2013年12月5日木曜日

カザフスタン Kazakhstan

カザフスタン Kazakhstan

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カザフスタン共和国
Қазақстан Республикасы(カザフ語)
Республика Казахстан(ロシア語)

カザフスタンの国旗国旗

カザフスタンの国章国章




カザフスタン共和国(カザフスタンきょうわこく)、通称カザフスタンとは、中央アジアに位置する共和制国家である。首都アスタナ、最大都市はアルマトイロシア連邦中華人民共和国キルギスウズベキスタントルクメニスタン国境を接し、カスピ海アラル海に面している。
 
国名

正式名称はカザフ語で、Қазақстан Республикасы(Qazaqstan Respublikasy; カザクスタン・リスプブリカスィ)、ロシア語で、Республика Казахстан(Respublika Kazakhstan; レスプーブリカ・カザフスタン)。
公式の英語表記は、Republic of Kazakhstan。通称、Kazakhstan
日本語の表記は、カザフスタン共和国。通称、カザフスタン。漢字による当て字香佐富斯坦
国名は、カザフ人の自称民族名 Қазақ(Qazaq; カザク)と、ペルシア語で「~の国、~の多い所」を意味する -stān/-estān; スタンの合成語である。「スタン」に関しては、モンゴル語の「部族」を意味する「ястан (ヤスタン)」に由来するという意見もある。カザクは、テュルク語で「独立不羈の者」「放浪の民」を意味する。

歴史
 

 古代ギリシアのヘロドトスアリステアス英語版らによる歴史書では、伝承ではあるものの、最古のカザフステップにイッセドネス人アリマスポイ英語版人(一眼族)といった諸族がいたことを記録している。イッセドネス人は故人の肉を食す民族であり、アリマスポイ人は一つ目の民族であるという。アリマスポイ人は絶えず近隣の民族を攻撃しており、そのため西隣のイッセドネス人は西へ移動し、その西にいたスキュタイ人は西へ移動し、さらに西(南ロシア草原)にいたキンメリア人を追い出すこととなった。[2]

マッサゲタイ

古代ギリシアのヘロドトスによる『歴史』によれば、もともとアジアの遊牧民であったスキュタイ人がマッサゲタイに追われてアラクセス河を渡河し、当時のキンメリア地方(現在の南ウクライナ)に移ったという。アケメネス朝キュロス2世ヤクサルテス川を越えて中央アジア征服に及んだ際、マッサゲタイの女王トミュリスに殺され、征服は失敗に終わった。

サカイ、ソグディアノイ

古代ローマの地理書にはサカイソグディアノイといった民族が記されている。サカイはスキュタイと同じ遊牧民族であり、ペルシアの史料ではサカと呼ばれ、アケメネス朝の属民であった。アレクサンドロスの侵入時もその存在が確認でき、ヤクサルテス川(シル・ダリヤ)をはさんで対峙した。ソグディアノイは後にシルクロード交易の担い手となるソグド人として有名であるが、この頃はアケメネス朝やアレクサンドロスの属民として歴史に登場する。[3]

康居、奄蔡
紀元前2世紀から4世紀にわたり、中国の歴史書には康居奄蔡といった遊牧民族が記されている。康居は初め、東の匈奴、南の大月氏といった強国に臣従していたが、1世紀になると、栗弋国,厳国,阿蘭聊国といった諸国を支配下に入れるほど強盛を誇る。奄蔡は西方史料のいうアオルソイに比定されたり、後に阿蘭と改名したことから、アランに比定されたりするが、記録が少なく、康居と同俗であること以外わかっていない。[4]

悦般、エフタル
悦般モンゴル高原から追われた北匈奴が行き着いた地で建てた国であり、その場所は康居の北にあったとされる。言語・習俗は高車と同じであり、周辺民族の中でも清潔であったという[5]。この悦般がのちのエフタルであるとする説もある[6]。エフタルはその出自が不明で、アルタイ山脈から南下してきたとも、バダフシャン英語版にいたともいわれている[7]。エフタルはインドではフーナ(hūna)と呼ばれ、ペルシアではヘプタル(heptal)、中国では嚈噠,挹怛とも呼ばれ、中央アジアにあってその周辺国に侵入し、戦争をおこなった。

西突厥
6世紀、エフタルの国家は突厥サーサーン朝の挟撃に遭って滅ぼされ、中央アジア全土は突厥の領土となった。突厥は582年に東西に分離し、カザフ草原は西突厥が支配することとなる。西突厥は内紛が相次ぎ、一時はの支配下に入って共にアラブ・イスラーム勢力と戦うも、741年には王族である阿史那氏が滅び、その帝国はそれぞれの部族に分散してしまう。9世紀から12世紀にかけては西突厥の構成民族であった突騎施英語版(テュルギシュ),カルルクオグズキマクキプチャクカンクリハザールペチェネグなどが割拠した。

カラハン朝、カラ・キタイ
カラハン朝テュルク系初のイスラーム王朝であり、その母体はウイグルともカルルクとも言われている[8]。東西の文化が融合したことで、文化面では大いに発展し、「カラハン朝トルコ語トルコ語版」と呼ばれるアラビア文字を使って記されるテュルク語の文語が生まれてユースフ・ハーッス・ハージブの韻文作品『クタドゥグ・ビリグ英語版』(幸福になるための智恵)や、マフムード・アル・カーシュガリー英語版のテュルク諸語の語彙を集めた辞典『ディーワーン・ルガート・アッ=トゥルクトルコ語版』(テュルク諸語集成)が登場し、テュルク・イスラム文化の先駆けとなった[9]。カラハン朝は1041年に東西に分裂し、12世紀初頭には耶律大石率いる契丹軍によって征服され、カラ・キタイ(西遼)の属国となった。
モンゴル帝国

カザフ草原の西の大部分はテュルク系のキプチャクの領土であり、東の大部分はカラ・キタイの領土であった。カラ・キタイは1211年ナイマンクチュルクによって乗っ取られるが、まもなく東の遊牧民族を統一したチンギス・カンモンゴル軍によって征服され、1236年にはキプチャクもバトゥ率いるモンゴル征西軍によって征服され、中央ユーラシアの遊牧民騎馬民族は全てモンゴル帝国の支配下に入ることとなった。モンゴル第2代皇帝オゴデイが没すると、1242年にバトゥはヴォルガ川下流のサライに都を置いて、カザフ草原(当時はキプチャク草原と呼ばれた)を中心とする自立政権ジョチ・ウルスを築いた。
 
カザフ・ハン国

15世紀末、シャイバーニー朝より分離した現在のカザフ人の祖先が侵入し、カザフ・ハン国を建国し、16世紀初めまでにカザフ民族が形成された。17世紀ごろからカザフ民族は、主として、大ジュズ(東部)、中ジュズ(中部)、小ジュズ(西部)の3部族に分かれて草原に居住していた。
18世紀初め、ジュンガルが襲来したため、1730年代から1740年代に小ジュズと中ジュズは、ロシア国籍を自発的に受け入れた。1860年代、カザフスタン領域はロシアに併合された。
 
カザフ・ソビエト社会主義共和国

ロシア革命後に赤軍の支配下に入り、ソビエト連邦の構成下において、カザフ・ソビエト社会主義共和国が樹立された。その後はソビエト連邦の共産党政権のコントロール下に置かれた。
領内にはソ連の核実験の中心地としてセミパラチンスク核実験場が作られたほか、宇宙開発の中心となるバイコヌール宇宙基地が作られた。
 
カザフスタン共和国

ソビエト連邦崩壊後の1991年12月16日に、カザフスタン共和国として独立し、1991年12月21日独立国家共同体(CIS)に加盟した。


2006年2月野党アク・ジョル」の共同議長アルティンベク・サルセンバエフは運転手とともに、アルマトイで射殺体で発見された。5人の国家保安委員会のメンバーが、サルセンバエフの殺害に関わっているとして逮捕された。バウルツァン・ムハメドツァノフ内務大臣によると、犯人は1人当たり2万5千ドルを受け取っているという。警察官1人も殺人に関わったとして逮捕されている。カザフスタンでは、反対派のアルマトイ前市長のザマンベック・ヌルカディロフも射殺体で発見されている。

2007年8月18日の議会選挙では、与党ヌル・オタン」が、比例代表制による全98議席を獲得、その他9議席を大統領直属の国民評議会が指名するため、与党が107議席をすべて独占することとなった。5月には憲法改正が行われており、改正によってナザルバエフ初代大統領に限り、3選禁止の規定が除外されている。
 
地理
 
 

カザフスタンはユーラシア大陸の中心に位置しており、世界第9位の広大な国土面積(アジアでは、中国インドに次いで第3位)を有し、同時に世界最大の内陸国でもある。但し、国土の大部分はサルイイシコトラウ砂漠キジルクム砂漠などの砂漠乾燥したステップで占められており、そのため人が住めるところは少なく、人口の大半は首都と一部の地域に偏在している。人口も1600万人程度であり、2010年の統計では、世界第61位となっている。地形は大きく3つに分類されており、中国国境やアルタイ山脈を含むカザフ高原、中部のカザフステップ、西部のカスピ海沿岸低地である。西部低地はウラル山脈より西側でヨーロッパに属する。国の南部は東西にわたり砂漠が発達し、アラル海の縮小に表されるように灌漑が重要な課題である。アラル海東方にはロシアが租借するバイコヌール宇宙基地がある。
 

ファイル:Astana centr.JPG
首都アスタナ



マルカコル湖
ザイサン湖
バルハシ湖
テニズ湖
アラル海
カスピ海


シルダリヤ川
イルティシ川
ウラル川

ファイル:Modern Almaty.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e0/Modern_Almaty.jpg

中央アジア最高レベルの世界都市であるアルマトイ


政令指定地区
アスタナ
アルマトイ
バイコヌール

ロシア租借地
政令指定地区バイコヌールはロシア連邦がカザフスタンより年間1億1500万USドルの契約で町全体を租借し、事実上の行政区として扱っている。これは、同市にある、ソ連時代の1955年に建設されたバイコヌール宇宙基地がロシアにとって今なお重要な宇宙開発施設であることに起因する。このためバイコヌールの行政権はロシアが握っており、例えば市長は、ロシア大統領が推薦し、カザフスタン大統領が承認することで任命される。また、ロシアの法律が適用され、通貨もカザフスタンのテンゲではなくロシアのルーブルが流通している。この租借契約は1994年に合意され、2050年まで続く見込みである。

政治

詳細は「カザフスタンの政治英語版」を参照

カザフスタンの国家元首は、直接選挙により選出される任期5年の大統領である。大統領は、政府を組閣し、閣僚最高裁判所長、検事総長、国立銀行総裁を任免し、国民投票を実施し、非常事態を導入する権限を有する。1992年5月から軍最高司令官であり、同年7月からは国家保安委員会が直属している。1993年12月、最高会議は解散させられ、1995年3月、憲法裁判所は1994年3月実施の選挙が違憲であったとの決定を下した。その後は議会不在のままである。

首相は、議会の同意により大統領が任命する。閣僚は、首相の提案により大統領が任命する。政府は、大統領の任期満了と共に総辞職し、新大統領により組閣される。閣僚の70%は人口の約65%を占めるカザフ人。


立法府は、下院マジリス)と上院セナト)の二院制である。下院は定数107議席。うち98議席が比例代表制による直接選挙で選出され、9議席はカザフスタン民族会議により選出される。議席を得るには、7%障壁を超える必要がある。上院は定数47議席。各州、旧首都、首都の地方議会から2名ずつ選出され、15名は大統領が個人的に任命する。1995年3月には、民族間関係を調整するカザフスタン民族総会が設置されている。上院が6年、下院が5年に延長された。
 大統領


ソビエト連邦カザフ・ソビエト社会主義共和国共産党第一書記・同共和国大統領(それぞれ1989年1991年に就任)からそのまま1991年12月にカザフスタン共和国大統領に就任したヌルスルタン・ナザルバエフ大統領が、独立以来一貫して大統領の地位にあり、強力なリーダーシップを発揮している。1995年4月に大統領任期延長し、2000年12までとしたが、同年8月には、新憲法草案が国民投票にかけられ、圧倒的賛成で可決された。この1995年憲法はカザフスタンを大統領制国家であると規定し、大統領に大幅な権限を与えた。そして、最高会議を廃止して二院制議会を新設し、1995年12月に議会選挙を実施したが、反対派はほとんどボイコットした。1998年10月に憲法改正が行われたが、大統領の任期は5年から7年に延長され、65歳までとされていた候補者の年齢制限が撤廃された。2007年には終身大統領となった。
 
 
主要政党
 
与党:ヌル・オタン(輝く祖国)。
野党:アク・ジョル(明るい道)、カザフスタン共産党
 
 軍事



カザフスタンは、旧ソ連軍中央アジア軍管区の部隊を継承した。
 
現在のカザフスタン共和国軍は、一般任務軍(陸軍)、防空軍空軍)、国境警備軍の3軍種から成る。大統領は、3軍の最高司令官であり、空中機動部隊及び空挺部隊、並びに大統領親衛隊を直轄する。軍政単位としては、南部、西部、東部及び中央の4個軍管区が設置されている。一般任務軍は、2個軍、2個師団、5個旅団から成り、46,800人。防空軍は、19,000人。
徴兵制度が存在し、兵役の義務は18歳からの2年間とされている。
 
国際関係
 
全般

隣国であり旧ソ連時代には同じ国であったロシアとは政治的にも経済的にも密接な関係を持つ他、近隣諸国だけでなくアジア各国やヨーロッパ各国とも友好関係を保っている。また中国とも友好関係である。上海協力機構(SCO)に加盟するほか、中央アジア諸国連合を提唱、さらに2010年欧州安全保障協力機構の議長国に選出されているなど、積極的に国際機構への参加を図っている。
 
日本

日本とは互いに大使館を置く他、2006年8月には小泉純一郎首相が訪問するなど友好的な関係を保っている。
1998年、カザフスタン政府によって実施された新首都アスタナの設計についての国際指名コンペにおいて、日本建築家黒川紀章案が1位に選ばれ、その都市計画案に基づき開発が続けられている。[10]
 
経済
 
GDPは1680億ドル、1人当たりGDPは10,820ドル、失業率は5.7%(いずれも2011年)であり、独立直後の経済状況に比べ、著しい飛躍を遂げている。この経済成長は、鉱物資源の輸出によるものであり、天然資源依存型である。また、一人当たりGDPが10,000ドル以上になり(2008年頃)、マレーシアに並ぶ中進国となった。
通貨はテンゲである。
 
石油産業
 
石油が豊富で人口が過剰でないために、中国のウイグル自治区、ウズベキスタン、キルギスと物価で差をつけている。

 
鉱業

カザフスタンは鉱物資源に恵まれている。例えば、採掘量が世界第10位以内に達する地下資源が9つも存在する(2002年時点)。エネルギー資源では石炭ウランが有望。輸出品目も地下資源とその加工品が7割を占める。原油(49.4%)、鉄鋼(12.0%)、(7.5%)という状況である。


有機鉱物資源では、石炭(7218万トン、世界第10位、世界シェア1.9%)が優位である。品質が高いため同国で産出すると組み合わせて鉄鋼を生産している。燃料に向く低品質の亜炭(261万トン)は少ない。原油(3606万トン)の産出量は世界シェア1.1%に達する。天然ガスは453千兆ジュールと多くはない。
 

金属鉱物資源の採掘量、世界ランキング、世界シェアは以下の通りである。
亜鉛鉱(39万トン、世界第7位、世界シェア4.7%)
ウラン鉱(3300トン、世界第3位、世界シェア9.2%)
金鉱(27トン、世界シェア1.1%)
銀鉱(892トン、世界第9位、世界シェア4.5%)
クロム鉱(102万トン、世界第2位、世界シェア17.6%)
コバルト鉱(300トン)
鉄鉱(870万トン、世界シェア1.5%)
銅鉱(49万トン、世界第10位、世界シェア3.6%)
鉛鉱(4万トン、世界シェア1.4%)
ニッケル鉱(3000トン)
ボーキサイト(438万トン、世界第9位、世界シェア3.0%)
マンガン鉱(44万トン、世界第8位、世界シェア5.4%)
このほか、非金属鉱物資源として、硫黄(210万トン、世界第7位、世界シェア3.6%)とリン鉱石(1万7000トン)を採掘している。
 
交通

詳細は「カザフスタンの交通」を参照

鉄道

旧ソ連の一部であったカザフスタンの鉄道は1520mm広軌であるために今でも頻繁に国際列車が運行され、ソ連時代からのエレクトリーチカや客車が各国で使用されており、旧ソ連政府の影響により電化率は高い。カザフスタンの1520mmと中国の1435mmとの間で軌間変換をするために、カザフスタン鉄道は新型車両としてスペインのタルゴの軌間可変車両を導入した。しかし、近年カザフスタンでは2006年より標準軌 (1435mm) への改軌や新線建設の計画が進み、4年ほどで建設が終わるとされていたが、現在は標準軌の計画は既に挫折している。[11
  
国民
詳細は「カザフスタンの人口統計英語版」を参照
 
住民
民族構成(カザフスタン)
カザフ人   65%
ロシア人   21%
ウズベク人   3%
ウクライナ人   2%
その他   8%

カザフ人が63.1%、ロシア人が23.7%、ウズベク人が2.9%、ウクライナ人が2.1%、ウイグル人が1.4%、タタール人が1.3%、ヴォルガ・ドイツ人が1.1%、その他4.5%となっている。(2009年時点)。以前はカザフ人よりロシア人の割合の方が高かったが、独立以降多くのロシア人が転出し、徐々にカザフ人の割合が増加し逆転した。[12]

言語

憲法ではカザフ語が国家語、カザフ語とロシア語公用語と定められている。現在、カザフスタンにおいてカザフ語を話すことができるのは全人口の64.4%である。一方、ロシア語は95%の住民が使用しており、とりわけ都市部においては、ロシア語を母語とし、カザフ語を全く話せないカザフ人も多い。

政府メディアを通してカザフ語の普及を図っているが、効果は現れていない。ロシア語は異民族間の交流語として、カザフ語と同様の地位を与えられている。そのため現地政府は、外国映画にカザフ語での吹き替えを義務付ける文化法改正法案を議会で審議している。カザフスタンはロシア系住民が約30%であり、ロシア以外では最多であるカザフスタンで今後ロシア映画が原語で上映できなくなる可能性がある。

宗教

2009年の調査では、イスラム教が70.2%、キリスト教が26.2%、無宗教が2.8%となっている[13]
 
教育
義務教育は6歳からの8年間と定められている。国民の識字率は国民全体の98.4%となっている。
 
文化
 


ソ連中央アジアの中でも、もっとも文化的にヨーロッパ化された国と言える。ロシア語話者も多く、イスラム教徒であっても戒律を厳格に守る者は少ない。

食文化
詳細は「カザフスタン料理」を参照

文学
詳細は「カザフスタン文学」を参照

音楽
詳細は「カザフスタンの音楽」を参照


世界遺産

カザフスタン国内には、国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の世界遺産リストに登録された文化遺産が2件、自然遺産が1件存在する。

外部リンク
独立国家共同体
イスラム協力機構加盟国

最終更新 2013年11月21日
 
 


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Welcome to Kazakhstan part 1



アップロード日: 2009/10/23
Come to Kazakhstan and enjoy the beauty of our nature and the hospitality and generosity of our people. Nursultan Nazarbayev President of the Republic of Kazakhstan


Welcome to Kazakhstan part 2


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