2014年12月10日水曜日

広島原爆の黒い雨による残留放射能と被ばく線量 : 丸山 隆司∗(放射線医学総合研究所)吉川 友章(気象研究所)


http://www.mhlw.go.jp/shingi/2007/10/dl/s1029-10m.pdf

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広島原爆の黒い雨による残留放射能と被ばく線量
丸山 隆司∗(放射線医学総合研究所)
吉川 友章(気象研究所)

1.はじめに
1945 年8 月6日および9 日に相次いで投下された広島および長崎における原爆からの放射線被ばくについて、投下後ほぼ1 分以内の初期放射線を中心に線量評価がすすめられてきた。戦後約60 年の歴史を経てDS02 をもって漸く落着の兆しがみえてきた。放射線影響研究所を中心に推進されているLSS(寿命調査)は、DS02 による新しい線量に基づく再評価が進むことであろう。一方、両市には、初期放射線には遭遇しなかったが、投下後早い時間に肉親等の捜索、救助活動等のため市内に入った、いわゆる初期入市者などがいる。そして、原爆投下後、爆心地近くには放射性降下物(フォールアウト)や中性子による誘導放射能など残留放射能が存在し、それらからの放射線を被ばくしたのではないかという不安を拭い切れない人々もいる。原爆からのフォールアウトである必要条件は核分裂生成物、とりわけ長寿命である137Cs が存在することである。この問題を解決するため、 Ge 半導体検出器が実用化された1975 年頃、厚生科学研究費により広島および長崎の爆心地を中心とした半径30kmの同心円内から採取した土壌試料について137Cs の残留放射能測定調査が行われた。しかし、この調査では1960 年代に実施された米ソ中国などの大気圏核実験にマスクされ、長崎西山地区を除き1945年の原爆による残留放射能を同定することができなかった。その後も種々の調査研究は行われたが、1945 年の原爆による残留放射能を同定することはできなかった。DS86 報告書でも検討されたが、長崎の西山地区を除いては広島を含めて有意な放射性降下物の存在は認められず、中性子による誘導放射能による線量評価のみの議論に終った。

1987 年、気象研究所の吉川らは、地球規模の気象モデルとランダムウォーク型の粒子拡散モデルを組み合わせて、1986 年4 月のチェルノブイリ事故による北半球大気圏の放射能汚染の評価計算を行った1)。われわれは、1991 年に、この計算法を応用して、広島および長崎における放射性降下物等のシミュレーション計算を行った2)。ここではそれらの結果の一部の一部として、広島の黒い雨に関して報告する。

2.計算モデルの設定
2.1 原爆雲などの形成

広島および長崎の原爆は、地上600m 近辺の上空で炸裂した。炸裂の瞬間は想像を絶するすさまじさであったであろう。このあたりの科学的記述についてはGlasstone and Dolan の報告書3)を参考
にする。炸裂の瞬間、大量のエネルギーが狭い弾筒の中で放出されるため、核分裂生成物、爆弾の弾筒などの構造物は、太陽の中心に匹敵する物凄い高温となり、すべての物質はガス状になってしまうと考えられる。このようなガス状物質は、炸裂の瞬間、狭い爆弾構造の中に閉じ込められ、凄まじい圧力(大気圧の100 万倍以上)に達する。100 分の1 秒以下の炸裂時に、この極めて高温の残留物の大部分は、大気中で吸収されてしまう低エネルギーX 線としてそのエネルギーを放出する。それにより火の玉(Fireball)と呼ばれる、高温で強い光を発する空気とガス状残留物の球形の塊を形成する。

∗ MARUYAMA Takashi, National Institute of Radiological Sciences; t_maru@fml.nirs.go.jp

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火の玉は形成直後に周りの空気を吸収しながら、大きくなりはじめる。それに伴い温度が低下し、同時に、火の玉は熱気球のように上昇する。20kt の原爆の火の玉は直径が500m に達するといわれている。ここでは、火の玉が上昇、冷却しながら形成される雲を「原爆雲」と呼ぶことにする。
火の玉に続いて、地上では強烈な爆風の被害を受けた。これは衝撃波とも呼ばれ、20kt の原爆で
は、衝撃波の先端が炸裂後1.25 秒で爆央から約560m に達するという。この衝撃波によって、地上
の物質は上空に巻き上げられて雲を形成する。ここでは、この雲を衝撃塵の雲、以下、「衝撃塵」と
いう。火の玉からの輻射熱は、地上に大きな火災をもたらした。この火災による煙が上空に立ち昇り低空に黒い雲「火災煙」を形成した。

原爆投下後にいろいろな場所から上空を撮影した写真が多数あるが、撮影場所や撮影時間が明確な写真、広島では、呉市若草町(爆心から約20km)の海軍工廠砲頬から爆発40 分後、長崎では、香焼島川南造船所(爆心から約9km)で、爆発後約40 分後のものが、それぞれ原爆による雲のモデル化に用いられた。まず、撮影現場でトランシットを用いて地形、撮影されている建造物の仰角を撮影することによって、写真上の距離および角度を検証した。それらの結果および三角測量法などにより、原爆雲、衝撃塵および火災煙の雲の頂上の高さを推定した。
雲の中の放射性物質の粒子の種類や粒径分布などについては詳しいデータが不足しているため、計算上、粒径(球の直径)については大粒子(粒径100μm 以上、平均200μm)、中粒子(10~100μm、平均30μm)および小粒子(10μm 以下)に分類した。計算機の能力上、各粒子数が一定量
ずつ放出されるとした。重力落下速度は、大粒子が100cm/sec 、中粒子が10cm/sec 小粒子が1cm/secとした。

地上 600m での爆発した空気の圧力振動や衝撃波が地上に達し、反射して再び上空に跳ね返され、四方に拡がっていくことで,多くの家屋や樹木をなぎ倒し、煤塵や土砂を巻き上げる。これが衝撃塵であるが、それらの一部は中性子による誘導放射能をもっていると考えられる。衝撃波で生じた衝撃塵は舞い上がり、原爆雲の下側の雲を形成したと考えられる。衝撃塵は、土砂や日本家屋の壁土が主体(主に珪素)と考えられ、大気中では均質分布と考えられる。
原爆からの強烈な熱放射によって地上では、家屋や生活用品など可燃物が瞬時に着火し、煙や残留灰が上方に立ち昇った。この火災煙にも中性子による誘導放射能が含まれていたと考えられる。爆発40 分後の写真の最下部に火災煙が確認されている。1991 年の湾岸戦争の後に真黒な雨(主体は石油の燃焼であろう)が観測されたが、日本でも大火の後に黒い雨が観測されている。大火の後には黒い雨が降るのは不思議ではない。煙の粒径や濃度については、火災実験などによって与えられている。
火災では、煙粒が1μm、煙中の煤の密度が平均2g/m3 で均質の拡散する。従って、これらの放出量は、気流の上昇成分と放出濃度を用いて推定した。気流の計算には、海陸の熱分布に加えて、火災の放熱も考慮された。

2.2 気象シミュレーション
気象シミュレーションの計算の基本は、BOUSSINESQ 近似と静力学平衡を仮定した方程式系を用いた。この方程式は地面に沿った非直交座標系で書かれた運動量方程式、熱力学方程式、連続方程式、静力学平衡方程式、水蒸気量保存方程式、粒子の移流・拡散方程式からなる偏微分方程式の集合である。衝撃塵は自然界における土砂の上空への舞い上がりを参考にした計算モデルが用いられた。火災煙については、原爆投下当時の調査記録やデータを用いて、火災による熱と煙の発生を推定し、気流

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および二次的放射性粒子の拡散計算に組み込んだ。複雑な偏微分方程式であるが詳しいことは気象専門書にゆだねる。

2.3.地上への降下量の表示
原爆雲、衝撃塵および火災煙から放射性物質は降下し、地上に堆積するが、降雨により流失するなどして、放射能分布は不均質になる。しかし、ここでは地上の単位面積、すなわち広島では、1km2(1km×1km)、長崎では0.25km2(500m×500m)に降下した放射性物質が流出したり、他所から流入することがなく、単位面積内に一様に分布するものと仮定した。

3.広島原爆の計算
3.1.落下粒子数分布.
(a).計算モデル

広島の原爆は8 月6 日8 時15 分に爆発したが、粒子の拡散計算は、原爆の熱的、力学的な直接効果がなくなって、原爆雲が自然の風と市街地の火事の影響のみによって移動を始めたと思われる午前9 時を計算の起点とした。

(イ)計算時間 気流は午前6時から15 時まで、2 分毎の時間積分をおこなった(9 時からの放射性粒子の移流、沈着は15 時頃に終っている。

(ロ)計算空間 爆心を中心とする30km×40km の地域とし、鉛直方向は下層ほど蜜に15 層とした。

(ハ)地域気象 広域気象条件をinput として与え、局地気象が重なるとした。当日は、典型的な夏型
配置であった。午前8 時の天気図では、上空の南南東3m/秒の一般風のもとで海陸風が交替で吹き、この時点では陸風の領域にあった。原爆が投下された後の午前9 時では、平野部の火災域に集まる収束渦が起こり、自然風とは別の風系が発達した。この渦はしばらく停滞していたが、10 時には全域に海風が吹きはじめたため、海風に流されて北に移動しはじめた。市内の南側平野では、海風と火災に吹き込む流れが重なって、3m/秒を超える南ないし南南西の風が吹いている(注:初期の計算では、南南東の風としたが最終的には南南西に修正された)。11 時以降さらに海風が発達すると平野には3乃至4m/秒の持続し、渦は北東から延びる山稜の裾を乗り越えて、北方の谷に入って衰えた。13 時には海風が全域に吹き渡り、渦は消滅した。
このような気象の変動を考慮して、原爆に起因する粒子の着地分布を、9 時を初期点として8 時間
にわたる計算を行ったが、15 時までにほとんど地上に落下あるいは計算域から流れ去ったため、9 時から15 時までの種類別、粒径別の積算粒子数を出力した。

(b)放射性粒子放出
計算の初期条件として、原爆雲、衝撃塵および火災煙は、図1 に示す状況にあったとした。そして、原爆雲、衝撃塵および火災煙には、大粒子、中粒子および小粒子が10,000 個ずつ存在し、それらの粒子が地上に落下したものとする。
原爆雲は、最初にその中心が爆心の上空 5,750m で半径2,250m の球形内で粒子の数がガウス分布をしていると仮定する。
衝撃塵は、その中心が爆心から 4,000m 上空までの爆心を中心とする半径2,250m の円板状区域に均等に分布すると仮定し、原爆雲の粒子と同じ粒径区分でそれぞれが、10,000 個ずつ存在するとした。

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衝撃塵の全量は3.80×103トンと推定されているため、粒径別に各粒子1個の平均重量も既知である。
火災煙は、火災メッシュの最下層メッシュから上流気流に応じて5 時間にわたり放出され、総量と
して1.55×105 トンが放出されたとする。粒子の大きさの分布は、原爆雲や衝撃塵と同じとし、粒子
数の初期条件も各粒子,について10,000 個とした。3 区分の粒子について乾燥沈着と雨による沈着を分けて計算する。広島における火災燃焼率の時間配分は、表1のようにきめた。

表 1. 広島の火災燃焼率の時間配分
着火後の時間(時間) 1 2 3 4 5
燃焼率(%) 30 30 20 15 5

(c) 計算結果
計算結果の一例として、火災煙小粒子について乾燥落下および雨落下した粒子数分布を図2に示す。
上空の放射性物質を含む雲、塵および煙から気象条件などにより、広島の場合は1km2、長崎の場合は、0.25km2のメッシュ内に落下した数が図に示すように数字で与えられる。これらの数字に基づいて、同一の落下数を線で結べば等落下粒子数曲線が得られる。該当する数がない場合は、まわりの数字から比例配分法で内挿する。この方法で、図のように等落下数曲線を求めた。

図1.計算モデル.計算の初期条件における原爆雲、衝撃塵および火災煙の大きさ、位置関係などを示す.

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図2.火災煙小粒子の各メッシュ内に落下した粒子数:広島原爆.
(a)雨落下の場合、(b)乾燥落下の場合.
(a)
(b)

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3.2.線量評価法
広島では、1945 年8 月6 日午前9時から午後3 時までに地上に設定されたメッシュに落下した粒
子数の積算数を用いて、メッシュ内での放射線被ばく線量を算定した。
(a)ソースターム
原爆に起因する降下物による線量を推定するために、線量に関係する線源の性質、すなわちソースタームを知る必要がある。
イ.原爆雲:原爆雲は、火の玉がまわりの空気を吸収したものである。核分裂生成物、未使用核分裂物質、原爆からの中性子によって放射化された弾頭構造物などは、炸裂時の創造を絶する核エネルギーによってガス状になっていた。ネバダでの核実験によれば、原爆の出力1kt あたりの核分裂生成物の全放射能は、炸裂後12 および24 時間では表2 のように与えられている。

表 2. 原爆出力1kt あたリの核分裂生成物の放射能(EBq/kt)4)
核実験名称 炸裂 12 時間後炸裂 24 時間後
アンニー 1.05 0.41
ビー1.04 0.42
ガリレオ1.01 0.36
ハリー1.06 0.41
スモーキー1.03 0.46
平 均1.04 0.41

Glasstone とDolan3)が報告している24 時間後の値、0.55EBq に比べて、表2 の数値は25%程度
小さいが、本報では最新データである表2 の平均値を採用する。DS86 では広島の原爆出力は15kt(DS02 では16kt)なので、炸裂12 および24 時間後の原爆雲の全放射能は、広島では15.6 および6.15 EBq であったと考えられる。

ロ.衝撃塵:火の玉に続いて、地上に強烈な衝撃波が到達した。この衝撃波によって地上の物質は上空に巻き上げられ、雲を形成した。これが衝撃塵による雲である。衝撃波が到達する以前に、地上の物質は原爆からの中性子によって放射化され、放射能を帯びた。地上には種々の物資があり、衝撃波によって上空に舞い上がったと考えられる。衝撃塵が約4000mの上空に達していたことから、その大部分は土砂の微塵であったと予想される。衝撃塵で巻き上げられた土砂の総量は、流体力学の計算によれば、3800 トンと推定される。巻き上げられた土壌は、すべて爆心地で放射化されたものとする。広島の土壌の原爆中性子による誘導放射能の研究は、放医研でもDS86 においても行われている。
土壌試料に原子炉からの中性子を照射して、生成された放射性核種を調べた。原子炉中性子照射後の土壌のγ線スペクトルでは、照射5 分後では、28Al(半減期2.24 分)が支配的であるが、1 時間後には56Mn(半減期:2.58 時間)と24Na(半減期:15 時間)が顕著となる。48 時間後には56Mn のほとんどが壊変し、24Na が支配的となる。比較的半減期の長い核種として、46Sc(半減期:83.8 日)、60Co(半減期:5.27 年)および134Cs(半減期:2.06 年)が土壌から検出された。しかし、これらの半減期の長い核種の放射能は微量である。従って、衝撃塵由来の放射性降下物からのγ線の外部被ばくを考える場合には、56Mn と24Na の2 つのみを取扱えばよい。広島の土壌などの元素組成を放射化分析法によって推定した。その結果を表3 に示す。土壌や屋根瓦など50 試料が広島および長崎市内

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のいろいろな場所(爆心から2km 以内)から採取された。土壌1g あたりの23Na 含有量は広島およ
び長崎では大差ないが、56Mn 含有量は、長崎の方が大きいことがわかった。

表 3 土壌や屋根瓦などの23Na と55Mn の含有量:試料1g あたりの含有量(mg)
試料Na Mn
土壌(広島) 18.1 0.9
土壌(長崎) 22.0 2.7
屋根瓦17.1 4.9
レンガ26.8 3.7
コンクリート7.7 1.0
アスファルト41.9 1.2
木材7.0 0.12
土壌(広島)* 14 0.53
土壌(長崎)* 8 1.3
*米国ORNL

木材については、燃焼によって含有量が変わらないと考えられるので、灰になっても放射能は同一と仮定する。建築材については、その種類によって両元素の組成が異なる。
米国の ORNL のデータを表3に併記した。土壌のNa やMn などの含有量は試料の採取場所など
に大きく変動している。米国のデータは2 つの試料に関して測定されたものである。従って、米国の
データを直接、われわれのデータと比較することができないが、両者はデータの変動の範囲内でよく一致していると考えられる。原爆からの中性子フルエンスは、DS86 では、46 エネルギー・グループについて計算されている。放射化に関係する低エネルギー領域のフルエンスは、広島の爆心から5mの地点で、地上1m の高さでは、1.125×1013 n/cm2 である。中性子捕獲反応断面積は23Na について530 ミリバーン、55Mn について13.3 バーンである.これらの数値を用いて、生成される放射能を近似的に計算すると、炸裂後で土壌1g当り24Na が37kBq および56Mn が111kBq となる。DS86では、ORNL の土壌データに基づいて広島で24Na が74kBq および56Mn が185kBq としている。しかし、この量が再評価された中性子フルエンスを用いたものか不明である。
衝撃塵のソースタームとして、地表面での中性子フルエンスが地上1m の値の2 倍と仮定して、広
島では土壌1g あたりの放射能に24Na:74kBq、56Mn:222kBq という数値を用いることとした。ま
た、衝撃塵は、爆心の周りのかなり離れた距離からも上空に立ち昇ったと考えられるが、ここでは、爆心のごく近傍だけとして、爆心から5m の位置での中性子フルエンスによる計算値をそのまま適用することにした。

ハ.火災煙: 全焼区域は、広島の場合、爆心を中心に半径がほぼ2km の円形の地域である。この
区域内には、建ぺい率30%の割合で木造家屋が建てられており、木材の灰が火災煙と共に上空に舞い上がったとする。燃焼したものは家屋だけでなく、屋内に紙や衣料品などいろいろなものがあり、それらが灰となって上空に舞い上がったと考えられる。しかし、木材以外の物質については、推定が困難である。ここでは、火災煙が単純に木材の灰で構成されていたものとする。すべてが木材と仮定して、密度は100kg/m2 とする。広島では、5 時間にわたって火災が続いたものとする。木材には表

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3 に示す割合でNa とMn が存在していたとすれば、爆心では、単位面積あたりの灰の放射能は、24Naが2.85GBq、56Mn が2.96GBq である。中性子フルエンスは爆心からの距離と共に減少するが、爆心から1km では、爆心の値の約500 分の1 になる。2km では500,000 分の1 になる。ここでは、爆心の100 分の1(爆心から焼く800m の位置)のフルエンスに相当する地点での放射能を火災煙のソースタームとした。すなわち、炸裂直後に1m2 あたり24Na、56Mn ともに29.6MBq(0.8 mCi)とした。

(b).地上での放射能分布
気象シミュレーション計算では、雲から雨や塵の形で地上に落下する粒子の分布は、粒子の大きさに関係する。それぞれの初期雲の中に、大粒子(平均200μm の直径)、中粒子(平均30μm の直径)および小粒子(10μ以下の直径)の3 種類の粒子がそれぞれ10,000 個ずつ存在すると仮定した。地上に落下した粒子の放射能分布を求めるため、爆心地点を中心に広島市の地図上東西南北に1kmずつに分割して、1km×1km を単位とするメッシュを考えた。それぞれの雲から各メッシュに落下した粒子の数の分布を3 種の雲と3 種類の粒径について、雨と塵の2 種類について計18 の場合について計算した。

イ.原爆雲
原爆雲に含まれる放射能がどのような粒径分布にあるのか確かなデータはないが、前述のネバダの核実験データは、3 種の粒径分類では各粒径がほぼ同一の割合で混在していることを示唆している。
そこで、各粒径について、各メッシュに雨または塵として1 個落下したとすれば、炸裂12 時間後の
地表放射能密度は、15.6 EBq×(1/3)×1/10,000 (1/個 )×1/106 (km2 /m2) = 5.2×108(Bq/m2 ) となる。

ロ.衝撃塵
衝撃塵の粒度分布は、衝撃波で巻き上げられた土砂であり、その粒径分布は大粒子が3,660 トン、中粒子が75 トンおよび小粒子が23 トンの合計3,760 トンと推定された。メッシュあたり10 個の粒子が降下したとすれば、放射能密度は表4 のように計算される。

表4.衝撃塵から降下 した放射能密度の 1 例
粒子の種類 降下粒子数 重量 24Na 56Mn
大粒子10/10,000 (/km2) 3.66×103 kg 27.0×104 Bq/m2 81.4×104 Bq/m2
中粒子 10/10,000 (/km2) 7.5 ×10 kg 0.56×104 Bq/m2 1.7×104 Bq/m2
小粒子 10/10,000 (/km2) 2.3 ×10 kg 0.17×104 Bq/m2 0.51×104 Bq/m2

ハ.火災煙
火災実験や火災のデータから、広島市街地の火災では、総量で1.55×105 トンの煙が立ち昇ったと
推定される。粒径別では、大粒子が3.21×103 トン(重量比:0.0207)、中粒子が1.55×104 トン(重
量比:0.100)および小粒子が1.36×105 トン(重量比:0.875)と推定された。全焼区域を半径2km
の円内とすれば、その全面積は1.256×107m2 と推定される。従って、その全放射能は、3.2.a.ハ
に述べた区域内の平均の放射能を用いて、24Na および56Mn ともに372TBq と算定される。これは木材の灰のみの放射能である。その他の物質の灰に関する情報がなく、また木材の灰がすべて火災煙になったという証拠もない。そこで、ここでは火災煙では全放射能として、木材の放射能を適用した。

火災煙の比放射能の比放射能は、372TBq/1.55×1010g=2.40×104Bq / g とした。火災煙から地上の

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メッシュに降下した粒子数が、それぞれ100 であったとき、その放射能密度は表5 のように計算される。

表 5 火災煙から降下した放射能密度の一例
粒子の種類 降下粒子数 比率 24Na 56Mn
大粒子10/10,000 (/km2) 0.0207 7.7×104 Bq/m2 7.7×104 Bq/m2
中粒子 10/10,000 (/km2) 0.100 38.9×104 Bq/m2 38.9×104 Bq/m2
小粒子 10/10,000 (/km2) 0.875 325×104 Bq/m2 325×104 Bq/m2

(c). 外部被ばく線量
気象シミュレーション計算では、1945 年8 月6 日午前9 時から午後3 時までに降った雨や塵が、
降雨によって地上に流出することなく、それぞれのメッシュ内に一様に分布したものと仮定している。

表3,4 および5 のような放射能密度で分布している放射性物質から人体が受けたγ線量を推定する。
人体の受けた線量は、地表から1m の高さにおける照射線量率で評価する。

イ.原爆雲
米国のローレンス・リバモア国立研究所では、1 メガトンの核兵器によるフォールアウトからのγ
線量を計算している。地上に堆積した原爆からの152 種類の核分裂生成核種と25 種の中性子放射化核種について炸裂後のいろいろな時間における単位地表面放射能密度(μCi /m2)あたりの照射線量率が計算されている。核分裂生成物は152 種の半減期のことなる核種から構成されているため、炸裂後の時間(t)による放射性壊変の補正はt-1.2 によって行われている。
本線量推定では、ローレンス・リバモア研究所5)の報告している炸裂後24 時間における数値、126
(μCi /m 2)/(mR /h)を換算係数として採用し、原爆雲から落下物による線量を計算した。

ロ.衝撃塵および火災煙
炸裂後12 時間における24Na からの線量換算係数として、19.16(μCi /m2)/(mR/h)、56Mn か
らの換算係数として40.5(μCi /m2)/(mR/h)を用いた。

4.結果と考察
原爆雲からの粒子は、雨となって一部が爆心から北西方向に落下した。塵としては、大粒子の一部が北西方向に落下したが、中小粒子は計算範囲内には落下しなかった。図3aは原爆雲から落下した放射性降下物の炸裂12 時間後の広島における放射能密度分布を示す。単位のない数字は、放射能密度(mCi/m2)を表す。上記の換算係数を用いて算定した地上1m における照射線量を照射線量の単位mR で示す。

衝撃塵は雨となって北方向に落下したが、塵としては北西方向に広がっている。図3bおよび 3c
はそれぞれの衝撃塵から塵および雨となって落下した放射能密度(μCi /m2)を示す。
火災煙は、黒い雨となって北方向を中心に扇形の広い区域に落下したが、塵としては北東方向に降下している。図3dおよび3eは火災煙から塵および雨となって落下した放射能密度分布を示す。
原爆雲から落下した放射能密度の最大は、約1,600mCi /m2 であり、照射線量率に換算して12.7R/hである。衝撃塵では、最大が24Na で約450μCi /m2 であり、照射線量率で23mR/h である。火災煙では、最大が約150μCi/m2 で線量率に換算して、8mR/h である。これらの最大値は、いずれも異なるメッシュであるが、広島市内における炸裂12 時間後の被ばく線量率は約13R/h であると推定され

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る。これらの数値については今後、さらに解析する必要があると考えている。

図3.広島に投下された原子爆弾により8 月6 日午前9 時から同日15 時までに地上に降下した
放射性物質からの投下12 時間後における被ばく線量率(mR/h).照射線量1mR は、8.7μGy として空気カーマに換算できる.

図3a 原爆雲から塵および雨としての落下した放射性物質.
図 3b 衝撃塵から塵として落下した放射性物質.

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図 3c.衝撃塵から雨として落下した放射性物質.
図 3d.火災煙から塵として落下した放射性物質.

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稿を終わるにあたり、広島および長崎の市民、放射線影響研究所の関係者各位のご協力に感謝するとともに、報告書整理にご協力をいただいた放射線医学総合研究所重粒子医科学センター医学物理部の西沢研究室長ならびに研究室の各位に深甚の謝意を表します。

参考文献
1) 吉川 友章:保健物理学会誌、22、104-110、1987.
2) 黒い雨に関する専門家会議編、黒い雨に関する専門家会議報告書 資料編、1991 年5 月.
3) Glasstone S. and Dolan P. :The Effects of Nuclear Weapons, 3rd Edn.,US. DPO. 1977。
4) Hicks H.G.:Health Physics、585-600 42(5)、1982.
5) Hicks H.G :: UCRL 53569. Lawrence Livermore NL. 1984.
図 3e.火災煙から雨として落下した放射性物質.

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