗面器を使っていたから、失禁してしまうことは今まで一度もなかったアルマズだから、気持が悪かったのでしょう。急いで穿いていたズボンを替えて、暖かいタオルでお尻、拭いてあげながら、一度だけ『チャラカ、最期は絶対一緒にいてね』と悲しそうな目で私をじっと見て言ったときのことを思い出して。だんだん白目になって、苦しそうな彼女の反対側の腕をなでて、ベッドの横に座り込んで、大丈夫、大丈夫って声をかけることしか出来ませんでした。それから彼女は大きな息を最後にして白目のまま亡くなりました。

この施設は主にアフリカに蔓延するHIVやその他の重疾病で、末期症状になった人達を収容しています。せめて最後の看取りだけは人間らしく、という思いを寄せて活動しました。どうしてこんなに若い子たちが、こんな風に苦しんで亡くなっていってしまわないといけないのか、私より若い女の子たちを看取る度、この世に本当に神様はいるのかなって呆然としながら、いつもそう思っていました。  
(参考: 栗山さやか=プラ子著『なんにもやっていないけど、やってみた』岩崎ジュニア新書)

短大卒業後、渋谷109ではたいていた筆者『栗山さやかさん』。幼なじみが25歳で亡くなるという事態に遭遇し、また坂上洋子著『犬も歩けば英語にあたる』というエッセイを読んで、自分でもびっくりするくらい感動し、津波に押されるような形で海外貧乏旅行に。出発後1ヶ月、一緒に旅していた友達とインドの施設で2週間くらいボランティアをし、精神障害の男の子が汚した下着を洗いながら、幼なじみの死について考えました。この汚れ物よりも自分の心には汚いものがこびりついていた気を持ちました。

一緒に旅していた友達とコルカタで別れ、バングラディシュに。それからアジア、西ヨーロッパ、東ヨーロッパ、中東、一人で貧乏な旅行を続けました。色んな国ですれ違うたくさんの現地の人たちや、その生活を何となく見て、みんなそれぞれの生活があり、色んな日常があり、みんな悩んだり、夢を持ったり。どこの国に生まれても、どんな環境に育っても、みんな一緒なんだなあって当たり前の事を思ったり。

アルマズの話はエチオピアのHIVエイズの施設での実体験話。エチオピアは栗山さんの旅の中の一つの目標だった国です。HIVの施設で働くのが目的で。首都アディスアベバにあるこの施設は、1,000人以上もHIVや奇病、末期癌、アフリカ独特の病気で苦しんでいる人がいる施設で、栗山さんはここで一緒に寝泊まりし毎日朝から晩まで働きました。病の末期患者のための施設で、入院者はひどく体が犯され、体の奇形、喪失、腐りかけた肌、悪臭、大きな腫瘍、血と膿、骨の見えてウジ虫やハエがたかった肌、汚物だらけの体、一日中吐いている子、たくさんの遺体。末期患者のため、体力が消耗し、排泄する力もない病人。その病人の排泄口に手を突っ込み、排泄物を掻き出したりする作業。あまりの衝撃に栗山さんの中でも整理ができませんでした。それでも栗山さんは頑張って、この施設で7ヶ月ボランティアをしました。

私が栗山さんの話しを見たのは、朝日新聞の記事。栗山さんがエチオピアの後南下し、ケニア、タンザニア、ザンビア、マラウィ、ジンバブエ、スワラジンド、南アフリカへ。通過した国は60を超えて。時々病院、孤児院、施設などを見せてもらいながら一人旅を続けました。南アの北東にある『モザンビーク』を訪れた際、栗山さんはここでも子ども達、若い人たちが病気でたくさん亡くなったり、貧困、栄養失調、孤児のあまりの多さ、強盗は殺人、道徳心の低さ、人の信用力の低さ、医者の少なさと貧困から病気になっても診察が受けられない多くの人たちの現実を見て、栗山さんは決心します。一番弱い立場にある生活に困窮した女性や子ども達にせめて、読み書きや栄養についての知識を、そして正しい情報や道徳心を、さらには色んな知識の共有活動のため、『協会アシャンテママ』を立ち上げました。

10日出席し、口頭問題をパスしたら、蚊帳、水の消毒剤、油1㍑、塩500mg、砂糖1㎏、乾燥したトウモロコシの粉バケツ半分、干した魚1コップ分、鶏の頭と手足の部分、棒石鹸1本、合計600円相当。または安全のためのドア、カギがない家には南京錠を、と。これらの資金は日本のボランティアグループや個人による支援。彼女は特にHIVへの正しい知識、コンドームの使用などには力を入れます。

私も少額の寄付を1回しただけですが、これからも定期的な寄付をしようと思っています。とにかく、若い日本女性一人がモザンビークで悪戦苦闘し、現地の人たちに生きる喜びと人間としての尊厳を植え付けようという、崇高な行動に感激していますので。しかも現地はとても大変な様子です。『プラ子ブログ』をご一読ください。そして、出来れば何千円かの少額寄付をお願いします。恵まれた国、日本に生まれたことに感謝し、恵まれないモザンビークの人たちに支援の手をさしのべませんか。

この本を読んで、強い刺激と驚きを感じました。これまでこのようなインパクトを受けた本は2冊あります。一つは、犬養毅首相の孫、国連機関に努める犬養道子さんがアフリカについて書いた『乾く大地』。この中で、犬養さんは、アメリカの奴隷はまだいい、子孫を残す環境(夫婦)を与えたから。それはとりもなおさず、大西洋を渡るうちに奴隷の1/3が死亡し、奴隷の値段が高かったから、と。欧州では奴隷は安かったため、奴隷に子孫は残させませんでした。なんたる不道義、非人道=欧州人、と私は思いました。

もう一つは、山崎朋子さんの『サンダカン八番娼館』。明治から大正にかけて九州を中心に貧乏な家庭の少女たちが買われ、またはさらわれ、だまされて東南アジアの娼婦『からゆきさん』として売られたレポートです。これをベースに、栗原小巻、高橋洋子、伊藤絹代による映画『サンダカン八番娼館 望郷』が制作されました。この本にも映画にもショックを受けましたね。

★プラ子ブログ: 
http://purako.jugem.jp/  寄付窓口は、このブログ右手に案内があります。または、支援団体ソニーの口座に振り込む方法も。
私も、2回目の些少なる寄付を銀行送金で行います。是非ブログを訪問してください。きっとあなたの善意を待っているアフリカの女性、子ども達の悲喜こもごもの情景が浮かび上がります。幸せな日本に生まれ育った私たちは、不幸な国に生まれた人たちに、一歩乗りだし、救いの手を伸ばす気概を持ちたいですねえ。それにしても、プラ子=栗山さやかさん、健康に気をつけて活躍してくださいませ。(*.^)

◆今日の画像は、イタリアで座礁した『現代版タイタニック号』と、『協会アシャンテママ』に集まり、行動する子供や女性たち、です。栗山さんの活動が大きな山となってアフリカ全体を動かすことを期待しています。3枚目の多くの人たちの真ん中にプラ子さんが見られます。ガンバレ、プラ子(*.*)

<栗山さやかさん=プラ子の略歴>
1980年 3月 静岡県生まれる
1999年 8月 短大行きながら東京109渋谷ココルルショップ研修生として働く。
2000年 3月 東京の短期大学卒業         
2000年 4月 同店 準社員をへて社員になる。就職。
2001年 3月 東京他店舗 店長になる。
2002年 4月 同退職
2002年 4月 フリーター、OLになる。
2006年 2月 貯金でバックパッカー世界旅行に出る
アジア、中東、ヨーロッパ、アラブ50カ国ぐらいうろうろする。
2006年 9月 アフリカ エチオピアの施設でボランティアを始める。
ビザ更新し、7ヶ月施設に住み込む。
2007年 4月 ケニア タンザニア ザンビア マラウィ 
モザンビーク 南アフリカ スワジランド ジンバブエ
旅をしながら、時々施設や病院でお手伝い。
2009年 1月 モザンビーク北部に家を借りてボランティアしています。
2009年 10月 新しい協会を現地の子2人と作りました。


=============================================================

http://sonydes.jp/blog/2011/01/-2006.html

2011年1月27日

プラ子のボランティア団体【アシャンテママ】がJustGiving Japanに団体登録されました!



purako_JustGiving.jpg
2006
年に単身アフリカに旅立ち、一人でボランティア活動を続ける渋谷系ガングロギャル・プラ子
彼女はアフリカ・モザンビークで貧窮に苦しむ女性たちに、教育・衛生・病気・モラルなどを教えてきました。
それから5年、プラ子の念願が叶いNPO団体【アシャンテママ】が設立されました。
今もなお、プラ子はアフリカ・モザンビークで頑張っています!
そして、この度ついに「アシャンテママ 日本支部」は"JustGiving Japan"に団体登録されました。
詳細ページはこちら↓
JustGivingのご紹介…
世界最強のファンドレイジング・ツールと呼ばれる、オンライン上で寄付を募る&寄付ができる仕組みのこと。
2010年に、7歳の少年(チャーリー・シンプソンくん)がハイチ地震の被災者を救おうとロンドン市内をサイクリングして約2880万円を集め話題になったのでご存知の方は多いかも。
JustGivingの活用法…
○チャレンジャーになって寄付を募る!
 ①支援したい団体を選択する
 ②何かにチャレンジをし、賛同者=寄付 を募る。
 ③寄付が支援したい団体に贈られる。
 (チャレンジは、どんなことでもOK!例えば…老犬の健康ために毎朝ゆっくりさんぽします!、毎日1駅歩きます!、マラソンに参加します!、近所の海を毎日5分間ゴミ拾いします!、などなど)
○サポーターになってチャレンジャーに寄付をする!
(もちろん!チャレンジャーを通さなくても、支援団体に直接寄付するのもOK!)
まだまだ団体登録したばかりで、寄付もチャレンジもこれからです!
プラ子の為に何かしたい!とお考えだった方も、今回興味を持っていただいた方もぜひぜひアクセスしてみてください。
「アシャンテママ」への寄付、応援のためのチャレンジ企画(自分が頑張る→賛同者が寄付する)、募集中です!

=============================================================

参考リンク:

http://www.mdig.com.br/index.php?itemid=20400





 

=============================================================

=============================================================

世界の子どもたちから日本へ応援メッセージ



WorldVisionJapan
アップロード日: 2011/05/11
東日本大震災の未曾有の被害状況は、世界各国へも瞬く間に伝えられ、ワールド・ビジョ­ン・ジャパンの事務所には、連日のように、世界各国のワールド・ビジョンの事務所から­、日本への応援メッセージが届けられました。そのほとんどは、これまでチャイルド・ス­ポンサーシップを通して、支援を受けてきた国のチャイルドたちからです。ぜひご覧くだ­さい。

http://www.worldvision.jp/news/news_0...
 
=============================================================

モザンビークのアデリアちゃん



WorldVisionJapan
アップロード日: 2008/11/07
一日に三回、遠い井戸まで水を汲みに行くモザンビークのアデリアちゃん。貧困の中を懸­命に生き抜いている途上国の子どもたち、その国の未来を担って立つ子どもたちが夢をか­なえ、希望ある人生を歩めるよう、世界の現状に関心を寄せていただき、チャイルド・ス­ポンサーシップにご参加いただきたいと願っています。

カテゴリ 非営利団体と社会活動

=============================================================

ワールド・ビジョン・ジャパン20年の歩み



WorldVisionJapan
アップロード日: 2009/07/12 ワールド・ビジョン・ジャパンは、皆さまの温かいご理解、ご支援に支えられて、200­7年10月、20周年を迎えることができました。

カテゴリ 非営利団体と社会活動

=============================================================

モザンビーク 1 教育



=============================================================

モザンビーク 3 医療 



=============================================================

=============================================================

 Access to Energy for the Base of the Pyramid(日本語字幕) 



アップロード日: 2010/05/01
説明はありません。

=============================================================
 
Maputo The Beautiful Capital of Mozambique.wmv



アップロード日: 2011/04/16
Maputo means in local language, Sea of the Portuguese,until 1975 was been called Lorenço Marques and his inhabitants nicknamed as Coca Colas.
 
=============================================================

0 件のコメント: