2013年5月26日日曜日

国会事故調 報告書 要約版 NO.3

国会事故調 報告書 要約版 NO.3



 
 
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要約版

第1回委員会   平成23年12月19日 (福島県福島市 福島ビューホテル)

概要
 
  委員会の活動を開始するに当たり、委員会運営規程案について議決し、主査の指名、ワーキンググループや事務局の体制などを決定するとともに、委員会法第10条に基づく具体的な調査・検証項目の枠組みについて検討した。また、事故後の福島の状況について、東電福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という)のある大熊町から会津若松市の仮設住宅に避難している蜂須賀禮子委員から、安全と言われながら原発とともに生活してきたが、事故後は何一つ心の安心がない、との被災者が置かれた厳しい状況の報告があった。
 
 主要ポイント
 
  なお、委員会では、第1回委員会の福島市での開催に合わせて福島第一原発及び被災地の状況を直接把握するため、前日の12月18日(日)には福島第一原発及 び大熊町役場での除染実証事業の模様を視察するとともに、12月19日(月)の委員会終了後には、線量の高い川俣町山木屋地区からの避難者が入居する同じ川俣 町内の仮設住宅を訪問し、古川道郎町長及び仮設住宅の自治会長から説明を受け、また、山木屋地区での農地・山林の除染実証事業の模様を視察した。
 
第1回委員会の様子

第1回委員会の様子
 
視察の様子

平成23年12月18日、福島第一原発視察の様子
 

平成23年12月19日、川俣町視察の様子
 
 

第2回委員会 平成24年1月16日 (憲政記念館)

概要
 
  冒頭で、委員長代理の指名、各ワーキンググループの共同議長を選任した。その後、事故に関する中間報告書等を既に提出している、政府の事故調査・検証委員会、東京電力、文部科学省から、それぞれ参考人聴取を行った。政府の事故調査・検証委員会が取りまとめた中間報告に対しては、地震・津波災害と原子力災害が重なった複合災害の視点が欠けているのではないかとする疑問や、地震による影響に関する見解について質疑があった。東京電力による事故調査の中間報告書に対しては、高い津波が起きることに科学的な根拠がなかったとする東京電力の見解や、各種対策へのコストの影響などについて質疑があった。文部科学省に対しては、当初、放射線量を実測したモニタリングデータが住民に周知されていなかった点、原発事故による放射線の影響予測等を行うSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)のデータが、公表前に米軍に提供されていた点などについて質疑があった。
 
1.東京電力福島原子力 発電所における事故調査・ 検証委員会「中間報告」
 

畑村 洋太郎 参考人
(東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 委員長)
 
  
小川新二 参考人 (東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 事務局長)
 
2.東京電力 「福島原子力事故調査報告書(中間報告書)」
 

山崎雅男 参考人
(東京電力 取締役副社長)



石田昌幸 参考人
(東京電力 原子力品質監査部長)



尾野昌之 参考人
(東京電力 原子力品質・安全部部長)

 
3.文部科学省 「東日本大震災からの復旧・復興に関する取組についての中間的な検証結果のまとめ(第一次報告書)」
 

渡辺 格 参考人
(文部科学省 科学技術・学術政策局次長)



明野吉成 参考人
(文部科学省 科学技術・学術政策局原子力安全課長)



神田忠雄 参考人
(文部科学省 大臣官房政策課評価室長)

  
 

 第3回委員会・タウンミーティング  平成24年1月30日 (埼玉県加須市 市民プラザかぞ)

概要
 
  福島第一原発の立地町である双葉町の井戸川克隆町長から、原発事故以前の状況、事故・避難時の状況などについて説明を聴取し、意見交換を行った。井戸川参考人は、なぜこのような事故が起き、事故後の対応がうまくいかなかったのか、事故前に行われてきた規制当局や東京電力の緊急時の準備に問題がなかったか、事故後の対応は適切であったか等について検証してほしいと訴えた。特に、事故後の避難については、国から具体的な避難指示が全くなかった上、SPEEDIのデータを早期に入手できず避難時の被ばくを防げなかったことを強く非難した。
  今回の委員会は、双葉町が役場機能を移転し、多くの町民が避難生活を送っている埼玉県加須市で開催し、委員会終了後には町民から事故・避難時の状況や避難生活の実態などについて生の声を聴くためのタウンミーティングを開催した。町民からは、まさか原子力発電所で事故が起きるとは思わなかったという声や、小児や乳児の被ばく検査が不十分であるといった声が聞かれた。
 

井戸川克隆参考人
(双葉町長)
 
発言ポイント
 
想定外は理由にならない
町長就任以来、東京電力と経済産業省原子力安全・保安院(以下「保安院」という)に原発が心配と言い続けてきたが、心配はいらない、絶対に安全と言われてきた。しかし、事故は起きてしまった。想定外は理由にならない。

政府からの連絡は避難指示以降ない
 テレビが唯一の情報源であった。政府からの連絡は避難指示以降なく、その後の行動については一切指示、指導がないまま今日に至っている。

オフサイトセンターに関する検証
オフサイトセンターは原発から近過ぎて使いものにならなかった。緊急時対応のオフサイトセンターはどのような事故を想定して作られたのか、検証が必要である。

規制当局と事業者に関する検証原子力の規制当局がどのような役割を果たしてきたのか、事業者との関係はどうであったのか、などについての解明が必要である。東京電力については、経済優先のため現場の声が封殺されていなかったか、人材は育成されていたのか、技術は伝承されていたのか、定期検査の際に大量に動員される臨時雇用の作業員にはどのような訓練をしているのか、危機管理部門は機能していたのか、など事故につながった経緯を検証してもらいたい。

福島県に関する検証
 福島県についても、県民に的確な情報を出したのか、県民のニーズに合った保護が行われているか、などの検証が必要である。

被ばくの基準に係る混乱
被ばくの基準については、いろいろな話があり混乱している。一般公衆は年間1mSvが限度である。自然界の放射能以外で放射能にさらされるのは事故による被ばくである。外部に飛び散った放射能が、東京電力のものではなく無主物だという主張はとんでもない。
 
 

  第4回委員会 平成24年2月15日 (衆議院第16委員室)

概要
 
 原子力発電所の事故当時、最前線の責任者として対応に当たった、内閣府原子力安全委員会(以下「安全委員会」という)の班目春樹委員長、保安院の寺坂信昭前院長を参考人として招き、当時の状況及び経緯について説明を受けるとともに、被害の軽減対策、今後の原子力安全の在り方等について議論した。
  安全委員会が原子力の安全確保に関する基本的な考え方を示すために発行してきた安全審査指針類が、原発を建てられるようにつくられてきたことが示唆された。また、保安院の規制強化が不十分であった背景として、事故は起こらない、起こるとしても非常に小さい確率であるとの意識があったことが指摘された。また、寺坂参考人が、組織の長でありながら事故後まもなく官邸から保安院に戻ったことについて、自身が事務系の人間であり技術的知見に難があると自ら判断したためと釈明した。
 

班目春樹 参考人
(安全委員会委員長)



寺坂信昭 参考人
(前保安院長)

 
主要ポイント
 
安全委員会の安全指針類は全面的な改訂が必要
安全委員会の班目委員長自身が安全指針類そのものに瑕疵(欠陥)があったことを認め、謝罪した。特に、昭和39(1964)年に策定された原子炉立地審査指針という時代にそぐわない指針に基づいて設置が許可されていること、今回の事故では、同指針が規定する「仮想事故」(重大事故を超えるような技術的には起こることは考えられない事故)よりも、はるかに多くの放射能が放出され、既存の発電所における安全性に大きな問題があることが明らかになった。また、原子力発電所を建てられるように基準を作っており、その全面的な改訂が必要であるとの認識も示された。

従来の原子力政策は緊急時の備えが不十分
 両組織とも原子力の安全を担う使命を持っているものの、緊急時の備えが不十分であった。その背景には、事故は起きないであろうという前提で推進されてきた原子力政策の根本的な問題がある。両組織に住民あるいは国民の安全を守るという意識が欠如していることも判明した。

規制組織の専門性が欠如
組織としての専門性の欠如、組織の長としての専門性の欠如という問題も浮き彫りになり、独立性が高く科学的根拠に基づいた勧告や提言を出せる組織や制度の重要性があらためてクローズアップされた。また、事故を引き起こした当事国として、わが国に国際的な信頼に足る安全基準をつくる責務があることも浮き彫りになった。
 
 

第5回委員会  平成24年2月27日 (参議院議員会館内講堂)

概要
 
  1999年から2003年まで米国原子力規制委員会の委員長を務めたリチャード・A・メザーブ博士を招き、原子力規制組織の在り方等について説明を受け、意見交 換を行った。米国でも、かつて同じ組織が原子力の推進と規制の両方を担っていたが、この体制では厳しい規制ができないとの認識から、独立性を備えた規制機関として原子力規制委員会(NRC) が生まれた。発電事業者においても、原子力発電運転協会(INPO)を立ち上げ、規制に基づく義務を超えた「最高レベルの安全性と信頼性」の達成を目指し、各種活動を行っている。
    メザーブ博士は、規制機関には独立性と透明性が重要であり、米国では例えばベントの指示を大統領が出すようなことは考えられないと述べた。
 

リチャード・A・ メザーブ参考人
(元米国原子力規制委員会委員長)
  
得られた教訓・知見
 
原子力に関わる者全てが高い安全規範を持つべき
原子力に携わる者は安全に対して高い規範を持たなければならず、常に、より高い水準の安全を目指して取り組む責任を負う。事業者やメーカーが、規制機関が定める基準を守っていればよいといった甘えた考えを持つことは許されない。規制機関も、専門性では事業者にかなわない、一義的な責任は事業者にある、といった言い訳は許されない。

事業者は事故と被害拡大の防止に一義的な責任を負う
発電所の事故防止と被害拡大の阻止については事業者が一義的な責任を負う。緊急時の事故対応において、事業者は政府や政治家の影響を受けず、自らの責任の下に判断する必要がある。発電所の運転において、政治家の判断を仰がねばならない事態は避けるべきであり、事業者は、安全確保のための厳しい原則を自己責任において確立し、常にそのための能力を維持しなければならない。

規制機関は事業者に正しい判断をさせる責任を負う
規制機関には、平時だけでなく緊急時においても、常に事業者に正しい判断をさせて、事故の拡大を防止する能力を備える責任がある。その責任を負うためには、規制機関の独立性が確保されなければならない。また、規制機関は、あらかじめ緊急時を想定し、役割分担及び指示命令系統を明確にするとともに、訓練によってこれを徹底的に浸透させる義務を負わなければならない。

全ての意思決定を透明にすべき
国家安全保障等に係る場合を除き、全ての意思決定を透明にしていくことが、独立性を確保し、また、国民そして世界からの信頼を得る上で非常に重要である。

規制機関は専門家を育成すべき
NRCでは原子力安全に人生をかける専門家人材が主体になっている。「原子力安全を第一の使命とした組織」の中でキャリアを積めるようにすることがポイントである。官僚組織の中をローテーションしながら育成された人材が緊急時に役に立たなかったことは、当委員会でも明らかになった。専門家にインセンティブを与えることも重要である。

事故調査機関は独立性と透明性を持つべき
原発事故調査においては独立性と透明性が何よりも重要である。国会事故調のような独立の第三者機関を活用していかなければ、世界に対して説明がつかないと同時に、世界からも信頼を得られない。
 
 

第6回 委員会 平成24年3月14日 (参議院議員会館内講堂)

 
概要

  事故当時、東京電力の副社長であり、事故対応の最大の責任者の一人であったと思われる武藤栄氏を招き、現場で何があったのか、なぜ事故が起きてしまったのか等について質疑応答を行った。

  事故発生後、菅総理らが事故対応に追われる発電所を訪問し、また、官邸の意向で東京電力本店内に政府との統合本部を設置するなど、官邸から東京電力に対するさまざまな働きかけがあったが、その是非をめぐってはさまざまな議論がある。委員会では、いわゆる「原発からの撤退」、「ベントの実施」等の問題をめぐり、官邸と東京電力の間でどのようなやり取りがあり、事故対応にどのような影響を与えたのかが焦点となった。

  また、事故発生前に進められていた耐震バックチェックや津波評価といった安全対策について、検討や対応が遅れていたことが今回の事故につながったのではないかと指摘されている。過去の安全対策について、責任者としてどのように認識しているかについても質問が投げかけられた。


武藤栄参考人
(前東京電力取締役副社長)

 
主要ポイント

官邸と東京電力の関係
発電所からの撤退、ベントの実施等についての説明から、電力会社、事業者として官邸の介入に納得していないことが分かった。
菅総理が、福島第一原発の吉田所長の携帯電話番号を聞き出していたことが分かった。しかし、武藤参考人は、菅総理が吉田所長にどのような指示をしたのか把握していなかった。
東京電力の事業者としての能力
武藤参考人は、原子力発電の一義的な責任は事業者にあると述べた。しかし、結果としてベントに時間がかかった上、水素爆発が起きてしまったことは事実であり、果たして東京電力にその責任を果たす能力があったのか検証する必要がある。
事故に対する備え
事故に対する備えが十分でなかったことが確認された。例えば、平成18(2006)年以降、耐震バックチェックが実施されているが、設備機器、配管類の多くについて耐震安全性の確認がなされないまま今回の震災を迎えたことを武藤参考人は認めた。
武藤参考人は、津波が今回の事故の全ての原因であるかのように説明したが、平成14(2002)年には津波の予測がなされ、現場でそのリスクは認識されていた。武藤参考人はそれについて知らないと説明した。東京電力社内における安全情報の共有に疑問が残る。


第7回委員会 平成24年3月19日 (参議院議員会館内講堂)

 概要  

  ウクライナの非常事態省及びチェルノブイリ原子力発電所から 3人の専門家を招き、1986 年に発生したチェルノブイリ原子力発電所事故のその後の状況と対策について説明を受け、意見交換を行った。
チェルノブイリの事故は、福島と同じレベル 7 という大規模な原子力災害であり、 大量の放射性物質が放出され、多くの人々の生活や環境に大きな影響を与えた先例 といえる。委員会では、住民避難の方法、除染等の対策と効果、住民の健康を守る 対策(健康管理、放射線に関する教育、農作物・食品検査、事故に伴うストレスの 影響等)、環境や森林の汚染状況、事故を起こした施設の管理・モニタリング、国 際協力、国民への情報開示、農業の再生等について質疑があった。
3 人の参考人は、実際に事故後の対応に当たってきた経験を持っており、実際に 現場でどのような問題が生じ、どのような対策が講じられたのか等に関心が集まっ た。


ヴォロディミール・ホローシャ参考人
(ウクライナ非常事態省チェルノブイリ立入禁止区域管理庁長官)


レオニドゥ・タバチニー参考人
(ウクライナ非常事態省水文気象学局中央地球物理観測所副所長)



アナトリー・ゴーラ参考人
(チェルノブイリ原子力発電所副所長)
 
得られた教訓・知見

被ばくと健康管理
ウクライナでは、事故処理、除染など事後の対応に携わった人の多くが被ばくした。また、子どもの被ばくが多数見つかり、主に甲状腺に関わる病気が多かった。子どもの甲状腺被害だけでなく、被ばくは全ての臓器に影響している。
ストレスに関しては、避難住民に放射線恐怖症が見られた。食べ物については、種類、摂取量等に応じて細かく管理している。

情報開示の重要性
情報伝達については、ソ連時代の反省を踏まえ、ウクライナ独立後はその重要性が認められている。ただし、ベクレル、シーベルト、キュリー等の数字を示しても国民には十分に理解されず、もっと具体的で国民に分かりやすい情報開示が必要であると認識しているようである。

国際的な知見
福島第一原発の事故に関する今後の対応を考える際、国際的な視野に立ち、広く知見を集めていくべきであることが確認できた。
 

第8回 委員会 平成24年3月28日 (参議院議員会館講堂)


概要
 
  東京電力ならびに原子力規制機関の原子力安全に対する取り組みと事故当時の対応について、参考人質疑を行い聴取した。武黒一郎氏は東京電力の原子力部門における、元責任者であり、事故当時同社の技術専門のフェローとして官邸に詰めていた。広瀬研吉氏は、安全委員会事務局長と保安院長の双方を唯一歴任し、事故直後に原子力規制関係の著書を発行する等、原子力規制の専門家であり、また事故後昨年3月下旬から内閣府本府参与(安全委員会担当)として事故処理に対応した。

  国際原子力機関(IAEA)は、原子力施設での安全確保について、安全防護のための障壁を多重に備える「深層防護」という概念を示している。この「深層防護」は第1層から第5層までの5層によって構成されており、わが国の原子力規制や、原子力発電所の事業者が、この「深層防護」に十分対応しているかどうか、その責任についてどう考えているかなどが主な論点となった。
 

武黒一郎参考人
(東京電力フェロー)



広瀬研吉参考人
(内閣府本府参与、元保安院長)

主要ポイント    

東京電力の事業者としての意識・能力の欠如
東京電力は、事故防止及び被害拡大防止に一義的責任を負っているにもかかわらず、これまで原発事故を防ぐための自助努力、そして国民目線での対応の努力が足りなかった。
また、原子力安全に関して事業者がなすべきことについて、必ずしも明確には認識していない。深層防護について「5層のうち3層まで注力してきた」との発言があったが、それ以上については必ずしも自らの責任範囲ではないと考えているようである。
事故当時、東京電力は武黒フェローを官邸に送り込んだが、本人は現場の情報を官邸に伝えるよりも、官邸の意向を現場に伝えていたように思われた。

規制機関の安全に対する責任感の欠如
規制機関は、これまで住民や国民の安全を第一に考えず、自らの責務を果たしてこなかった。バックチェックなど重要な安全策を事業者任せにし、IAEAなど外部からの警告にも耳を貸さず、安全文化を重視しなかった。安全委員会と保安院のダブルチェック機能が働いていないことも分かった。
 
 

第9回委員会 平成24年4月18日 (参議院議員会館内講堂)

概要

  原子力安全に関する規制機関である保安院の現職のトップである深野弘行氏に保安院は、福島第一原発事故について専門家の意見などを踏まえ、「東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故の技術的知見について」対する参考人質疑を行った。(以下「技術的知見」という)を平成24(2012)年3月28日に取りまとめた。「技術的知見」には、今後の規制に反映すべきと考えられる30の事項(以下「30項目」という)が盛り込まれており、保安院は、この30項目を今後の原子力規制のベースになるものと位置付けている。
  一方、総理大臣など4大臣は、「原子力発電所に関する四大臣会合」を開催し、「原子力発電所の再起動にあたっての安全性に関する判断基準」(以下「判断基準」という)を決定した。「判断基準」は、この30項目について「着実な実施計画が事業者により明らかにされていること」を求めているにすぎず、30項目が全て完了していなくても原子力発電所を再起動できることを示した。委員会では、「判断基準」が決定された経緯と30項目との関係、30項目が安全対策として十分かどうか等が論点となった。


深野弘行参考人
(保安院長)

主要ポイント

○政府が策定した判断基準の基礎となっている「技術的知見」に示された対策は、暫定的な原因分析に基づいている。
○「判断基準」が想定する事故は、「事故原因が福島第一原発事故と同じである」との前提に基づいている。
○安全に稼働するために必要な以下のような対策も先送りされ、「判断基準」の想定を超える災害があった場合の対策ができていない。
―福島第一原発の事故対応で重要な役割を果たしたとされる免震重要棟の設置が「中長期的課題」とされている。
―欧州の多くの国で採用されているフィルタ効果のあるベント設備の設置が「中長期的課題」とされている。
―住民避難計画等を含む原子力防災は、住民の安全確保にとって非常に重要であるにもかかわらず、「技術的知見」では検討の範囲外に位置付けられている。
当委員会は上記の議論を踏まえ、特に以下の点について、さらに検討する必要があると認識した。
○規制当局は、事故原因を特定の事象に限定して対策するのではなく、地震、津波、火災、またテロも含めたあらゆる事象に耐えられる対策を立てるべきである。
○住民の健康と安全を最優先に、事故発生及び事故拡大の防止、住民の安全な避難を含めた多層の安全対策を策定すべきではないか。
○政府が設定した判断基準が、必ずしも上記のような対策を基本としていない以上、原発の安全確保に十分なものであるといえるか。
○政治からの独立、事業からの独立が必要な規制組織の在り方を考えるに当たって、その独立性を実質的にどう担保すべきか。

 

第10回 委員会・タウンミーティング 平成24年4月21日浪江町 (二本松市民会館)

第11回 委員会・タウンミーティング 平成24年4月22日大熊町 (会津大学講堂)


概要 

  第10回委員会として浪江町の馬場有町長ほか 6 人の参考人から、また第 11回委員会として大熊町の渡辺利綱町長ほか4人の参考人から説明を聴取した。また、各委員会の終了後、避難を余儀なくされている、浪江町と大熊町の住民から事故・避難時の状況や避難生活の実態など生の声を聴くためのタウンミーティングを開催した。委員会及びタウンミーティングは、浪江町と大熊町の住民の主な避難先となっている、二本松市と会津若松市でそれぞれ開催した。
  馬場参考人は、11日の夕方に起きた原発事故について連絡、通報がなく、翌12日早朝に原発事故の発生と10km圏内の避難指示が出ていることをテレビで知ったと述べた。その後、20km圏外に出るため北西部の浪江町津島に役場機能を移したが、SPEEDIが早期に公開されていれば別の避難方法もあったと考えており、SPEEDIの能力と公開について検証してほしいと訴えた。
  渡辺参考人は、11日の夕方に原発事故の連絡があり、19時ごろに緊急事態宣言が発令されたが、当初はあまり危機感を持っていなかったと当時を振り返った。また、原子力発電所の安全確保を繰り返し要望してきたが、心の底では安全神話を過信し過ぎたことは否定できず、小さなトラブルがあっても、多重防護システムで守られるため大事には至らないという先入観があったと述べた。


馬場 有参考人
(浪江町長)
 

 
吉田数博参考人(浪江町議会議長) 鈴木 充参考人(浪江町行政区長会会長) 松﨑俊憲参考人(浪江町商工会会長)

叶谷守久参考人
(相馬双葉漁業協同組合請戸支所長) 菊池好平参考人(ふたば農業協同組合理事) 佐藤 隆参考人(浪江町PTA連絡協議会会長)


渡辺利綱参考人
(大熊町長)
 

仲野孝男参考人(大熊町行政区長会会長) 松本一彦参考人(大熊町消防団技術分団長) 石田宗宏参考人(大熊町立大野小学校PTA会長)
石田 仁参考人(大熊町生活環境課長)

要ポイント   

避難指示・避難の実態
「国、県、東京電力から、事故、避難指示、避難方向についての情報が何も無いままに避難しなければならなかった」、「東京電力の社員などもっと早く分かっていた人たちがいたのではないか」といった生の怒りが伝わってきた。住民の側にとって分かりやすい情報を、より早く伝えることの重要性について再度認識した。

住民の安全を守るという視点
役場の方からは当時を振り返って「果たして、住民の安全を守るという役場の役割を果たせたのか」との自問自答があった。「防災訓練は訓練のための訓練で、主催者の自己満足のためだった」、「もっと現実に即した訓練をすべきだったのではないか」といった言葉もあった。過去の委員会での参考人の話は、原子力の安全を守るべき規制当局に、この住民の安全を守るという意識がすっぽり抜けていることを示唆している。

立地町としてのメッセージ
特に大熊町の方からは、「立地町として『安全』について聞きなれてきた。洗脳されてきた」、「まさか原発が問題を起こすなんて、と考えていた」、「人間に制御できないことがあるということを伝えられてこなかった」等、他の原子力発電所の立地地域の住民に対して大きな意味があるご意見もいただいた。

政府との関係・信頼の視点
事故当初に必要な情報を出さなかった政府に対して「いまだに信頼が築けない」、「現在の4号機や線量などの情報も信じられない」という言葉があった。一度失った信頼関係を取り戻すには大変な時間と努力が必要だ。

○避難生活、将来
当時の避難指示の遅れ、あるいは「念のため」といったあいまいな伝え方が、いかに住民に深刻な影響を与えてしまったのか、あらためて痛感した。「子どもたちへの放射線の影響について、将来にわたって国が責任を持って健康を見守っていく制度が必要ではないか」といった意見もいただいた。このほか、何度も「原子力発電所がある市町村の皆さんに私たちと同じ体験をさせることのないよう切にお願いをしたい」という心からの訴えがあった。

第12回 委員会 平成24年5月14日(参議院議員会館内講堂)


概要 

  東京電力取締役会長であり、電気事業連合会元会長の勝 俣恒久氏を参考人として聴取した。勝俣恒久参考人は2002年以降、東京電力の社長・会長として経営に当たってきた。東京電力の経営者として、原子力発電所の安全性について事故前はどのように考え、評価していたのか、事故当時における経営層の対応、事業者としての安全対策の在り方等について聴取した。
  委員会では、原発事故の主な原因が想定外の津波であるとする見解がある中で、事故前の段階で巨大津波に関するさまざまな知見に対して東京電力社内でどのような評価をしていたか、またその評価が、全電源を喪失した際の対策など深層防護に基づく安全対策にどう影響したかについて質疑がなされた。このほか、事故当時の対応として、原子炉への海水注入や計画停電を実施するまでの経緯等が論点となった。


勝俣恒久参考人
(東京電力取締役会長)

主要ポイント

原子力事業者としての責任と当事者意識
「原子力発電所の安全に関する一義的な責任は電力事業者」と述べる一方、「現場の判断を優先すべきだが、総理が対策本部長だった」と発言した。また、東京電力トップ3人が同時に本社を留守にし、事故時初めて社長の留守を知ったこと、帰国後、本社に戻るまで連絡を取らなかったことなど、原子力を扱う組織としての危機感のなさが浮き彫りになった。

津波に関する見解
事故の原因については、「事故については東京電力自らも検証中である」という発言があった一方、想定外の津波が主原因だと主張していた。特に、津波については、想定を超える規模で発生した場合のリスクについて、東京電力の社内で会長にまでも伝えられていないことも分かった。勝俣会長は「そのような津波は現実に起こりえない」との判断であったことが判明した。さらに確率論的に津波のリスクを考えることをしていなかったように思われた。

原子力規制への関与
規制の簡素化について強調されていたが、一方で事業者の自主的対応とされた耐震バックチェック、シビアアクシデント対策などの対応がなされてこなかった。簡素化の要求と先送りの関係には強い疑問を感じる。また、一般にはあまり知られていない電気事業連合会がロビー活動の場であったということも明らかになった。

経営トップとしての覚悟
今振り返ってみれば津波対策あるいはシビアアクシデント対策など、対応を講ずべき点は多かったとの言葉はあったが、具体的な点については明言を避け続けた。今回の議論を通じて果たして原子力を担う巨大な電力会社の経営トップとしての覚悟があったかどうかは今後、国民が判断することとなろう。

第13回委員会 平成24年5月16日(衆議院第16委員室)

概要

  2010年7月から2011年8月まで経済産業事務次官を務め、経済産業省の事務方トップとして、事故対応に当たった松永和夫氏に参考人としての聴取を行った。松永氏は2004年6月から2005年9月まで、原子力安全規制を所掌する保安院長も務めている。

  委員会では、事故前の安全確保に関しては、安全委員会が2006年9月に改訂した新耐震指針で、「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受ける恐れがないこと」と定めた。米国では同時多発テロを受け、米国原子力規制委員会が「B.5.b」と呼ばれる対策を策定する等の動きがあり、こうした動きに保安院がどう対応したかについて質疑がなされた。

   事故後については、電力供給に不安の残る中、原子力発電所の再起動(再稼働)をめぐって、供給力を確保するために早期の再起動を求める考え方と、事故を踏まえた安全対策の徹底を求める考え方とがあり、原子力の安全と推進の双方を所管する経済産業省が両者をどのように位置づけ、どのような対応を行ったかが論点となった。


松永和夫参考人
(前経済産業事務次官)

 主要ポイント

事故前の安全確保に関する判断
保安院長時代、新耐震指針を導入した際には美浜原発の事故への対応に忙しくて時間をさけなかったと述べた。また、「B.5.b」と呼ばれる対策の導入検討についても関知していないと述べるなど、原子力の安全の重要な局面で直接関与していない、あるいは自らの責任の所在について明言を避けた。

原発の再起動に係る安全性の判断
海江田経済産業大臣が2011年6月18日の談話・声明で示したように、政府の事故原因調査が終わっていない中で、経済産業省が早々に原子力発電所の再起動には安全上支障がないと決定したのであれば、エネルギー政策と原子力の安全規制を所管する責任者としての判断の妥当性に疑問が残る。ストレステストについても自らの関与についての言及を避けた。

電力供給量の発表
夏季の電力供給については、社会に大きな影響を与えるため、資源エネルギー庁は東京電力と密接に協議していた。東京電力は、早期に自らの電力供給量を把握していたにもかかわらず発表を遅らせたが、そのことについて松永参考人は承知していないとした。

プルサーマル導入
福島第一原発3号機のプルサーマル導入が検討されていた時期、プルサーマル特別交付金などで導入を急がせる一方で、時間がかかる耐震バックチェックを実施する機会が失われた可能性がある。

緊急時の対応能力
保安院と同様、経済産業省も緊急時の対応について準備が不足していた可能性があることも明らかになった。経済産業省を含め、原子力の推進や安全確保に責任を持つ行政機関の在り方に問題が見える。原子力に正面から向き合っていくために何が必要かを真剣に考える必要性を再認識した。
 

第14回委員会 平成24年5月17日 (参議院議員会館内講堂)


概要
 
 衆議院 議員であり、事故当時、経済産業大臣を務めた、海江田万里氏に参 考人聴取を行った。事故当時、原子力を所管していた経済産業大臣として、経済産業省や原災本部事務局である保安院とともに、どのような対応を行ったのか等について聞いた。
  特に、ベント等、東京電力の対応が遅れたとされている問題に関しては、当時の官邸、政府が事態をどのように認識していたか、東京電力との情報共有は機能していたか等について、質疑がなされた。また、今回の事故を踏まえ、今後の規制機関の在り方、緊急時体制の在り方についても論点となった。
また、当委員会における現時点での論点整理(第1回)を行った。
 

海江田万里参考人
(衆議院議員、元経済産業大臣)
 
主要ポイント
 
事故当時の認識について
  • 総理の理解を得るのに時間がかかり、緊急事態宣言が遅れたことへの責任を感じているとの発言があった。
  • 情報開示について、菅総理の福島原発視察の経緯は知らず、その目的についても分からなかった、とした。
  • 東京電力清水社長から退避についての電話を海江田大臣が受け、「全員撤退」という言葉はなかったが、「第一発電所」、「第二発電所」、「退避」という3つの言葉を記憶しており、「清水社長自らが電話をしてきたことには重い意味がある」と本人が解釈していたことが分かった。
  • ベントの実施だけではなく、5号機、6号機の廃炉についても、東京電力が判断をためらったように感じたとの発言もあった。ベントについては、原子炉等規制法による命令を「民間企業の判断を後押しするため」に発出したとし、政府と事業者との責任分担の曖昧さが見えた。
  • 「まるで伝言ゲームのようだった」、「政府の対応には反省すべき点がある」などと発言し、発災直後から、官邸、東京電力本店、事故現場等の間で情報の伝達・共有ができていなかったことが明らかになった。
  • 政府による事前の対策については、「十分ではなかった」、「訓練でSPEEDI等について活用すべきであった」との発言があった。
  • 水素爆発に関して、「当時水素爆発が起こるとは誰も考えていなかった」、「水素爆発を防げなかったことは大きな反省。スリーマイル島の事故の経験が生かされなかった」といった重要な発言もあった。
ストレステスト
 
海江田参考人は、ストレステストの導入時、原発再起動の条件としてストレステストを考えたが、バックチェックを強制すれば事業者が早く進めることができた可能性があることには思い至らなかったと述べた。

 ○規制機関の在り方、緊急体制の在り方
  • 海江田参考人は、保安院は国民から期待される役割は果たせなかったのではな いか、緊急時の対応体制はスリムにしておのおのが役割を理解して進めることが重 要でないかとの意見を述べた。
  • 海江田参考人は、規制機関には、独立性をもって安全面からの規制をしっかり やってもらいたいと述べ、事故が起きた場合の放射線に対しての知識や装備を持つ 緊急展開部隊的なものも必要かもしれないとも示唆した。
 
第1回論点整理

○論点 1今回の事故から今後の対策を検討するに当たっては、特定の事故原因への対応に とどまらず、解決すべき課題を、より広く、より深く抽出、検討する必要があるの ではないか。
○論点 2海外の知見、最新の科学的知見を迅速に安全規制に反映するための制度的枠組み が欠落していたのではないか。
○論点 3現在の規制当局には、安全文化が欠如しており、また組織として、透明性、専門 性、高い独立性を実現していくための運営のプロセス及び仕組みが欠けていたので はないか。
○論点 4安全文化を持った規制組織の実現は、組織の形態の変更だけでは達成できない。 規制組織を構成する人材の抜本的な改善、強化策が必要ではないか。
○論点 5事業者の側についても、安全文化を醸成する仕組み、事業者が自ら進んで最高の 安全を求めていくための制度的枠組みが必要ではないか。

第15回 委員会 平成24年5月27日 (参議院議員会館内講堂)


概要  
          
  議院議員で、現在、経済産業大臣を務める枝野幸男氏に参考人聴取を行った。枝野参考人は、事故当時、内閣官房長官として対応に当たっており、官邸や政府が当時どのような対応を行ったのか、事故当時の政府の広報活動や情報伝達の在り方等について聴取した。

  特に、記者会見等での公表に関しては、「直ちに影響はない」等の表現が多用され、原子力発電所の状況や放射性物質の影響等が十分に伝わらず、周辺住民の避難等に支障を来したのではないかという指摘がある。

  委員会では、国民への公表方法のほか、「撤退問題」、東京電力等の開示への関与等についても質疑があった。
 

枝野幸男参考人
(衆議院議員、経済産業大臣、前内閣官房長官)
 
主要ポイント
 
 「撤退問題」に対する見解
撤退問題については、正確な言葉のやりとりまでは記憶はないとのことであった。しかし、撤退すると対応する人がいなくなり、悪化を食い止めることができなくなる、と言った趣旨のことを伝えたとき、清水社長は口ごもって何の答えもなかったので、「部分的に残すという趣旨ではなかったことは明確」と語った。その後、吉田所長に確認したら「まだやれることあります。がんばります」といった内容のことを言われた。
 
東電の情報開示への関与
東電に対して、情報開示の際には、同時に官邸に伝えてくれとの指示をしたが、事前に官邸の了解をとるように、といった意図はなかった。
 
海外からの支援への対応
官邸からは、海外からの支援を含めて法的問題を超えて受け入れるように各省に対して指示をした。
 
反省点、問題点等
  • 今回の経験を踏まえた反省点、問題点等として、以下のような趣旨のコメントがあった。
  • 情報を伝えてきたつもりではあるが、今日の議論を聞いて国民、住民の側から見て十分に伝わっていないということを認識した。リスクコミュニケーション上に反省すべき点があった。
  • 情報の集約、予測・推定ができなかった点にも問題があった。「念のため」などというときに、その判断の根拠そのものが明確にできないことに問題があったのではないか。
  • 日本には広報官という仕組みがない。内閣官房長官が広報官の役割を果たしている。特に、有事においては「しんどい仕組みである」と思っており、分けた方がよいのではないか。広報官には相当専門的なトレーニングが必要ではないか。

第16回 委員会 平成24年5月28日 (参議院議員会館内講堂)

 概要
 
  衆議院議員で、事故当時には内閣総理大臣として事故対応に当たった菅直人氏に参考人聴取を行った。
 事故当時、原子力事故が時々刻々と進展し緊急対応が必要な中で、官邸が現場を訪問して責任者と面会したり、現場と直接連絡をとったりしたことに対する批判も聞かれる。委員会では、官邸に    おける事故時の状況、事故対応時の現場への関与等について質疑がなされた。
 

菅直人参考人
(衆議院議員、前内閣総理大臣)
 
主要ポイント
事故発生前に関する発言
  • 今回の事故は、国策として続けられてきた原子力発電所によって引き起こされたものであり、最大の責任は国にある。事故発生時の国の責任者として、この事故を止められなかったことに対してあらためておわびしたい。
  • 原子力事故における、内閣総理大臣あるいは対策本部の本部長の権限について、事故以前に、詳しい説明を聞いたことはない。
  • 総合防災訓練における、本部長の権限等をそのときに深く認識したかというと必ずしもそうではなかった。
事故発生時に関する発言
  • 保安院、安全委員会、東京電力の技術担当フェローなどから、原子炉の状態がどうなりそうか、どういう対策をとるべきかという話が一切なかった。事故直後に原子力発電所を視察したのは、発電所の責任者と直接会うことで状況把握ができると考えたからである。
  • 海水注入に関して、淡水から海水に切り替えることによって再臨界が起こるとの認識はなかった。しかし、班目委員長から(再臨界の)可能性はゼロではないという話があった。官邸にいた東京電力の人の発言が「官邸の意向」と言われることがある。
  • 「撤退問題」については、吉田所長から細野補佐官に2度電話があった。1度目は「非常に厳しい」、2度目は「注水ができ、まだやれる」ということだった。もう一度自分から電話をしたが詳細は覚えていない。その後15日未明、経済産業大臣から連絡があり、東京電力の撤退の話を聞いた。撤退はとんでもないことだと感じた。
  • 現場で事故対応に努力された人々に対してお礼と敬意を表したい。
政府、官邸の対応について
  • 地震・津波という最大級の災害と原子力発電所事故が同時に起きた。これを官邸地下の危機管理センターで対応することは難しく、現地のオフサイトセンターも機能しなかった。
  • 原災法の想定が極めて不十分であったために、事故時の司令塔機能を果たさざるを得なかった。
  • 直接、現場に対して電話連絡をするのは非常手段なので、事業者、保安院からきちんと情報があがっていれば必要性は少なかった。
  • 海外専門家の官邸駐在を断ったのは枝野官房長官である。自分は聞いていない。
  • 保安院が、海外からの援助申し出を断ったのであれば問題である。
  • 技術的な助言については、法令に定められている以外にもさまざまな専門家から助言を受けた。
  • 特定の議員に対して協力をしてほしいと言ったことがあるが、助言チームのようなものをつくるよう指示したという認識はない。
 今後目指すべきことについて
  • 今回の原発事故は、わが国の病根を照らし出したと認識している。
  • 東京電力、電気事業連合会を中心とした原子力ムラの組織的構造を解体することが原子力行政の抜本的な改革の第一歩である。外国人の専門家を招へいすることは、日本の原子力ムラ社会を壊すきっかけになる。
  • 日本は脱原発を実現する方向で努力すべきである。
今回の議論を通じて、非常時における政府、行政の在り方について真剣に考えていかなければならないことが明らかになった。

第 17 回 委員会 平成24年5月29日 (福島県福島市 福島テルサ)

 概要 

 佐藤雄平福島県知事に参考人聴取を行った。佐藤氏は事故当時、知事として対応に当たった。委員会では、事故時、県がどのような対応をとったのか、政府の動きはどのように見えたのか、また、原子力事故発災時の県の対応の在り方等について聴取した。
福島第一原発では、3号機において、プルトニウムを含んだ燃料を用いるプルサーマル発電を導入することを2010年に決定したが、プルサーマルの導入をめぐっては危険性が高まる等の意見が出されるなど物議を醸していた。
事故対応においては、国から県に提供されたSPEEDI試算結果の電子メールを削除し、この情報が地元自治体に伝わらなかったことが問題となった。
 

佐藤雄平参考人
(福島県知事)
 
 主要ポイント
 
 事故前の認識原子力災害の危険性について、国ならびに東京電力からは、多重防護でしっかり守られているという説明を聞いた。一方、県としては安全協定に基づく対応をしてきた。
避難指示について2㎞圏避難については、国の対応が遅いとの判断で県が行ったが、避難指示の伝達は通信途絶のため支障を来した。その後の国からの避難指示は、報道機関を通じて知る状況で、国からの指示が具体的でなく、住民が苦しい避難を余儀なくされた。
 
プルサーマル導入について3号機へのプルサーマル導入の際、佐藤参考人は、県から国に示した3条件の一つである耐震安全性の確保について、5号機の耐震バックチェック中間報告と同様の確認をするよう求めた。しかし、5号機の耐震バックチェックに津波対策があったにもかかわらず、3号機の耐震バックチェックでは津波が取り上げられていないことについて、佐藤参考人には伝えられていなかった可能性がある。また、プルサーマル導入の際、プルサーマル特別交付金について知らなかった。

○今後に向けて
確保の縦割り行政の弊害を指摘し、一元化が強く求められるとする意見を述べた。また、SPEEDIなどをはじめとした情報の錯綜、事務局内の情報の伝達、共有が十分でなく、県には組織として問題があり、危機管理の在り方を見直していく意向を示した。今後については、事故収束と再発防止のために、知見、組織、信頼できる人、これらの要素が密接に連携することが重要ではないかと述べた。
最後に、発災以降、全国の皆さんに協力いただいた、二度と再びこのようなことが起きないよう、未来ある社会づくりに貢献していきたいと発言した。
 

第18回 委員会 平成24年6月8日 (参議院議員会館内講堂)


概要

 事故当時、東京電力社長であった清水正孝氏に対して参考人聴取を行った。「撤退問題」をめぐっては、清水参考人が官邸、政府に対してどのような要請を行ったのかが注目を集めていた。委員会では、この「撤退問題」のほか、海水注入への関与などにおける官邸とのコミュニケーションや、シビアアクシデントに対する事業者として対応の在り方等に関して質疑がなされた。


清水正孝参考人
(前東京電力社長)
 
主要ポイント
 
 官邸とのコミュニケーション清水社長は、出張から帰ったとき、「官邸がベントに関して東電の対応に不信感を持っていることに気が付かなかった」。また「全員撤退」と総理に言われてから、「そう考えていたのか」と気づくなど、官邸との認識のギャップを理解することに欠けていたと思われる。当初からの両者の認識の食い違いや、官邸と東電の間の相互の信頼がない中で生じたコミュニケーションのミスが、今回の「撤退問題」をめぐる両者の食い違いに発展した一つの原因と考えられる。

「撤退問題」について
現場は一貫して炉の問題を解決するために懸命に取り組んでおり、撤退ということを考えていなかったことは本日の証言に限らず、当委員会の調査から判明している。この間、東京電力が、いわゆる「全面撤退」を決定した形跡は見受けられない。今回の例を見る限り、最終的に危機的な状況におかれた原子炉に対応できたのは、炉の状況をよく把握していた現場であり、最後まで持ち場を離れないという現場の人々の使命感がカギとなった。

海水注入について
海水注入の例においても、現場及び技術的判断のできる人が意思決定をすべきであり、官邸の意向をおもんぱかることは避けるべきであった。この問題は、今後さらに厳しい状況に直面したときに、事業者の在り方、あるいは原子力の専門家ではない官邸の介入の是非について重要な示唆を与えた。

今後の安全対策
シビアアクシデント時における、免震重要棟の重要性について「あれがなければと思うとぞっとする」といった発言があった。今後は、原子力発電所がより厳しい状況になることも前提にした上でさまざまな準備をしておくことが必要である。また、国民の命を守るという目的から見ても、発電所における現場の作業員の安全を守りきることの重要性が明らかになった。
 
 
第19回委員会 平成24年6月9日 (参議院議員会館内講堂)                         
主要ポイント
 
住民アンケートについて
政府の事故情報の発信・伝達の遅れが、その後の混乱につながった。住民から見ると、避難指示が場当たり的で、何回も避難した人、線量の高いところに避難した人、着の身着のままで避難した人々が続出した。
また、アンケートからは、避難を強いられた方々の苦悩や、他に伝える手段がなく、行き場のない住民の声や思いが伝わってきた。いまだに問題は解決しておらず、早急な対応が求められる。
これは何とか国会に伝えていきたい。
 
論点整理について
危機管理体制の構築、リスクコミュニケーションの在り方等について、現時点の論点を暫定的に示した。これは、当委員会の論点の全てを示すものではなく、また、当委員会としての結論を示すものではない。
 
 

2回論点整理
 
○論点1
今回の事故の対応においては、官邸が、オンサイト(発電所内)の事故対応に過剰な介入をしたのではないか。

○論点2
官邸を含めた危機管理体制の抜本的な再構築が必要ではないか。特に初動の重要性から、事故発生時に直ちに対応できる危機管理体制作りが求められているのではないか。

○論点3
原子力災害が発生した場合、すなわち緊急時、特にシビアアクシデントが発生したときには、オンサイト(発電所内)については事業者が責任をもって対応することを原則とし、オフサイト(発電所外)については政府等が責任をもって対応することを原則とするべきではないか。また、今回の事故の教訓を踏まえ、政府は事故対応に当たり、指揮命令系統を一本化するべきではないか。

○論点4
原子力災害が発生した場合、すなわち緊急時には、事態の進展を先取りした、迅速かつ的確なリスクコミュニケーションが不可欠ではないか。緊急事態に当たって、事故現場での事態確認ができないとして、確実な情報のみを発信するという平時の対応をし続けたことが、被災住民の避難にも甚大な混乱と被害を引き起こしたのではないか。

○論点5
原子力災害における各事象が急速に進展する場合、初動の避難指示に当たっては緊急時迅速放射能環境予測ネットワークシステム(SPEEDI)の活用は困難ではないか。モニタリング手法の多様化と測定地点の多数化、分散化に努めるべきではないか。政府の中ではSPEEDIの活用方法についての認識が共有化されておらず、住民にもその機能が正しく伝えられていなかったのではないか。

○論点6
全体を通じての認識として、これまで原子力の安全の議論はなされるが、住民の健康と安全確保という視点が欠けていたのではないか。その結果、安全規制において、深層防護の第4層に当たるシビアアクシデントの対応、第5層に当たる防災の観点が欠落し、被害の拡大を招いたと考えられる。リスクコミュニケーションにおいても混乱を防ぐという名のもとに情報発出側の責任を回避することに主眼が置かれ、住民の健康と安全は顧みられなかった。今後の組織、危機管理の制度設計においては、住民の健康と安全確保の視点を第一に考えるべきではないか。また国民の命を守るという目的から見ても、発電所現場の作業員の安全を守りきることが重要ではないか。
 

目次                                                                                                                                                                       
 第一章 目的及び設置(第一条)
 第二章 組織等(第二条―第九条)
 第三章 事故調査等(第十条―第十七条)
 第四章 財政措置等(第十八条)
 附則
 
   第一章 目的及び設置
第一条 平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故の直接又は間接の原因及び当該事故に伴い発生した被害の直接又は間接の原因並びに関係行政機関その他関係者が当該事故に対し講じた措置及び当該被害の軽減のために講じた措置の内容、当該措置が講じられるまでの経緯並びに当該措置の効果を究明し、又は検証するための調査並びにこれまでの原子力に関する政策の決定又は了解及びその経緯その他の事項についての調査を適確に行うとともに、これらの調査の結果に基づき、原子力に関する基本的な政策及び当該政策に関する事項を所掌する行政組織の在り方の見直しを含む原子力発電所の事故の防止及び原子力発電所の事故に伴い発生する被害の軽減のため講ずべき施策又は措置について提言を行い、もって国会による原子力に関する立法及び行政の監視に関する機能の充実強化に資するため、国会に、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会を置く。
 
  第二章 組織等
 (組織)
第二条 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(以下「委員会」という。)は、委員長及び委員九人をもって組織する。
2 委員長及び委員は、非常勤とする。
3 委員長は、委員会の事務を統理し、委員会を代表する。
4 委員長は、委員会の議決を経て、かつ、事前に、時宜によっては事後に、両議院の議長の承認を得て、委員会の業務の遂行上必要な諸規程を定めることができる。
5 委員長に事故があるとき又は委員長が欠けたときは、あらかじめその指名する委員がその職務を代行する。
 (委員長及び委員の任命)
第三条 委員長及び委員は、委員会の職務の遂行に関し公正な判断をすることができ、広い経験と知識を有する者のうちから、国会法(昭和二十二年法律第七十九号)附則第六項に規定する東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会の合同協議会(以下「両院合同協議会」という。)の推薦に基づき、両議院の議長が、両議院の承認を得て、これを任命する。
 (委員長及び委員の身分保障)
 第四条 委員長及び委員は、心身の故障のため職務の遂行ができないこと又は職務の執行上の義務違反その他委員長若しくは委員たるに適しない非行があったことについて両議院の議決があったときを除いては、罷免されることはない。
 (委員長及び委員の服務)
第五条 委員長及び委員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後も同様とする。
2 委員長及び委員は、在任中、政党その他の政治団体の役員となり、又は積極的に政治活動をしてはならない。
3 委員長及び委員は、他の官職を兼ね、又は公選による公職の候補者となり、若しくは公選による公職と兼ねてはならない。
 (接触等の報告)
第六条 委員長及び委員は、利害関係者(原子力損害の賠償に関する法律(昭和三十六年法律第百四十七号)第二条第三項に規定する原子力事業者(以下「原子力事業者」という。)及び原子力事業者の利益のためにする行為を行う場合における役員、従業員、代理人その他の者、国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)第二条第二項に規定する一般職に属する国家公務員及び同条第三項に規定する特別職の職員のうち両議院の議長が協議して定める者その他両議院の議長が協議して定める者をいう。以下同じ。)に関し、次に掲げる行為を行ったときは、各月ごとに、利害関係者の名称又は氏名、当該行為の概要、当該行為を行った年月日その他両議院の議長が協議して定める事項を記載した報告書を、当該月の翌月の初日から七日以内に、両議院の議長に提出しなければならない。ただし、私的な関係(委員長又は委員としての身分に関わらない関係をいう。以下同じ。)がある者であって、利害関係者に該当するものとの間においては、職務上の利害関係の状況、私的な関係の経緯及び現在の状況並びにその行おうとする行為の態様等に鑑み、公正な職務の執行に対する国民の疑惑又は不信を招くおそれがないと認められる場合は、この限りでない。
 一 利害関係者から、金銭、物品その他の財産上の利益の供与又は供応接待を受けること。
 二 利害関係者から、人的役務に対する報酬の支払を受けること。
 三 前二号に掲げるもののほか、その職務を遂行する場合以外の場合において、利害関係者
  と面会、文書の送付その他の方法により接触すること。
2 両議院の議長は、前項の報告書を受理したときは、これを公表する措置を講ずるものとする。
3 前項に定めるもののほか、第一項の報告書に関し必要な事項は、両議院の議長が協議して定める。
 (会議及び会議録)
第七条 委員会がこの法律の規定によってその所掌に属させられた事項を決定する場合においては、委員会の議決を経なければならない。
2 委員会の会議は、公開することを基本とする。
3 委員会は、会議録二部を作成し、委員長及び委員がこれに署名し、各議院に送付する。この場合において、各議院は、送付を受けた会議録を保存する。
4 委員会の会議録は、これを印刷して各議院の議員に配付する。ただし、特に秘密を要するものと委員会で決議した部分については、この限りでない。
 (参与)
第八条 委員会に、委員長及び委員に対し、専門的な知識経験に基づく意見を述べさせるため、参与を置くことができる。
2 参与は、委員会の意見を聴いて、両議院の議長が任命する。
3 参与は、非常勤とする。
 (事務局)
第九条 委員会の事務を処理させるため、委員会に事務局を置く。
2 事務局に、事務局長一人その他所要の職員を置く。
3 事務局長その他の職員は、両議院の議長が協議して定めるところにより、両院合同協議会の意見を聴いて、委員長が任命する。
4 事務局長その他の職員は、民間の有識者を積極的に登用するものとする。
5 事務局に、その事務を分掌するため、部及び課を置く。
6 第二項から前項までに定めるもののほか、事務局に関し必要な事項は、両議院の議長が協議して定める。

第三章 事故調査等
 (事故調査等)
第十条 委員会は、次に掲げる事務を行うものとする。
 一 平成二十三年三月十一日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故(以
  下「東京電力福島原子力発電所事故」という。)の直接又は間接の原因を究明するための調査
  を行うこと。
 二 東京電力福島原子力発電所事故に伴い発生した被害の直接又は間接の原因を究明するた
  めの調査を行うこと。
 三 関係行政機関その他関係者が東京電力福島原子力発電所事故に対し講じた措置及び東京
  電力福島原子力発電所事故に伴い発生した被害の軽減のため講じた措置の内容、当該措置
  が講じられるまでの経緯並びに当該措置の効果を究明し、又は検証するための調査を行う
  こと。
 四 これまでの原子力に関する政策の決定又は了解及びその経緯その他の事項についての調査を行うこと。
 五 前各号の調査(以下「事故調査」という。)の結果に基づき、原子力に関する基本的な政策及び当該政策に関する事項を所掌する行政組織の在り方の見直しを含む原子力発電所の事故の防止及び原子力発電所の事故に伴い発生する被害の軽減のため講ずべき施策又は措置について、提言を行うこと。
 六 前各号に掲げる事務を行うため必要な調査及び研究を行うこと。
 (参考人の出頭)
第十一条 委員会は、事故調査のため必要があると認めるときは、参考人の出頭を求め、その意見を聴くことができる。
2 前項の規定により委員会に出頭した参考人には、議院に出頭する証人等の旅費及び日当に関する法律(昭和二十二年法律第八十一号)の規定の例により旅費及び日当を支給する。
 (資料の提出の要求)
第十二条 委員会は、事故調査のため必要があると認めるときは、国の行政機関、地方公共団体の公署、原子力事業者その他の者に対して、資料の提出を要求することができる。この場合においては、当該要求を受けた者は、この法律に別段の定めがある場合を除き、これに応じなければならない。
2 前項の要求を受けた国の行政機関及び地方公共団体の公署は、当該要求を受けた日から七日以内に、当該要求に係る資料を提出しなければならない。ただし、その期間内に当該資料を提出することができないことについて正当の理由がある場合において、その理由及び提出することができる合理的な期限を明示したときは、この限りでない。
3 前項ただし書に規定する場合においては、第一項の要求を受けた国の行政機関及び地方公共団体の公署は、当該明示した期限内に、当該要求に係る資料を提出しなければならない。
 (職務上の秘密に関する資料の提出)
第十三条 前条第一項の要求を受けた国の行政機関又は地方公共団体の公署は、当該要求に係る資料について、職務上の秘密に関するものであることの申立てを行い、その提出を拒むときは、その理由を疎明しなければならない。この場合において、その理由を委員会において受諾し得るときは、当該国の行政機関又は地方公共団体の公署は、当該要求に係る資料を提出する必要がない。
2 前項の理由を受諾することができない場合は、委員会は、両議院の議長に対して、前条第一項の要求に係る資料の提出が国家の重大な利益に悪影響を及ぼす旨の内閣の声明又は同項の要求に係る資料の提出が公の利益を害する旨の当該地方公共団体の声明を要求するよう求めることができる。
3 前項の求めを受けた各議院の議長が同項の声明を要求し、これに対して同項の声明があった場合は、前条第一項の要求を受けた国の行政機関又は地方公共団体の公署は、当該要求に係る資料を提出する必要がない。
4 前項の要求後十日以内に、内閣又は地方公共団体が第二項の声明を出さないときは、前条第一項の要求を受けた国の行政機関又は地方公共団体の公署は、当該要求に係る資料を提出しなければならない。
 (特定の委員等による予備的又は補充的な調査)
第十四条 委員会は、委員会における参考人からの意見聴取等委員会の調査を効率的及び実効的に行うため、特定の委員又は事務局職員に、事前又は事後の予備的又は補充的な調査を行わせることができる。
2 前項の予備的又は補充的な調査は、特定の委員又は事務局職員を派遣して行うほか、第十一条及び第十二条第一項前段の規定の例に準じて行うものとする。
 (両院合同協議会に対する国政調査の要請)
第十五条 委員会は、特に必要があると認めるときは、両院合同協議会に対し、国会法附則第七項の規定により国政に関する調査を行うよう、要請することができるものとする。
 (報告書の提出等)
第十六条 委員会は、委員長及び委員の任命の日から起算しておおむね六月後を目途として、事故調査の結果及び第十条第五号の提言を記載した報告書を両議院の議長に提出しなければならない。
2 両議院の議長は、前項の報告書を受理したときは、これを広く公表する措置を講ずるものとする。
3 第一項の報告書は、両議院の議長が協議して定めるところにより、内閣に送付する。
 (調査活動の終了)
第十七条 委員会は、前条第一項の報告書を提出したときに、その調査活動を終了する。
  第四章 財政措置等
第十八条 この法律の施行に必要となる人員については、国会職員の定員に上乗せして確保されることとするとともに、この法律の施行に必要となる経費が確保されるよう、格別の財政措置が講じられるものとする。
  

 附 則
 (施行期日)
第一条 この法律は、国会法の一部を改正する法律(平成二十三年法律第百十一号)の施行の日から施行する。ただし、次条の規定は、公布の日から施行する。
 (準備行為)
第二条 委員会の委員長及び委員の任命のために必要な行為その他委員会の設置のために必要な準備行為は、この法律の施行前においても行うことができる。
 (この法律の失効)
第三条 この法律は、この法律の施行の日から起算して一年を経過した日に、その効力を失う。
 (国会職員法の一部改正)
第四条 国会職員法(昭和二十二年法律第八十五号)の一部を次のように改正する。
  附則に次の二項を加える。
  東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法(平成二十三年法律第百十二号)がその効力を有する間における第一条、第五条、第八条、第十五条の六、第十六条、第二十四条の三第一項、第二十八条第一項及び第三十三条の規定の適用については、第一条中「次に掲げる者」とあるのは「次に掲げる者並びに東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員長及び委員その他の職員」と、第五条、第八条及び第二十八条第一項中「並びに国立国会図書館」とあるのは「、国立国会図書館」と、「専門調査員」とあるのは「専門調査員並びに東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員長及び委員」と、第十五条の六中「定める」とあるのは「定め、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の職員については東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員長が両議院の議院運営委員会の承認を経て定める」と、第十六条中「専門調査員」とあるのは「専門調査員、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員長及び委員」と、第二十四条の三第一項中「並びに国立国会図書館の館長」とあるのは「、国立国会図書館の館長並びに東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員長及び委員」と、第三十三条中「訴追委員会」という。)」とあるのは「訴追委員会」という。)並びに東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」とする。
  前項の規定により読み替えて適用する第三十三条の規定により東京電力福島原子力発電所事故調査委員会に設ける国会職員考査委員会の委員長は、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員長、その委員には、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員、各議院事務局の事務総長及び事務次長並びに各議院法制局の法制局長及び法制次長が、これに当たる。
 (国会に置かれる機関の休日に関する法律の一部改正)
第五条 国会に置かれる機関の休日に関する法律(昭和六十三年法律第百五号)の一部を次のように改正する。
  附則を附則第一項とし、附則に次の一項を加える。
 2 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法(平成二十三年法律第百十二号)がその効力を有する間における第一条第二項の規定の適用については、同項中「定めるもの」とあるのは、「定めるもの並びに東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」とする。
 (国会職員の育児休業等に関する法律の一部改正)
 第六条 国会職員の育児休業等に関する法律(平成三年法律第百八号)の一部を次のように改正する。
  附則を附則第一項とし、附則に次の一項を加える。
 2 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法(平成二十三年法律第百十二号)がその効力を有する間における第二条の規定の適用については、同条中「並びに国立国会図書館」とあるのは「、国立国会図書館」と、「専門調査員」とあるのは「専門調査員並びに東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の委員長及び委員」とする。
 
 
現実と向き合い、自然の前に謙虚であれ
黒川  清
 
私が国会事故調査委員会の委員長に就任したころからであろうか、国内だけではなく、海外の友人たちから送られてくる言葉があった。『どれ程の技術の進歩があっても、現実に目を向け、自然の前に謙虚でなくてはいけない』。

これは、スペースシャトル・チャレンジャー号事故(1986年)の調査に参加し、独自の視点で事故の根本的な原因を分析したリチャード・ファインマン(1965年、ノーベル物理学賞受賞)が調査報告書に残した言葉である。

   また、スリーマイル島原子力発電所事故の調査委員会(ケメニー委員会)では、複雑な大型の科学技術に対して人間が陥りやすい「思いこみの落とし穴」があると報告している。

この「思いこみ」は、文化や教育、先入観などから作られる独自の常識ともいえる。

   この2つの報告書のメッセージは、私たちがこの6か月間の調査を経て、見えてきた今回の事故の本質をとらえている。

   日本の当事者たちは「事故は起こる」「機械は故障する」「人間は過ちをおかす」という大原則を忘れていた。そして、事故の可能性を過小評価し、事故が起こる可能性さえも認めず、現実の前に謙虚さを失った。

私たちの身近に教訓となり得る現実がある。2004年12月にマグニチュード(M)9.1を記録したスマトラ島沖地震では、翌年にM8.6の地震が、今年もM8.6という大地震が起きている。同じことが、今回の東北地方太平洋沖地震で起こらない保証はない。

脆弱な福島原子力発電所は言うまでもないが、安全基準が整っていない原子力発電所への対策は、時間との競争である。

   今回の事故の原因は、日本の社会構造を受容してきた私たちの「思いこみ(マインドセット)」の中にあったのかもしれない。現実から目を背けることなく、私たち一人一人が生まれ変わる時を迎えている、未来を創る子供たちのためにも、謙虚に、新たな日本へと。

  最後に、憲政史上初という前例の無い中、組織の立ち上げ、調査活動、報告書の編纂、編集、そして国際版の作成など、各フェーズで、あらゆる課題を解決しながら、実に多様な専門性をもった方々が助けてくれた。この報告書は、このような方々、一人一人により出来上がったものだ。私たち10名の委員を支えてくれたことに、心から感謝する。


痛恨の念を抱きつつ
石橋克彦
       
   現場検証 がまったく不可能という制約のもとで、地震・津波と福島第一原発事故の因果関係を究明するためには(とくに、多くの事故調査が無視している地震の影響を知るためには)、地震・津波以降の事象を分析するだけでは駄目で、次のようなアプローチが必要だろう。

すなわち、①福島第一原発の過去を調べて3.11直前の耐震「基礎体力」を明らかにする、②3.11に原発を襲った地震動を理解する、③地震以降の原発の状況の推移を詳細に分析・検討する、という三段階を総合した攻め方である。事故を起こした原発の個別的な条件を押さえなければ事故の真相には迫れないし、それによって逆に、地震列島の他の原発の耐震安全性についての教訓が得られるだろう。

  事故調査ワーキンググループでは、この基本路線に沿い、協力調査員と調査統括の方々の献身的な努力によって、国会事故調独自の調査結果を得たと思う。ただし、何といっても時間不足で、突っ込んだ調査と十分なまとめができなかったのは残念である。

  一方、個人的には、「起こしてはいけないことが起きてしまった」という痛恨の念が常に胸の底に澱んでいたから、本委員会の報道を見たりすると、しばしば以下の拙文(神戸新聞、平成17年6月22日付夕刊「随想」)を思い出した。

 【原発震災】◆尼崎JR脱線事故の記事を見るたびに、いずれ起こりかねない壮絶な災害のことを思わずにはいられない。私が以前から指摘している「原発震災」である。◆これは、大地震で原子力発電所が大事故を起こし、放射能災害と通常の地震災害とが複合する破局的震災だ。通常の震災の何百倍もの人々が、思いもよらずに命を奪われてしまう。◆日本列島を縁取る53基の発電用大型原子炉は、どんな大地震でも大丈夫とされている。しかし、地震学的には多くの問題があり、地震に対する安全を最優先に考えているとは言えない。(中略)原発の建設と運転が至上命題だと言わざるをえない。驚くべきことは、そんな基本姿勢が、電力会社ばかりか国の原子力行政の根幹にあることだ。(中略)◆大多数の人々が夢想もしなかったインド洋大津波や尼崎脱線事故が起きたように、大地震活動期に入った日本列島で近い将来原発震災が生じても不思議ではない。米国や英国では、原発の万一の大事故の際の注意を住民に広報しているが、我々もまずその可能性を直視すべきだろう。こればかりは、起きてしまってから大騒ぎしたところで、本当に取り返しがつかない。(拙著『原発震災-警鐘の軌跡』〈七つ森書館、平成24年〉にも収録)
 
つまり、自分も「起きてしまってから大騒ぎ」している一人ではないかと自問自答して、虚しい気がしてしまうのだった。だが、起きてしまった以上、二度とこのような災害を起こさないために、その根本原因に迫らなければなるまい。そのつど、そう思って気を取り直した。

今回の場合、事故原因を特定することは所詮不可能だろうが、私たちは、「津波さえ来なければ事故は起きなかった」とは言えないことを論証した。この調査結果をどう活かすか。より安全で穏やかな暮らしを取り戻すための国民的議論が、この報告書から始まることを期待したい。


大事な教訓
大島賢三
 
今回事故の教訓の第一は、原子力に対する国民の信頼回復のため原子力安全文化を根底から作り直すことだと信ずる。

まず事業者、安全規制当局、さらには「原子力ムラ」の関係者の強い反省の下に、システム全体の抜本的改革が求められるが、その実現には政治の強いリーダーシップが不可欠だ。

国会がもっと大きな役割を果たすことへの期待も強い。既得権益や縦割り行政などの前に改革が不徹底に終わり、万一、日本で再び大きな事故や不祥事が繰り返されれば、国民の信頼はもとより世界の信用をも失い、笑い物になるだけでは済まされない。

  第二の教訓は、防災と危機管理体制の強化である。

この狭い国土にこれだけ多数の原子力施設がひしめき、これだけ頻繁に地震・津波などの大規模災害が起こる宿命と複合災害リスクを抱えた国である。大自然は気紛れだ。今回は54基原発の中でも、最も古く幾つもの脆弱性を抱えた福島第一原発を狙い、そのタイミングたるや東電経営陣トップの2人の不在日をわざわざ狙い澄ましたかのごとき"狡猾さ"を見せた。

この大災害に直面した官邸を含む当局の危機管理能力は褒められたものとは言い難い。防災対策もまだまだである。経験と知恵を結集して安全対策に万全を期すとともに、原子力事故や複合災害の再来に備え、防災と危機管理の抜本的な体制強化を今やっておかなければ、国の将来は危ういとさえ思う。これが大自然の警告ではないか。国民の不安は募るばかりである。

  第三の教訓は、「国の責任」が何であるのかを改めて問いなおすこと。

原子力開発を「国策民営」として進めてきた歴史の中で、国(中央の政府と地方自治体)が責任を果たす上で及び腰に過ぎたのではないか。安全規制組織の在り方、専門人材育成、過酷事故対策、緊急時対応、国と 地方自治体との関係、原子力事故損害賠償などを含め、国の責任の在り方につき改めて見直しを図る必要性は高い。

  第四の教訓は、国際安全基準などに背を向けた内向きの態度から、国際的に開かれた体制、国際協調と国際協力を重視する原子力政策と行政への脱皮である。

原子力開発に踏み出した往時の初心をいつの間にか忘れ、規制当局は事業者となれあい、技術への過信に陥り、他国の事例から学ぶといった謙虚さも失って、狭い専門社会の殻に閉じこもったツケは大きい。

今後、新興国をはじめ世界全体では原発の数は大幅に増え、事故リスク、核テロなどのリスクも増えると見ておかねばならない。今回の経験と教訓を活かして、国民の健康と安全を第一にわが国自身の安全強化を図る中で、世界の原子力安全のためにも積極的に貢献するという発想の転換が求められる。「日本の原子力発電の安全性を世界最高水準に高める」という野田首相が発した国際公約は、この道によらずして達成は不可能である。

  最後に、今回、チェルノブイリ事故(原子炉そのものの爆発)のような最悪事態から救ってくれたのは、東電本店の経営陣、官邸や官僚組織ではなく現場の力であった。

多少の幸運も手伝ったかもしれないが、悪条件の中で決死の覚悟で対応に当たった人々の勇気と「現場力」の確かさのおかげである。

海外の称賛を集めた被災者の冷静沈着な行動とともに、敬意をこめて記憶にとどめておきたいことである。


これからなすべきこと
崎山比早子
 
  昨年3月続けざまに破壊された福島第一原発の映像を見た時の体の震えが蘇ってくる。窓枠にシールをはり、あるだけの容器に水をためた。福島原発に使用済み核燃料がどれだけあるのか調べたばかりであったからだ。事故の進展や風向きによっては、官邸で想定されていたように、首都圏の住民も避難しなければならなかったかもしれない。

あれから1年半近く経った今、生活の基盤を失ったまま、何時終わるとも知れない避難生活を強いられておられる方々も多い。まだ事故は続いており、状況はこれから悪化しないとも限らない。時間の経過と共に、損傷した冷却プールも原子炉も劣化が進行し、危険はさらに増大することが心配される。現場作業員の積算被ばく線量は作業時間が長引けばそれだけ多くなる。線量限度に達してしまう作業者も増えるだろう。

このような状況下、日本政府及び電力会社のなすべきことは、何をおいても、事故の拡大を防ぎ、放射性物質がこれ以上拡散しないよう全力をあげることである。

他の原発を再稼働させるために使う資金と労力があるのならば、それを事故収束のために使ってほしい。これは無理難題ではなく、その意志さえあればできることであり、しなければならないことである。日本人のみならず、地球上の全ての生き物に対し、原子力政策を進めてきた当事者の責任として。
  この事故で明らかになったように、一旦放射性物質が原子炉から放出されてしまえば、人間のできることは大量の被ばくを避けて逃げることくらいである。避難によって急性障害を免れたとしても、風に運ばれ拡散してゆく放射性物質、長く続く汚染を人間はほとんどコントロールできない。それはチェルノブイリ事故後26年のウクライナ、ベラルーシ、ロシアの現状を見ても明らかである。
  また、「地震大国に54基もの原発を造ってしまった」という事故の間接的原因の究明がほとんど行われなかったこと、さらにこれから大きな問題となる使用済み核燃料の問題も手つかずであることが残念である。

原発建設がすすめられた背景には政治、経済、学校教育、メディアも含めた社会教育、司法の責任など多くの要因が重なってある。特に調査をしながら本調査報告書に盛り込めなかった原子力教育の問題は、文部科学省の教科書検定制度も含めて検証されなければならない。
放射線のリスクに関しては、電事連の資料によると、事業者がICRP委員に働きかけ、なるべく規制を緩めようとしている姿が見える(「5.2.3」参照)。事業者と官僚、専門家の関係はいわゆる原子力ムラと酷似している。
これからさらに明らかにするべき課題は多いので、継続的調査が必要だ。
なお終わりの見えない事故を経験している私達が今なすべきことは、価値観の転換をはかり、多少の不便は我慢しても、子孫に残す負の遺産をできる限り少なくすることだと思う。

  最後に事故調査委員の仕事をする機会を与えてくださった皆様、ご協力くださった調査員、事務局員の皆様、お忙しい中ヒアリング調査に応じてくださった被災地の皆様に厚くお礼を申しあげます。
 
 
「安心と安全」
櫻井正史

 私の福島第一原発の事故調査の本格的な第一歩は、昨年12月18日の福島第一原発の視察から始まった。

津波の威力のすさまじさ、水素爆発のすごさはいずれも想像以上のものだった。しかし、何より衝撃を受けたのは、Jビレッジからバスで原発に向かいつつ目にした20キロ圏内の町の様子であった。

地震の被害は思いのほか見えず、そこにあるのは、いつものありふれた町の姿だった。住宅、商店、自動販売機などまるで何事もなかったかに見える姿、しかし、そこには誰もいない。この話をすると多くの人は、ゴーストタウンというが、そのような言葉で表せない不条理さを感じた。あらためて目に見えない放射能というものの怖さを知った。

  避難区域の半径20キロという長さは、現実に移動するとその長さがわかる。事故当時、避難指示が3キロ、10キロ、20キロと発表されるのをニュースなどで聞いていた。その時、この長さについての実感はなかった。調査の中で避難区域の設定などに係った関係者のヒアリングをしたが、範囲を決めた人たちの中でこの長さを実感し、そこに生活していた人たちの姿を描いた人はどれだけいたのだろうか。特に20キロか30キロかと範囲を検討したときに、この差の10キロの姿を描いただろうか。

  多くの政府などの関係者から事故の対応の話をうかがった。

それぞれの方の対応にはいろいろ評価の違いはあろうが、誰もがあの緊急事態の中で、全力を尽くして対応していた。

しかし、現実には、住民は避難によって生活の基盤を失い、また、放射線被ばくの被害をこうむった。そして多くの住民に政府・東電等への不信感などが生じている。

事故に取り組んだ人たちと守られるべき人たちとの間でこのようなギャップが生じていることはなんともつらい。なぜこのギャップが生じたのだろうか。

  「安全」と「安心」ということを考える必要があるのではないだろうか。
政府等の発表、説明の内容、表現にはそれぞれ理由があることは一応は理解できる。しかし、なぜ住民は不信感、不満を抱いているのであろうか。

当たり前のことではあるが、情報あるいは対応についての発信側とこれを伝えられる住民の受け止め方には違いがある。事後になって発信側は縷々説明、弁解するが、受け止め側がどのように受け取るだろうかという配慮が不足したことについて、心底から振り返っているとは思えなかった。
  安全に取り組んだ官邸・政府・東電等に対して住民は、安全と安心を求めていたのであり、今も求めているということの違いであろうか。安心というのは主観、心の問題であろうが、これに応えているとは思われない。

受け手の心に対する発信について、私にこの回答をだせるほどの力はないが、これからの政府等の被災者に対する施策において、これまでのような安全だけを前面にだしての対応で、被災者、国民の理解は得られるのだろうか。新しい規制組織についての立法がなされようとしているが、報道による限りでは、住民の安心についていかなる改革、改善を考えているのか判然としない。どのような組織になるとしても、住民の安心について配慮ができる組織、運用としてもらいたい。

 
これからの日本へ
田中耕一
 
 原子力の専門家ではない私が、どんな役割を果たせるのか?右往左往している間に半年が過ぎてしまったが、多くのことを考えさせられ学ぶことができた半年でもあった。

もっとも有意義だったのは、被災された方々の声を直接伺えたことである。

大半が大変厳しい状況を切々と訴えるお話だったが、中には、「原発は危険だと思い続けていた」「酒の席で何気なく『原子炉がボカンとなったら終わりだよね』と話した」という意外なお話が。3.11以前は「科学技術先進国の日本では絶対安全と言っても良いのでは」とぼんやり思っていた私よりも、リテラシーの高い方々が多くいらっしゃったことである。

  原子力等の専門に限らない。主に科学技術に関するリテラシーとは、事実に対して謙虚である、興味や遣り甲斐を持って取り組む、自分の頭で考えようとする、と私は考える。

物作り大国に驕りはなかったか、まわりの空気に流されず自分の頭で考えていたか、反省すべき点が多い。

「安全神話」が存在できると人々から思われていた分野の声も伺った。日本における新幹線も航空機も、自らは神話を唱えられてはいなかった。

  いかなる分野でもゼロリスクは存在しない。

科学には、まだ分からない部分が沢山あるから世界中の研究者が解明に努力しているのであり、新たに分かることで例えば安全・安心に貢献できる。分からない部分を残したままで絶対安全と断言するのは矛盾しており、絶対安全と思った瞬間、安全を高める力は萎える。

新幹線や航空機では、常に乗客の目があり、日本人の生真面目さも手伝って、部門をまたいで地道な活動・対策が積み重ねられてきた。それが最も大切な信頼を生む。それがなければ、正しいことを唱えても信用して貰えない。

  このように、将来に向けたヒントが沢山ある日本の中に、まだ十分活かされていない特長がある。
その1つが物作りの「現場」である。そこにはアイデアを出し合う文化がある。様々な分野の人々が知恵を持ち寄ることで、新たな発想が生まれている。

例えば自動車では、化学・物理・電気・ソフトウェア・機械・デザイン・環境学・安全工学等々の分野が協力している。異分野の人々のチームワークから、独創性・創造さえも生まれるのである。

原子力発電が始まった半世紀前と比べると、科学技術の恩恵も携わる人々も膨大になり、悪影響も無視できなくなってきている。にもかかわらず、一部の専門家だけで将来が決められていたとするなら残念である。

  各々の分野の専門家と国民が、分かり易く誤解の少ない言葉でアイデアを出し合うコミュニケーションを積み重ねることで、信頼と遣り甲斐、そして未来が生まれる、と感じた半年であった。

  本報告書は委員10名のみによる成果ではない。事務局・協力調査員数10名の出身は、政策立案、弁護士を含む法務、経理、広報、様々な分野の科学者・技術者。その他にも、ヒアリングに協力頂いた千名強、アンケートに参加頂いた1万名を超える皆様、本当に様々な分野の方々が協力して作り上げた報告書である。とりわけ裏方として全力を尽くして頂いた事務局と協力調査員の皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。

 
浮上しはじめた崖っぷちの安全論
田中三彦

 もっぱら技術的な視点から福島原発事故の調査をすることが、国会事故調査委員会の一委員として、私が求められた仕事だった。

あれも調べねば、これも調べねば、という焦りに突き動かされつづけた半年間だった。調査期間が長ければよいというものではないが、半年という時間はあまりにも短すぎた。

しかしその一方で、文字通り少数精鋭の意欲的な調査員の方々の知識と熱意に支えられての半年間でもあった。日常の仕事を犠牲にしながら積極的に事故調査に関わってくださった方々に、まずは心から御礼を申し上げたい。

  事故調査委員としての半年間は、私のような物書き稼業の人間にとっては、正直なところ、外に向かって言いたいことが言えない、少々フラストレーションのたまる不自由な半年間でもあった。だから、ということでもないが、少しのガス抜きもかねて、いただいた貴重なスペースを使って、雑感を二つ書き留めておきたい。

  福島第一原発事故は、けっして、原発という巨大な構造物が、ある日突然、地震と"想定外"の津波をきっかけに、一本の因果的な道を機械的、無機的にたどって起きたといったような単純な話ではない。こうした大事故には、それが起こる前も、そしてもちろん起きてからも、つねに人間が不可分に関わっている。

  実際、福島原発事故のどの側面を照らしても、結局いつも浮き彫りになるのは、原発という巨大な構築物と人間との関わり方である。

本報告書においても、いたるところでそうした話が登場する。別な言い方をすれば、福島原発事故は人間と原発との長期にわたる相互作用の結果であり、それ以下でも以上でもない。

そういう意味で、われわれには福島原発事故を回避するチャンスは過去にいくらでもあった。あったが見逃してきた、ということである。

  この単純な事実を福島の悲劇の最大の教訓として学ばなければ、ふたたび日本のどこかで同じ惨禍が繰り返されるのに、そう長い時間を必要としないだろう。津波対策で原発は安全、と安心していたら、今度は"想定外"の機械的故障や運転操作によって、大事故が誘発されるかもしれない。

実際、福島原発事故を含め、これまでに世界が経験した三つの重大原発事故のうち二回は地震も津波も無関係であったことを、われわれは強く意識しておく必要がある。

  大飯原発の再稼働が間近のようだ。3.11以降、われわれ日本人の原発に対する"安全基準"が、昨夏、突然導入された「ストレステスト」なるものによって、いつのまにか危ない側にシフトしてしまったように思えてならない。

   3.11以前、日本の原発は、関連する法規、技術基準、指針などの要求を満たしているから安全だとされてきた。しかし、ストレステスト導入後、今度は日本の原発の安全性の議論は、たとえ事故を起こしてもシビアアクシデント(過酷事故)にいたらなければよしとする、法的にはまったく根拠のない、いわば崖っぷちの安全論へと大きくシフトした感がある。

  日本の個々の原発の安全性は、何よりもまず、2006年に改定された耐震設計審査指針(新指針)の諸要求を満たしているかどうか、そこから議論されねばならない。事故を起こした福島原発を含む日本のほとんど全ての原発が、そんな基本的なことでさえいまだに確認されていない。そして福島原発事故は、そのことがいかに深刻な問題であるかをまさに実証しているように、私には見える。

 
「虜となった怪物」が透けて見えた参考人質疑
野村修也
 
  また同じ怪物を見た。

  政・官・財のトライアングルと学界・マスコミとが織りなす日本の病巣。不良債権の処理に携わった時も、年金記録の問題を調査した時も、はたまた郵政民営化のプロセスを監視した時も、いつも同じ構図が見え隠れしていた。

  その中核に位置する官僚機構を、かつて中江兆民は縦割りの弊害を揶揄して「多頭一身の怪物」に例えた。また、末弘厳太郎は「役人学三則」の中で、役人として出世したければ、①専門性を追求するな、②法律を盾に形式的理屈をこねろ、③縄張り根性を涵養せよと述べた。もちろんこれは、官僚機構に対する痛烈なる逆説的な批判であるが、残念ながらこの3つが「多頭一身の怪物」の特徴であることは今も変わっていない。

  各種の疑獄事件を経験しても政治と財界との関係は根深く、公務員に対する過剰接待が摘発されても、官僚と財界は天下り等の期待によって繋がり続けた。薬害エイズ事件で政策決定に関与する学者の責任が問われた後も、官僚と学界との関係が十分に浄化されたとは言えない。

  福島第一原子力発電所の事故では、この日本の病巣が一気に明るみに出た。

例えば、経営上の観点から既設炉の稼働率と訴訟への影響にこだわる東電と、専門能力の乏しさから電力業界の要望に屈し続けてきた規制当局、そして、その間に立って両者の間に「虜(とりこ)」の関係を作り出した電事連という図式は、日本の病巣の縮図であった。

  「虜」の関係とは、ジョージ・スティグラーの研究“The Theory of Economic Regulation”によって明らかにされたもので、規制する官僚が、専門性の隔たりや情報不足等の理由から規制される事業者の「虜」となってしまい、規制が骨抜きになる事態を指す。

本報告書は、保安院等の規制当局が「多頭一身の怪物」であることを指摘しただけではなく、電力業界が、その怪物までをも「虜」にすることで、事前規制を骨抜きにしてきたことを明らかにした。
  では、今回の事故調査はこの日本の病巣を治癒できたのだろうか。

提言の具体化はこれからであるが、公開の場で参考人質疑を行ったことは、それ自体一定の効用を発揮したと思う。

  憲政史上初めてだったため、毎回の委員会が試行錯誤の連続で、十分期待に応えられなかったことは否めない。

しかし、「はい」か「いいえ」で答えるように迫っても、何度も同じ言い訳を繰り返す官僚の姿や、電力業界の意向に屈して過酷事故対策を先送りした証拠を示しても「覚えていない」と言い張る官僚の姿は、多くの国民に衝撃を与えたに違いない。

これまでであれば国民の目の届かないところに潜んでいたはずの「多頭一身の怪物」が、電力事業者の「虜」になっていたという不都合な真実。これが国民の知るところとなった意義は少なくない。調査で集めた内部資料を突きつけて参考人に厳しく迫った際には、一部の方から「やり過ぎだ」とのお叱りも受けたが、他方で日本の根深い構造が透けて見えたとの反響も多くいただいた。
  もはや国民は騙されない。今こそ、あらゆる場面で日本の病巣にメスを入れ、膿を出し切ることが必要だ。

その覚悟を共有することが今回の事故の教訓に違いない。そして、それこそが、今なお避難を続けられている被災者の方々に報いる唯一の方法なのではないだろうか。
  もう二度と同じ怪物は見たくない。そう感じたのは、きっと私だけではないはずだ。

  
避難者の一人として事故調査に向き合って
蜂須賀礼子
 
昨年3月11日、東日本大震災、夜も寝れず車の中で過ごした。

 そして、3月12日早朝、何の説明もないままに避難をして1年数ヶ月が過ぎた。

自分に何ができるのか、どんな行動を起こせば避難者が苦しまない生活をできるかと色々と考えていた時に、国会福島原子力発電所事故調査委員のお話がきた。しかし、知識も学歴もないこんな私に何ができるだろうか、私が後世のために委員として何の役に立つのだろうかと思った。

でも、ただ1つ私にしかできないことがある。

(避難者)としての今の現実、そして声の奥の心の叫び、原子力発電所と共に過ごしてきた町民にしか分からないことなどを直接伝えることが私の仕事と思い委員を引き受けた。

  しかし、この委員会は、それはそれは大変な仕事だった。
普通の人では考えさえしないこと、思ってもみたことのない原発事故の色々な事が知らされ、真実を知っていく過程、調査が進む中で他の委員の人たちとは異なる思いがふつふつと沸いてきた。
しかし、この事がいかに事故が重いもので、これが事実と思い、怒りと失望に体が震えるのを感じながら事故の調査に向き合った。

  この事故は、避難者だけの問題ではない。これから生きていかなければならない子、孫達、そして、日本ばかりではなく、世界中の原子力を持つ国の人たちのために、日本で起きてしまったとても悲しくて悲惨な歴史的な大きなこの事故を伝えなければいけない。

  この報告書にまとめられた、多くの協力調査員、そして委員の先生方が調べた事実に間違いはないと思う。

報告書が出たとき、色々な方面のバッシングや賞賛の声が出てくると思うが、この内容が夜昼を問わず、血の滲むような努力をしてまとめた調査の結果である事に私は誇りを持ちたいと思う。

  最後に、まだまだ原発事故によって苦しんでいる多くの人たち、おいしいフルーツがたわわに実り、四季折々の花が咲き乱れる住みなれた故郷に戻りたいと思う人たちがいること。このことを、国会議員の皆様には決して忘れることなく、国会の場で、いまだ避難をしている一人ひとりが安心して人としての生活を1日も早く取り戻せるよう話し合いをしていただく事を願っております。
 

委員会活動を通じての思い
横山禎徳   
 
今、この文章を書くことができることは本当にありがたいと思う。

  原発事故発生直後、数日間の展開によってはこの文章を書くことはかなわなかったはずだ。
今のある程度落ち着いた状況を私たちに与えてくれたのは官邸でも、保安院でも、原子力安全委員会でも、東電本店でも、福島県庁でもなく、起こるとは思いもしなかった事故に戸惑いながらも、やらなければいけないことはやるのだと事故の現場で作業を続けた人たちである。

あの時、首相だけでなく、上記組織の関係者が誰であったとしても結果は大きく変わらなかったのではないかというのが種々のヒアリングを通じての個人的感想である。

  大きく変わったのではないかと思う部分は、住民の視点に立った施策の実施である。

臨機応変だがぶれず、素早い住民への避難指示、多少落ち着いた時期では、住民全体ではなく個別の事情にも気配りした対策、長期的には個々人の健康と生活への将来不安に答えるような対話型情報提供などの施策が欠けている。多くの住民にとって考えもしなかった状況での心身の苦難は現在も終わっていない。しかし、それは住民向けの施策に関わった、そして、今も関わっている個々人の能力とか思考形態の問題を超えている。

  住民の苦難を改善する施策は当然、大至急やるべきであるが、それだけでは十分ではない。
背景にある日本社会全体の原発に対する基本的な思想、それに基づく的確な課題設定、解決策を具現化する、技術を超えた社会システムに目を向ける時期にきていたにもかかわらず、日本の原子力関係者は慣れ親しんできたやり方に安住していたように思える。

  極めて扱いにくく、素人にとって通常の生活感覚ではつかみきれない、原子力という科学技術を人間は手にした問題を今回実感した。

扱うべきではないという決断もありうる。しかし、何とか扱おうとする場合は覚悟がいる。
過去、いろいろな試行錯誤と事故の経験を経て、つまるところ、「原発を守るのではなく、人を守るのだ」ということから組み立てる思想が、近年、世界の流れであり、それに基づいた課題設定がされてきている。

「日本は科学技術が優れている」という傲慢な技術至上的発想のせいで、科学技術のみでは全てを解決しえないという、時代の思想に取り残されていることに気付かず、課題設定の間違いと視野狭窄、思い込みと思考停止に陥っていたのではないかと感じることが多かった。

  「人を守る」という思想に基づいた課題設定をすればもっと柔軟な思考が展開したはずである。
原子炉の安全対策も、「ひとつこければみなこける」という「単調な多重」ではない選択肢を考えたであろう。また、ハードウェア中心ではなく、運営システムを含めて一体的に考え、あれがダメならこれがある、これがダメならまだ他にもあるという、多系統で多種多様な事故封じ込めと住民への被害拡大防止の選択肢が考えられたはずである。

  運営システムとは原子炉の安全確保だけにとどまらない。

例えば、緊急時にも対応できる胆力を持ち、臨機応変の判断ができる人物が組織の長に選ばれるような「人材育成・選別システム」も運営システムの一つである。法律による制度や組織の「箱」は運営システムが陳腐化すると形骸化する。そして、まさにそれが起こったのである。少し賢くなった今、「大きな災い転じて大きな福となす」思考と行動を巻き起こしたいとつくづく思う。


委員長・委員プロフィール

委員長
黒川 清政策研究大学院大学アカデミックフェロー、元日本学術会議会長、東京大学名誉教授 
東京大学医学部卒業。1969年に渡米、1979年UCLA医学部内科教授。1983年帰国後、東京大学医学部内科教授、東海大学医学部長、内閣府総合科学技術会議議員(2003〜07年)、内閣特別顧問(2006
〜08年)、WHOコミッショナー(2005〜09年)、国際科学者連合体の役員など幅広い分野で活躍。現在、Health and Global Policy Institute代表理事、Chair and Founder, IMPACT Foundation Japan。著書は『世界級キャリアのつくり方』(共著、東洋経済新報社)ほか。 http://www.kiyoshikurokawa.com/

委員
石橋 克彦理学博士、地震学者、神戸大学名誉教授
神奈川県出身。1973年東京大学大学院理学系研究科博士課程単位取得退学。東京大学理学部助手、建設省建築研究所応用地震学室長などを経て、1996年神戸大学都市安全研究センター教授。2008年退職。著書は『大地動乱の時代―地震学者は警告する』(岩波書店)ほか。

大島 賢三独立行政法人国際協力機構顧問、元国際連合大使
広島県出身。東京大学法学部中退。1967年外務省入省。外務省経済協力局長、国際連合事務局事務次長(人道問題担当)及びチェルノブイリ国際支援調整官、オーストラリア特命全権大使、国際連合日本政府代表部常駐代表、独立行政法人国際協力機構副理事長、放射線被曝者医療国際協力推進協議会
(HICARE)理事。

崎山 比早子医学博士、元放射線医学総合研究所主任研究官
東京都出身。1974年千葉大学大学院医学研究科卒業。マサチューセッツ工科大学研究員を経て、科学技術庁放射線医学総合研究所に入所、同主任研究官を経て退官。高木学校メンバー。

櫻井 正史弁護士、元名古屋高等検察庁検事長、元防衛省防衛監察監 
東京都出身。早稲田大学法学部卒。最高検察庁刑事部長、東京地方検察庁検事正、名古屋高等検察庁検事長などを歴任し、その後防衛省防衛監察監を経て、現在弁護士。

田中 耕一分析化学者、株式会社島津製作所フェロー 
富山県出身。東北大学工学部電気工学科卒。株式会社島津製作所入社。2002年ノーベル化学賞受賞。島津製作所フェロー、同社田中耕一記念質量分析研究所所長、田中最先端研究所所長。東北大学、東京大学及び京都大学客員教授。

田中 三彦科学ジャーナリスト
 栃木県出身。東京工業大学工学部生産機械工学科卒。株式会社バブコック日立に入社。同社呉工場で9年間原子炉圧力容器の設計などに従事。その後、自然科学関係の評論・執筆活動を始める。

野村 修也中央大学法科大学院教授、弁護士
 北海道出身。中央大学法学部卒業及び中央大学大学院法学研究科博士前期課程修了。西南学院大学院専任講師、同大学助教授、中央大学法学部教授を経て、現在中央大学法科大学院教授及び弁護士。

蜂須賀 礼子福島県大熊町商工会会長 
福島県出身。福島県立浪江高等学校卒。フラワーショップ「はなさく」(生花店)代表、福島県商工会女性部連合会副会長を経て、福島県大熊町商工会会長及び避難先の会津若松市内でコミュニティー施設兼共同店舗である「おおくまステーションおみせ屋さん」代表。

横山 禎徳社会システム・デザイナー東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム企画・推進責任者
広島県出身。東京大学工学部建築学科卒。ハーバード大学デザイン大学院修了及びマサチューセッツ工科大学経営大学院修了。マッキンゼー・アンド・カンパニー東京支社長を経て、株式会社イグレックSSDI代表取締役、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム企画・推進責任者を兼務。


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