2014年2月23日日曜日

西暦869年の貞観地震・津波について; いにしえからの警告~神社の前で津波が止まっていた。

西暦869年の貞観地震・津波について

佐竹健治
宍倉正展・澤井祐紀・岡村行信・行谷佑一
(産総研活断層・地震研究センター)

【参考リンク】:PDF 複写不可

http://outreach.eri.u-tokyo.ac.jp/ul/EVENT/201103_Tohoku_DanwaDrSatake_Jogan.pdf

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いにしえからの警告~神社の前で津波が止まっていた。①  




いにしえからの警告~神社の前で津波が止まっていた。②



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1000年前の「貞観大震災」



公開日: 2013/02/07
『高森ウィンドウズ#45』
東日本大震災はなぜ「1000年に1度の大地震」と言われるのか? 被災した方々に心からのお見舞いを申し上げつつ、1000年前の記録に残された大震災­をひもとく

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「貞観・慶長大津波伝承の旅」より千貫神社(岩沼市).wmv



公開日: 2012/04/30
4月28日~30日の日程で行った「女川歴史民俗紀行ツアー」初日のプログラム「貞観­・慶長大津波伝承の旅」の見学地点の千貫神社。岩沼市にある千貫神社は古くから「船が­山にかかった」という慶長大津波の伝承が残る。岩沼出身の平井弥之助は、海から内陸7­kmのこの神社にもかつて津波が来たという伝承があるのを知っていた。このために弥之­助は、女川発電所の敷地高15mを主張した。

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029 唐桑に来た津波



アップロード日: 2011/05/05
途中の音声が切れております。YouTube Editorで変換後になぜか消えてしまうようなので音声が気になる方はお手数ですが­こちらの動画( 029 唐桑に来た津波 (手ぶれ補正無し) http://www.youtube.com/watch?v=mFqWt1... )をご覧ください。(アシスタント)

2011/05/01撮影  佐藤敏宏 編集 鷹空 公開日2011/05/05)

※NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク http://www.miyagi-shiryounet.org/ の活動に参加した際に撮影されたものです。

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あだち安人 震災レポ⑥ 貞観地震・奥松島の言い伝え.wmv  


アップロード日: 2011/07/10
説明はありません。
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約2000年前に津波被害を受けた弥生水田/仙台市・沓形遺跡見学会  



アップロード日: 2011/09/25
約2000年前に津波被害を受けた弥生時代の水田。当時の津波によって運ばれた砂の層­が発見されました。この沓形遺跡は仙台市若林区荒井にあります。
2011年3月11日(金)に発生した東日本大震災では最初のカットに写っている
仙台東部道路がかろうじてこの遺跡での津波襲来を食い止めました。
世紀の大発見とも言える沓形遺跡の第3次発掘調査遺跡見学会の様子です。
2011年8月27日(土)撮影。
 
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陸奥国府を襲った貞観年津波

津波災害は繰り返す

東北大学大学院理学研究科教授  箕浦 幸治

http://web.bureau.tohoku.ac.jp/manabi/manabi16/mm16-45.html

今から3500年前、エーゲ海で巨大な津波が発生し、これによる災害はクレタ文化圏に 大きな衝撃を与えたとされています。いくつもの文明が興亡した後の現在でも、それが土地 の言い伝えとなって残されています。我が国でも、各地に津波災害が伝承され、惨禍は教訓 として語り継がれています。陸奥国府に津波が襲来したとする9世紀後葉の記録が残されて おり、この歴史上の津波を、最先端の地球科学により解明することにしましょう。

陸奥国府を襲った貞観年津波(じょうがん)

3代実録(日本紀略、類聚国史171)の貞観11年5月26日(西暦869年7月13日)の記録に、 次の注目すべき災害の発生が記されています。「陸奥国地大震動。流光如晝隠映。 頃之。人民叫呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。 城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顛覆。不知其数。海嘯哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。 泝徊漲長。忽至城下。去海数千百里。浩々不辧其涯俟矣。原野道路。惣為滄溟。 乗船不湟。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。」
内容は、光を伴った鳴動と共に大地震が起き、 次いで押し寄せた津波は平野の奥深くまで侵入して陸奥国府の城下まで達し、 1000名を越す犠牲者が出た、と解読されます。
この事件より120年前の天平21年(西暦749年)春、 今の小田郡湧谷で黄金が多量に出土し、辺境とされた陸奥は時の権力にとり一躍最重要の地域となりました。 以来この地では、黄金を求めた朝廷と先住民との間に軋轢が増し、 やがて抗争へと発展していきました。策謀と遺恨が対峙して各地で世情の不安が募るなか、 仙台湾の沖で発生した地震津波が襲来したのです。当時の朝廷が受けた衝撃の大きさは、 この災害の詳細な記録からも伺えます。
被災した国府はどこにあったのでしょうか。貞観の地震津波に関する言い伝えや逸話などを各地で見聞しますが、 その実体についての信頼に足る歴史的記述は意外に希です。 正史の記録にある城下を陸奥多賀国府の館と読みとれるものの、その地理的位置に関しては諸説があります。 これまで主流とされてきた現在の多賀城市とする説に対して、 多くの歴史的記述を背景として異論を侍した渡邊偉夫氏は、 岩沼の「武隈の館」をその場所とする解釈を提唱しています。
現在ではそれぞれ仙台平野の北部と南部に位置しており、 いずれにしても1100年ほど前に仙台平野に津波が押し寄せたことに変わりはありません。 平野が氾濫して青海原が出現したとする記述は、膨大な量の海水の溯上により仙台平野が 広範囲に水没した様子を暗示しています。
この津波災害に関わる伝承・記録は、東北地方から房総半島にかけての太平洋沿岸の広い 範囲に及んでおり、知られ得る限り最大級であったと考えられます。東北日本で近代的観測 が始まって以来、最大級の津波の場合で、海岸より2㎞に満たない海水の陸上溯上距離です。 歴史資料が示す平野の水没は、貞観津波が常識を越えてはるか内陸部まで溯上したことを示唆します。 貞観の津波は、説明の及ばない自然現象なのでしょうか。
海岸平野では急速な市街化が進み、海岸域にまで開発が及んでいます。 こうした状況にあって未曾有の津波襲来が予想されるならば、我々はその時期と規模を理解することが 急務であると認識しなければなりません。貞観津波の解明は、破局的自然現象としての津波の科学的理解 に貢献するのみならず、地域の防災上極めて重要となります。

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今までの津波堆積物調査地点と文献(編集中)

https://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/tsunami_taiseki.html

平安の人々が見た巨大津波を再現する-西暦869年貞観津波-

https://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/no.16.pdf

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津波堆積物調査にもとづく地震発生履歴に関する研究

活断層・古地震研究報告 第7号.

http://sparc1038.jishin.go.jp/main/chousakenkyuu/miyagi_juten/h17_21/h17-21_3_3.pdf


ハンディジオスライサーを用いた宮城県仙台平野 (仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町) における古津波痕跡調査

澤井祐紀・宍倉正展・岡村行信・高田圭太・松浦旅人・
                    Than Tin Aung・小松原純子・藤井雄士郎・藤原  治・
                    佐竹健治・鎌滝孝信・佐藤伸枝
https://www.gsj.jp/data/actfault-eq/h18seika/pdf/sawai.pdf



活断層・古地震研究報告  第8号 (2008年)
ハンドコアラーを用いた宮城県仙台平野 (仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町) における古津波痕跡調査
  澤井祐紀・宍倉正展・小松原純子
https://www.gsj.jp/data/actfault-eq/h19seika/pdf/02.sawai.pdf


 石巻・仙台平野における869年貞観津波の数値シミュレーション
佐竹健治・行谷佑一・山木  滋
https://www.gsj.jp/data/actfault-eq/h19seika/pdf/03.satake.pdf


活断層・古地震研究報告  第9号 (2009年)
2008年岩手・宮城内陸地震に伴う地震断層のトレンチ掘削調査
丸山  正・遠田晋次・吉見雅行・小俣雅志・郡谷順英・
                    梶谷忠司・岩崎孝明・石川  玲・山崎  誠
https://www.gsj.jp/data/actfault-eq/h20seika/pdf/maruyama.pdf


活断層・古地震研究報告  第11号 (2011年)
2011年東北地方太平洋沖地震津波で千葉県蓮沼海岸 (九十九里海岸中部) に形成された堆積物
   藤原  治・澤井祐紀・宍倉正展・行谷佑一・木村治夫・
                    楮原京子
https://www.gsj.jp/data/actfault-eq/h22seika/pdf/fujiwara.pdf

活断層・古地震研究報告  第12号 (2012年)
 2011年東北地方太平洋沖地震による津波堆積物の仙台・石巻平野における分布限界
 宍倉正展・藤原治・澤井祐紀・行谷佑一・谷川晃一朗
https://www.gsj.jp/data/actfault-eq/h23seika/pdf/shishikura.pdf

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https://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/press.html

貞観地震に関する成果報告,報道等

研究報告
・宍倉正展ほか(2010)平安の人々が見た巨大津波を再現する-西暦869年貞観津波-,AFERCニュース,No.16/2010年8月号.
・行谷佑一ほか(2010)宮城県石巻・仙台平野および福島県請戸川河口低地における869年貞観津波の数値シミュレーション,活断層・古地震研究報告 第10号.
・澤井祐紀(2010)福島県富岡町仏浜周辺の海岸低地における掘削調査,活断層・古地震研究報告 第10号.
・澤井祐紀ほか(2008)ハンドコアラーを用いた宮城県仙台平野(仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町)における古津波痕跡調査,活断層・古地震研究報告 第8号.
・佐竹健治ほか(2008)石巻・仙台平野における869年貞観津波の数値シミュレーション,活断層・古地震研究報告 第8号.
・宍倉正展ほか(2007)石巻平野における津波堆積物の分布と年代,活断層・古地震研究報告 第7号.
・澤井祐紀(2007)ハンディジオスライサーを用いた宮城県仙台平野(仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町)における古津波痕跡調査,活断層・古地震研究報告 第7号.

・澤井祐紀ほか(2006)仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の巨大津波-1611年慶長津波と869年貞観津波の浸水域-, 地質ニュース 624号.

独立行政法人 産業技術総合研究所 活断層・地震研究センター 
〒305-8567 茨城県つくば市東1-1-1 中央第7

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【参考リンク】:PDF 複写不可

http://unit.aist.go.jp/actfault-eq/Tohoku/06_08_03.pdf

地質ニュース624号,36 ― 41頁,2006年8月
Chishitsu News no.624, p.36 ― 41, August, 2006

仙台平野の堆積物に記録された歴史時代の巨大津波
-1611年慶長津波と869年貞観津波の浸水域-


澤井 祐紀1)・岡村 行信1)・宍倉 正展1)・松浦 旅人1)
Than Tin Aung1)・小松原純子1)・藤井雄士郎2)

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【参考リンク】:PDF 複写不可

http://gatetagajyo.web.fc2.com/pdf/tagajyo_jyougantunami.pdf

貞観地震・津波からの陸奥国多賀城の復興

柳澤和明(東北歴史博物館上席主任研究員)

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資料377 貞観三陸地震(『日本三代実録』巻十六より)

http://www.geocities.jp/sybrma/377jougannosanrikujishin.html

貞觀三陸地震  『日本三代實錄』巻十六より 

(貞觀十一年五月)廿六日癸未。陸奥國地大震動。流光如晝隱映。頃之。人民呼。伏不能起。或屋仆壓死。或地裂埋殪。馬牛駭奔。或相昇踏。城郭倉庫。門櫓墻壁。頽落顚覆。不知其數。海口哮吼。聲似雷霆。驚濤涌潮。泝徊漲長。忽至城下。去海數十百里。浩々不弁其涯涘。原野道路。惣爲滄溟。乘船不遑。登山難及。溺死者千許。資産苗稼。殆無孑遺焉。 
 
 〔書き下し文〕
(貞觀十一年五月)廿六日癸未。陸奥國の地、大いに震動す。流光晝の如く隱映(いんえい)す。頃(しばら)く、人民叫呼(きょうこ)し、伏して起(た)つ能はず。或(あるい)は屋仆(たお)れて壓死し、或は地裂けて埋殪(まいえい)す。馬牛駭(おどろ)き奔(はし)り、或は相(あい)昇踏(しょうとう)す。城郭倉庫、門櫓(もんろ)墻壁(しょうへき)、頽落(たいらく)顚覆(てんぷく)するもの、其の數を知らず。海口(かいこう)哮吼(こうこう)し、聲は雷霆(らいてい)に似たり。驚濤(きょうとう)涌潮(ようちょう)、泝徊(そかい)漲長(ちょうちょう)し、忽ち城下に至る。海を去ること數十百里、浩々(こうこう)として其の涯涘(がいし)を弁ぜず。原野道路、惣(すべ)て滄溟(そうめい)と爲(な)る。船に乘るに遑(いとま)あらず、山に登るも及び難(がた)し。溺死する者、千許(ばか)り、資産苗稼(びょうか)、殆んど孑遺(けつい)無し。


〔現代語訳〕(意訳)

(貞観11年5月)26日癸未(みずのとひつじ)の日。陸奥国(むつのくに)に大地震があった。夜であるにもかかわらず、空中を閃光が流れ、暗闇はまるで昼のように明るくなったりした。しばらくの間、人々は恐怖のあまり叫び声を発し、地面に伏したまま起き上がることもできなかった。ある者は、家屋が倒壊して圧死し、ある者は、大地が裂けて生き埋めになった。馬や牛は驚いて走り回り、互いを踏みつけ合ったりした。多賀城の城郭、倉庫、門、櫓、垣や壁などは崩れ落ちたり覆(くつがえ)ったりしたが、その数は数え切れないほどであった。河口の海は、雷のような音を立てて吠え狂った。荒れ狂い湧き返る大波は、河を遡(さかのぼ)り膨張して、忽ち城下に達した。海は、数十里乃至(ないし)百里にわたって広々と広がり、どこが地面と海との境だったのか分からない有様であった。原や野や道路は、すべて蒼々とした海に覆われてしまった。船に乗って逃げる暇(いとま)もなく、山に登って避難することもできなかった。溺死する者も千人ほどいた。人々は資産も稲の苗も失い、ほとんど何一つ残るものがなかった。


(注) 1. 上記の「貞観の三陸地震」の本文は、新訂増補國史大系『日本三代実録』前篇(吉川
弘文館、昭和58年7月1日発行)に拠りました。三陸地震の記事は、巻十六の清和天
皇貞観十一年五月のところにあります。
○五月戊午朔。五日壬戌。停端午之節。○廿六日癸未。陸奥國地大震動。
流光如晝隱映。……
書き下し文と現代語訳(意訳)は、引用者の読みと訳です。お気づきの点を教えてい
ただければ幸いです。

2. 國史大系本の原文には、「人民叫呼」の「叫」に「」という漢字が、また「城郭」の
「郭」に「土+郭」という漢字が、それぞれ用いられています。
(「」という漢字は、島根県立大学の“e漢字フォント”を利用させていただきました。)

3. 参考までに、國史大系本の頭注を挙げておきます。
之、原作久、今從印本及類史一七一
潮、原作湖、今從同上
十、原作千、據類史改 ○許、原作計、據類史改

4. 2011年版『理科年表』平成23年 第84冊(国立天文台編、平成22年11月30日・
丸善株式会社発行)によれば、この地震は、貞観11年5月26日(西暦869年7月13
日)に三陸沖を震源として起こったマグニチュード8.3と推定される大地震でした。
☆ 2011年版『理科年表』の記事(「日本付近のおもな被害地震年代表」)
869 7 13 (貞観11 5 26) M8.3
三陸沿岸:城郭・倉庫・門櫓・垣壁など崩れ落ち倒潰するもの無数。津波が
多賀城下を襲い、溺死約1千。流光昼のごとく隠映すという。三陸沖の巨大地
震とみられる。 〔4〕
(注) 年月日は最初にグレゴリオ暦、かっこ内に日本暦を示した。
記事の最後の〔 〕内は今村・飯田による津波規模である。

5. 日本三代実録(にほん・さんだいじつろく) → 三代実録(さんだいじつろく)
三代実録(さんだいじつろく)=六国史(りっこくし)の一つ。50巻。文徳実録の後をうけて、
清和・陽成・光孝三天皇の時代約30年の事を記した編年体の史書。901年
(延喜1)藤原時平・大蔵善行らが勅を奉じて撰進。日本三代実録。
(『広辞苑』第6版による。)

6. フリー百科事典『ウィキペディア』に「三代実録」「貞観地震」の項があります。

7. 「西暦869年の貞観地震・津波について」佐竹健治・宍倉正展・澤井祐紀・岡村行信・
行谷佑一(産総研 活断層・地震研究センター)という研究資料があります。

8. 保立道久氏の『保立道久の研究雑記』に、貞観地震についての記事があって、参考
になります。 → 「9世紀火山地震(5)──貞観地震」

9. 気象庁のホームページに「津波について」 や地震についての解説記事があります。

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%89%E4%BB%A3%E5%AE%9F%E9%8C%B2

日本三代実録』(にほんさんだいじつろく)は、日本の平安時代に編纂された歴史書六国史の第六にあたり、清和天皇陽成天皇光孝天皇の3代である天安2年(858年)8月から仁和3年(887年)8月までの30年間を扱う。延喜元年(901年)に成立。編者は藤原時平菅原道真大蔵善行三統理平編年体漢文、全50巻。

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