2013年5月26日日曜日

国会事故調 報告書 要約版 NO.1


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要約版

衆議院議長 横路 孝弘 殿
参議院議長 平田 健二 殿

昨年 12 月 8 日、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法により我々に託された調査活動は本日終了し、本報告書は、今後、国会議員の皆さまに託されます。
国会議員の皆さまにおかれましては、国会における第三者機関による事故調査という憲政史上初の試みを確かなものとするために、また、国会による原子力に関する立法及び行政の監視に関する機能の充実強化に資するために、ぜひ、本報告書をご高覧いただきたく思います。皆さまの英知を結集して、山積した課題に取り組んでいただきますよう、ここに心からお願い申し上げます。
我々の約半年間の活動が、今なお避難を余儀なくされている皆さまの将来と日本の未来に少しでもお役に立つことを願い、御報告の言葉とさせていただきます。


http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/wp-content/uploads/2012/08/6809b0a4b962273cbc90717d9a9f4c90-630x521.jpg



はじめに
 
 福島原子力発電所事故は終わっていない。

これは世界の原子力の歴史に残る大事故であり、科学技術先進国の一つである日本で起きたことに世界中の人々は驚愕した。世界が注目する中、日本政府と東京電力の事故対応の模様は、日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった。
  
 福島第一原子力発電所は、日本で商業運転を始めた3番目の原子力発電所である。日本の原子力の民間利用は、1950年代から検討が始まり、1970年代のオイルショックを契機に、政界、官界、財界が一体となった国策として推進された。

原子力は、人類が獲得した最も強力で圧倒的なエネルギーであるだけではなく、巨大で複雑なシステムであり、その扱いは極めて高い専門性、運転と管理の能力が求められる。先進各国は、スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故などといった多くの事故と経験から学んできた。世界の原子力に関わる規制当局は、あらゆる事故や災害から国民と環境を守るという基本姿勢を持ち、事業者は設備と運転の安全性の向上を実現すべく持続的な進化を続けてきた。

日本でも、大小さまざまな原子力発電所の事故があった。多くの場合、対応は不透明であり組織的な隠ぺいも行われた。日本政府は、電力会社10社の頂点にある東京電力とともに、原子力は安全であり、日本では事故など起こらないとして原子力を推進してきた。

  そして、日本の原発は、いわば無防備のまま、3.11の日を迎えることとなった。
 
 想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。そこには、ほぼ50年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインドセット)」があった。経済成長に伴い、「自信」は次第に「おごり、慢心」に変わり始めた。入社や入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって、前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず安全対策は先送りされた。
 
 3.11の日、広範囲に及ぶ巨大地震、津波という自然災害と、それによって引き起こされた原子力災害への対応は、極めて困難なものだったことは疑いもない。しかも、この50年で初めてとなる歴史的な政権交代からわずか18か月の新政権下でこの事故を迎えた。当時の政府、規制当局、そして事業者は、原子力のシビアアクシデント(過酷事故)における心の準備や、各自の地位に伴う責任の重さへの理解、そして、それを果たす覚悟はあったのか。「想定外」「確認していない」などというばかりで危機管理能力を問われ、日本のみならず、世界に大きな影響を与えるような被害の拡大を招いた。この事故が「人災」であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人々の命と社会を守るという責任感の欠如があった。
  
 この大事故から9か月、国民の代表である国会(立法府)の下に、憲政史上初めて、政府からも事業者からも独立したこの調査委員会が、衆参両院において全会一致で議決され、誕生した。

今回の事故原因の調査は、過去の規制や事業者との構造といった問題の根幹に触れずには核心にたどりつけない。私たちは、委員会の活動のキーワードを「国民」「未来」「世界」とした。そして、委員会の使命を、「国民による、国民のための事故調査」「過ちから学ぶ未来に向けた提言」「世界の中の日本という視点(日本の世界への責任)」とした。限られた条件の中、6か月の調査活動を行った総括がこの報告書である。
  
 100年ほど前に、ある警告が福島が生んだ偉人、朝河貫一によってなされていた。朝河は、日露戦争に勝利した後の日本国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機』を著し、日露戦争以後に「変われなかった」日本が進んで行くであろう道を、正確に予測していた。

 「変われなかった」ことで、起きてしまった今回の大事故に、日本は今後どう対応し、どう変わっていくのか。これを、世界は厳しく注視している。この経験を私たちは無駄にしてはならない。国民の生活を守れなかった政府をはじめ、原子力関係諸機関、社会構造や日本人の「思いこみ(マインドセット)」を抜本的に改革し、この国の信頼を立て直す機会は今しかない。この報告書が、日本のこれからの在り方について私たち自身を検証し、変わり始める第一歩となることを期待している。
  
 最後に、被災された福島の皆さま、特に将来を担う子どもたちの生活が一日でも早く落ち着かれることを心から祈りたい。また、日本が経験したこの大事故に手を差し伸べてくださった世界中の方々、私たち委員会の調査に協力、支援をしてくださった方々、初めての国会の事故調査委員会誕生に力を注がれた立法府の方々、そして、昼夜を問わず我々を支えてくださった事務局の方々に深い感謝の意を表したい。
 
東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)
                                                                            委員長 黒川 清
 

当委員会の根拠法令である「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法(以下「委員会法」という)」 は、平成 23(2011)年10月30日に施行され、委員長及び委員 の10人は、国会の承認を得て同年12月8日、両議院の議長より任命された。

委員長       黒川 清                                                                 
委 員石橋克彦 大島賢三 崎山比早子
 櫻井正史田中耕一田中三彦
 野村修也蜂須賀横山禎徳
    
参 与木村逸郎児玉龍彦八田達夫
査 読飯田孝夫齊藤 誠杉本 純 
 中島  功松岡 猛 
事務局事務局長  安生 徹 調査統括 宇田左近
 
【国会に設置された意味】
 
当委員会は、日本及びその政府が、国民からの信頼、世界からの信頼を取り戻すために、東京電力あるいは政府(行政府)という、事故の当事者や関係者から独立した 調査を、国家の三権の一つである国会の下で行うために設置された。
当委員会は、国会に設置されたがゆえに、事故の検証に当たり、強い調査権限を有 している。法令上、文書の提出請求権を有する 2 ほか、国政調査権の発動を両院合同 協議会に対し要請する権限を有する。当委員会は、前者の文書の提出請求権を計13件の資料等につき行使した。後者の国政調査権は、どうしても調査に協力いただけな い場合等、調査において必要と認められるときに、当委員会は、両院合同協議会に国 政調査権行使を要請することができ、これを受けた両院合同協議会は必要と認めると きは、当該要請にかかる事項について国政調査権を行使することができる、というも のである。本調査活動中は必要とされる参考人等には全て協力をいただいたため、こ の国政調査権の発動を実際に要請することはなかった。

【当委員会設置の基本的考え方】

当委員会設置の基本的考え方については、「東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会の合同協議会」の幹事会において、以下のように合意がなされている 3

① 脱原発か原発推進かという結論ありきではなく、専門家による冷静、客観的かつ科学的な、独立した徹底検証をすること。
② 徹底的な情報公開を原則としつつ、事故原因の究明と真相究明という目的を害す ることのないよう、公開の是非について適切に判断すること。
③ 世界全体として原発事故再発防止のため、世界的視野に立つことを重視すること。
④ 原子炉の構造上の安全ではなく人間の安全保障を重視した調査を行うこと。
⑤ 地震大国、津波大国における原発という視点からの調査を行うこと。
⑥ 三権分立における国会の役割を再認識する契機となることに鑑み、提言型かつ、 未来志向の調査を行うこと。
 
【調査の概要】

  当委員会は、徹底した検証のため、延べ 1,167 人、900 時間を超えるヒアリングを 行うとともに、東京電力福島第一原子力発電所、及び第二原子力発電所、東北電力女川原子力発電所、日本原電東海第二発電所に対して9回に及ぶ視察を行った。また被災住民の視点をできる限り理解するために、これまで3回のタウンミーティングで合計400人超の被災された方にご参加いただき、生の声をお聞かせいただいた。タウ ンミーティングのほか被災地である双葉町、大熊町、富岡町、浪江町、楢葉町、川内村、広野町、葛尾村、南相馬市、田村市、飯舘村、川俣町の12市町村を委員が訪問し、 ヒアリングを行った。また被災住民や原発の作業従事者を対象としたアンケート等を 実施した。当委員会は、全ての調査票に目を通し、できるだけ分かりやすい形でまとめるように努めた。被災住民アンケートでは1万633人の方から貴重なご意見をい ただいた。調査票の自由回答欄に回答をいただいた方が 8,066人、また調査票の裏あるいは封筒にまでご意見を記入いただいた方が431人いた。また平成23(2011)年3月11日当時、福島第一原子力発電所において作業に従事されていた方を対象とし た従業員アンケートでは、2,415 人の東京電力及び協力会社の方々からの回答を得た。 当委員会では海外の事例を検討するために計 3 回の海外調査を実施した。各国から得た 情報は報告書に反映されている。
 
  当委員会は、調査の客観性を得るために、これらのヒアリングに加え徹底的な資料 調査を併せて行った。東京電力、規制官庁をはじめ関係者に対する資料請求回数は2,000件を超えた。
 
  当委員会は、情報公開を徹底するため、開催された19 回の委員会は全て公開で行い、 事故当時、責任のある立場にあった人を中心に計38人の参考人を招致した。福島第一原子力発電所訪問の後、福島市で行った第1 回を除き全てが動画配信されている 4。 動画中継は合計 60 時間近くになり、のべ視聴者数は約 80 万人に達した。Facebookや Twitter といったソーシャルメディアでは 17 万件以上の書き込みがあった。全ての委員会の会議録は既に公開されているが、改めて本編の参考として添付した。また、 委員会は同時通訳を通じ世界に向けてウェブ上で発信してきた。本報告書も日本語と 同時に英語の要約版を公表したが、今後本編も英語版をまとめる予定である。
 
  委員会についての概要は本編の添付資料を、会議録は別冊資料をご参照いただきたい。
 東京電力福島原子力発電所事故から 16 カ月がたち、既にその間に政府や東京電力 のみならず数多くの検証の試みがなされ、報告、著書、マスメディアなどの多様な媒 体で公表されている。国内ばかりでなく、国際機関からも、また海外からも発信されている。それらに記述されていることと、この委員会報告に記載されていることは、 重複している部分も多くあるだろう。しかし、当委員会が参考人のヒアリングを世界 に対して公開して行った意味は、それを見た一人一人が、それまでのメディアを通じ た情報と比較しながら、より立体的にまた客観的に事故の原因を把握し、今後何をな すべきか判断できる材料を提供するということにあると考える。そこにこそ、公開の 意味があるのであり、そのような認識でこの委員会は活動を行い、報告書を作成した。

【当委員会で扱わなかった事項】

設置に際し、委員会法 10 条各号により我々に課せられた課題解決を最優先とする ため、以下の点については、今回の調査の対象外とした。

1)日本の今後のエネルギー政策に関する事項(原子力発電の推進あるいは廃止も 含めて)
2)使用済み核燃料処理・処分等に関する事項
3)原子炉の実地検証を必要とする事項で、当面線量が高くて実施ができない施設 の検証に関する事項
4)個々の賠償、除染などの事故処理費用に関する事項
5)事故処理費用の負担が事業者の支払い能力を超える場合の責任の所在に関する 事項
6)原子力発電所事業に対する投資家、株式市場の事故防止につながるガバナンス 機能に関する事項
7)個々の原子力発電所の再稼働に関する事項
8)政策・制度について通常行政府が行うべき具体的な設計に関する事項
9)事故後の原子炉の状況の把握及び廃炉のプロセスに関する事項、発電所周辺地 域の再生に関する事項
10)その他、委員の合意によって範囲外と決めた事項等



1「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」(「付録 4」参照)
2 委員会法第 12 条
3  第3 回「東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会の合同協議会」における 小平忠正委員長のスピーチ参照。
http://naiic.go.jp

【認識の共有化】
 
 平成23(2011)年3月11日に起きた東日本大震災に伴う東京電力福島原子力発電所事故は世界の歴史に残る大事故である。そして、この報告が提出される平成24(2012)年6月においても、依然として事故は収束しておらず被害も継続している。
 
 破損した原子炉の現状は詳しくは判明しておらず、今後の地震、台風などの自然災害に果たして耐えられるのか分からない。今後の環境汚染をどこまで防止できるのかも明確ではない。廃炉までの道のりも長く予測できない。一方、被害を受けた住民の生活基盤の回復は進まず、健康被害への不安も解消されていない。
 
 
  当委員会は、「事故は継続しており、被災後の福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という)の建物と設備の脆弱性及び被害を受けた住民への対応は急務である」と認識する。また「この事故報告が提出されることで、事故が過去のものとされてしまうこと」に強い危惧を覚える。日本全体、そして世界に大きな影響を与え、今なお続いているこの事故は、今後も独立した第三者によって継続して厳しく監視、検証されるべきである(提言7に対応)。             
 
 
 
当委員会はこのような認識を共有化して以下のような調査に当たった。


【事故の根源的原因】

 事故の根源的な原因は、東北地方太平洋沖地震が発生した平成23(2011)年3月11日(以下「3.11」という)以前に求められる。当委員会の調査によれば、3.11時点において、福島第一原発は、地震にも津波にも耐えられる保証がない、脆弱な状態であったと推定される。地震・津波による被災の可能性、自然現象を起因とするシビアアクシデント(過酷事故)への対策、大量の放射能の放出が考えられる場合の住民の安全保護など、事業者である東京電力(以下「東電」という)及び規制当局である内閣府原子力安全委員会(以下「安全委員会」という)、経済産業省原子力安全・保安院(以下「保安院」という)、また原子力推進行政当局である経済産業省(以下「経産省」という)が、それまでに当然備えておくべきこと、実施すべきことをしていなかった。  
 
 平成18(2006)年に、耐震基準について安全委員会が旧指針を改訂し、新指針として保安院が、全国の原子力事業者に対して、耐震安全性評価(以下「耐震バックチェック」という)の実施を求めた。
 
 東電は、最終報告の期限を平成21(2009)年6月と届けていたが、耐震バックチェックは進められず、いつしか社内では平成28(2016)年1月へと先送りされた。東電及び保安院は、新指針に適合するためには耐震補強工事が必要であることを認識していたにもかかわらず、1〜3号機については、全く工事を実施していなかった。保安院は、あくまでも事業者の自主的取り組みであるとし、大幅な遅れを黙認していた。事故後、東電は、5号機については目視調査で有意な損傷はなかったとしているが、それをもって1〜3号機に地震動による損傷がなかったとは言えない。
 
 平成18(2006)年には、福島第一原発の敷地高さを超える津波が来た場合に全電源喪失に至ること、土木学会評価を上回る津波が到来した場合、海水ポンプが機能喪失し、炉心損傷に至る危険があることは、保安院と東電の間で認識が共有されていた。保安院は、東電が対応を先延ばししていることを承知していたが、明確な指示を行わなかった。
 
 規制を導入する際に、規制当局が事業者にその意向を確認していた事実も判明している。安全委員会は、平成5(1993)年に、全電源喪失の発生の確率が低いこと、原子力プラントの全交流電源喪失に対する耐久性は十分であるとし、それ以降の、長時間にわたる全交流電源喪失を考慮する必要はないとの立場を取ってきたが、当委員会の調査の中で、この全交流電源喪失の可能性は考えなくてもよいとの理由を事業者に作文させていたことが判明した。また、当委員会の参考人質疑で、安全委員会が、深層防護(原子力施設の安全対策を多段的に設ける考え方。IAEA〈国際原子力機関〉では5層まで考慮されている5)について、日本は5層のうちの3層までしか対応できていないことを認識しながら、黙認してきたことも判明した。
 
 規制当局はまた、海外からの知見の導入に対しても消極的であった。シビアアクシデント対策は、地震や津波などの外部事象に起因する事故を取り上げず、内部事象に起因する対策にとどまった。米国では9.11以降にB.5.b6に示された新たな対策が講じられたが、この情報は保安院にとどめられてしまった。防衛にかかわる機微情報に配慮しつつ、必要な部分を電気事業者に伝え、対策を要求していれば、今回の事故は防げた可能性がある。
 
 このように、今回の事故は、これまで何回も対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局及び東電経営陣が、それぞれ意図的な先送り、不作為、あるいは自己の組織に都合の良い判断を行うことによって、安全対策が取られないまま3.11を迎えたことで発生したものであった。
 当委員会の調査によれば、東電は、新たな知見に基づく規制が導入されると、既設炉の稼働率に深刻な影響が生ずるほか、安全性に関する過去の主張を維持できず、訴訟などで不利になるといった恐れを抱いており、それを回避したいという動機から、安全対策の規制化に強く反対し、電気事業連合会(以下「電事連」という)を介して規制当局に働きかけていた。
 
 このような事業者側の姿勢に対し、本来国民の安全を守る立場から毅然とした対応をすべき規制当局も、専門性において事業者に劣後していたこと、過去に自ら安全と認めた原子力発電所に対する訴訟リスクを回避することを重視したこと、また、保安院が原子力推進官庁である経産省の組織の一部であったこと等から、安全について積極的に制度化していくことに否定的であった。
 事業者が、規制当局を骨抜きにすることに成功する中で、「原発はもともと安全が確保されている」という大前提が共有され、既設炉の安全性、過去の規制の正当性を否定するような意見や知見、それを反映した規制、指針の施行が回避、緩和、先送りされるように落としどころを探り合っていた。
 
 これを構造的に見れば、以下のように整理できる。本来原子力安全規制の対象となるべきであった東電は、市場原理が働かない中で、情報の優位性を武器に電事連等を通じて歴代の規制当局に規制の先送りあるいは基準の軟化等に向け強く圧力をかけてきた。この圧力の源泉は、電気事業の監督官庁でもある原子力政策推進の経産省との密接な関係であり、経産省の一部である保安院との関係はその大きな枠組みの中で位置付けられていた。規制当局は、事業者への情報の偏在、自身の組織優先の姿勢等から、事業者の主張する「既設炉の稼働の維持」「訴訟対応で求められる無謬性」を後押しすることになった。このように歴代の規制当局と東電との関係においては、規制する立場とされる立場の「逆転関係」が起き、規制当局は電気事業者の「虜(とりこ)」となっていた。その結果、原子力安全についての監視・監督機能が崩壊していたと見ることができる 7
 
 
 当委員会は、本事故の根源的原因は歴代の規制当局と東電との関係について、「規制する立場とされる立場が『逆転関係』となることによる原子力安全についての監視・監督機能の崩壊」が起きた点に求められると認識する。何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、今回の事故は「自然災害」ではなくあきらかに「人災」である(提言1に対応)。 
 
 【事故の直接的原因】
 
本事故の直接的原因は、地震及び地震に誘発された津波という自然現象であるが、事故が実際にどのように進展していったかに関しては、重要な点において解明されていないことが多い。その大きな理由の一つは、本事故の推移と直接関係する重要な機器・配管類のほとんどが、この先何年も実際に立ち入ってつぶさに調査、検証することのできない原子炉建屋及び原子炉格納容器内部にあるためである。
 
 しかし東電は、事故の主因を早々に津波とし、「確認できた範囲においては」というただし書きはあるものの、「安全上重要な機器は地震で損傷を受けたものはほとんど認められない」と中間報告書に明記し、また政府もIAEAに提出した事故報告書に同趣旨のことを記した。
 
 直接的原因を、実証なしに津波に狭く限定しようとする背景は不明だが、第1部で述べるように、既設炉への影響を最小化しようという考えが東電の経営を支配してきたのであって、ここでもまた同じ動機が存在しているようにも見える。あるいは東電の中間報告にあるように、「想定外」とすることで責任を回避するための方便のようにも聞こえるが、当委員会の調査では、地震のリスクと同様に津波のリスクも東電及び規制当局関係者によって事前に認識されていたことが検証されており、言い訳の余地はない。
 
 事故の主因を津波のみに限定すべきでない理由として、スクラム(原子炉緊急停止)後に最大の揺れが到達したこと、小規模のLOCA(小さな配管破断などの小破口冷却材喪失事故)の可能性は独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)の解析結果も示唆していること、1号機の運転員が配管からの冷却材の漏れを気にしていたこと、そして1号機の主蒸気逃がし安全弁(SR弁)は作動しなかった可能性を否定できないことなどが挙げられ、特に1号機の地震による損傷の可能性は否定できない。また外部送電系が地震に対して多様性、独立性が確保されていなかったこと、またかねてから指摘のあった東電新福島変電所の耐震性不足などが外部電源喪失の一因となった。
 
 
  当委員会は、事故の直接的原因について、「安全上重要な機器の地震による損傷はないとは確定的には言えない」、特に「1号機においては小規模のLOCAが起きた可能性を否定できない」との結論に達した。しかし未解明な部分が残っており、これについて引き続き第三者による検証が行われることを期待する(提言7に対応)。 
  
 
【運転上の問題の評価】
 
発電所の現場の運転上の問題については、いくつか特記すべきことはあるが、むしろ、今回のようにシビアアクシデント対策がない場合、全電源喪失状態に陥った際に、現場で打てる手は極めて限られるということが検証された。1号機の非常用復水器(IC)の操作及びその後の確認作業の是非については、全交流電源喪失(SBO)直後からの系統確認としかるべき運転操作に迅速に対応できなかった。しかしICの操作に関してはマニュアルもなく、また運転員は十分訓練されていなかった。さらに、本事故においてはおそらく早期のうちにICの蒸気管に非凝縮性の水素ガスが充満し、そのために自然循環が阻害され、ICが機能喪失していたと当委員会は推測している。こうした事情を考慮すれば、単純に事故当時の運転員の判断や操作の非を問うことはできない。
 
 東電の経営陣が耐震工事の遅れ及び津波対策の先送りの事実を把握し、福島第一原発の脆弱性を認識していたと考えられることから、被災時の現場の状態はある程度事前にも想像できたはずである。少なくとも、発電所の脆弱性を補うためにも、シビアアクシデント時に現場で対応する準備を行わせるのは、経営として必要なことであった。東電の本店及び発電所の幹部も、このような状況下で、少なくとも緊急時の現場の対応について準備をすることが必要であった。以上を考えれば、これは運転員・作業員個人の問題に帰するのではなく、東電の組織的問題として考えるべき事柄である。
 
 ベントライン構成についても、電源が喪失し放射線量の高い中でのライン構成作業自体が困難であり、かつ時間がかかるものであった。シビアアクシデント手順書の中の図面も不備であったことが判明しており、見づらい図面を時間に追われつつ、懐中電灯で解明する作業を強いられた。官邸はベントに時間がかかることから東電への不信が高まったとしているが、実際の作業は困難を極めるものであった。
 
 多重防護が一気に破られ、同時に4基の原子炉の電源が喪失するという中で、2号機の原子炉隔離時冷却系(RCIC)が長時間稼働したこと、2号機のブローアウトパネルが脱落したこと、協力会社の決死のがれき処理が思った以上に進んだことなど、偶然というべき状況がなければ、2、3号機はさらに厳しい状況に陥ったとも考えられる。シビアアクシデント対策がない状態で、直流電源も含めた全電源喪失状況を作り出してしまったことで、既にその後の結果は避けられなかったと判断した。

 
 当委員会は「過酷事故に対する十分な準備、レベルの高い知識と訓練、機材の点検がなされ、また、緊急性について運転員・作業員に対する時間的要件の具体的な指示ができる準備があれば、より効果的な事後対応ができた可能性は否定できない。すなわち、東電の組織的な問題である」と認識する(提言4に対応)。 
  

【緊急時対応の問題】

いったん事故が発災した後の緊急時対応について、官邸、規制当局、東電経営陣には、その準備も心構えもなく、その結果、被害拡大を防ぐことはできなかった。保安院は、原子力災害対策本部の事務局としての役割を果たすことが期待されたが、過去の事故の規模を超える災害への備えはなく、本来の機能を果たすことはできなかった。

  官邸は、発災直後の最も重要な時間帯に、緊急事態宣言を速やかに出すことができなかった。本来、官邸は現地対策本部を通じて事業者とコンタクトをすべきとされていた。しかし、官邸は東電の本店及び現場に直接的な指示を出し、そのことによって現場の指揮命令系統が混乱した。さらに、15日に東電本店内に設置された統合対策本部も法的な根拠はなかった。
 
 1号機のベントの必要性については、官邸、規制当局あるいは東電とも一致していたが、官邸はベントがいつまでも実施されないことから東電に疑念、不信を持った。東電は平時の連絡先である保安院にはベントの作業中である旨を伝えていたが、それが経産省のトップ、そして官邸に伝えられていたという事実は認められない。保安院の機能不全、東電本店の情報不足は結果として官邸と東電の間の不信を募らせ、その後、総理が発電所の現場に直接乗り込み指示を行う事態になった。その後も続いた官邸による発電所の現場への直接的な介入は、現場対応の重要な時間を無駄にするというだけでなく、指揮命令系統の混乱を拡大する結果となった。
 
 東電本店は、的確な情報を官邸に伝えるとともに、発電所の現場の技術的支援という重要な役割を果たすべきであったが、官邸の顔色をうかがいながら、むしろ官邸の意向を現場に伝える役割だけの状態に陥った。3月14日、2号機の状況が厳しくなる中で、東電が全員撤退を考えているのではないかという点について、東電と官邸の間で認識のギャップが拡大したが、この根源には、両者の相互不信が広がる中で、東電の清水社長が官邸の意向を探るかのような曖昧な連絡に終始した点があったと考えられる。ただし、①発電所の現場は全面退避を一切考えていなかったこと、②東電本店においても退避基準の検討は進められていたが、全面退避が決定された形跡はなく、清水社長が官邸に呼ばれる前に確定した退避計画も緊急対応メンバーを残して退避するといった内容であったこと、③当時、清水社長から連絡を受けた保安院長は全面退避の相談とは受け止めなかったこと、④テレビ会議システムでつながっていたオフサイトセンターにおいても全面退避が議論されているという認識がなかったこと等から判断して、総理によって東電の全員撤退が阻止されたと理解することはできない。
 
  重要なのは時の総理の個人の能力、判断に依存するのではなく、国民の安全を守ることのできる危機管理の仕組みを構築することである。
 
 当委員会は、事故の進展を止められなかった、あるいは被害を最小化できなかった最大の原因は「官邸及び規制当局を含めた危機管理体制が機能しなかったこと」、そして「緊急時対応において事業者の責任、政府の責任の境界が曖昧であったこと」にあると結論付けた(提言2に対応)。
 
 
【被害拡大の要因】
 
事故発災当時、政府から自治体に対する連絡が遅れたばかりではなく、その深刻さも伝えられなかった。同じように避難を余儀なくされた地域でも、原子力発電所からの距離によって事故情報の伝達速度に大きな差が生じた。立地町でさえ、3km圏避難の出た21時23分には事故情報は住民の20%程度しか伝わっていない。10km圏内の住民の多くは15条報告から12時間以上たった3月12日の朝5時44分の避難指示の時点で事故情報を知った。しかしその際に、事故の進展あるいは避難に役立つ情報は伝えられなかった。着の身着のままの避難、多数回の避難移動、あるいは線量の高い地域への移動が続出した。その後の長期にわたる屋内避難指示及び自主避難指示での混乱、モニタリング情報が示されないために、線量の高い地域に避難した住民の被ばく、影響がないと言われて4月まで避難指示が出されず放置された地域など、避難施策は混乱した。当委員会は事故前の原子力防災体制の整備の遅れ、複合災害対策の遅れとともに、既存の防災体制の改善に消極的であった歴代の規制当局の問題点も確認している。
 
 
 当委員会は、避難指示が住民に的確に伝わらなかった点について、「これまでの規制当局の原子力防災対策への怠慢と、当時の官邸、規制当局の危機管理意識の低さが、今回の住民避難の混乱の根底にあり、住民の健康と安全に関して責任を持つべき官邸及び規制当局の危機管理体制は機能しなかった」と結論付けた(提言2に対応)。 
  
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衆議院議長 横路 孝弘 殿
参議院議長 平田 健二 殿
 昨年 12 月 8 日、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法により我々に託された調査活動は本日終了し、本報告書は、今後、国会議員の皆さまに託されます。
国会議員の皆さまにおかれましては、国会における第三者機関による事故調査という憲政史上初の試みを確かなものとするために、また、国会による原子力に関する立法及び行政の監視に関する機能の充実強化に資するために、ぜひ、本報告書をご高覧いただきたく思います。皆さまの英知を結集して、山積した課題に取り組んでいただきますよう、ここに心からお願い申し上げます。
我々の約半年間の活動が、今なお避難を余儀なくされている皆さまの将来と日本の未来に少しでもお役に立つことを願い、御報告の言葉とさせていただきます。
はじめに
 福島原子力発電所事故は終わっていない。
これは世界の原子力の歴史に残る大事故であり、科学技術先進国の一つである日本で起きたことに世界中の人々は驚愕した。世界が注目する中、日本政府と東京電力の事故対応の模様は、日本が抱えている根本的な問題を露呈することとなった。
  
 福島第一原子力発電所は、日本で商業運転を始めた3番目の原子力発電所である。日本の原子力の民間利用は、1950年代から検討が始まり、1970年代のオイルショックを契機に、政界、官界、財界が一体となった国策として推進された。
原子力は、人類が獲得した最も強力で圧倒的なエネルギーであるだけではなく、巨大で複雑なシステムであり、その扱いは極めて高い専門性、運転と管理の能力が求められる。先進各国は、スリーマイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故などといった多くの事故と経験から学んできた。世界の原子力に関わる規制当局は、あらゆる事故や災害から国民と環境を守るという基本姿勢を持ち、事業者は設備と運転の安全性の向上を実現すべく持続的な進化を続けてきた。
日本でも、大小さまざまな原子力発電所の事故があった。多くの場合、対応は不透明であり組織的な隠ぺいも行われた。日本政府は、電力会社10社の頂点にある東京電力とともに、原子力は安全であり、日本では事故など起こらないとして原子力を推進してきた。
  そして、日本の原発は、いわば無防備のまま、3.11の日を迎えることとなった。
 
 想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。そこには、ほぼ50年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインドセット)」があった。経済成長に伴い、「自信」は次第に「おごり、慢心」に変わり始めた。入社や入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって、前例を踏襲すること、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守ることよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず安全対策は先送りされた。
 
 3.11の日、広範囲に及ぶ巨大地震、津波という自然災害と、それによって引き起こされた原子力災害への対応は、極めて困難なものだったことは疑いもない。しかも、この50年で初めてとなる歴史的な政権交代からわずか18か月の新政権下でこの事故を迎えた。当時の政府、規制当局、そして事業者は、原子力のシビアアクシデント(過酷事故)における心の準備や、各自の地位に伴う責任の重さへの理解、そして、それを果たす覚悟はあったのか。「想定外」「確認していない」などというばかりで危機管理能力を問われ、日本のみならず、世界に大きな影響を与えるような被害の拡大を招いた。この事故が「人災」であることは明らかで、歴代及び当時の政府、規制当局、そして事業者である東京電力による、人々の命と社会を守るという責任感の欠如があった。
  
 この大事故から9か月、国民の代表である国会(立法府)の下に、憲政史上初めて、政府からも事業者からも独立したこの調査委員会が、衆参両院において全会一致で議決され、誕生した。
今回の事故原因の調査は、過去の規制や事業者との構造といった問題の根幹に触れずには核心にたどりつけない。私たちは、委員会の活動のキーワードを「国民」「未来」「世界」とした。そして、委員会の使命を、「国民による、国民のための事故調査」「過ちから学ぶ未来に向けた提言」「世界の中の日本という視点(日本の世界への責任)」とした。限られた条件の中、6か月の調査活動を行った総括がこの報告書である。
  
 100年ほど前に、ある警告が福島が生んだ偉人、朝河貫一によってなされていた。朝河は、日露戦争に勝利した後の日本国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機』を著し、日露戦争以後に「変われなかった」日本が進んで行くであろう道を、正確に予測していた。
 「変われなかった」ことで、起きてしまった今回の大事故に、日本は今後どう対応し、どう変わっていくのか。これを、世界は厳しく注視している。この経験を私たちは無駄にしてはならない。国民の生活を守れなかった政府をはじめ、原子力関係諸機関、社会構造や日本人の「思いこみ(マインドセット)」を抜本的に改革し、この国の信頼を立て直す機会は今しかない。この報告書が、日本のこれからの在り方について私たち自身を検証し、変わり始める第一歩となることを期待している。
  
 最後に、被災された福島の皆さま、特に将来を担う子どもたちの生活が一日でも早く落ち着かれることを心から祈りたい。また、日本が経験したこの大事故に手を差し伸べてくださった世界中の方々、私たち委員会の調査に協力、支援をしてくださった方々、初めての国会の事故調査委員会誕生に力を注がれた立法府の方々、そして、昼夜を問わず我々を支えてくださった事務局の方々に深い感謝の意を表したい。
東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)
                                                                            委員長 黒川 清
 当委員会の根拠法令である「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法(以下「委員会法」という)」 は、平成 23(2011)年10月30日に施行され、委員長及び委員 の10人は、国会の承認を得て同年12月8日、両議院の議長より任命された。
委員長       黒川 清                                                                 
委 員石橋克彦 大島賢三 崎山比早子
 櫻井正史田中耕一田中三彦
 野村修也蜂須賀横山禎徳
    
参 与木村逸郎児玉龍彦八田達夫
査 読飯田孝夫齊藤 誠杉本 純 
 中島  功松岡 猛 
事務局事務局長  安生 徹 調査統括 宇田左近
 
【国会に設置された意味】
当委員会は、日本及びその政府が、国民からの信頼、世界からの信頼を取り戻すために、東京電力あるいは政府(行政府)という、事故の当事者や関係者から独立した 調査を、国家の三権の一つである国会の下で行うために設置された。
当委員会は、国会に設置されたがゆえに、事故の検証に当たり、強い調査権限を有 している。法令上、文書の提出請求権を有する 2 ほか、国政調査権の発動を両院合同 協議会に対し要請する権限を有する。当委員会は、前者の文書の提出請求権を計13件の資料等につき行使した。後者の国政調査権は、どうしても調査に協力いただけな い場合等、調査において必要と認められるときに、当委員会は、両院合同協議会に国 政調査権行使を要請することができ、これを受けた両院合同協議会は必要と認めると きは、当該要請にかかる事項について国政調査権を行使することができる、というも のである。本調査活動中は必要とされる参考人等には全て協力をいただいたため、こ の国政調査権の発動を実際に要請することはなかった。

【当委員会設置の基本的考え方】
当委員会設置の基本的考え方については、「東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会の合同協議会」の幹事会において、以下のように合意がなされている 3
① 脱原発か原発推進かという結論ありきではなく、専門家による冷静、客観的かつ科学的な、独立した徹底検証をすること。
② 徹底的な情報公開を原則としつつ、事故原因の究明と真相究明という目的を害す ることのないよう、公開の是非について適切に判断すること。
③ 世界全体として原発事故再発防止のため、世界的視野に立つことを重視すること。
④ 原子炉の構造上の安全ではなく人間の安全保障を重視した調査を行うこと。
⑤ 地震大国、津波大国における原発という視点からの調査を行うこと。
⑥ 三権分立における国会の役割を再認識する契機となることに鑑み、提言型かつ、 未来志向の調査を行うこと。


【調査の概要】
  当委員会は、徹底した検証のため、延べ 1,167 人、900 時間を超えるヒアリングを 行うとともに、東京電力福島第一原子力発電所、及び第二原子力発電所、東北電力女川原子力発電所、日本原電東海第二発電所に対して9回に及ぶ視察を行った。また被災住民の視点をできる限り理解するために、これまで3回のタウンミーティングで合計400人超の被災された方にご参加いただき、生の声をお聞かせいただいた。タウ ンミーティングのほか被災地である双葉町、大熊町、富岡町、浪江町、楢葉町、川内村、広野町、葛尾村、南相馬市、田村市、飯舘村、川俣町の12市町村を委員が訪問し、 ヒアリングを行った。また被災住民や原発の作業従事者を対象としたアンケート等を 実施した。当委員会は、全ての調査票に目を通し、できるだけ分かりやすい形でまとめるように努めた。被災住民アンケートでは1万633人の方から貴重なご意見をい ただいた。調査票の自由回答欄に回答をいただいた方が 8,066人、また調査票の裏あるいは封筒にまでご意見を記入いただいた方が431人いた。また平成23(2011)年3月11日当時、福島第一原子力発電所において作業に従事されていた方を対象とし た従業員アンケートでは、2,415 人の東京電力及び協力会社の方々からの回答を得た。 当委員会では海外の事例を検討するために計 3 回の海外調査を実施した。各国から得た 情報は報告書に反映されている。
  当委員会は、調査の客観性を得るために、これらのヒアリングに加え徹底的な資料 調査を併せて行った。東京電力、規制官庁をはじめ関係者に対する資料請求回数は2,000件を超えた。
  当委員会は、情報公開を徹底するため、開催された19 回の委員会は全て公開で行い、 事故当時、責任のある立場にあった人を中心に計38人の参考人を招致した。福島第一原子力発電所訪問の後、福島市で行った第1 回を除き全てが動画配信されている 4。 動画中継は合計 60 時間近くになり、のべ視聴者数は約 80 万人に達した。Facebookや Twitter といったソーシャルメディアでは 17 万件以上の書き込みがあった。全ての委員会の会議録は既に公開されているが、改めて本編の参考として添付した。また、 委員会は同時通訳を通じ世界に向けてウェブ上で発信してきた。本報告書も日本語と 同時に英語の要約版を公表したが、今後本編も英語版をまとめる予定である。
  委員会についての概要は本編の添付資料を、会議録は別冊資料をご参照いただきたい。
 東京電力福島原子力発電所事故から 16 カ月がたち、既にその間に政府や東京電力 のみならず数多くの検証の試みがなされ、報告、著書、マスメディアなどの多様な媒 体で公表されている。国内ばかりでなく、国際機関からも、また海外からも発信されている。それらに記述されていることと、この委員会報告に記載されていることは、 重複している部分も多くあるだろう。しかし、当委員会が参考人のヒアリングを世界 に対して公開して行った意味は、それを見た一人一人が、それまでのメディアを通じ た情報と比較しながら、より立体的にまた客観的に事故の原因を把握し、今後何をな すべきか判断できる材料を提供するということにあると考える。そこにこそ、公開の 意味があるのであり、そのような認識でこの委員会は活動を行い、報告書を作成した。
 
【当委員会で扱わなかった事項】
設置に際し、委員会法 10 条各号により我々に課せられた課題解決を最優先とする ため、以下の点については、今回の調査の対象外とした。
1)日本の今後のエネルギー政策に関する事項(原子力発電の推進あるいは廃止も 含めて)
2)使用済み核燃料処理・処分等に関する事項
3)原子炉の実地検証を必要とする事項で、当面線量が高くて実施ができない施設 の検証に関する事項
4)個々の賠償、除染などの事故処理費用に関する事項
5)事故処理費用の負担が事業者の支払い能力を超える場合の責任の所在に関する 事項
6)原子力発電所事業に対する投資家、株式市場の事故防止につながるガバナンス 機能に関する事項
7)個々の原子力発電所の再稼働に関する事項
8)政策・制度について通常行政府が行うべき具体的な設計に関する事項
9)事故後の原子炉の状況の把握及び廃炉のプロセスに関する事項、発電所周辺地 域の再生に関する事項
10)その他、委員の合意によって範囲外と決めた事項等
 


【認識の共有化】
 平成23(2011)年3月11日に起きた東日本大震災に伴う東京電力福島原子力発電所事故は世界の歴史に残る大事故である。そして、この報告が提出される平成24(2012)年6月においても、依然として事故は収束しておらず被害も継続している。
 破損した原子炉の現状は詳しくは判明しておらず、今後の地震、台風などの自然災害に果たして耐えられるのか分からない。今後の環境汚染をどこまで防止できるのかも明確ではない。廃炉までの道のりも長く予測できない。一方、被害を受けた住民の生活基盤の回復は進まず、健康被害への不安も解消されていない。
 
  当委員会は、「事故は継続しており、被災後の福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という)の建物と設備の脆弱性及び被害を受けた住民への対応は急務である」と認識する。また「この事故報告が提出されることで、事故が過去のものとされてしまうこと」に強い危惧を覚える。日本全体、そして世界に大きな影響を与え、今なお続いているこの事故は、今後も独立した第三者によって継続して厳しく監視、検証されるべきである(提言7に対応)。             
 
 当委員会はこのような認識を共有化して以下のような調査に当たった。
 【事故の根源的原因】
 事故の根源的な原因は、東北地方太平洋沖地震が発生した平成23(2011)年3月11日(以下「3.11」という)以前に求められる。当委員会の調査によれば、3.11時点において、福島第一原発は、地震にも津波にも耐えられる保証がない、脆弱な状態であったと推定される。地震・津波による被災の可能性、自然現象を起因とするシビアアクシデント(過酷事故)への対策、大量の放射能の放出が考えられる場合の住民の安全保護など、事業者である東京電力(以下「東電」という)及び規制当局である内閣府原子力安全委員会(以下「安全委員会」という)、経済産業省原子力安全・保安院(以下「保安院」という)、また原子力推進行政当局である経済産業省(以下「経産省」という)が、それまでに当然備えておくべきこと、実施すべきことをしていなかった。  
 平成18(2006)年に、耐震基準について安全委員会が旧指針を改訂し、新指針として保安院が、全国の原子力事業者に対して、耐震安全性評価(以下「耐震バックチェック」という)の実施を求めた。
 東電は、最終報告の期限を平成21(2009)年6月と届けていたが、耐震バックチェックは進められず、いつしか社内では平成28(2016)年1月へと先送りされた。東電及び保安院は、新指針に適合するためには耐震補強工事が必要であることを認識していたにもかかわらず、1〜3号機については、全く工事を実施していなかった。保安院は、あくまでも事業者の自主的取り組みであるとし、大幅な遅れを黙認していた。事故後、東電は、5号機については目視調査で有意な損傷はなかったとしているが、それをもって1〜3号機に地震動による損傷がなかったとは言えない。
 平成18(2006)年には、福島第一原発の敷地高さを超える津波が来た場合に全電源喪失に至ること、土木学会評価を上回る津波が到来した場合、海水ポンプが機能喪失し、炉心損傷に至る危険があることは、保安院と東電の間で認識が共有されていた。保安院は、東電が対応を先延ばししていることを承知していたが、明確な指示を行わなかった。
 規制を導入する際に、規制当局が事業者にその意向を確認していた事実も判明している。安全委員会は、平成5(1993)年に、全電源喪失の発生の確率が低いこと、原子力プラントの全交流電源喪失に対する耐久性は十分であるとし、それ以降の、長時間にわたる全交流電源喪失を考慮する必要はないとの立場を取ってきたが、当委員会の調査の中で、この全交流電源喪失の可能性は考えなくてもよいとの理由を事業者に作文させていたことが判明した。また、当委員会の参考人質疑で、安全委員会が、深層防護(原子力施設の安全対策を多段的に設ける考え方。IAEA〈国際原子力機関〉では5層まで考慮されている5)について、日本は5層のうちの3層までしか対応できていないことを認識しながら、黙認してきたことも判明した。
 規制当局はまた、海外からの知見の導入に対しても消極的であった。シビアアクシデント対策は、地震や津波などの外部事象に起因する事故を取り上げず、内部事象に起因する対策にとどまった。米国では9.11以降にB.5.b6に示された新たな対策が講じられたが、この情報は保安院にとどめられてしまった。防衛にかかわる機微情報に配慮しつつ、必要な部分を電気事業者に伝え、対策を要求していれば、今回の事故は防げた可能性がある。
 このように、今回の事故は、これまで何回も対策を打つ機会があったにもかかわらず、歴代の規制当局及び東電経営陣が、それぞれ意図的な先送り、不作為、あるいは自己の組織に都合の良い判断を行うことによって、安全対策が取られないまま3.11を迎えたことで発生したものであった。
 当委員会の調査によれば、東電は、新たな知見に基づく規制が導入されると、既設炉の稼働率に深刻な影響が生ずるほか、安全性に関する過去の主張を維持できず、訴訟などで不利になるといった恐れを抱いており、それを回避したいという動機から、安全対策の規制化に強く反対し、電気事業連合会(以下「電事連」という)を介して規制当局に働きかけていた。
 このような事業者側の姿勢に対し、本来国民の安全を守る立場から毅然とした対応をすべき規制当局も、専門性において事業者に劣後していたこと、過去に自ら安全と認めた原子力発電所に対する訴訟リスクを回避することを重視したこと、また、保安院が原子力推進官庁である経産省の組織の一部であったこと等から、安全について積極的に制度化していくことに否定的であった。
 事業者が、規制当局を骨抜きにすることに成功する中で、「原発はもともと安全が確保されている」という大前提が共有され、既設炉の安全性、過去の規制の正当性を否定するような意見や知見、それを反映した規制、指針の施行が回避、緩和、先送りされるように落としどころを探り合っていた。
 これを構造的に見れば、以下のように整理できる。本来原子力安全規制の対象となるべきであった東電は、市場原理が働かない中で、情報の優位性を武器に電事連等を通じて歴代の規制当局に規制の先送りあるいは基準の軟化等に向け強く圧力をかけてきた。この圧力の源泉は、電気事業の監督官庁でもある原子力政策推進の経産省との密接な関係であり、経産省の一部である保安院との関係はその大きな枠組みの中で位置付けられていた。規制当局は、事業者への情報の偏在、自身の組織優先の姿勢等から、事業者の主張する「既設炉の稼働の維持」「訴訟対応で求められる無謬性」を後押しすることになった。このように歴代の規制当局と東電との関係においては、規制する立場とされる立場の「逆転関係」が起き、規制当局は電気事業者の「虜(とりこ)」となっていた。その結果、原子力安全についての監視・監督機能が崩壊していたと見ることができる 7
 
 当委員会は、本事故の根源的原因は歴代の規制当局と東電との関係について、「規制する立場とされる立場が『逆転関係』となることによる原子力安全についての監視・監督機能の崩壊」が起きた点に求められると認識する。何度も事前に対策を立てるチャンスがあったことに鑑みれば、今回の事故は「自然災害」ではなくあきらかに「人災」である(提言1に対応)。 
 
 【事故の直接的原因】
 
 本事故の直接的原因は、地震及び地震に誘発された津波という自然現象であるが、事故が実際にどのように進展していったかに関しては、重要な点において解明されていないことが多い。その大きな理由の一つは、本事故の推移と直接関係する重要な機器・配管類のほとんどが、この先何年も実際に立ち入ってつぶさに調査、検証することのできない原子炉建屋及び原子炉格納容器内部にあるためである。
 しかし東電は、事故の主因を早々に津波とし、「確認できた範囲においては」というただし書きはあるものの、「安全上重要な機器は地震で損傷を受けたものはほとんど認められない」と中間報告書に明記し、また政府もIAEAに提出した事故報告書に同趣旨のことを記した。
 直接的原因を、実証なしに津波に狭く限定しようとする背景は不明だが、第1部で述べるように、既設炉への影響を最小化しようという考えが東電の経営を支配してきたのであって、ここでもまた同じ動機が存在しているようにも見える。あるいは東電の中間報告にあるように、「想定外」とすることで責任を回避するための方便のようにも聞こえるが、当委員会の調査では、地震のリスクと同様に津波のリスクも東電及び規制当局関係者によって事前に認識されていたことが検証されており、言い訳の余地はない。
 事故の主因を津波のみに限定すべきでない理由として、スクラム(原子炉緊急停止)後に最大の揺れが到達したこと、小規模のLOCA(小さな配管破断などの小破口冷却材喪失事故)の可能性は独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)の解析結果も示唆していること、1号機の運転員が配管からの冷却材の漏れを気にしていたこと、そして1号機の主蒸気逃がし安全弁(SR弁)は作動しなかった可能性を否定できないことなどが挙げられ、特に1号機の地震による損傷の可能性は否定できない。また外部送電系が地震に対して多様性、独立性が確保されていなかったこと、またかねてから指摘のあった東電新福島変電所の耐震性不足などが外部電源喪失の一因となった。
 
  当委員会は、事故の直接的原因について、「安全上重要な機器の地震による損傷はないとは確定的には言えない」、特に「1号機においては小規模のLOCAが起きた可能性を否定できない」との結論に達した。しかし未解明な部分が残っており、これについて引き続き第三者による検証が行われることを期待する(提言7に対応)。 
  
【運転上の問題の評価】
 
 発電所の現場の運転上の問題については、いくつか特記すべきことはあるが、むしろ、今回のようにシビアアクシデント対策がない場合、全電源喪失状態に陥った際に、現場で打てる手は極めて限られるということが検証された。1号機の非常用復水器(IC)の操作及びその後の確認作業の是非については、全交流電源喪失(SBO)直後からの系統確認としかるべき運転操作に迅速に対応できなかった。しかしICの操作に関してはマニュアルもなく、また運転員は十分訓練されていなかった。さらに、本事故においてはおそらく早期のうちにICの蒸気管に非凝縮性の水素ガスが充満し、そのために自然循環が阻害され、ICが機能喪失していたと当委員会は推測している。こうした事情を考慮すれば、単純に事故当時の運転員の判断や操作の非を問うことはできない。
 
 東電の経営陣が耐震工事の遅れ及び津波対策の先送りの事実を把握し、福島第一原発の脆弱性を認識していたと考えられることから、被災時の現場の状態はある程度事前にも想像できたはずである。少なくとも、発電所の脆弱性を補うためにも、シビアアクシデント時に現場で対応する準備を行わせるのは、経営として必要なことであった。東電の本店及び発電所の幹部も、このような状況下で、少なくとも緊急時の現場の対応について準備をすることが必要であった。以上を考えれば、これは運転員・作業員個人の問題に帰するのではなく、東電の組織的問題として考えるべき事柄である。
 
 ベントライン構成についても、電源が喪失し放射線量の高い中でのライン構成作業自体が困難であり、かつ時間がかかるものであった。シビアアクシデント手順書の中の図面も不備であったことが判明しており、見づらい図面を時間に追われつつ、懐中電灯で解明する作業を強いられた。官邸はベントに時間がかかることから東電への不信が高まったとしているが、実際の作業は困難を極めるものであった。
 多重防護が一気に破られ、同時に4基の原子炉の電源が喪失するという中で、2号機の原子炉隔離時冷却系(RCIC)が長時間稼働したこと、2号機のブローアウトパネルが脱落したこと、協力会社の決死のがれき処理が思った以上に進んだことなど、偶然というべき状況がなければ、2、3号機はさらに厳しい状況に陥ったとも考えられる。シビアアクシデント対策がない状態で、直流電源も含めた全電源喪失状況を作り出してしまったことで、既にその後の結果は避けられなかったと判断した。
 
 当委員会は「過酷事故に対する十分な準備、レベルの高い知識と訓練、機材の点検がなされ、また、緊急性について運転員・作業員に対する時間的要件の具体的な指示ができる準備があれば、より効果的な事後対応ができた可能性は否定できない。すなわち、東電の組織的な問題である」と認識する(提言4に対応)。 
  
【緊急時対応の問題】
 
  いったん事故が発災した後の緊急時対応について、官邸、規制当局、東電経営陣には、その準備も心構えもなく、その結果、被害拡大を防ぐことはできなかった。保安院は、原子力災害対策本部の事務局としての役割を果たすことが期待されたが、過去の事故の規模を超える災害への備えはなく、本来の機能を果たすことはできなかった。
 
  官邸は、発災直後の最も重要な時間帯に、緊急事態宣言を速やかに出すことができなかった。本来、官邸は現地対策本部を通じて事業者とコンタクトをすべきとされていた。しかし、官邸は東電の本店及び現場に直接的な指示を出し、そのことによって現場の指揮命令系統が混乱した。さらに、15日に東電本店内に設置された統合対策本部も法的な根拠はなかった。
 
 1号機のベントの必要性については、官邸、規制当局あるいは東電とも一致していたが、官邸はベントがいつまでも実施されないことから東電に疑念、不信を持った。東電は平時の連絡先である保安院にはベントの作業中である旨を伝えていたが、それが経産省のトップ、そして官邸に伝えられていたという事実は認められない。保安院の機能不全、東電本店の情報不足は結果として官邸と東電の間の不信を募らせ、その後、総理が発電所の現場に直接乗り込み指示を行う事態になった。その後も続いた官邸による発電所の現場への直接的な介入は、現場対応の重要な時間を無駄にするというだけでなく、指揮命令系統の混乱を拡大する結果となった。
 
 東電本店は、的確な情報を官邸に伝えるとともに、発電所の現場の技術的支援という重要な役割を果たすべきであったが、官邸の顔色をうかがいながら、むしろ官邸の意向を現場に伝える役割だけの状態に陥った。3月14日、2号機の状況が厳しくなる中で、東電が全員撤退を考えているのではないかという点について、東電と官邸の間で認識のギャップが拡大したが、この根源には、両者の相互不信が広がる中で、東電の清水社長が官邸の意向を探るかのような曖昧な連絡に終始した点があったと考えられる。ただし、①発電所の現場は全面退避を一切考えていなかったこと、②東電本店においても退避基準の検討は進められていたが、全面退避が決定された形跡はなく、清水社長が官邸に呼ばれる前に確定した退避計画も緊急対応メンバーを残して退避するといった内容であったこと、③当時、清水社長から連絡を受けた保安院長は全面退避の相談とは受け止めなかったこと、④テレビ会議システムでつながっていたオフサイトセンターにおいても全面退避が議論されているという認識がなかったこと等から判断して、総理によって東電の全員撤退が阻止されたと理解することはできない。
 
  重要なのは時の総理の個人の能力、判断に依存するのではなく、国民の安全を守ることのできる危機管理の仕組みを構築することである。
 
 当委員会は、事故の進展を止められなかった、あるいは被害を最小化できなかった最大の原因は「官邸及び規制当局を含めた危機管理体制が機能しなかったこと」、そして「緊急時対応において事業者の責任、政府の責任の境界が曖昧であったこと」にあると結論付けた(提言2に対応)。
 
【被害拡大の要因】
 
  事故発災当時、政府から自治体に対する連絡が遅れたばかりではなく、その深刻さも伝えられなかった。同じように避難を余儀なくされた地域でも、原子力発電所からの距離によって事故情報の伝達速度に大きな差が生じた。立地町でさえ、3km圏避難の出た21時23分には事故情報は住民の20%程度しか伝わっていない。10km圏内の住民の多くは15条報告から12時間以上たった3月12日の朝5時44分の避難指示の時点で事故情報を知った。しかしその際に、事故の進展あるいは避難に役立つ情報は伝えられなかった。着の身着のままの避難、多数回の避難移動、あるいは線量の高い地域への移動が続出した。その後の長期にわたる屋内避難指示及び自主避難指示での混乱、モニタリング情報が示されないために、線量の高い地域に避難した住民の被ばく、影響がないと言われて4月まで避難指示が出されず放置された地域など、避難施策は混乱した。当委員会は事故前の原子力防災体制の整備の遅れ、複合災害対策の遅れとともに、既存の防災体制の改善に消極的であった歴代の規制当局の問題点も確認している。
 
 当委員会は、避難指示が住民に的確に伝わらなかった点について、「これまでの規制当局の原子力防災対策への怠慢と、当時の官邸、規制当局の危機管理意識の低さが、今回の住民避難の混乱の根底にあり、住民の健康と安全に関して責任を持つべき官邸及び規制当局の危機管理体制は機能しなかった」と結論付けた(提言2に対応)。 
  
 
【住民の被害状況】
 
 本事故により合計約15万人が避難区域から避難した。本事故の収束作業に従事した中で、100mSv(シーベルト)を超える線量を被ばくした作業員は167 人とされている。福島県内の1800km2もの広大な土地が、年間5mSv以上の積算線量をもたらす土地となってしまったと推定される。被害を受けた広範囲かつ多くの住民は不必要な被ばくを経験した。また避難のための移動が原因と思われる死亡者も発生した。しかも、住民は事故から1年以上たっても先が見えない状態に置かれている。政府は、このような被災地域の住民の状況を十分把握した上で、避難区域の再編、生活基盤の回復、除染、医療福祉の再整備など、住民の長期的な生活改善策を系統的、継続的に打ち出していくべきであるが、縦割り省庁別の通常業務的施策しかなく、住民の目から見ると、いまだに整合性のある統合的な施策が政府から打ち出されていない。
 
 我々が実施したタウンミーティングや1万人を超す住民アンケートには、いまだに進まない政府の対応に厳しい声が多数寄せられている。
 
 放射線の急性障害はしきい値があるとされているが、低線量被ばくによる晩発障害はしきい値がなく、リスクは線量に比例して増えることが国際的に合意されている。年齢、個人の放射線感受性、放射線量によってその影響は変わる。また未解明の部分も残る。一方、政府は一方的に線量の数字を基準として出すのみで、どの程度が長期的な健康という観点からして大丈夫なのか、人によって影響はどう違うのか、今後、どのように自己管理をしていかなければならないのかといった判断をするために、住民が必要とする情報を示していない。政府は住民全体一律ではなく、乳幼児から若年層、妊婦、放射線感受性の強い人など、住民個々人が自分の行動判断に役立つレベルまで理解を深めてもらう努力をしていない。
 
 
 当委員会は、「被災地の住民にとって事故の状況は続いている。放射線被ばくによる健康問題、家族、生活基盤の崩壊、そして広大な土地の環境汚染問題は深刻である。いまだに被災者住民の避難生活は続き、必要な除染、あるいは復興の道筋も見えていない。当委員会には多数の住民の方々からの悲痛な声が届けられている。先の見えない避難所生活など現在も多くの人が心身ともに苦難の生活を強いられている」と認識する。また、その理由として「政府、規制当局の住民の健康と安全を守る意思の欠如と健康を守る対策の遅れ、被害を受けた住民の生活基盤回復の対応の遅れ、さらには受け手の視点を考えない情報公表にある」と結論付けた(提言3に対応)。 
  
 
【問題解決に向けて】
 
 本事故の根源的原因は「人災」であるが、この「人災」を特定個人の過ちとして処理してしまう限り、問題の本質の解決策とはならず、失った国民の信頼回復は実現できない。これらの背後にあるのは、自らの行動を正当化し、責任回避を最優先に記録を残さない不透明な組織、制度、さらにはそれらを許容する法的な枠組みであった。また関係者に共通していたのは、およそ原子力を扱う者に許されない無知と慢心であり、世界の潮流を無視し、国民の安全を最優先とせず、組織の利益を最優先とする組織依存のマインドセット(思いこみ、常識)であった。
 
 当委員会は、事故原因を個々人の資質、能力の問題に帰結させるのではなく、規制される側とする側の「逆転関係」を形成した真因である「組織的、制度的問題」がこのような「人災」を引き起こしたと考える。この根本原因の解決なくして、単に人を入れ替え、あるいは組織の名称を変えるだけでは、再発防止は不可能である(提言45及び6 に対応)。
 
【事業者】
 
 東電は、エネルギー政策や原子力規制に強い影響力を行使しながらも自らは矢面に立たず、役所に責任を転嫁する経営を続けてきた。そのため、東電のガバナンスは、自律性と責任感が希薄で、官僚的であったが、その一方で原子力技術に関する情報の格差を武器に、電事連等を介して規制を骨抜きにする試みを続けてきた。その背景には、東電のリスクマネジメントのゆがみを指摘することができる。東電は、シビアアクシデントによって、周辺住民の健康等に被害を与えること自体をリスクとして捉えるのではなく、シビアアクシデント対策を立てるに当たって、既設炉を停止したり、訴訟上不利になったりすることを経営上のリスクとして捉えていた。
 
 東電は、現場の技術者の意向よりも官邸の意向を優先したり、退避に関する相談に際しても、官邸の意向を探るかのような曖昧な態度に終始したりした。その意味で、東電は、官邸の過剰介入や全 面撤退との誤解を責めることが許される立場にはなく、むしろそうした混乱を招いた張本人であった。
 
 本事故発生後における東電の情報開示は必ずしも十分であったとはいえない。確定した事実、確認された事実のみを開示し、不確実な情報のうち特に不都合な情報は開示しないといった姿勢がみられた。特に2号機の事故情報の開示に問題があったほか、計画停電の基礎となる電力供給の見通しについても情報開示に遅れがみられた。
 
 
 当委員会は「規制された以上の安全対策を行わず、常により高い安全を目指す姿勢に欠け、また、緊急時に、発電所の事故対応の支援ができない現場軽視の東京電力経営陣の姿勢は、原子力を扱う事業者としての資格があるのか」との疑問を呈した(提言4に対応)。
 
 
 【規制当局】
 
 規制当局は原子力の安全に対する監視・監督機能を果たせなかった。専門性の欠如等の理由から規制当局が事業者の虜(とりこ)となり、規制の先送りや事業者の自主対応を許すことで、事業者の利益を図り、同時に自らは直接的責任を回避してきた。規制当局の、推進官庁、事業者からの独立性は形骸化しており、その能力においても専門性においても、また安全への徹底的なこだわりという点においても、国民の安全を守るには程遠いレベルだった。
 
当委員会では「規制当局は組織の形態あるいは位置付けを変えるだけではなく、その実態の抜本的な転換を行わない限り、国民の安全は守られない。国際的な安全基準に背を向ける内向きの態度を改め、国際社会から信頼される規制機関への脱皮が必要である。また今回の事故を契機に、変化に対応し継続的に自己改革を続けていく姿勢が必要である」と結論付けた(提言5に対応)。 
 

【法規制】
 
 日本の原子力法規制は、その改定において、実際に発生した事故のみを踏まえた、対症療法的、パッチワーク的対応が重ねられ、諸外国における事故や安全への取り組み等を真摯に受け止めて法規制を見直す姿勢にも欠けていた。その結果、予測可能なリスクであっても、過去に顕在化していなければ対策が講じられず、常に想定外のリスクにさらされることとなった。
 また、原子力法規制は原子力利用の促進が第一義的な目的とされ、国民の生命・身体の安全が第一とはされてこなかった。さらに、原子力法規制全体を通じての事業者の第一義的責任が明確にされておらず、原子力災害発生時については、第一義的責任を負う事業者に対し、他の事故対応を行う各当事者がどのような活動を行って、これを支援すべきかについての役割分担が不明確であった。
  加えて、諸外国で取り入れられている深層防護の考え方についても、法規制の検討に際し十分に考慮されてこなかった。
 
 
 当委員会では、「原子力法規制は、その目的、法体系を含めた法規制全般について、抜本的に見直す必要がある。かかる見直しに当たっては、世界の最新の技術的知見等を反映し、この反映を担保するための仕組みを構築するべきである」と結論付けた(提言6に対応)。
  


 
以上のことを認識し、教訓とした上で、当委員会としては、未来志向の立場に立って、以下の7つの提言を行う。今後、国会において十分な議論をいただきたい。
 
 なおこの7つの提言とは別に、今後、国会による継続監視が必要な事項を付録として添付した。
 
 
提言 
 
提言1:規制当局に対する国会の監視
 
 国民の健康と安全を守るために、規制当局を監視する目的で、国会に原子力に係る問題に関する常設の委員会等を設置する。
 
1)この委員会は、規制当局からの説明聴取や利害関係者又は学識経験者等からの意見聴取、その他の調査を恒常的に行う。
2)この委員会は、最新の知見を持って安全問題に対応できるよう、事業者、行政機関から独立した、グローバルな視点を持った専門家からなる諮問機関を設ける。
3)この委員会は、今回の事故検証で発見された多くの問題に関し、その実施・改善状況について、継続的な監視活動を行う(「国会による継続監視が必要な事項」として添付)。
4)この委員会はこの事故調査報告について、今後の政府による履行状況を監視し、定期的に報告を求める。
 
提言2:政府の危機管理体制の見直し
 
 緊急時の政府、自治体、及び事業者の役割と責任を明らかにすることを含め、政府の危機管理体制に関係する制度についての抜本的な見直しを行う。
 
1)政府の危機管理体制の抜本的な見直しを行う。緊急時に対応できる執行力のある体制づくり、指揮命令系統の一本化を制度的に確立する。
2)放射能の放出に伴う発電所外(オフサイト)の対応措置は、住民の健康と安全を第一に、政府及び自治体が中心となって、政府の危機管理機能のもとに役割分担を行い実施する。
3)事故時における発電所内(オンサイト)での対応(止める、冷やす、閉じ込める)については第一義的に事業者の責任とし、政治家による場当たり的な指示・介入を防ぐ仕組みとする。

提言3:被災住民に対する政府の対応
 
 被災地の環境を長期的・継続的にモニターしながら、住民の健康と安全を守り、生活基盤を回復するため、政府の責任において以下の対応を早急に取る必要がある。
1)長期にわたる健康被害、及び健康不安へ対応するため、国の負担による外部・内部被ばくの継続的検査と健康診断、及び医療提供の制度を設ける。情報については提供側の都合ではなく、住民の健康と安全を第一に、住民個々人が自ら判断できる材料となる情報開示を進める。
2)森林あるいは河川を含めて広範囲に存在する放射性物質は、場所によっては増加することもあり得るので、住民の生活基盤を長期的に維持する視点から、放射性物質の再拡散や沈殿、堆積等の継続的なモニタリング、及び汚染拡大防止対策を実施する。
3)政府は、除染場所の選別基準と作業スケジュールを示し、住民が帰宅あるいは移転、補償を自分で判断し選択できるように、必要な政策を実施する。
 
提言4:電気事業者の監視
 
 東電は、電気事業者として経産省との密接な関係を基に、電事連を介して、保安院等の規制当局の意思決定過程に干渉してきた。国会は、提言1に示した規制機関の監視・監督に加えて、事業者が規制当局に不当な圧力をかけることのないように厳しく監視する必要がある。
 
1)政府は電気事業者との間の接触について、ルールを定め、それに従った情報開示を求める。
2)電気事業者間において、原子力安全のための先進事例を確認し、その達成に向けた不断の努力を促す相互監視体制を構築する。
3)東電に対して、ガバナンス体制、危機管理体制、情報開示体制等を再構築し、より高い安全目標に向けて、継続した自己改革を実施するように促す。
4)以上の施策の実効性を確保するため、電気事業者のガバナンスの健全性、安全基準、安全対策の遵守状態等を監視するために、立ち入り調査権を伴う監査体制を国会主導で構築する。
  
提言5:新しい規制組織の要件
 
 規制組織は、今回の事故を契機に、国民の健康と安全を最優先とし、常に安全の向上に向けて自ら変革を続けていく組織になるよう抜本的な転換を図る。新たな規制組織は以下の要件を満たすものとする。
 
1)高い独立性:①政府内の推進組織からの独立性、②事業者からの独立性、③政治からの独立性を実現し、監督機能を強化するための指揮命令系統、責任権限及びその業務プロセスを確立する。
2)透明性:①各種諮問委員会等を含めて意思決定過程を開示し、その過程において電気事業者等の利害関係者の関与を排除する。②定期的に国会に対して、全ての意思決定過程、決定参加者、施策実施状況等について報告する義務を課す。③推進組織、事業者、政治との間の交渉折衝等に関しては、議事録を残し、原則公開する。④委員の選定は第三者機関に1次選定として、相当数の候補者の選定を行わせた上で、その中から国会同意人事として国会が最終決定するといった透明なプロセスを設定する。
3)専門能力と職務への責任感:①新しい規制組織の人材を世界でも通用するレベルにまで早期に育成し、また、そのような人材の採用、育成を実現すべく、原子力規制分野でのグローバルな人材交流、教育、訓練を実施する。②外国人有識者を含む助言組織を設置し、規制当局の運営、人材、在り方等の必要な要件設定等に関する助言を得る。③新しい組織の一員として、職務への責任感を持った人材を中心とすべく、「ノーリターンルール」を当初より、例外なく適用する。
4)一元化:特に緊急時の迅速な情報共有、意思決定、司令塔機能の発揮に向けて組織体制の効果的な一元化を図る。
5)自律性:本組織には、国民の健康と安全の実現のため、常に最新の知見を取り入れながら組織の見直しを行い、自己変革を続けることを要求し、国会はその過程を監視する。

提言6:原子力法規制の見直し
 
 原子力法規制については、以下を含め、抜本的に見直す必要がある。
1)世界の最新の技術的知見等を踏まえ、国民の健康と安全を第一とする一元的な法体系へと再構築する。
2)安全確保のため第一義的な責任を負う事業者と、原子力災害発生時にこの事業者を支援する他の事故対応を行う各当事者の役割分担を明確化する。
3)原子力法規制が、内外の事故の教訓、世界の安全基準の動向及び最新の技術的知見等が反映されたものになるよう、規制当局に対して、これを不断かつ迅速に見直していくことを義務付け、その履行を監視する仕組みを構築する。
4)新しいルールを既設の原子炉にも遡及適用すること(いわゆるバックフィット)を原則とし、それがルール改訂の抑制といった本末転倒な事態につながらないように、廃炉すべき場合と次善の策が許される場合との線引きを明確にする。
 
提言7:独立調査委員会の活用
 
 未解明部分の事故原因の究明、事故の収束に向けたプロセス、被害の拡大防止、本報告で今回は扱わなかった廃炉の道筋や、使用済み核燃料問題等、国民生活に重大な影響のあるテーマについて調査審議するために、国会に、原子力事業者及び行政機関から独立した、民間中心の専門家からなる第三者機関として(原子力臨時調査委員会〈仮称〉)を設置する。また国会がこのような独立した調査委員会を課題別に立ち上げられる仕組みとし、これまでの発想に拘泥せず、引き続き調査、検討を行う。
 
提言の実現に向けて
 
 ここに示した7つの提言は、当委員会が国会から付託された使命を受けて調査・作成した本報告書の最も基本的で重要なことを反映したものである。したがって当委員会は、国会に対しこの提言の実現に向けた実施計画を速やかに策定し、その進捗の状況を国民に公表することを期待する。 
 この提言の実現に向けた第一歩を踏み出すことは、この事故によって、日本が失った世界からの信用を取り戻し、国家に対する国民の信頼を回復するための必要条件であると確信する。
 事故が起こってから16カ月が経過した。この間、この事故について数多くの内外の報告書、調査の記録、著作等が作成された。そのいくつかには、我々が意を強くする結論や提案がなされている。しかし、わが国の原子力安全の現実を目の当たりにした我々の視点からは、根本的な問題の解決には不十分であると言わざるを得ない。
 
 原子力を扱う先進国は、原子力の安全確保は、第一に国民の安全にあるとし、福島原子力発電所事故後は、さらなる安全水準の向上に向けた取り組みが行われている。一方、わが国では、従来も、そして今回のような大事故を経ても対症療法的な対策が行われているにすぎない。このような小手先の対策を集積しても、今回のような事故の根本的な問題は解決しない。
 この事故から学び、事故対策を徹底すると同時に、日本の原子力対策を国民の安全を第一に考えるものに根本的に変革していくことが必要である。
 
 ここにある提言を一歩一歩着実に実行し、不断の改革の努力を尽くすことこそが、国民から未来を託された国会議員、国権の最高機関たる国会及び国民一人一人の使命であると当委員会は確信する。
 
 福島原発事故はまだ終わっていない。被災された方々の将来もまだまだ見えない。国民の目から見た新しい安全対策が今、強く求められている。これはこの委員会の委員一同の一致した強い願いである。
 

 
5  IAEAの深層防護(Defence in Depth)。
6  平成13(2001)年9月11日の同時多発テロの後、平成14(2002)年2月にNRC(米国原子力規制委員会)が策定したテロ対策。全電源喪失を想定した機材の備えと訓練を米国の全原子力発電所に義務付けている。
7 これは規制当局が事業者の「虜(とりこ)」となって被規制産業である事業者の利益最大化に傾注するという、いわゆる「規制の虜(Regulatory Capture)」によっても説明できるものである。

事故の概要

 平成23(2011)年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震及び津波を端緒として、東京電力株式会社(以下「東電」という)の福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という)は、国際原子力事象評価尺度(INES)8 で「レベル7」という極めて深刻な事故を引き起こした。
  地震発生時、福島第一原発は、1号機が定格電気出力一定で運転中、2号機、3号機は定格熱出力一定で運転中、4〜6号機は定期検査中であった。運転中であった1〜3号機は地震発生直後に自動的にスクラム(原子炉緊急停止)した。
  この地震動で、東電新福島変電所から福島第一原発にかけての送配電設備が損傷し、全ての送電が停止した。また、東北電力の送電網から受電する66kV 東電原子力線が予備送電線として用意されていたが、1号機金属閉鎖配電盤(M/C)に接続するケーブルの不具合のため、同送電線から受電することができず、外部電源を喪失してしまった。 
 その後、地震動を起因として発生した津波により、非常用ディーゼル発電機(D/G)や冷却用海水ポンプ、配電系統設備、1号機、2号機、4号機の直流電源などが水没して機能不全となり、6号機の空冷式非常用ディーゼル発電機1台を除く全ての電力供給機能が失われた。すなわち1号機、2号機、4号機の全電源喪失及び3号機、5号機の全交流電源喪失(SBO)が生じた。そして、3号機は、直流電源のみ辛うじて残ったものの、3月13日未明には放電し全電源喪失となった。
   一方、地震や津波の被害による影響は、電源に対してのみにとどまらなかった。すなわち、津波は、がれきや車両、重機、重油タンク、土砂等を伴って原子力発電所の建屋や機器・設備を破壊した。また、3、4号機超高圧開閉所や運用補助共用施設(共用プール建屋)にまで津波が及び、主要建屋エリア全体にわたって大量の海水が流れ込んだ。津波が去った後も、津波漂流物が原子力発電所構内に散乱し、車両の通行や資機材搬入作業を妨げるとともに、マンホールやグレーチング等のふたを吹き上げて開口部を作り、地震による発電所構内道路の隆起、沈降、陥没と相まって、アクセス性が著しく悪化した。また、継続的に発生する大規模な余震や津波は、それへの警戒と断続的な作業中止を余儀なくさせ、円滑な事故対応を阻害する一因であった。さらに、電源喪失によって、中央制御室 9 での計装や監視、制御といった中央制御機能、発電所内の照明、通信手段を一挙に失った。
  そのため、有効なツールや手順書もない中、現場運転員たちによる臨機の判断、対応に依拠せざるを得ず 10、まさに手探りの状態での事故対応となった。
  電源喪失によって、適時かつ実効的な原子炉冷却も著しく困難になっていた。原子炉冷却、すなわち、高圧注水や原子炉減圧、低圧注水、格納容器冷却と減圧、最終ヒートシンクへの崩壊熱除去といった、事故回避へ向けた各ステップの実行とその成否は、電源の存在に強く依存しているためである。また、前述した発電所構内のアクセス性の悪化は、消防車による代替注水や電源復旧、格納容器ベントのライン構成及びそれらの継続的な運用において、大きな障害になった。
詳細は調査報告の本文に詳しく述べるが、結果的に、放射性物質を大量に外部環境に放出する大事故に至った。





本文の要旨

1部 事故は防げなかったのか?

 第1部では、平成23(2011)年3月11日の東北地方太平洋沖地震が発生した段階で、福島第一原子力発電所が地震にも津波にも耐えられない状態であったこと、またシビアアクシデント(過酷事故)にも対応できない状態であったこと、その理由として東京電力株式会社あるいは規制当局がリスクを認識しながらも対応をとっていなかったこと、そしてそれが事故の根源的な原因であること、すなわち、これらの点が適正であったならば今回の事故は防げたはずであること、を検証する。

1.1 本事故直前の地震に対する耐力不足

平成23(2011)年3月11日の東北地方太平洋沖地震発生時の福島第一原子力発電所(福島第一原発)は、大津波に耐えられないばかりでなく、強大で長時間の地震動にも耐えられるとは保証できない状態だった。1〜3号機の設置許可申請がなされた昭和40年代前半は地震科学が未熟であり、敷地周辺の地震活動は低いと考えられた。そのために、原発の耐震設計において安全機能保持を確認すべき地震動(揺れ)の最大加速度はわずか265Gal(Galは加速度の単位)で、耐震性能は著しく低かった。

  昭和56(1981)年に「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」が原子力安全委員会によって決定され、平成18(2006)年に大きく改訂された(新指針)。経済産業省原子力安全・保安院(保安院)は直ちに全国の原子力事業者に対して、新指針に照らした既設原発の耐震安全性評価(耐震バックチェック)の実施を求めた。東京電力株式会社(東電)は、平成20(2008)年3月に福島第一原発5号機の耐震バックチェック中間報告を提出し、耐震設計の基準地震動Ssを600Galとして、それに対して耐震安全性が確保されるとした。保安院はこれを妥当としたが、原子炉建屋のほかに耐震安全性を確認したのは、安全上重要な多数の機器・配管系のうち、わずか7設備にすぎなかった。

  1〜4号機と6号機についても平成21(2009)年に中間報告を提出したが、耐震安全性を確認した設備が極めて限定的だったのは5号機と同様である。東電は、これ以後、耐震バックチェックをほとんど進めていなかった。最終報告の期限を平成21(2009)年6月と届けていたにもかかわらず、社内では最終報告提出予定を平成28(2016)年1月に延ばしていた。さらに、評価の計算の途中結果等から、新指針に適合するためには多数の耐震補強工事が必要であることを把握していたにもかかわらず、1〜3号機については東北地方太平洋沖地震発生時点でもまったく工事を実施していなかったことが、本調査によって明らかになった。一方、保安院も、耐震補強工事を含む耐震バックチェッ クを急ぐ必要性を認識していたが、東電の対応の遅れを黙認していた。

  東電と保安院は、本事故後の解析・評価によって、5号機の安全上重要な配管本体及び配管サポートに耐震安全性が確保されていない箇所があることを確認している。それらについて東電は、現地で目視調査をしたところ有意な損傷がなかったとしているが、非破壊検査等の詳細調査はなされておらず、地震動による破損がなかったとは何ら結論できない。さらに、5号機よりも古い1〜3号機、特に設計が大きく異なる1号機で地震動による損傷がなかったかどうかについては何も言えない。「第2部(2.2.1)」で述べるように、東北地方太平洋沖地震による福島第一原発の地震動は基準地震動Ssを上回るものだった。ところが、そのような地震動に耐えられるような補強がほとんど行われずに、耐震脆弱性を抱えたまま、3.11を迎えることになったのである。


1.2 認識していながら対策を怠った津波リスク

福島第一原発は40年以上前の地震学の知識に基づいて建設された。その後の研究の進歩によって、建設時の想定を超える津波が起きる可能性が高いことや、その場合すぐに炉心損傷に至る脆弱性を持つことが、繰り返し指摘されていた。しかし、東電はこの危険性を軽視し、安全裕度のない不十分な対策にとどめていた。

  平成18(2006)年の段階で福島第一原発の敷地高さを超える津波が到来した場合に全交流電源喪失に至ること、土木学会手法による予測を上回る津波が到来した場合に海水ポンプが機能喪失し炉心損傷に至る危険があるという認識は、保安院と東電との間で共有されていた。
 
  改善が進まなかった背景には少なくとも3つの問題がある。第一は、保安院が津波想定の見直し指示や審査を非公開で進めており、記録も残しておらず、外部には実態が分からなかったこと。第二は、津波の高さを評価する土木学会の手法の問題である。この手法は電力業界が深く関与した不透明な手続きで策定されたにもかかわらず、保安院はその内容を精査せず、津波対策の標準手法として用いてきた。第三としては、恣意的な確率論の解釈・使用の問題がある。東電は不公正な手続きで算出された低い津波発生頻度を根拠として、対策を施さないことを正当化しようとしていた。一方で津波の確率論的安全評価が技術的に不確実であるという理由で実施せず、対策の検討を先延ばしにしていた。
 
  東電の対応の遅れは保安院も認識していたが、保安院は具体的な指示をせず、バックチェックの進捗状況も適切に管理監督していなかった。

  今回重大な津波のリスクが看過された直接的な原因は、東電のリスクマネジメントの考え方にある。科学的に詳細な予測はできなくても、可能性が否定できない危険な自然現象は、リスクマネジメントの対象として経営で扱われなければならない。新知見で従来の想定を超える津波の可能性が示された時点で、原子炉の安全に対して第一義的な責任を負う事業者に求められるのは、堆積物調査等で科学的根拠をより明確にするために時間をかけたり、厳しい基準が採用されないように働きかけたりすることではなく、早急に対策を進めることであった。
  

1.3 国際水準を無視したシビアアクシデント対策

日本におけるシビアアクシデント対策(SA対策)はいずれも実効性に乏しいものであった。日本は自然災害大国であるにもかかわらず、地震や津波といった外部事象を想定せず、運転上のミスあるいは設計上のトラブルといった内部事象のみを想定したSA対策を行ってきた。

  日本では、SA対策は検討開始当初より自主対策とされてきた。平成3(1991)年の原子力安全委員会の共通懇において「アクシデントマネジメント(AM)は、原子炉設置者の『技術的能力』、いわゆる『知識ベース』に依拠するもので、現実の事態に直面しての臨機の処置も含む柔軟なものであって、安全規制によりその具体的内容が要求されるものではない」と明記されている。
 
  自主対策では、規制要件上の工学的安全設備のように高い信頼性が、SA対策設備に求められない。そのため、従来の安全設備が機能できない事故時に必要なSA対策設備にもかかわらず、その安全設備よりも、そもそも耐力が低く、先にSA対策設備が機能を失う可能性が高いという矛盾を抱えた、実効性の乏しい対策となっていた。またその検討、整備も海外に比べて大きく遅れるものとなった。
 
  事業者の自主的な対応であることは、事業者が電気事業連合会(電事連)を通じて、規制当局に積極的に働きかけを行う余地を生じさせた。特に、海外の動向を受けた平成22(2010)年ごろからの規制当局のSA規制化の流れに当たっては、積極的な働きかけを行ってきた。事業者から規制当局への折衝方針には、繰り返し、訴訟上問題とならないこと、及び既設炉の稼働率低下につながらぬようバックフィットが行われないことが挙げられている。このようにして確率は低いが壊滅的な事象を引き起こす事故シナリオへの対応がなされていなかったのである。
 
 2部 事故の進展と未解明問題の検証     
 
 第1部で見てきたように、東電の経営陣は福島第一原発の耐震工事が進んでおらず、また津波による溢水対策もされていない状況を把握していたと考えられる。それだけでなく、事前の過酷事故対策は限定的であった。
  電源系統の多重性、多様性、独立性は機能しなかった。具体的には、所内電源系統は複数の機器・設備が同じ場所に設置されている場合が多く見られた。たとえば、1号機では全ての常用金属閉鎖配電盤(M/C)と非常用M/C、常用パワー・センター(P/C)がタービン建屋1階に設置されていた。電源系統の上流と下流に位置する機器・設備は同一場所又は隣接場所に設置されていた。3号機では全ての常用M/Cと非常用M/C、常用P/C、非常用P/C、非常用ディーゼル発電機が隣接するタービン建屋とコントロール建屋の地下1階に位置していた。外部送電系統は7回線あったが送電鉄塔は3ルートで、しかも、東電新福島変電所又は東電新いわき開閉所、及び東北電力富岡変電所からの送電機能を失うだけで全号機が外部電源喪失となる状況であった。また本事故においては、通常の全交流電源喪失(SBO)では仮定していない直流電源も失われた。
  中央制御機能や照明、通信手段の喪失、津波漂流物あるいは道路の破壊による発電所外からの資材調達の困難さ、余震等、想定を超える状況により現場の作業は困難を極めた。過酷事故対策に不備があり非常用復水器(IC)を含めてこのような状況下でのマニュアルも事前準備もなく、運転員、作業員の対応についての訓練も十分にはなされていなかった。またベントについても図面が不十分であった。東電の組織的な問題と捉えるべきである。
  1、3、4号機で水素爆発が起こり、2号機においては格納容器の破損が生じたと推測される。他方、5、6号機では炉心損傷が回避された。しかし、2、3号機にはさらに悪い状況が起こり得たこと、4号機は使用済み燃料プールの損壊による広域の被害の可能性があったこと、5号機やほかの原子力発電所も少しの状況悪化で暗転していた可能性もあったことから、今回の事故はさらに被害拡大の可能性を含んだ巨大事故であることが検証された。また、原子炉パラメータによる分析によっても、現在の炉心の状態は把握できない。事故自体まだ収束していないことには十分な注意が必要であろう。
   この事故により、大規模災害における多重性、多様性、独立性の重要性、複数ユニット又は互いに近接する原子力発電所の相互作用の問題点、同時多発事故への備えの必性等、これまで真剣に考えられていなかった過酷事故対応の問題点も明らかになった。
 

2.2 いくつかの未解明問題の分析又は検討

  本事故は、地震及び地震に誘発された津波という自然現象に起因するが、事故が実際にどのように進展していったかに関しては、重要な点において解明されていないことが多い。その大きな理由の一つは、本事故の推移と直接関係する重要な機器・配管類のほとんどが、この先何年も実際に立ち入ってつぶさに調査、検証することのできない原子炉格納容器内部にあるからである。しかし東電は、事故の主因を津波とし、「確認できた範囲においては」というただし書きはあるものの、安全上重要な機器で地震により損傷を受けたものはほとんど認められない、と中間報告書に明記し、政府もIAEA(国際原子力機関)に提出した事故報告書に、同趣旨のことを記している。当委員会は、可能な「原因となり得る要素」を意図的に取捨することなく、安易な対策でよしとする結論を導くことがないよう慎重に調査、ヒアリングを行った。事故原因との関連では、特に以下について、今後規制当局や東電による実証的な調査、検証が必要であると認識した。
1) スクラム(原子炉緊急停止)の約30秒後に激しい揺れが襲い、50秒以上揺れが続いた。したがって「止める」機能が働いたからといって原子力発電所が地震動で無事だったとはいえない。基準地震動に対するバックチェックと耐震補強がほとんど未了であった事実を考え合わせると、本地震の地震動は安全上重要な設備を損傷させるだけの力を持っていたと判断される。
 
2) 本地震発生直後に大規模な「冷却材喪失事故」(LOCA)が起きていないことは、津波襲来までの原子炉の圧力、水位の変化から明白である。しかし、保安院が取りまとめた「技術的知見について」で独立行政法人原子力安全基盤機構(JNES)が公表しているように、配管の微小な貫通亀裂から冷却材が噴出する小規模のLOCAの場合、原子炉の水位、圧力の変化は、亀裂がない場合とほとんど変わらない。このような小規模のLOCAでも10時間ほど放置すると数十トンの冷却材が喪失し、炉心損傷や炉心溶融に至る可能性がある。
 
3)事故の進展を決定的に悪化させた非常用交流電源の喪失について、東電の中間報告書はもちろん、東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(政府事故調)の中間報告書、保安院の「技術的知見について」など全てが「津波による浸水が原因」とし、津波第1波は15時27分ごろ、第2波は15時35分ごろとしている。しかしこれらの時刻は、沖合1.5kmに設置された波高計の記録上の第1波、第2波の時刻であり、原子力発電所への到着時刻ではない。そうすると、少なくとも1号機A系の非常用交流電源喪失は、津波によるものではない可能性があることが判明した。全交流電源喪失は津波による浸水と断定する前に、このような基本的な疑問に対する筋の通った説明が必要である。
 
4) 地震発生当時、1号機原子炉建屋4階で作業していた東電の協力企業社員数人が、地震直後に同階で起きた出水を目撃していた。この4階には非常用復水器ICの大型タンク2基が設置され、IC配管等が取り回されている。本委員会は、出水が5階の使用済み燃料貯蔵プールの地震時のスロッシングによる溢水でないことをほぼ断定しているが、現場調査ができないため、出水元は不明である。
 
5) 1号機のIC(A、B2系統)は、14時52分に自動起動したが、自動起動からわずか11分後、1号機の運転員はICを2系統とも手動で停止した。この手動停止に関して、東電は一貫して、「操作手順書で定める原子炉冷却材温度変化率55℃/hを順守できないと判断」したからと説明してきた。また政府事故調の報告書にも政府の IAEAへの報告書にもそのように記された。しかしICの手動停止に関わった複数の運転員から、原子炉圧力の降下が速いのでIC系配管や他の配管から冷却材が漏れていないかどうかを確認するためICを止めた、との説明を得た。運転員の説明は合理的で判断は適切であるのに対して、東電の説明は合理性を欠いていると考えられる。
 
6) 1号機の逃がし安全弁(SR弁)に関しては、事故時、必要なときにそれが実際に作動したことを裏づける弁開閉記録が存在しない(2、3号機には存在する)。さらに、2号機の場合は、中央制御室や現場でSR弁の作動音が頻繁に聞こえたが、1号機の運転員の中に1号機のSR弁の作動音を耳にした者は一人もいないことも分かった。以上から、実は1号機のSR弁は作動しなかったのではないかという疑いが生まれる。もしそうであれば、1号機では地震動による小規模のLOCAが起きていた可能性がある。
 
3部 事故対応の問題点
 
  第3部では、東京電力、政府、官邸、福島県それぞれの、事故の初動及びその後の進展過程における対応を通じて、事業者のガバナンス、住民の防護対策、危機管理体制及び情報開示について、その実態と問題点を検証する。

3.1 事業者としての東電の事故対応の問題点

東電の事故対応には、さまざまな問題があった。

  第一に、事故時に会長と社長がそろって不在であった点を指摘できる。原子力災害への備えとして本来あってはならないことであり、実際に2人の不在は、ベントや海水注入など深刻な経営判断を迫られる局面で連絡や相談に余計な負荷をかける結果となっており、初動における迅速な事故対応の妨げになった可能性は否定できない。
 
  第二に、シビアアクシデント対策が機能せず、緊急時のマニュアルも役に立たなかった点を指摘できる。事故時の運転手順書は炉の状態をパラメータ監視できることを大前提としており、今回のような長時間の全電源喪失といった事態において十分機能する内容とはなっていなかった。
 
  第三は、緊急時の指揮命令系統の混乱である。通常の保安院とのコミュニケーションのチャネルが、保安院ERC(経済産業省緊急時対応センター)、オフサイトセンターの機能不全もあって十分に活用できなかった。特に1号機のベントに際しては、現場の困難な状況を官邸及び保安院に十分伝えられず、事業者と官邸との間に不信感を生み出してしまった。首相が事故現場に出向いて行ってベントの指示をするという前代未聞の事態は、現場の時間を無駄にするだけでなく、その後の事業者、規制当局、官邸の指揮命令系統の混乱の原因となった。本店が当初から現場の状況を把握し、事故対応に追われる現場に代わって、関係各所に現場の過酷な状況について理解を求めるよう積極的に対応していれば、不信感と行き違いを緩和できた可能性はある。この点でも、初動時に政府と太いパイプを持つ社長や会長が不在であったことの影響は大きい。
 
  第四に、本店側が技術的な援助ができなかった点を指摘できる。吉田昌郎福島第一原発所長(吉田所長)は、2号機が深刻な事態に陥った際、武藤栄東電代表取締役副社長(武藤副社長)に技術的なアドバイスを求めたが、武藤副社長はオフサイトセンターからの移動中だったために対応できなかった。一方、技術面での初歩的な質問が官邸側から吉田所長に直接投げかけられる状態を放置するとともに、現場の判断と背反する安全委員会班目春樹委員長(班目委員長)の指示を社長が是認するなど、現場の第一線を支援する意識も体制も整っていなかった。
 
  第五に、東電に染みついた特異な経営体質(エネルギー政策や原子力規制に強い影響力を行使しながらも、自らは矢面に立たず、役所に責任を転嫁する黒幕のような経営体質)が事故対応をゆがめた点を指摘できる。いわゆる「全面撤退」問題や官邸の過剰介入問題は、その象徴的出来事であった。①発電所の現場は全面退避を一切考えていなかったこと、②東電本店においても退避基準の検討は進められていたが、全面退避が決定された形跡はなく、清水社長が官邸に呼ばれる前に確定した退避計画もまた緊急対応メンバーを残して退避するといった内容であったこと、③当時、清水社長から連絡を受けた保安院長は全面退避の相談とは受け止めなかったこと、④テレビ会議システムで繋がっていたオフサイトセンターにおいても全面退避が議論されているという認識がなかったこと等から判断して、全面撤退は官邸の誤解であり、総理によって東電の全員撤退が阻止されたと理解することはできない。しかしながら、官邸に誤解が生じた根本原因は、民間企業の経営者でありながら、自律性と責任感に乏しい上記のような特異な経営を続けてきた清水社長が、極めて重大な局面ですら、官邸の意向を探るかのような曖昧な連絡に終始した点に求められる。その意味で、東電は、官邸の誤解や過剰介入を責められる立場にはなく、むしろそうした事態を招いた張本人であると言わなければならない。
 
3.2 政府による事故対応の問題点
 
今回の事故において、政府の事故対応体制は、その本来の機能を果たすことができなかった。この背景として、地震・津波の影響によって、通信・交通などのインフラや、整備してきた災害対策のためのツールが使えなくなったことが大きな影響を及ぼしていた。政府の事故対応体制の要は、原子力災害対策本部(原災本部)、原災本部事務局、原子力災害現地対策本部(現地対策本部)である。原災本部及びその事務局は、原子力施設の状況把握や住民の防護対策のための連絡調整をつかさどることになっていたが、その役割を担えたとは言えない。官邸が事故対応を主導していったことに加えて、原災本部事務局では、事故の進展や対応の進捗に関する情報収集・共有の機能不全に陥ったことが大きく影響を及ぼした。また、現地対策本部でも、避難指示をはじめとする現場での事故対応にイニシアチブを取れなかった。これは、地震・津波と原発事故との同時発生や、事故の長期化・重篤化を想定した上での備えがなかったためであった。
 
  一方、これら要の組織を支援すべき組織を見ると、官邸対策室では、緊急参集チームを中心に、地震・津波と原発事故に同時並行で対応し、混乱が見られたものの、関係機関の総合調整や意思決定を迅速に進めた。しかし、組織としての助言を提供できなかった安全委員会や、放射能拡散状況の把握に当たって、用意してきたツールやシステムを生かしきれず、モニタリングデータの共有も不完全であった文部科学省には多くの問題があった。
 
  また、急速進展する事象への対応では、各種情報をリアルタイムで共有することが不可欠である。政府は、官邸と関係機関を結ぶテレビ会議システムを用意していたが、本事故では、官邸はその端末を起動させた形跡がなく、官邸と関係機関との情報共有には全く活用されなかった。東電は、独自の社内テレビ会議システムをオフサイトセンターに持ち込んで、本店と発電所の間で盛んに活用した。この東電の社内テレビ会議システムを政府のテレビ会議システムに加えて使うことで、特に初動時の情報共有がリアルタイムで進んだ可能性があるが、それも行われなかった。
  さらに、本事故では、事故対応に関する重要な記録が作成されていなかったことが判明した。原災本部などでは事故当時、議事録が作成されず、また、官邸5階で行われた重要な意思決定についても記録が残されていなかった。大規模災害では、将来の参考にするための記録を残すことを検討すべきである。
 
3.3 官邸が主導した事故対応の問題点
 
政府の事故対応体制が本来の機能を果たせず、かつ事態が急速に深刻化する中で、総理を中心とする官邸政治家が事故対応を主導する体制が出来上がった。
 
  政府は、東電から原子力災害対策特別措置法15条該当事象の通報を受けてから、政府の事故対応体制起動の大前提になる原子力緊急事態宣言を出すまでに2時間強を要し、初動から問題点を残した。総理は、緊急事態宣言の発出が全ての事故対応の前提になることを十分理解しておらず、周囲もこれを十分に説明できなかった。総理をはじめとする官邸の政治家は、本来、初動対応を担う危機管理センターが地震・津波への対応で手いっぱいと考え、官邸5階の総理執務室等を拠点に、急進展する事故への対応を自ら主導して進めていった。
 
  官邸5階には、保安院幹部、安全委員会委員長、東電関係者らが助言者として集められたが、これらの関係者は官邸政治家の説明要求を満たせず、官邸政治家たちは不信感を募らせていった。その後の1号機の爆発を契機にこの不信感は頂点に達し、官邸政治家が前面に立つ事故対応の体制が形成されることとなった。
 
  官邸5階は、ベントや海水注入について、東電はじめ関係者が実施を合意し、対応しているにもかかわらず、その情報を把握できないまま介入し、混乱を引き起こした。12日早朝には、情報不足への焦りから、総理が現地視察を行った。2号機の状況の悪化を受けた東電による現場からの退避の申し入れに対しては、総理が東電社長を官邸に呼び出してこれを拒絶し、その後、東電本店に政府・東電の福島原子力発電所事故対策統合本部が設置されることとなった。
 
  このような中で官邸は、安全委員会以外からも助言を受けようと、原子力の専門家から成る助言チームの立ち上げや、総理の個人的な人脈で参与の起用などを行ったが、それがどう事故対応に生かされたのかは明らかではない。
 
  避難区域の決定も官邸5階が主導した。本来、避難指示案の作成を担うべき原子力災害現地対策本部が機能せず、原子力災害対策本部事務局の対応も遅れる中で、官邸5階から避難指示が出された。しかし、避難区域の決定の根拠は乏しく、政府内各機関との連携が不足していた、避難のオペレーションの検討が不足していた、住民への説明が不十分であったなどの問題があり、現場に混乱を生じさせる結果となった。
 
3.4 官邸及び政府(官僚機構)の事故対応に対する評価
 
地震・津波と同時に発生した今回の事故に当たり、人的にも時間的にも厳しい状況下で、政府関係者が寝食を忘れて対応したことには深い敬意を払わねばならない。その上で、事故対応の教訓を将来の日本の危機管理体制に生かすために、本章では、「3.2」と「3.3」で述べた官邸及び政府(官僚機構)の事故対応に対する評価を行う。事故対応を主導した官邸政治家について指摘しなければならない点は、特に2点である。
 
  第一は、真の危機管理意識が不足し、また、官邸が危機において果たすべき役割についての認識も誤っていたという点である。東電の撤退問題は、全員撤退か一部退避かという、官邸と東電間の意思疎通の不徹底が注目されてきたが、東電が退避の了解を求めるほど、原子炉が予断を許さない深刻な状況であった、ということでもある。このような状況下では、全員撤退が必要な事態に至る可能性を真剣に検討し、これに備えて、住民避難等の住民の防護対策に政府の総力を結集することこそ、官邸の役割であったのではないか。ベント、海水注入などの東電自身が対処すべき事項に関与し続けながら、一転して、東電社長の「撤退は考えておりません」という一言で発電所の事故収束を東電に任せ、他方で、統合対策本部を設置してまで介入を続けた官邸の姿勢は、理解困難である。
 
  第二に指摘すべきは、総理の福島第一原発の視察も含めた官邸の直接介入が、指揮命令系統の混乱、現場の混乱を生じさせた点である。その主要因は、総理の福島第一原発の視察を契機として、官邸と福島第一原発や東電本店との間に、福島第一原発→東電本店→保安院→官邸(原災本部)という本来のルートとは異なる情報伝達ルートが作られたことであった。これにより、東電は保安院への情報伝達だけでなく、官邸への対応も求められることになった。これが、急進展する事象に対処する東電、特に福島第一原発の現場の混乱に拍車をかけたことは否めない。官邸政治家は、発電所外(オフサイト)における住民の防護対策に全力を尽くすべき官邸・政府の役割を認識せず、第一義的に事業者が責任を負う発電所内(オンサイト)の事故対応への拙速な介入を繰り返した。その結果、東電の当事者意識を希薄にさせた。一方、保安院等の官僚機構については、情報を収集、整理し、それらを原災本部等に意思決定の材料として提供する、という役割が定められていた。しかし、官僚機構は、平常時の意識にとらわれて受動的な姿勢に終始した上、縦割り意識からも脱することができずに、その役割を果たせなかった。危機に直面したときに国民の安全を守るために臨機応変に対応するべく、官僚は平常時から緊急時を見据えた危機意識を持つとともに、訓練によって危機管理能力を培っていくべきである。
 
3.5 福島県の事故対応の問題点
 
  福島県の原子力防災体制は、原子力災害と地震・津波災害とは同時発生しない、という前提に基づいたものであった。このため、地震・津波にも襲われた今回の事故では、初動の対応体制立ち上げ自体に大きな困難を伴った。本事故の発生以降、福島県と政府は相互の動向を把握していなかった。危機感を募らせた福島県が、過去の防災訓練の経験から独自の判断で福島第一原発から半径2㎞圏内の住民に避難指示を出し、その30分後に政府が半径3㎞圏内の住民に避難指示を出す事態に至った。福島県は、上記の避難指示を住民に周知するよう努めたが、防災行政無線の回線不足や地震・津波による通信機器の損壊によって、住民への情報伝達は困難を極めた。
  また、福島県では緊急時モニタリング実施に必要な資機材の不備から、迅速な緊急時モニタリングを実施できなかった。モニタリングポストは、津波による流失や地震による通信回線の切断により、発災当初に正常に機能したのは24カ所中1カ所のみであった。可搬型モニタリングポストは、3月15日までは通信網の障害で使用できなかった。モニタリングカーは、燃料不足から十分に活用できなかった。
 
3.6 緊急時における政府の情報開示の問題点
 
政府は本事故に関するプレス発表について、速報性よりも正確性を重視していた。枝野官房長官は、情報開示について「確実な情報だけをしっかりとスピーディーに報告する」という方針を示す一方で、「万が一の悪い方向での可能性のある事象はできるだけ早い段階で報告をするよう努めたい」とも述べている。政府は、事故の発生当初、情報の確実性を十分に確認できない中、確実であると確認された情報のみを発信するという対応に終始し、かつ官邸政治家、関係省庁及び東電の間で情報の公表方法に関する意思疎通も不十分であった。結果として、住民の安全を守るという視点で最悪事態への進展を想定し、これに備えた情報開示をすることはなかった。住民アンケート調査によれば、原発周辺の5町であっても、3月12日5時44分ごろに福島第一原発から半径10㎞圏内を対象にした避難指示が出た際に、事故発生を知っていた住民は20%にすぎなかった。
 また、事故当時、政府は住民に対して、放射性物質の放出等による影響について、「万全を期すため」「万が一」「直ちに影響は生じない」といった、安心感を抱かせるような表現で説明した。しかし、住民の側から見ると、避難が必要だということは十分説明されておらず、また、なぜ直ちに影響は生じないのか、という根拠も明確ではなく、住民はさまざまな不安を持っていた。情報発信は、受け手側がどう受け止めるかを常に念頭に置いて行われる必要があるが、今回の事故における政府の情報公表は、この点が不十分であった。
 
  さらに、今回の事故では、公表の要否や内容に関して一貫した判断がなされなかったために、国民の不信感を招いた。国民の生命・身体の安全に関する情報は、迅速に広く伝える必要がある。仮に不確実な情報であっても、政府の対応の判断根拠となった情報は公表を検討する必要がある。また、緊急時の政府の広報体制の在り方についても基本方針を決めておく必要がある。
  
 
4部 被害状況と被害拡大の要因     
 
   第4部では、発災後の政府の決断、方針、施策、伝達が、住民の側からどのように見えたのか、受け止められたのか、そして、適切な住民の避難及び避難生活にどれほど資することができたのかを、住民の視点に立って検証する。
 
4.1 原発事故の被害状況
 
本事故の結果、ヨウ素換算でチェルノブイリ原発事故の約6分の1に相当するおよそ900PBq(ペタベクレル)の放射性物質が放出された。これにより、福島県内の1800km2もの広大な土地が、年間5mSv以上の空間線量を発する可能性のある地域になった。
 
  住民は、自分たちがどれだけの量の放射線にさらされたかということに大きな不安を持っているが、一人一人状況が違うため、個々人の具体的な被ばく量は明確にはわからない。そのため住民の具体的被ばく量は推計する以外に方法はないが、一例として、福島県の県民健康管理調査において、一部の地域の住民について個々人の行動記録から推計したデータがある。そのうち、先行調査が行われた比較的高線量地域の3町村の、放射線業務従事経験者を除いた住民約1万4000人の事故後4カ月間の外部被ばく積算実効線量推計の値は、平成24(2012)年6月発表のデータによれば、1mSv未満が57.0%、1mSv以上10mSv未満が42.3%、10mSv以上が0.7%であった。総じて数値は低いが、それでも住民の不安はきわめて根強い。政府はきめ細かな調査を徹底して継続すべきである。
 
4.2 住民から見た避難指示の問題点
 
当委員会の調査によって、住民の多くが、避難指示が出るまで原子力発電所の事故の存在を知らなかったことが判明した。
 
  また、事故が発生し、被害が拡大していく過程で避難区域が何度も変更され、多くの住民が複数回の避難を強いられる状況が発生した。この間、住民の多くは、事故の深刻さや避難期間の見通しなどの情報を含め、的確な情報を伴った避難指示を受けていない。
 
  政府の避難指示によって避難した住民は約15万人に達した。正確な情報を知らされることなく避難指示を受けた原発周辺の住民の多くは、ほんの数日間の避難だと思って半ば「着の身着のまま」で避難先に向かったが、そのまま長期の避難生活を送ることになった。
  しかも、事故翌日までに避難指示は3km圏、10km圏、20km圏と繰り返し拡大され、そのたびに住民は、不安を抱えたまま長時間、移動した。その中には、後に高線量であると判明する地域に、それと知らずに避難した住民もいた。20km圏内の病院や介護老人保健施設などでは、避難手段や避難先の確保に時間がかかったこともあり、3月末までに少なくとも60人が亡くなるという悲劇も発生した。
 
 また、3月15日には20〜30km圏の住民に屋内退避が指示されたが、その長期化によってライフラインがひっ迫し、生活基盤が崩壊した。それを受けて3月25日には、被害状況と被害拡大の要因同圏の住民に自主避難が勧告された。政府は、住民に判断の材料となる情報をほとんど提供していない中、避難の判断を住民個人に丸投げしたともいえ、国民の生命、身体の安全を預かる責任を放棄したと断じざるをえない。
  さらには、30km圏外の一部地域では、モニタリング結果や、3月23日に開示されたSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の図形によって比較的高線量の被ばくをした可能性が判明していたにもかかわらず、政府原子力災害対策本部(以下「原災本部」という)が迅速な意思決定をできず、避難指示が約1カ月も遅れた。
  「着の身着のまま」の避難、複数回の避難、高線量地域への避難、病院患者等避難に困難を伴う住民への配慮に欠けた避難などにより、住民の不満は極度に高まった。
  当委員会が実施した住民に対するアンケート調査においても、回答欄に加えて、余白や裏面、封筒、さらには別紙を添付して、混乱を極めた避難の状況や現在の困窮、将来に向けた要望が詳細に記述されており、その思いの強さが感じられた。
 

4.3 政府の原子力災害対策の不備

  事故前に原子力防災対策のための数々の課題が挙げられていたにもかかわらず、規制当局による防災対策の見直しは行われず、結果としてこれらの対応の遅れが、今回の事故対応の失敗の一因につながった。
  安全委員会は平成18(2006)年に、国際基準となっている防護措置実施の考え方を取り入れるべく、防災指針の見直しについての検討を始めた。しかし、保安院は、国際基準の導入がかえって住民の不安を募らせると考えた上、住民の不安がプルサーマル計画推進に影響が出ることも懸念していた。保安院の懸念に対して、安全委員会は住民の防護に役立つという説明が十分できぬまま、国際基準の導入は実質的に見送られた。この防災指針の見直しは、平成19(2007)年以降も関係者内部での勉強会などで行われていたが、安全委員会の原子力施設等防災専門部会で見直しを本格化しようとした矢先に、本事故が発生した。
 
  平成19(2007)年の新潟県中越沖地震を契機として、複合災害を想定した原子力防災対策の必要性が唱えられていた。これを受けて、保安院は複合災害の発生の蓋然性は極めて低いという前提に立ちつつも、複合災害の対策を進めようとした。しかし、国の関係機関や一部立地自治体は、複合災害対策の実施がもたらす負担の大きさ等から反発し、保安院は打開策を見いだせないままに、本事故が発生した。また、複合災害に備えた防災訓練に対しても保安院は消極的な姿勢を見せていた。
 
  毎年実施される国の原子力総合防災訓練では、シビアアクシデントや複合災害の想定に欠け、訓練規模拡大に伴う形骸化によって、いわば訓練のための訓練が続けられた。このような実践的でない訓練によっては、参加者がSPEEDIに代表される原子力防災のシステムの理解を深めることなどは不可能であった。本事故においては、過去の防災訓練が役に立たなかったことが多くの訓練参加者から指摘されている。  
 
  住民の防護対策のため、政府は緊急時対策支援システム(ERSS)、SPEEDIを整備してきた。環境放射線モニタリング指針では、ERSSによって放射性物質の核種や時間ごとの放出量(放出源情報)を予測計算し、その結果をもとにSPEEDIによって放射性物質の拡散状況等を予測計算して、避難等の住民の防護対策を検討することが想定されていた。毎年の防災訓練でも、この利用法による訓練が繰り返し行われていた。
 
しかし、ERSSとSPEEDIは、基本的に一定の計算モデルをもとに将来の事象の予測計算を行うシステムであり、特にERSSから放出源情報が得られない場合のSPEEDIの計算結果は、それ単独で避難区域の設定の根拠とすることができる正確性はなく、事象の進展が急速な本事故では、初動の避難指示に活用することは困難であった。原子力防災に携わる関係者には、予測システムの限界を認識している者もいたが、事故前に、予測システムの計算結果に依存して避難指示を行うという枠組みの見直しは実現に至らなかった。また、予測システムの限界を補う環境放射線モニタリング網の整備等も行われなかった。
 
  本事故においては、ERSSから長時間にわたり放出源情報が得られなかったため、保安院や文部科学省を含む関係機関ではSPEEDIの計算結果は活用できないと考えられ、初動の避難指示に役立てられることはなかった。安全委員会が公表した逆推定計算の結果は、あたかも予測計算であると誤解されたために、すみやかに公表されていれば住民は放射線被ばくを防げたはずである、SPEEDIは本事故の初動の避難指示に有効活用できたはずである、という誤解と混乱が生じた。
  他方、緊急被ばく医療体制も、今回のような広域にわたる放射性物質の放出及び多数の住民の被ばくを想定して策定されていなかった。具体的には、原発から初期被ばく医療機関の距離が近すぎること、受け入れ可能人数が少ないこと、医療従事者が十分な被ばく医療訓練を受けていないことなどを鑑みると、緊急被ばく医療機関のほとんどが多数の住民が被ばくするような状況において想定された機能を果たせないことが判明した。
 
4.4 放射線による健康被害の現状と今後
 
住民の最大の関心事のひとつが、放射線の健康への影響である。「自分や家族がどれほどの放射線を浴びたのか、それがどれだけ健康に影響するのか」という切実な住民の疑問に、政府・福島県は十分に応えていない。さらに、政府・福島県の放射線の健康影響に関する不十分で曖昧な説明は多くの住民を混乱させた。
 
  放射線被ばくには、がんのリスクがあることが広島・長崎の原爆被爆者の疫学調査ではわかっており、年齢や性別に配慮して体内線量のモニタリングと低減策を実施していく必要性がある。その代表例が放射性ヨウ素の初期被ばくを防ぐヨウ素剤の投与であるが、原災本部や県知事は住民に対して服用指示を適切な時間内に出すことに失敗した。
 
  少しでも住民の被ばく量を減らすためには、今後、中長期的にわたって放射性物質によって汚染された食品の摂取を制限し、継続的な内部被ばく線量を計測することが被害状況と被害拡大の要因必要になる。しかし、政府・福島県は放射性セシウムの内部被ばく情報の蓄積に関しては、依然としてほぼ無策のままである。東電は、シビアアクシデント時における作業員の安全対策について事前に想定していなかった上、事故直後は作業員に対する環境放射線量の情報の提供が行われない例や、作業員の被ばく線量管理が集団で行われる例もあるなど、対応が不十分な点もあった。住民の安全を確保するには、原発作業員の被ばく対策が重要であり、今後も事故対応における作業員の安全確保は重要となる。
 
  他方、健康被害の要因は、放射線だけではない。チェルノブイリ原発事故後も、大きな社会問題となったメンタルヘルスへの影響が発生している。当委員会は、住民の心身の健康こそ第一であり、早急に対策を打つべきと考える
 
4.5 環境汚染と長期化する除染問題
 
  いったん流出した放射性物質は、将来にわたって存在し続けることになる。政府はそれを前提として、環境汚染のモニタリングを行うべきである。チェルノブイリ原発事故後の経緯をみると、広範囲に放出された放射性物質は、山林に長くとどまり、何十年経っても空間線量は自然には十分に低減しない。また、放射性物質は降雨などによって移動し、湖沼の底質などに比較的高線量の場所が形成されやすい。政府は長期的視野をもって、放射性物質による環境汚染への対応に迅速に取り掛かる必要がある。
  現在、政府は除染を大規模に進めており、その手法は除染対象等によって大きく異なる。除染の是非については住民の帰還や補償とも大きく関係するため、同じコミュニティの住民間でも大きく意見が分かれている。
  除染を行っている地域において、最も大きな課題の一つとして挙げられるのが汚染土壌の仮置き場の確保であり、事前に市町村と住民が綿密な話し合いを持った結果、仮置き場の設置に成功した例が複数ある。政府・自治体は形式的に法やガイドラインの定める手続きに則って策定した除染実施計画に従うのみならず、実施計画策定や仮置き場の選定などのプロセスにおいて、住民とのコミュニケーションに努め、住民の判断の材料となる情報を提供した上で、住民のニーズに対応した施策を実施することが望まれる。
 
 
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