2014年12月27日土曜日

FUKUSHIMA PROJECT // メルトダウンを防げなかった本当の理由─福島第一原子力発電所事故の核心

メルトダウンを防げなかった本当の理由─福島第一原子力発電所事故の核心
 


2014/10/15 に公開 メルトダウンを防げなかった本当の理由 ─福島第一原子力発電所事故の核心 by Prof. Yamaguchi Eiichi

 
The Actual Reason Why The Fukushima Accident Could Not Have Been Avoided by Prof. Yamaguchi   Eiichi  

 

2014/03/06 に公開
Understanding the Core of the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant Accident...from Prof. Yamaguchi Eiichi

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山口 栄一 - 京都大学 教育研究活動データベース
http://kyouindb.iimc.kyoto-u.ac.jp/j/xZ8rN

YAMAGUCHI Eiichi Laboratory
http://www.doshisha-u.jp/~ey/j/publications.html

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The Actual Reason Why This Accident Could Not Have Been Avoided

http://www.reseapro.com/img/English%20Version_e-book-fukushima%20project%20_final%20publish.pdf

 PDF 1~93p

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参考資料:

東京電力福島 原子力発電所事故 調査委員会 
国会事故調 報告書

PDF 1~ 646p

http://naiic.tempdomainname.com/pdf/naiic_honpen.pdf

http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/report/

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http://nonohanasya.jimdo.com/%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8/fukushima%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%88-%EF%BC%91/

福島第一原子力発電所事故の核心

メルトダウンを防げなかった本当の理由

                                                  山口栄一



1.はじめに<何かが見逃されている>

*謎解きの発端は何か
 
  原発事故が起きた当初、マスメデアは一斉に原子力という技術そのものに避難の目を向けた。この報道の仕方に違和感をもった。東電の経営者は「想定外」と繰り返し言っていたが、技術者はそんなに愚かだろうか?

    「想定」とは国が定めた設計指針であろう。「それを遵守してきてなお防ぎ得ないような事態が発生した」と説明しているわけだ。もちろん言外に「だから責任はとれない」という主張がある。

     では、原子炉の設計に携わるエンジニアもそのような非科学的な判断を共有していたのだろうか。「原子炉は絶対に安全だから、その安全を疑ってはならない」という「お上」の方針を非科学的と感じないわけがない。設計指針がビジネス上は絶対的なものであったとしても、実効的には鵜呑みにできるわけがない。エンジニアは全電源がなくてもなんとかなる「最後の砦」をつくっておいたはずだ

想定外」を「想定」し、「最後の砦」を準備しておくべきだと考えるのがエンジニアの倫理感というものだろう。
 
*交流電源なしで動く「最後の砦」は存在した

  その想像があたっていたことを知ったのは3月29日のことだった「最後の砦」と呼ぶべき装置がすべての原子炉に設置されていたその装置はたとえ全交流電源が喪失したとしても、無電源(または直流電源)で稼働し続けて炉心を冷やすものである。

     福島原発1号機には「非常用復元器(IC)」。これは電源なしで約8時間炉心を冷やしつづけるよう設計されていた。2~3号機には「隔離時冷却系(RCIC)」。これは直流電源で炉心を20時間以上冷やしつづけるよう設計されていた。

     「最後の砦」があれば、地震後にこれらが自動起動したか、運転員が手動で稼働させるのは当然。

これをしなければ、原子炉が「制御不能」になるのは自明。そして「最後の砦」が働いて原子炉を「制御可能」にしている間に早く対策を講じなければならない。冷やし続けられなくなれば、原子炉は「生死の境界」を越えて熱暴走し、「制御不能」になってしまう。

 ただ、地震で外部電源がすべて断たれた状況では、その復旧が数時間でできるわけではない。

現実的には、敷地のタンク内にある淡水をまず使って冷やし、同時に「海水注入」の準備をし、淡水がなくなる前に海水に切り替えるしかない。

     簡単な理屈である。けれども、それは実行されなかった

なぜか。

    二つの可能性がある。

     「最後の砦」は動かなかった。あるいは動いている最中にどこかに穴があいて水が抜けてしまい、努力むなしく原子炉は暴走した。

     もう一つ。東電の経営者が意図的に「海水注入」を避けようとした。理由はある。海水を入れれば、その原子炉は廃炉となり、経済的に大きな損失を被るからである。

 私は、どちらの可能性が真実かを見るために、事故後の公開データを調べ上げ、原子炉の水位と原子炉内の圧力との経時変化をプロットしてみた。その結果は、1号機の非常用復水器は設計通り8時間稼働、3号機の隔離時冷却系は20時間以上稼働、さらに2号機の隔離時冷却系は70時間稼働していたことを示唆したものであった。

 そこで私は、4月のはじめに論文を書き、日経エレクトロニクスと日経ビジネスオンラインに発表した。どちらもリリースされたのは5月13日(金)。その主張は第2の可能性のほうが正しいというもので、要点は以下のとおり。

 三つの原子炉とも「最後の砦」は動いて原子炉の炉心を冷やしつづけた。ところが、原子炉が「制御可能」であったときに「海水注入」の意志決定はなされなかった。よって東電の経営者の「技術経営」に重大な注意義務違反が認められる。

*5月15日の豹変
 
  すると驚くべき反応が二つあった。

     一つ目は、東電自体から。その2日後の5月15日(日)に東電は、緊急記者発表を行った。その内容は・・・

 1号機の運転員が計測した原子炉水位データは間違っていて、実際には原子炉水位は維持できていなかった。しかも11日15時3分以降、非常用復水器系の機能は一部喪失。この機能が完全に喪失していたと仮定して解析したところ、原子炉の水位は、11日18時に燃料棒の頭頂部に到達し、19時半ごろに燃料棒の底部に到達して空焚きになったとの結論を得た。また炉心溶融は11日19時半には始まったとの結論も得た。・・・

 異様な記者発表だった。運転員が計測した原子炉水位データがなぜ間違っていたのか。それについては何も述べられなかった。

     こう勘ぐってみたくもなる。「これまで原発は安全だと主張し、事故後もそれを言い続けてきた」ものの、経営責任を問う論説が現れたので、「原発は、地震と津波で暴走するほど危険なものだ」と解釈されることもやむなしとし、「1号機についてはすぐに『制御不能』に陥ったので、事故は経営者の意志決定の不行使のせいではない」と主張し始めた。もしそうであれば、この記者発表は東電の東電都合による「シナリオの書き換え」であり、その目的は「経営責任の回避」である。

 マスメディアは厳しい検証を加えるかと思っていたら、東電のシナリオをそのまま受け入れ、「仮説」を「事実」として一般の人々に広く認識させるという役割を果たした。
   
4.<3号機、次いで2号機はどのように制御不能になったか>
 
  2号機と3号機には、1号機とは異なる「隔離時冷却系」と呼ばれる非常用復水器の進化形の「最後の砦」が取り付けられている。炉心の発熱で発生した蒸気で回る専用タービンを回転させ、その回転でポンプを駆動するシステムであって、非常用復水器よりも持続時間が長く設計されている。この隔離時冷却系はどれくらい動き、いつ物理限界を超えて「制御不能」に陥ったのか。
 
*3号機は、13日2時まで「高圧注水系」が稼働した
 
  3号機は11日15時5分に隔離時冷却系が手動で起動されている。保安院の報告によれば、津波到来による15時37分の全電源喪失後も直流電源は機能していて隔離時冷却系の運転は継続した。そのため、原子炉水位は4m強に保たれ、圧力容器内は75気圧以内に保たれた。ただし逃がし安全弁が適宜働いて圧力容器内の蒸気を格納容器側に逃がしたため、ドレイウェル内の圧力は1.5気圧から3.5気圧まで徐々に上がっている。

 12日11時36分、ついに隔離時冷却系が止まる。3号機の隔離時冷却系は20時間半動いたということだ。その結果、原子炉水位は少しずつ下がり始めさらにドライウェル内の圧力は、その耐圧3.8気圧を超えて3.9気圧に達した。

 ここで3号機に幸運が訪れた。隔離時冷却系に使用されたものとは別系統の直流電源がまだ生きており、隔離時冷却系停止の約1時間後の12時35分に、その直流電源によって高圧注水系自動起動したのである。高圧注水系の冷却能力は隔離時冷却系の10倍あるので、圧力容器内の水蒸気は急速に冷やされ水になり、圧力が急激に下がって12日19時には10気圧以下にまで、さらに20時15分には8気圧にまで下がる。その後も13日2時まで、圧力容器内の圧力は8気圧から9.7気圧の間に保たれた。
 
*3号機は確実に救えた
 
  3号機は11日15時5分から12日11時36分まで、隔離時冷却系によって「制御可能」の状態に保たれ、それが止まった後も、ほぼただちに稼働し始めた圧力注水系によって「制御可能」の状態に保たれ続けた。とくに12日20時頃から圧力容器内の圧力は8気圧以下になったので、逃がし安全弁を開くことで、ベント開放することなく消防車による海水注入が可能だった。しかもその圧力は、現場の運転員がリアルタイムで測定しており、それを現場は知っていた。

 しかしながら13日2時44分、高圧注水系は稼働を停止する。その結果、約2時間後の5時までに原子炉水位はなんと-3.5mまで下がり、8気圧だった圧力容器は70気圧を超えてしまう。
 13日8時41分、ベント操作作業が開始されるがなかなか開かない。ようやく約40分後の9時20分からドレイウェル内の圧力が下がり始め、圧力容器への注水が可能になる。こうして13日9時25分、消防ポンプによる原子炉への海水注入が行われた。

 すなわち3号機は12日2時44分から9時25分までの6時間43分、空焚き、つまり「制御不能」状態に放置されたままだった。13日9時25分から海水注入をしたところで、3号機の暴走を止めるには遅すぎた。

     しかもこの3号機のベント開放は福島の人々のみならず東日本の人々を長期的に苦しめ続けることになった。

     13日3時頃までであれば、たとえベント開放しても炉心が溶融し始めていないので、ベント開放で放出されるのは冷却水が蒸発して生じた水蒸気だけだ。この水蒸気はごく微量の放射性物質を含むのみで、ほとんど被害をもたらすことはない。

 ところが13日8時41分以降のベント開放は、炉心溶融がはじまって3時間以上も経っているので、燃料被覆体は破れており核反応生成物であるヨウ素131やセシウム134、などのセシウム137などの放射性同位体がすでに冷却水に漏れ出していた。ここでベントを開けてしまえば、これらが大気中に放出され最悪の事態に陥る。結局、この事態は起きた。福島第一原発を中心とする東日本一帯は、高濃度かつ長期的に放射能汚染されるという史上最悪の結末を迎えた。
  もしも3月12日のうちに、あるいは遅くとも13日2時44分までに、東電が海水注入を行っていれば、この事態は確実に回避できていたはずだ。

*2号機も確実に救えた
 
  2号機は3月11日14時50分から14日13時までの70時間、隔離時冷却系によって原子炉水位は4mに保たれ、炉心はずっと「制御可能」の次元にあった。圧力容器内の圧力は63気圧以下に保たれており、かつドライウェル内の圧力は12日の深夜まで1気圧程度であって、逃がし安全弁を開ければ圧力容器内の圧力を6気圧以下にすることは容易であった。その後もその状態が続いていた。実際、14日18時03分にその操作がなされた。

すなわち14日13時までに、いつでもベント開放することなく消防ポンプによる海水注入が可能であったということである。しかも3号機同様、そのことを現場は知っていた。

  もしも3月14日13時までに、東電が圧力容器の逃がし安全弁を開けて「海水注入」を行っていれば、2号機は物理限界を超えて「制御不能」の次元に陥ることはなかった。

そして3号機同様、東電の経営者は「海水注入」の意志決定を確実にできた。しかし彼らは、ここでもその意志決定を行わなかった。かくて2号機からの放射能汚染が追い打ちをかけた。

なんと清水正孝社長は、海江田万里経済産業大臣に「(制御不能になった原発を放置して)撤退したい」と要請する電話をかけたのだ

     一部の政府関係者および専門家も、撤退やむなしと判断。15日3時に菅総理に伝える。
 しかし、菅は「いま撤退したら日本がどうなるか分かっているのか」とどなりつけ、清水を呼びつけたうえで東電の「撤退要請」を却下。即座に東電本社に乗り込んで、そこに統合対策本部を設置した。15日5時35分のことであった。
   
8.<何が明らかになり、何を明らかにすべきか>
 
*明らかになったこと
 
  ①13日11日15時27分の津波到来の後、非常用電源が壊れ、非常用炉心冷却装置が稼働しなくなったものの、「最後の砦」たる非常用復水器と隔離時冷却系は、それぞれ1号機および2~3号機において交流電源なしで稼働した。3号機では直流電源が生きていたので、12日11時36分、隔離時冷却系が停止したすぐ後に高圧注水系が自動起動して、13日2時44分まで炉心を冷やし続けた。

 ②よって、これら「最後の砦」が動いている間は、原子炉は「制御可能」であったから、その間に「海水注入」を消防ポンプで行うためには、圧力容器内の圧力を消防ポンプの加圧力(6~7気圧)以下にまで下げねばならず、そのためには圧力容器の逃がし安全弁を開けて圧力容器内の水蒸気を格納容器のドライウェルに逃がさなければならない。このときドライウェル内の圧力が、設計耐圧より高くなる場合には、ベントを開放して格納容器内の水蒸気を外界に出さなければならない。

     「制御可能」時のベント開放は放射性物質をほとんど出さない。しかし「制御不能」の次元に陥ってしまえば、炉心溶融のためにヨウ素113やセシウム134,セシウム137などの放射性同位体が発生し、ベント開放によってこれらが大気中に放出される。よってベント開放は、原子炉が「制御可能」の次元にある間になされなければならない。 

 ③にもかかわらず、東電の経営者は、原子炉が「制御可能」の次元にある間の「海水注入」を拒み続けた。1号機で海水注入できなかったのは不可抗力かもしれない。しかし1号機でついに「海水注入」せざるを得なくなった12日の夜、2号機では余裕をもって「海水注入」することが可能だった。しかし彼らはこれを拒んだ。

 ④ついに3号機は、13日2時44分から6時43分まで、空焚き、つまり「制御不能」状態に放置された。13日9時25分より「海水注入」がなされたが、暴走を止めるには遅すぎた。3号機の「海水注入」の時点で、2号機はなお隔離時冷却系が動いていて「制御可能」の次元にあった。それでも東電の経営者は、2号機への「海水注入」を意志決定しなかった。2号機は14日13時頃に隔離時冷却系の稼働を停止する。その約7時間後の19時54分に消防ポンプにより海水注入がなされたものの、暴走を止めるには、3号機と同様、遅きに失した。

 ⑤なぜ東電の経営者は、「海水注入」を拒んだのか
それは一つには彼ら自身がつくった「過酷事故マニュアル」による可能性がある。しかし1号機が未曾有の事態になった後は、可及的速やかに3号機と2号機で「海水注入」を意志決定できたはずだ。しかし経営者は、原子炉の「物理限界」とは何かが理解できず意志決定を怠って、ついに3号機と2号機とを「制御不能」に陥らせた。

 ⑥ゆえに本事故は少なくとも3号機と2号機については、暴走することがあらかじめ100%予見可能だった。よって、この事故の本質は「技術」ではなく「技術経営」にある。
そのため、東電の経営者の刑事責任は極めて重い。

*明らかにすべきこと
 
  1号機については、まだ事実が明らかになっていない。すでに説明したように現在二つのシナリオが考えられる。

    第一のシナリオは、「1号機の原子炉水位計は正しく作動し、かつ非常用復水器は片肺ながら機能して原子炉水位を12日8時まで正に保った」という仮定に基づくもの。
第二のシナリオは、「1号機の原子炉水位計は誤った値を示していた」という仮定に基づくもの。それぞれ問題点をまとめておく。

 第一のシナリオの問題点は大きく三つある。

     一つ目の問題点は、「1号機の原子炉水位の最終値がマイナス1.7mと現実的でない」
という点だ。実際、この点によって、東電、保安院ともに原子炉水位計が正しく動作していなかったとしている。これについては、第三者機関による検査が待たれる。

     二つ目の問題点は、3月11日17時50分以来、たびたび運転員が放射線を1号炉近傍で観測していることだ。たとえば、1~2号機の当直引き継ぎ日誌には、ホワイトボードに<17時50分、IC組撤収。放射線モニタ指示上昇のため 300CPM>という記述がある。また「プラント関連パラメータ」の11日の記述に<23時49分、15条通報9報 タービン建屋で線量上昇 23時 1F1.2msv/h 南0.5msv/h >とある。これは11日のうちに炉心溶融が始まっていた可能性を示唆する。

     三つ目の問題点は、非常用復水器のなかに最終的に残留していた冷却水の量が多すぎるということだ。これも東電・保安院の説明では矛盾が生じる。第三者機関による検査が必要である。
 一方、第二のシナリオの問題点は、「18時に原子炉水位が負になり、21時30分の時点では、炉心損傷がすでに始まっていた」にもかかわらず、21時30分に3Aバルブを開けたのち、何らの異常なく非常用復水器からの「蒸気発生を確認」している点だ。これについても第三者機関による検証を必要とする。

*すぐにやるべきこと
 
  以上論じてきたように、1号機については、これ以上の判断をするデータがなく、経営責任を問えるまでには至っていない。第二のシナリオを否定する事実も存在するものの、第一のシナリオを否定する事実のほうが多い。

     しかしながら、2~3号機については、東電の「技術経営の誤謬」は極めて明白である。
日比野が官邸にいた3月12日夜(最悪でも13日の2時44分までに)、元菅総理やアドバイザーの日比野の主張した通りに3号機に「海水注入」していれば、3号機は「制御不能」の次元に陥ることはなく東日本の放射線被害も半分以下で済んでいた。

2号機についても同様に12日の夜(最悪でも14日の13時22分までに)、「海水注入」していれば「制御可能」にとどまった。

よって、東電の経営者の「意志決定」の刑事責任は重い。同席していた保安院委員長、原子力安全委員会委員長も共同責任を問われる。

 いま、私たちがただちにやるべきこと。それは現場での作業員の被曝や放射能汚染に基づく精神的苦痛について、犯罪被害者をはじめとする市民が東電の経営者の「過失」犯罪を刑事告発するとともに、被害者の被った損害を賠償させるべく民事告訴することである。

     第一の被害者は、自らの故郷を追われ、多大な精神的・財産的不利益を被った10万人以上の福島の方々である。全体がまとまって放射能被害のまったくない地域にまったく同じコミュニティーを東電につくらせる権利を保有していることは当然のことだ。そもそも東電から送られてきた「補償金請求書」に書き込む必要はない。なぜなら、東電が被害者に支払うべき対価は「賠償金」すなわち「違法な行為による損害に対する支払い」であって、「補償金」すなわち「適法な行為による損害への支払い」ではないからである。

     第二の被害者は、東電の従業員に他ならない。彼らは、何の罪がないにもかかわらず、社会的に迫害を受け、毎日、わが身にせまる危険におびえながら隠れるように暮らしている。何十年も東電を勤めあげ地域の電力安定供給のために心身をささげてきた従業員は、自分の人生を全否定された思いであろう。しかも福島第一原発では、東電のエンジニアたちは命がけでこれ以上放射性物質がひろがらないように懸命に働いている。彼らこそ東電の経営者を弾劾して自らの名誉回復をする権利を持っている。

     そして第三の被害者は、日本で働く一人一人だ。この事故によって日本は「日本」というブランドをひどく損なった。もしこの事故の本質的原因をきちんと解き明かすことをしなければ、日本は立ち直れないだろうとさえ思う。それ以上に、粉々にされてしまった福島の人々の思いをしっかりと受け止めて犯罪的加害者の責任追及をしない限り、自らの人間性こそが損なわれてしまう。
 福島の人々の問題は、まさに「私の問題」なのだ。まして「犯罪加害者がその罪を水に流され、犯罪被害者が差別される」という苦い歴史を、日本はもう決して繰り返してはならない。

9.おわりに<新しい曙光に向かって>  
*日本型経営の限界を認識せよ
 
原発事故が起きてから現在までに、数多くの調査レポートが出版された。わたしが参考にしたものだけで、22篇がある。(省略)

     これらの調査レポートには一冊の本を除いて、ある共通の特徴が存在する。それは、この原発事故の本質的原因が、「最後の砦」の稼働中に「海水注入」の意志決定をしなかったことにあるということを一言も述べていないということだ。例外の一冊とは、齋藤誠の「原発危機の経済学」である。

     同様の現象がJR福知山線事故についても起きている。この事故は、線路設計変更がなされた1996年12月時点で取締役・鉄道本部長であった山崎正夫が業務上過失致死罪に問われていて、神戸地裁(岡田信裁判長)において審理がなされている。有罪を主張するのは私一人であるらしい。

     この二つの事例に、私は「日本社会」の危うさを嗅ぎ取る。
 日本にあっては、会社の経営者とは社員(従業員)が昇進したあげく最後になる職位。日本はボトムアップ型社会なのだから、会社の運営はみんなで、全体でやっていく。だから経営者の役割は全体を調整すること。リーダーシップをとる必要はない。

     そのような空気が、会社経営において支配的ななのだろう。そのため、経営者の下した意志決定(ないし意志不決定)の責任を社会が問う、というコーポレート・ガバナンスの意識が欠落しているのではないだろうか。

     しかし会社経営とは、漆黒の闇夜を手探りで飛行する行為に他ならぬ。突如立ち現れたリスクには、すみやかに意志決定し、ダメージを最小限に食い止める。その意志決定が誤っていた時には、潔く責任を取る。未来はまったく見えないけれど、それでも会社の浮沈を定めるような意志決定を下すパイロットたちを、わたしたちは「経営者」と呼ぶ。経営者には、それをすることのできる胆力が必要なのである。

     福島原発事故で「経営者は『海水注入』の意志決定をしなかったために、原子炉の暴走を『予約』してしまった」ということも、「物理限界を知らなかった」では済まされない。そもそも、自社の技術の物理限界も知らない人間を経営者にすることなど、あってはならないのだ。

だから、東電の経営者の不行使に対して過失の刑事罰を問うことは、日本社会を「責任のとれる社会」に変えていくうえで重要な契機となる。
 
*ブレークスルーをしなければ生き抜けない
 
  なぜ同じ「経営者の誤謬」が繰り返されたのか。それは根源をたどると、JR西日本も東電もイノベーションの要らない会社だからではないか。

     熾烈な世界競争の中にあるハイテク企業の場合は、ブレークスルーを成し遂げないかぎり生き抜いていけない。

一方、JR西日本や東電は、事実上の寡占ないし独占企業であって、イノベーションの必要性はほとんどない。

    こうした状況下で、人の評価がされるとすれば、その手法は「減点法」にならざるを得ないだろう。「減点法」の世界では、リスク・マネジメントは「想定外のことが起きたときにいかに被害を最小限にとどめるか」という構想力ではなく「リスクに近寄らない能力」ということになってしまいがちだ。その雰囲気が、人から創造力や想像力を奪う。

    人が創造力や想像力を充分に発揮できる組織にするためには、事実上の独占企業をなくして競争環境を導入し、人々が切磋琢磨できるようにすることだ。

  東電の場合、発電会社・送電会社・配電会社、そして損害賠償会社に4分割する。そして損害賠償会社は、この原発事故の原因が「技術経営の誤謬」にあったのだということを深く自覚し、自らの「技術経営」の失敗を国民につけ回しすることなく最後まで、自分で自分の尻を拭く覚悟を持つ

    その上で、「制御可能」と「制御不能」の境界を経営する最高責任者としてのCSO(Chief Science Officer)を新設する。CSOは、通常存在しているCTO(Chief Technology Officer)のように日々の技術とその改善に責任を負うのではなく、「地」全体の「グランド・デザイン」とそのイノベーションに責任を持つ。

    それが達成されるまで、独占企業に原発の経営は無理だ。
 実際、東電の経営者は「海水注入」を拒んだあげく、少なくとも二つの原子炉を「制御不能」に持ち込んでしまい、ようやく自分たちが「物理限界」の外にいることを悟って、原発を放置のうえ撤退することを要請した。自らが当事者ではないという意識で経営していたからだろう。


    さらには、現状の原子力経営システムをそのままにしておくことは罪が深い。
日比野が教えてくれたように、そもそも事故後に保安院が東電などにつくらせた安全対策マニュアルによれば、今でも「隔離時冷却系が止まってからベント開放をし、海水注入をする」というシナリオになっている


    何のことはない。事故に帰結した福島第一原発の措置と、まったく同じだ。この期に及んでも廃炉回避を優先しているのである。これでは、ふたたびまったく同じ暴走事故がどこかの原発で起きる。この国の原子力経営システムの闇は深い。

    この原発事故が日本の喉元につきつけたもの。それは、「ブレークスルーしない限り、もはや日本の産業システムは世界に通用しない」という警告ではなかっただろうか。

    電力産業に限ったことではない。農業にしてもバイオ産業にしても、分野ごとに閉鎖的な村をつくって情報を統制し、規制を固定化して上下関係のネットワークを築き上げる。その上下関係のネットワークが人々を窒息させる。イノベーションを求め、村を越境して分野を越えた水平関係のネットワークをつくろうとする者は、もう村には戻れない。それが日本の病だ。

    しかし、世界はもう、「大企業とその系列」に取って代わって「イノベーターたちによる水平関係のネットワーク統合体」が、産業と雇用の担い手になってしまった。

    だから、私たちが今なさねばならないことは、村を越えた「回遊」を人々に促すことである。そして分野横断的な課題が立ち現れた時に、その課題の本質を根本から理解し、その課題を解決する「グランド・デザイン構想力」を鍛錬する。

そのためには、科学・技術と社会を共鳴させ、「地の越境」を縦横無尽にしながら課題を解決する新しい学問の構築が必要となる。日本は、この事故をきっかけにして図らずもブレークスルーの機会を与えられた。

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http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111215/202630/?rt=nocnt

メルトダウンを防げなかった本当の理由

──福島第一原子力発電所事故の核心

山口栄一=同志社大学 教授,ケンブリッジ大学クレアホール・客員フェロー

2011/12/15 12:00

福島第一原子力発電所事故の本質を探るという目的でFUKUSHIMAプロジェクト(http://f-pj.org/)を立ち上げたのは、2011年4月のことだった。賛同者から寄付金を募り、それを資金に事故の検証を進め、その結果を書籍というかたちで公表するという枠組みである。この活動の一環として、5月には、日経エレクトロニクス5月16日号で『福島原発事故の本質 「技術経営のミス」は、なぜ起きた』と題する論文を発表し、そのダイジェスト版ともいえる記事を日経ビジネスオンラインで公開した。

 ここで私が主張したのは、電源喪失後も一定時間は原子炉が「制御可能」な状況にあったこと、その時間内に海水注入の決断を下していれば引き続き原子炉は制御可能な状態に置かれ、今回のような大惨事は回避できた可能性が高いことである。つまり、事故の本質は、天災によって原子力発電所がダメージを受けてしまったという「技術の問題」ではなく、現場の対応に不備があったという「従業員の問題」でもなく、海水注入という決断を下さなかった「技術経営の問題」だったと結論したわけだ。その責任の所在を突き詰めるとすれば、東京電力の経営者ということになる。

 そのことを主張した論文と記事が公開された直後、不可解なことが起きた。東京電力が「津波に襲われた直後には、すでにメルトダウンを起こしていた」との「仮説」を唐突に発表したのである。もしこれが本当だとすれば、事故の原因は「地震と津波」に帰されることになる。その天災に耐えられない安全基準を定めたものに責任があったとしても、その忠実な履行者であれば東京電力が責任を問われることはないだろう。

 これは、東電にとって都合の良いシナリオである。マスメディアは、このことに気付き、その「仮説」の妥当性について厳しい検証を加えるであろうと期待した。ところが実際には、ほとんどメディアは東電シナリオをそのまま受け入れ、むしろ「仮説」を「事実」として一般の人達に認識させるという役割を果たしてしまった。そのころメディアは、メルトダウンという表現を避けてきた東電に対して「事故を軽微にみせようとしている」という疑いの目を向けていた。そこへこの発表である。多くのメディアがそれを「ついに隠しきれなくなって、本当のことを言い始めた」結果と解釈してしまったことは、想像に難くない。

そして制御不能に

改めて、事故について振り返ってみたい。

 2011年3月12日、東電が経営する原子力発電所(原発)の一つ、福島第一原発の1号機では15時36分に水素爆発が起き、19時04分に「海水注入」が始まっていた。

 しかし2号機とプルサーマル炉の3号機は、全交流電源を喪失したにもかかわらず「隔離時冷却系」(RCIC)注1)が稼働しており、「制御可能」な状態(原子炉の燃料棒がすべて水に浸った状態)にあった。この段階でこの日の夜、東電の経営者注2)が経営者として「2号機と3号機に海水を注入する」との意思決定を下していたら、この2つの原子炉がアンコントローラブル(制御不能)になることはなかったはずだ。

注1)Reactor Core Isolation Cooling system。正確には「原子炉隔離時冷却系」という。

注2)実際に経営に携わっていた取締役(社外取締役を除く)および執行役員のこと。当時の東電の場合、代表取締役の清水正孝社長(当時)と勝俣恒久会長、および取締役の武藤栄副社長(原子力・立地本部長)(当時)。清水は「文系」なので「物理限界」を判断する能力がなかったと主張する意見もある。しかしすべての技術企業の最高経営責任者は、当然ながら自社のもつ技術の「物理限界」を知悉し意思決定する「技術経営」の根本能力(コンピタンス)を持っていなければならない。

 ところが実際には、その日の夜、「海水注入」の決定はなされなかった。そして、翌日日曜日の5時までに3号機は「制御不能」の状態(原子炉の燃料棒の一部が水に浸っておらずそこが空焚きになる状態)に陥ったのである。炉心溶融が起きてしまい、そのあとの8時41分にベントを開いたので高濃度の放射性セシウムやヨウ素などが撒き散らされて、福島第一原発の30キロ圏内と福島県飯舘村などから10万人以上の人々が故郷を追われた注3)。12日の夜までにベントを開放していれば、3号機からの放射線被害は防げたはずなのに。

注3)1号機のベント開放によっても、同様に放射性セシウムやヨウ素などが飛散した。しかしエネルギー出力比から推測すると、3号機のベント開放による放射能飛散量は、1号機の約1・7倍だったと考えられる。

 結局、3号機で「海水注入」がなされたのは、翌日日曜日の9時25分であった。遅きに失したといえるだろう。

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メルトダウンを防げなかった本当の理由(page 2)

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111215/202630/?ST=observer&P=2&rt=nocnt

しかし、その時点でも、2号機はまだ「制御可能」の状態にあった。にもかかわらず、東電の経営者は2号機に「海水注入」するとの意思決定をしなかった。翌々日の14日月曜日13時22分、2号機の「隔離時冷却系」(RCIC)が機能を停止する。そして、当然のごとく2号機は17時ころ「制御不能」の次元に陥って空焚きになった。それでも「海水注入」はされない。2号機に「海水注入」がなされたのは、19時54分のことだった。

謎解きの発端

原発事故が起きてから、マスメディアは一貫して、原子力という技術そのものを非難した。

 「原子力で出てくる放射性廃棄物が放射能を失うのは数万年かかる。自分で出した排泄物を処理できない技術は実用に供するべきではない」

 「地震大国の日本に54基もの原子炉をつくったのがまちがいだ」

 「平安時代前期(869年)に貞観地震と呼ばれる大地震が来て、今回とほぼ同じ規模の津波が同じ場所を襲ったのだから、想定外ではなかったはずだ」

 どれもその通りである。ただ、その正論の陰に何か重大なことがかくれていた。

 なぜ、かくれおおせたか。

 これらの報道の根底には一貫して暗黙の前提があったからであろう。それは「津波の到来で全交流電源が喪失して、ただちに3機の原子炉は『制御不能』になった」という前提である。

 しかし、この前提が本当に正しいという証明は、いまだにされていない。あくまで「仮説」なのである。さらに東電は、さまざまな場面で「津波は想定外だった」と繰り返した。しかし、原子炉の設計エンジニアにとってもそれは「想定外」のことだったかどうか、そこは疑問だ。

 筆者は、多くのエンジニアの方と接し、本来、彼らは「想定外」を嫌う人々なのではないかとの思いを抱き続けてきた。「原子炉は絶対に安全だから、その安全を疑ってはならない」という会社の方針自体は「非科学的」である。そうであれば、あればこそ「想定外」のことが起きてもきちんと作動する「最後の砦」を設けなければならない。エンジニアであれば、そう考えるのが当然なのではないかと考えたのである。

「最後の砦」は存在した

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メルトダウンを防げなかった本当の理由(page 3)

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111215/202630/?ST=observer&P=3

その想像が当たっていたことを知ったのは、3月29日のことだった。「最後の砦」が実はすべての原子炉に設置されていたのである。それは、たとえ全交流電源が喪失したとしても、無電源(または直流電源)で稼働しつづけて炉心を冷やす装置であって、1号機では「非常用復水器」(IC)注4)、2~3号機では前述のように「隔離時冷却系」(RCIC)という。「非常用復水器」の進化形だ。
注4)Isolation Condenser。正確には「隔離時復水器」という。

 前者の「非常用復水器」(IC)は、電源なしで約8時間、炉心を冷やし続けるよう設計されていた。後者の「隔離時冷却系」(RCIC)は、直流電源で炉心を20時間以上冷やし続ける。

 「最後の砦」があれば、地震後にこれらが自動起動したか、運転員が手動で稼働させるのは当然である。それをしなければ、原子炉は「制御不能」になるのは自明のことだからである。そして、「最後の砦」が働いて原子炉を「制御可能」に保っている間に、なるべく早く対策を講じなければならない。冷やし続けられなくなれば、原子炉は「生死の境界」注5)を越えて熱暴走し、「制御不能」になってしまう。

注5)「制御可能」(原子炉の炉心がすべて水に浸った状態)と「制御不能」(原子炉の炉心の一部が水に浸っていずそこが空焚きになる状態)の境界。「最後の砦」が止まってからその境界に至るまでおよそ4時間の猶予がある。いったん原子炉が「制御不能」の次元に陥れば、「制御可能」に引き戻すことは「人知」ではできない。その境界の内側(「生」の側)を「物理限界の内側」、外側(「死」の側)を「物理限界の外側」と呼ぶことにする。

 ただ、地震で外部からの電源がすべて絶たれた状況では、その復旧が数時間でなされるということに大きな期待を抱くわけにはいかない。現実的には、敷地のタンク内にある淡水をまず使って冷やし、同時に「海水注入」の準備をし、淡水がなくなる前に海水に切り替えるしかないだろう。

 簡単な理屈である。けれども、それは実行されなかった。なぜなのか。

2つの可能性があると思う。
 
  1つ。「最後の砦」は結局のところ動かなかった注6)。あるいは動いている最中にどこかに穴が開いて水が抜けてしまい、努力むなしく原子炉は暴走した。

注6)1号機の非常用復水器については、2系統のうち1系統はほとんど動いていず、もう1系統も断続的に停止していたことが後に分かった。

 もう1つ。東電の経営者が意図的に「海水注入」を避けようとした。理由はある。海水を入れれば、その原子炉は廃炉となり、経済的に大きな損失を被ることになるのだ。

 「原発を終わらせる」1)で、田中三彦は「1号機においては、地震発生直後に、なにがしかの原子炉系配管で小規模ないし中規模の冷却材喪失事故が起きた可能性がきわめて高い」と結論していて、「技術自体の欠陥」により地震直後から冷却水が漏れぬけたのではないかと推測している。これらが疑いなく証明されるならば、第1の可能性が正しいということになる。

参考資料
1)石橋克彦編「原発を終わらせる」 (岩波新書2011年7月21日, ISBN 978-4004313151)

 筆者は、どちらの可能性が真実かを見るために、事故後の公開データ2)3)4)を調べ上げ、原子炉の水位と原子炉内の圧力との経時変化をプロットしてみた。その結果、1号機の「非常用復水器」については設計通り8時間のあいだ稼働していたこと、3号機の「隔離時冷却系」については20時間以上のあいだ稼働していたこと、さらに2号機の「隔離時冷却系」については70時間のあいだ稼働していたことを確信した。

参考資料
2)緊急災害対策本部, 原子力災害対策本部「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震について」(2011年3月15日)
http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/201103151700.pdf

3)原子力災害対策本部「平成23年(2011年)福島第一・第二原子力発電所事故(東日本大震災)について」(2011年4月12日)
http://www.kantei.go.jp/saigai/pdf/201104121700genpatsu.pdf

4)原子力安全・保安院,原子力安全基盤機構「2011年東北地方太平洋沖地震と原子力発電所に対する地震の被害」(2011年4月4日)
日本語版:http://www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2011/files/230411-1-3.pdf
英語版:http://www.nisa.meti.go.jp/english/files/en20110406-1-1.pdf

 先に紹介した日経エレクトロニクス5)と日経ビジネスオンライン6)で発表した記事で、そのことを主張している。記事の公開日は5月13日金曜日。繰り返しになるが、その主張は第2の可能性を支持するもので、要点は以下の通りだ。

 3つの原子炉とも「最後の砦」は動いて原子炉の炉心を冷やし続けた。ところが、原子炉が「制御可能」であったときに「海水注入」の意思決定はなされなかった。よって東電の経営者の「技術経営」に、重大な注意義務違反が認められる。

参考資料
5)山口栄一「福島原発事故の本質-「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのか-」, 日経エレクトロニクス 2011/05/16号 pp. 82-89
6)山口栄一「見逃されている原発事故の本質―東電は「制御可能」と「制御不能」の違いをなぜ理解できなかったのか」 (日経ビジネスオンライン 2011/05/13
 

5月15日の豹変

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メルトダウンを防げなかった本当の理由(page 4)

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111215/202630/?ST=observer&P=4

この記事公開を受け、驚くべき反応が二つあった。一つは、先に述べた東電の発表である。記事が公開された2日後の5月15日日曜日、東電は、緊急記者発表7)を行なった。あらましは、次の通りである。
 1号機について、運転員が計測した原子炉水位データはまちがっていて、実際には原子炉水位は維持できていなかった。しかも、11日15時30分ころの津波到着以降、非常用復水器系の機能は一部喪失していた。
 常用復水器の機能が完全に喪失していたと仮定して解析したところ、原子炉の水位は、1日18時に燃料棒の頭頂部に到達し、19時半ころに燃料棒の底部に到達して空焚きになったとの結論を得た。また炉心溶融は11日19時半には始まったとの結論も得た。

参考資料
7)東京電力「東京電力 福島第一原子力発電所1号機の炉心状態について」(2011年5月15日)
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu11_j/images/110515k.pdf

 それは、別に「反応」ではなかったのかもしれない。記事公開とはまったく無関係に、たまたまその3日後に記者発表会を開いただけ、という可能性は大いにある。

 そうだとしても、異様な記者発表だった。

 運転員が計測した原子炉水位データがなぜまちがっていたのか。それについては何も述べられなかった。ただ「原子炉水位は維持できていなかった」と語るばかりだ。

 しかも、実は1号機の2つの非常用復水器のうち1つは断続的ながら動いていた。稼働の詳細を東電は知っていたはずで、後日、非常用復水器の実際の稼働に合わせた解析結果も公表している8)。そうであれば、なぜその事実に近い解析結果の方を発表しなかったのか。実に奇妙である。

参考資料
8)東京電力「福島第1原子力発電所 東北地方太平洋沖地震に伴う原子炉施設への影響について」
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu11_j/images/110909m.pdf

 こう勘ぐってみたくなる。「これまで原発は安全だと主張し、事故後もそれを言い続けてきた」ものの、経営責任を問う論説が現われたので、「原発は、地震と津波で暴走するほど危険なものだ」と解釈されることもやむなしとし、「1号機についてはすぐに『制御不能』に陥ったので、事故は経営者の意思決定の不行使のせいではない」と主張し始めた。もしそうであれば、この記者発表は東電の東電都合による「シナリオの書き換え」であり、その目的は「経営責任の回避」である。

 この東電の「豹変」に呼応するかのように、翌日からマスメディアは、東電を叩き始める。曰く「東電は、メルトダウンを隠していた」と。

 こうして「海水注入」の不行使が「過失」の刑事罰に当たるのではないかという法的追及は、「メルトダウンの隠ぺい」という「マスコミの情緒的反応」の陰にかくれることができた。少なくとも、私はそう解釈してきた。

 さらに6月6日、保安院は、独自の解析結果を発表する。彼らは、東電の主張通り「原子炉水位計は誤った値を示していた」と仮定するとともに、「津波到達後は、非常用復水器は作動を完全に停止した」ということを仮定した。その上で、「11日16時40分ころには、水位は燃料棒の頭頂部に到達し18時ころには炉心損傷がはじまった」と解析結果を発表し、東電の解析より1時間半も早く炉心溶融は起きた可能性が高いと報告した。

 この解析以後、「運転員が計測したデータ自体がまちがっており、実際には原子炉水位は維持できていなかった」という東電の説明を疑う第三者は、私の知る限り現れていない。東電の経営者の不行使の「過失」責任を問う報道についても、同様にまったく目にしていない。

日比野靖氏の証言


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メルトダウンを防げなかった本当の理由(page 5)

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111215/202630/?ST=observer&P=5

もう一つの反応は、旧知の日比野靖氏からである。
 日比野氏は現在、北陸先端科学技術大学院大学の副学長を務めている。菅総理大臣(当時、以下同)の大学時代の「同志」であって、菅がもっとも信頼を寄せていた友人であった。こうした経緯もあって菅総理は、2011年2月の終わりころ、日比野に内閣官房参与を依頼する。日比野氏は、2011年3月20日より参与に就任して科学技術行政を補佐することを菅に約束していた。

 そこに震災と原発事故が起きた。3月12日、参与就任前だった日比野氏は菅総理に「一友人として」官邸に呼ばれ、3月13日にさまざまな助言を行なった。以下は、日比野氏から届いた私信である

 貴殿の福島原発事故の原因に関するご見解(著者注:前出の日経エレクトロニクスの論文と日経ビジネスオンラインの記事を指している)、まさにその通りだと思っております。
 その中で、1号炉の隔離時復水器、2~3号炉の隔離時冷却系の存在を指摘されておられます。
 実は、小生、縁あって、菅直人元総理の、内閣官房参与を3月20日より務めましたが、それ以前に、事故の翌日3月12日の夜、官邸に呼ばれ、緊迫した状況の中で翌日3月13日昼まで過ごしました。
 そのとき、1号炉は既にベントも海水注入も実行されていたのですが、水素爆発をした後でした。
 菅元総理は、2~3号炉も1号炉を同じ経過をたどるであろうことを直感し、先手を打つことを、東電、保安院、安全委員会に何度も指示していたのですが、これらの専門家たちは、隔離時冷却系が動作しているからという理由で、ベントや海水注入に踏みきりませんでした。
 菅元総理は、隔離時冷却系が動いているからといっても、熱が外部に放出されるわけではないので、温度と圧力は時間をともに上昇するはずだ。早くベントと海水注入をするべきだと強く主張していました。
 小生も、東電、保安院、安全委員会のメンバーに、早くベントと海水注入をして冷却を進めるべきだと思ったので、隔離時冷却系が停止するまで待つ理由を東電、保安院、安全委員会のメンバーに質問しています。
 回答はつぎのようなものでした。
 できるだけ温度と圧力が十分上がってからベントした方が、放出できるエネルギーが大きい。一度しかできないので、最も効果的なタイミングで行う。
 そのときは、小生、熱力学の知識が不十分だったので、納得して引き下がってしまいました。翌3月13日は、3号炉は隔離時冷却系が停止し危機的状況をむかえてしまいました。
 しかし、大学に戻り、少し調べてみると、水は沸点を超えるとき大量の潜熱を吸収するが、それより高温の水蒸気の熱吸収は、水をわずかに超える程度であり、特に臨圧21気圧を超えて水蒸気は、水と同じ性質であるとのことを知りました。
 やはり、早くベントし海水注入をするべきだったのです。2号炉はまだ間に合う。ただちに、菅元総理に電話で進言しています。
 この進言、2号炉の隔離時冷却系停止には間に合いませんでした。
 小生の長い間の疑問は、隔離時復水器、隔離時冷却系が動作している間に、なぜ、ベントと海水注入をしなかったのかということでした。この疑問は、貴殿のご指摘で、完全に解けました。
東電の「過失」が証明される内容を含む、重要な証言である。 


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メルトダウンを防げなかった本当の理由(page 6)

http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20111215/202630/?ST=observer&P=6

再び問いたい。なぜ東電は、このような事故を引き起こしたのだろうか。直接的には「廃炉による巨大な経済的損失を惜しんだ」ということになるのかもしれない。けれども問題の本質は、重大な局面で、そのような発想に陥ってしまったということであろう。
 その根源は、東電が「イノベーションの要らない会社」だからではないかと思う。熾烈な世界競争の中にあるハイテク企業の場合は、ブレークスルーを成し遂げないかぎり生き抜いていけない。一方、東電は独占企業であって、イノベーションの必要性はほとんどない。

 こうした状況下で人の評価がされるとすれば、その手法は「減点法」にならざるを得ないだろう。「減点法」の世界では、リスク・マネジメントは「想定外のことが起きたときに如何に被害を最小限にとどめるか」という構想力ではなく「リスクに近寄らない能力」ということになってしまいがちだ。その雰囲気が、人から創造力や想像力を奪う。

 人が創造力や想像力を存分に発揮できる組織にするためには、事実上の独占環境をなくして競争環境を導入し、人々が切磋琢磨できるようにすることしかないだろう。東電の場合、発電会社・送電会社・配電会社、そして損害賠償会社に4分割する。そして損害賠償会社は、この原発事故の原因が「技術経営の誤謬」にあったのだということを深く自覚し、みずからの「技術経営」の失敗を国民につけ回しすることなく最後まで、自分で自分の尻を拭く覚悟を持つ。

 その上で、「制御可能」と「制御不能」の境界を経営する最高責任者としてのCSO(Chief Science Officer)を新設する。CSOは、通常存在しているCTO(Chief Technology Officer)のように日々の技術とその改善に責任を負うのではなく、「知」全体の「グランド・デザイン」とそのイノベーションに責任を持つ。

 それが達成されないのであれば、独占企業に原発の経営は無理だ。

 実際、東電の経営者は「海水注入」を拒んだあげく、少なくとも2つの原子炉を「制御不能」にもちこんでしまい、ようやく自分たちが「物理限界」の外にいることを悟って、原発を放置のうえ撤退することを要請した。みずからが当事者ではないという意識で経営していたからだろう。

 さらには、現状の原子力経営システムをそのままにしておくことは罪深い。これは日比野氏の指摘によるものだが、そもそも事故後に保安院が東電などにつくらせた安全対策マニュアルによれば、今でも「隔離時冷却系が止まってからベント開放をし、海水注入をする」というシナリオになっている。これこそ事故に帰結した福島第一原発の措置と、まったく同じ手順であり、何の対策にもなっていない。この期に及んでも廃炉回避を優先しているのである。これでは、ふたたびまったく同じ暴走事故がどこかの原発で起きる。この国の原子力経営システムの闇は深い。

 この原発事故が日本の喉元につきつけたもの。それは、「ブレークスルーしない限り、もはや日本の産業システムは世界に通用しない」という警告ではなかっただろうか。電力産業に限ったことではない。農業にしてもバイオ産業にしても、分野ごとに閉鎖的な村をつくって情報を統制し、規制を固定化して上下関係のネットワークを築きあげる。その上下関係のネットワークが人々を窒息させる。イノベーションを求め、村を越境して分野を越えた水平関係のネットワークをつくろうとする者は、もう村に戻れない。それが日本の病だ。

 しかし、世界はもう、「大企業とその系列」に取って代わって「イノベーターたちによる水平関係のネットワーク統合体」が、産業と雇用の担い手になってしまった。だから、私たちが今なさねばならないことは、村を越えた「回遊」を人々に促すことである。そして分野横断的な課題が立ち現われた時に、その課題の本質を根本から理解し、その課題を解決する「グランド・デザイン構想力」を鍛錬する。そのためには、科学・技術と社会とを共鳴させ、「知の越境」を縦横無尽にしながら課題を解決する新しい学問の構築が必要となる。日本は、この事故をきっかけにして図らずもブレークスルーの機会を与えられた。

本記事は、FUKUSHIMAプロジェクト(http://f-pj.org/)による活動成果の一部を公表するものです。
活動成果は1月15日に早稲田大学小野記念講堂で開催するシンポジウム(参加無料)で発表し、調査レポート『FUKUSHIMAレポート--原発事故の本質』として、2012年1月に出版する予定です。

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http://f-pj.org/video.html

以下抜粋:

FUKUSHIMA PROJECT

  • Japanese
  • English


国際シンポジウムのビデオ

国際シンポジウム「FUKUSHIMAレポート~原発事故の本質~」(2012年1月25日開催)の講演ビデオをアップロードしました。スライド資料を参照しながらご覧ください。

【当日のプログラム】

開会挨拶:西村吉雄(早稲田大学客員教授 FUKUSHIMAプロジェクト編集部会長)

1「メルトダウンを防げなかった本当の理由──福島第一原子力発電所事故の核心」
山口栄一(同志社大学教授FUKUSHIMAプロジェクト委員長)

2「3000 days and 5000 reactors」
David Cope (英国国会・科学部門長・教授 チェルノブイリ原発事故調査英国代表委員)逐次通訳有

3「原発報道は「大本営発表」だったのか」
瀬川至朗(早稲田大学教授)

4「『FUKUSHIMAレポート~原発事故の本質~』の概要」
西村吉雄(早稲田大学客員教授 FUKUSHIMAプロジェクト編集部会長)

5「風評被害を考える」
川口盛之助(アーサー・D・リトル・ジャパン アソシエイト・ディレクター FUKUSHIMA プロジェクト委員)

6「原発報道におけるジャーナリストと専門家の役割」
田中幹人(早稲田大学准教授)

7 パネルディスカッション
座長:
仲森智博(日経BPコンサルティング チーフストラテジストFUKUSHIMAプロジェクト委員)

パネリスト:
飯尾俊二(東京工業大学原子炉工学研究所准教授 FUKUSHIMAプロジェクト委員)
河合弘之(弁護士・さくら共同法律事務所パートナー FUKUSHIMAプロジェクト委員)
川口盛之助
田中幹人
西村吉雄
山口栄一
David Cope
瀬川至朗

8 閉会挨拶 瀬川至朗(早稲田大学教授)

開会挨拶:西村吉雄(早稲田大学客員教授 FUKUSHIMAプロジェクト編集部会長)

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1、「メルトダウンを防げなかった本当の理由──福島第一原子力発電所事故の核心」
山口栄一(同志社大学教授FUKUSHIMAプロジェクト委員長)


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2、「3000 days and 5000 reactors」 David Cope (英国国会・科学部門長・教授 チェルノブイリ原発事故調査英国代表委員)

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3、「原発報道は「大本営発表」だったのか」 瀬川至朗(早稲田大学教授)

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4、「『FUKUSHIMAレポート~原発事故の本質~』の概要」 西村吉雄(早稲田大学客員教授 FUKUSHIMAプロジェクト編集部会長)

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5、「風評被害を考える」 川口盛之助(アーサー・D・リトル・ジャパン アソシエイト・ディレクター FUKUSHIMAプロジェクト委員)

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6、「原発報道におけるジャーナリストと専門家の役割」 田中幹人(早稲田大学准教授)

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Copyright (c) 2011 FUKUSHIMA PROJECT All rights reserved. 本webサイトの著作はFUKUSHIMA プロジェクト委員会に帰属します。 本サイトに関するお問い合わせは、「FUKUSHIMA プロジェクト」事務局 info@f-pj.org まで

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http://f-pj.org/publication.html
           

原発事故検証レポート発刊計画

  • 目的と概要
  • 刊行の枠組み
  • 調査、検証方法
  • 書籍構成例
  • おおよそのスケジュール
  • 委員会メンバー

【目的と概要】

   福島の第一原子力発電所の事故は、技術、経営の分野のみならず、国の安全保障政策の根幹をゆるがす極めて重大な問題であり、それを正しく認識、分析することによって得られる教訓は、今後の技術経営と国家戦略を考えるうえで、このうえなく貴重なものになる。このような認識から、この事故に関して国や東京電力が主導するかたちでの調査レポートが作成されるであろうし、さらには多くの有識者がこれをテーマに書籍を刊行することになるであろう。ただ、前者に関しては主導者・資金提供者の意向がそこに投影される可能性が否定できず、後者に関してはその内容が市場原理からは免れることはあり得ない。こうした事情を踏まえ、完全に第三者の立場から冷静に今回の事故を調査、分析し、そこから得られる教訓を後世に伝え、一つの提言として広く提示することを本レポート刊行の目的とする。  

【刊行の枠組み】
    寄付金を募り、それを原資としてレポートを作成、刊行する。本プロジェクトを「FUKUSHIMAプロジェクト」と呼び、それを推進するために組織する委員会がこれを遂行する。書籍の企画・編集に関しては、委員会の下部組織として設置する編集部会が担当する。編集部会は成果物であるレポートを書籍化し、刊行するための実務作業を委員会が適切と判断した事業者、個人に委託する。
     
    寄付金の応募者については、本人がそれを希望しない場合を除き刊行物の巻末に氏名/名称などを記載する。
     
    委員会は本プロジェクトを無報酬で遂行する。印税も受け取らない。
     
    寄付金は、調査と出版のための必要経費と印刷会社など外部業者への支払いに充てる。具体的な用途に関しては、委員会のホームページなどを通じて公開する。
     
    寄付金の総額が目標額を大きく下回った場合など、レポートの書籍による刊行が困難になった場合は、電子書籍による出版など、価格に応じた手段によって調査分析結果などを公開する。
     
    刊行物はダイジェストと書籍の2種類とし、このうちダイジェストは著作権料を設定せず、無料の電子書籍として配信する。書籍に関しては、外国語への翻訳、出版の申し出がある場合は無料で翻訳権を提供する。
     
    籍に関しては市販とし、極力低い価格で広く一般の方に購読していただくことに最大限配慮する。
     
    書籍と詳細レポートの売り上げに関しては、販売手数料、広報活動、事後調査活動などに要する費用を支払い、さらに残額が発生する場合は原発事故被害者の救済のための義援金として適切な団体に寄付する。
     
【調査、検証方法】
    事故の検証と分析に関しては、複数の、当該事故と直接の利害関係にない国内外の有識者によって組織する「FUKUSHIMAプロジェクト」の各委員が担当する。
     
    取材活動、資料収集活動、委員会開催など、委員会の活動に必要な経費に関しては寄付金を原資とする取材・運営費によって賄う。 

【書籍「FUKUSHIMA-原発事故の本質(仮題)」構成案】

(2011年10月25日現在)
第1章 2011年3月11日から5月15日まで
1・1 東電原発事故は、どのように起こったのか
1・2 1号機は、どのように制御不能になったのか
1・3 2号機と3号機は、どのように制御不能になったのか
1・4 5月15日の豹変
1・5 何をあきらかにすべきか
第2章 2011年3月11日まで
2・1 事故を防げなかった国の安全規制
2・2 すべて想定されていた
2・3 国策民営体制では責任の所在が不明確
第3章 2011年5月15日以降
3・1 事故収束までの展望
3・2 事故対策の検証
3・3 東電、保安院、政府の対応の問題
3・4 被害者賠償スキーム
3・5 ジャーナリズムは何をし、何をしなかったか
第4章 放射能被害
第5章 風評被害を考える
5・1 風評の恐ろしさ
5・2 各種メディアの取り上げ方
5・3 打ち手としての試み
5・4 検証屋機能のトライアル
5・5 別の可視化装置
5・6 総論としての日本論
別掲 「言語の壁」
別掲 「『恥辱の壁』に寄せられた『怪しい報道』の事例」
別掲 「ソーシャルメディアの威力──外国人ジャーナリストの経験」
第6章 ヨーロッパから見たFUKUSHIMA 3.11
6・1 イギリスから見ると
6・2 フランスから見ると
6・3 ドイツから見ると
第7章 日本の原子力政策が目指してきたもの
7・1 高速増殖炉の実現が半世紀を超える政策目標
7・2 核兵器製造のポテンシャルを保持する
7・3 エネルギー自給に固執
別掲 「濃縮、再処理、増殖」
別掲 「再処理をめぐる攻防と政策のゆらぎ」
別掲 「韓国・台湾における使用済み核燃料の処理」
第8章 原発が地域にもたらしたもの
8・1 4層のコロニアル構造
8・2 原子力は雇用増と所得増をもたらす
8・3 原発依存症──原発なしには、たち行かなくなる経済
8・4 原発立地──近年は既設発電所内の増設が主流
8・5 「3.11」以後の原発立地地域
第9章 原子力発電のコストと電力料金
9・1 そもそも発電コストパフォーマンス
9・2 原子力発電のコスト
9・3 電力料金──総括原価方式
第10章 原発普及の今後
10・1 原発普及は先進国からエマージング諸国へ
10・2 安全保障論の視点
10・3 新技術新製品普及の視点
第11章 そしてこれから
11・1 日本の人口減少とエネルギー需給
11・2 「二酸化炭素による温暖化」をどう考えるか
11・3 「高速増殖炉─再処理」計画の無理
11・4 地震国日本に原発が存在できるか
11・5 発送電分離/スマートグリッド/蓄電
11・6 保護産業論
11・7 再生可能エネルギー源の可能性と限界
11・8 日本の社会規範と福島原発事故
付録
A・1 原子核エネルギー
A・2 原子力発電のしくみ
A・3 沸騰水型原子炉
A・4 使用済み核燃料と放射性廃棄物
A・5 高速増殖炉
A・6 プルサーマル
A・7 過去に起きた重大事故
 

【おおよそのスケジュール】

・2011年3月
:企画始動
・2011年4月
:委員会の発足、情報収集開始
・2011年8月
:ホームページの立ち上げ、寄付金の募集開始 :書籍刊行のための編集・執筆作業に着手
・2011年12月(予定)
:書籍発売、ダイジェスト版の配信開始
 

【「FUKUSHIMAプロジェクト」委員会(生年順)】

代表発起人
水野博之(大阪電気通信大学副理事長、松下電器産業元副社長)
委員長
山口栄一(同志社大学ITEC副センター長)
編集部会長
西村吉雄(早稲田大学 大学院政治学研究科客員教授)
委員
河合 弘之(弁護士、さくら共同法律事務所パートナー)
委員
飯尾俊二(東京工業大学原子炉工学研究所准教授)
委員
仲森智博(日経BPコンサルティング チーフストラテジスト)
委員
川口盛之助(アーサー・D・リトル(ジャパン)アソシエイト・ディレクター)
委員
本田康二郎(同志社大学ITEC リサーチ・アソシエイト)

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http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jforum/2013Forum/Yamaguchi1309/YamaguchiEiichi-Fukushima-130916.htm#Plant

以下抜粋:
         
東電原発事故の本質 ― JR福知山線事故との精神的類似性―
山口栄一 (同志社大学 教授)
東大YMCA OB座談会 (2013年2月28日)
東京大学学生キリスト教青年会『會報』 第139号 pp. 34-45 (2013年8月6日)
はじめに

      
きょうは、懐かしい東大YMCAで、若い皆様方とお話しする機会を得ることができて、とても幸せです。しかも当時いっしょに住み暮らした合田隆史くん(現・文部科学省生涯学習局長)も駆けつけてくださって、なんだか35年前に戻ったような気持ちです。
なお、今日お話しする内容は、昨年2012年の11月10日に東大YMCAの関西OB会に招かれて、お話しした内容といっしょです。そのときは原田明夫理事長もわざわざ駆けつけてくださり、お話を聞いてくださいました。その際も、「会報に載せたいので、ぜひとも文章に起こしてほしい」と依頼されました。そこで、この文章を以て、その要請に応えたいと思います。




本題に入る前に、私のバックグラウンドを簡単にご紹介いたします。
私は理学部物理学科出身の物理学者です。1998年までNTT基礎研究所で純粋物理学、とくに半導体物理学の研究をしておりました。その間、アメリカやフランスにも留学する機会を得ました。しかし1998年に日本に戻ってきてみると、日本はたいへんな事態に陥っていました。ほとんどの企業の研究所が基礎研究から手を引き始めていたのです。これはたいへんなことが起きたと私は思いました。当時、日本は企業の研究所が日本のイノベーションを牽引していました。このままでは、日本がイノベーティブな国ではなくなってしまう。なんとかしなくては。私はそう思いました。(実際、私のその時の予言は15年たった今、現実のものとなりました。現在の日本の退潮は、1990年代後半に企業が研究を止めてしまったことにその契機があります)。
 
そこで私は、経団連の21世紀政策研究所という所に移り、イノベーション研究を始めることにしました。それは、さまざまな企業における経営、とくに技術経営の研究と表裏一体です。研究を進めるうちに、企業でつぶされてしまったイノベーションに関わってきた科学者・技術者を救わねばならないと痛感しました。そこで、いくつかのベンチャー企業を創りました。じつはベンチャー企業こそが、イノベーションの担い手で、今日のアメリカの興隆を築き上げたのも、主としてSBIRと呼ばれる国家政策が世に送り出したベンチャー企業なのです。
一方、社会主義的な組織風土を必然的に持ってしまう巨大企業、とくに独占企業や寡占企業は、イノベーションに背を向けがちで、結果的に技術経営をないがしろにしてしまいます。東電が2011年3月に起こした原発事故も、じつは技術経営の誤謬による事故でした。今日は、そのことを皆さんにお知らせしたくてここに参りました。
 以下、そのことを詳しく解き明かしたいと思います。

東電原発事故の本質
原子炉の配管構造
まず、福島原発の1号機と2、3号機の配管構造の図を見てください。 原子炉の炉心(燃料棒)は、「やかん」と思ってください。原子炉の問題は、科学でもなんでもない。技術の問題です。そして、その技術とは、要はこのやかんをいかに冷やすかという問題なのです。
炉心で作られた水蒸気は、主蒸気ラインを通り、タービンを回して電気を起こします。 その後、蒸気は復水器で、大量の海水によって冷却されて水にもどされ、それがまた炉心に戻って炉を冷やします。ところが、津波のあとAC電源が壊れ海水を取り込むポンプが壊れて、この主蒸気ラインを通じての炉心の冷却ができなくなりました。 
しかしこの事態になった時でも、非常用炉心冷却系(ECCS)というシステムが機能し、冷却を続けることができます。 まず、圧力容器内の気圧が75気圧以上になるとSRV(逃がし安全弁)が開いて圧力容器から格納容器に水蒸気を逃がします。次にHPCI(高圧注水系)とCS(炉心スプレー系)の2系統が作動し、復水貯蔵タンクや圧力抑制室の水を圧力容器に送って炉心を冷やすのです。 
ところが、津波で非常用電源が壊れ、ECCSは、3号機を除いて停止してしまいました。 「ECCSがだめになったので、常に水の中に入れて冷やしておかなければならない圧力容器内の燃料棒が水から露出してしまい、原子炉はついに制御不能になった。」
マスメディアはそう報じました。ですから、みなさまもそのように思いこんでいたのではないかと思います。 
でも、そうではありません。 実は「最後の砦」があったのです。1号機では「IC」(非常用復水器)、2、3号機には「RCIC」(原子炉隔離時冷却系)という「最後の砦」があって、ECCSがダウンした後も、1号機のICは8時間、3号機のRCIC(とHPCI)は36時間(1日半)、2号機のRCICは70時間(約3日)動いて、冷却を続けていたのです。ECCSがだめになり、すぐに暴走が始まったわけではなかった。ここが、まさに今日の課題です。 この「最後の砦」が動いている間に手を打てば、原子炉は暴走しませんでした。そして客観的にみて、少なくとも3号機と2号機については、海水注入をする余裕がありました。ところが、経営者はそれを拒んだ。なぜなのか。これが、今日のテーマです。
わざわざ山を削って原子力発電所を海抜10メートルという低い位置に原子炉を建設したこと、非常用電源のほとんどを地下1階に配置したこと、など、いわゆるリスクマネジメントの不備がさかんに問われています。また1号機については、現場の作業員がICを止めてしまうなど、現場の失敗を、政府事故調などは糾弾しています。もちろんこれらは重大です。ところがこの原発事故の原因を考える時に、リスクマネジメントの問題や現場の失敗にばかり目を向けると、問題の本質を見誤ります。本質は、リスクマネジメントでも現場の失敗でもない。技術経営の過失なのです。いまからそれを論証します。 
原子炉の制御の3つの物理量
原子炉の暴走の状況を調べる時、測定された物理量について大事なものが3つあります。 第1に、圧力容器の中の「原子炉水位」。これは、燃料棒(炉心)の露頭から測ることにします。よってこの値はプラスでないといけません。プラスなら、燃料棒が水に浸っていて炉心は制御可能の状態にある。
ところがマイナスになると炉心が水から顔を出すことになるので、とたんに制御不能となり、暴走して燃料棒のメルトダウンが始まります。 
第2に、「圧力容器の圧力」。 圧力容器は、最大83気圧まで耐えられます。 先ほど申し上げたように、75気圧になるとSRVが作動し、中の水蒸気を逃すようになっています。今回の事故ではこのSRVがきちんと作動したことが分かっています。 
そして第3に、「格納容器の圧力」。格納容器の耐圧は、3.8気圧です。もしこの圧力が3.8気圧を大幅に超えてしまったら格納容器が爆発してしまいますので、ベントを手動で開ける。こうして格納容器の爆発を防ぐようになっています。ただし日本の原発では、ベントのあとに放射性物質をトラップするフィルターが付けられていませんでした。 
とはいえ、原子炉水位がプラスであるあいだにベントを開ければ、周囲に放射線被害をほとんどもたらしません。ところが原子炉水位がマイナスになって炉心の一部がすこしでも溶けた後にベントを開けると、放射性セシウムなどが外に放出され、多大な放射線被害をもたらします。福島の悲惨はこうして起きました。第1の「原子炉水位」がプラスであるうちにベントをして中の圧力を抜き海水注入をしていれば、この悲惨は免れたのです。 
この3つの物理量をよく記憶しておいていただき、3号機ついで2号機がどのように制御不能になったのか、東電から官邸に送られたファクスを読み取って作り上げたデータを今から示します。
3号機はどのように制御不能になったか
まず、3号機。
地震発生の後、11日の午後3時5分にRCICが手動起動されます。その後、ECCSが津波で喪失した後もRCICは動き続けます。作業員のミスで12日午前11時36分にRCICが止められますが、HPCIがその1時間後に自動的に動きはじめ、こうして、13日午前2時44分まで1日半の間、3号機の原子炉は冷やされ続けました、その結果、原子炉水位はプラス4メートルから5メートルで推移しています。圧力容器の圧力もHPCIが起動した途端、75気圧ぐらいから一気に下がり始め、12日の午後には8気圧にまでさがりました。HPCIは、RCICに比べて冷却能力が10倍程度あるゆえんです。
ここで、みなさんは不思議に思われるはずです。
ならば、なぜRCICおよびHPCIが動いて原子炉水位がプラスであるうちに、可及的速やかにベントの上、海水注入をしなかったのか。とりわけHPCIが動き始めたあと圧力容器の圧力は8気圧程度にまで下がったのですから、3月12日の夕刻から13日未明にかけては、ベントを開ける必要すらなく消防ポンプで容易に海水を入れられたはず。なぜ海水注入の意思決定はなされなかったのか。
海水注入をしてしまうことで3号機がダメになってしまう。ぎりぎりまで海水注入をすることなく粘りたい。東電の経営陣としては、そう考えたのではないか。3号機を廃炉にすることが嫌だったから、海水注入を意図的にしなかったのではないか。
しかし、これは仮説に過ぎません。そう主張したとしても、証拠がない限り、意味を持ちません。その証明は、FUKUSHIMAプロジェクトの最大の課題となりました。  
2号機はどのように制御不能になったか
次に、2号機について分析してみましょう。
2号機では、RCICが驚異的にも約3日間ものあいだ、炉心を冷やし続けました。
原子炉水位はその間4メートルを維持し、圧力容器の圧力は50気圧台から60気圧前後、格納容器も3月12日は、3気圧未満でした。だから、3号機同様、この「制御可能」の間にベントを開くことも海水注入も行なうことができました。  ところが東電の経営陣は、海水注入の意思決定をしなかった。3号機も2号機も、「最後の砦」が停止し、原子炉水位がマイナスになってしまって炉心溶融が起きてから、ようやく海水注入を行なう意思決定をしています。 水位がマイナスになってしまったら、燃料棒が崩壊熱で溶け、放射性セシウムやストロンチウムが格納容器のほうに出てきて、ベントを開ければこれらが外界に出てしまって大変なことになる。 
 繰り返しますが、とりわけ3号機では、HPCIが動いて圧力容器の圧力が8気圧の時であれば、比較的容易に消防ポンプで効率よく海水を注入できた。原子炉水位をプラスに保ち続けていれば、決して原子炉は暴走に至らなかった。
なぜ東電の経営陣は、ベント操作も海水注入も、原子炉水位がマイナスになり原子炉が暴走するまで、その意思決定をしなかったのか。 
仮説の検証- 菅総理側近=日比野靖(JAIST副学長)の証言
私は、2011年3月に、東電が逐次公表するデータ(さいわい官邸が逐次公表していました)をグラフにプロットしながら、この謎を解こうと思いました。繰り返しますが、仮説は明らかです。すなわち東電は2、3号機を廃炉にすることが嫌だった。だから意図的に海水注入を拒んだ。
しかし、その仮説を主張してみたところで、東電経営陣が「いやいや、そんなことはない。我々は最善を尽くした。海水注入についても、原子炉暴走の前(原子炉水位がプラスであるうち)に意思決定した。しかし結局のところ現場があわてふためいて混乱し、海水注入ができなかった」と主張すれば、水掛け論になってしまいます。ここは実際に現場にいて「状況」を目の当たりにした方の証言がどうしても必要です。しかしそのような証言者の発見は、まったく不可能でした。 
しかし僥倖が訪れました。
2011年11月、菅直人前総理の側近として官邸で対応した日比野靖JAIST副学長から、メールが届いたのです。 日比野さんは管さんに乞われ、2011年3月12日の午後9時から菅さんのそばにいて、そこで起きたことを見聞きしていたのでした。 そこで私はさっそく日比野さんにお会いしてインタビューさせていただきました。 資料に、日比野さんからのインタビュー録をそのまま載せています。 12日の午後9時ごろの話です。 
菅さんは、東電の武黒一郎フェロー(当時)、原子力保安院院長、原子力安全委員会委員長に「3号機と2号機について、いますぐベントをして圧力を抜き、すぐさま海水注入すべきではないか」と何度も尋ねています。 日比野さんも、東電(原子力安全部長)から「海水注入のリスクはない」との答えを得たあと、「そうなら、なぜ早くベントと海水注入をしないのか」と言ったといいます。これに対し、東電は、「ベントは、できるだけ粘って最後にしたほうがいい」と主張したそうです。そして結局、HPCIが停止した13日朝、3号機は暴走してしまった、と日比野さんは証言してくださいました。
国会事故調による菅総理事情聴取 -閉鎖的専門家(原子力村)と非専門家
以上、論証してきたように、この原発事故は、技術経営の誤謬にもとづくものです。
ところが、去る5月28日に、国会事故調査委員会が、菅前総理の事情聴取を行ないました。その中で、聴取にあたった野村修也氏(中央大学法科大学院教授・弁護士)は、「日比野靖氏という、原子力の専門家でない人間を官邸に呼び、福島原発の所長たちにさまざまな素人質問をさせたことで、現場を混乱させた」と主張しました。日比野さんは確かにコンピューターサイエンスが専門ですが、若い時に物理学を修めた立派な物理学者です。 しかし、野村氏にしてみると、原子力工学出身で原子力工学の技術者ないし教授をしていない人は、すべて「専門家でない」のでしょう。 
「原子力工学を修めた人以外は、この領域に踏み込むべきでない」という野村氏の意見について、みなさんはどうお考えでしょうか。私は、この原発事故にしても、日本の原子力行政にしても、原子力工学を修めた人だけで、閉鎖的共同体(原子力村)を作ってしまったことのほうが本質的な問題なのだと思っております。むしろ原子力村以外の科学者たちが大いに越境して問題解決に取り組むべきだと考えています。  
野村氏は、国会事故調の事情聴取の場で、「管リスク」を声高に叫びました。 
「菅さんが専門家でもないのに専門家ぶったことがこの事故を大きくした」というのです。 しかし、私は、少なくともこの原発事故については、東電の撤退要請を断固として拒んだことで、菅氏は日本を救ったのだと思います。東電の撤退要請に対して、政府や経産省の「専門家」は「撤退やむなし」と結論していたと聞いています。 しかし彼ら「専門家」にしたがって東電が事故現場から撤退していたら、いまごろ東京までも人の住めない地域になっていた可能性がある。 またすでに論証したように、3号機と2号機については、「専門家」こそが、過ちを犯しました。菅氏は、残念ながらその専門家たちに異を唱えられなかった。かくて海水注入がなされなかったということです。 
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  本質が同じ事故の例 -- JR西日本福知山線事故(2005年)

以下省略
  
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Forum:
FUKUSHIMA Report (1):
 
      Criminal error in TEPCO management of technology and damages given to "Brand Japan"
Eiichi Yamaguchi (Doshisha Univ.) and Morinosuke Kawaguchi (Arthur D. Little (Japan), Inc.) (Fukushima Project Committee), News Release, Nov.  2011
Japanese page: 'Core problem in the TEPCO nuclear plant accident -- Similarity with the JR West train accident at Amagasaki',  by Eiichi Yamaguchi (Doshisha Univ.), Talk on Feb. 26, 2013 Posted on Sept. 20, 2013   

==>   See: FUKUSHIMA Report (2): The actual reason why this accident could not have been avoided, by Eiichi Yamaguchi (Doshisha Univ.), Presented at ISIS2012 (posted on Oct. 3, 2013)
Editor's Note (Toru Nakagawa, Sept. 17, 2013)
In the Japanese page, I am posting an article 'Core problem in the TEPCO nuclear plant accident -- Similarity with the JR West train accident at Amagasaki', by Prof. Eiichi Yamaguchi (Doshisha Univ.).  I noticed the article published in a recent issue of Bulletin of YMCA, The University of Tokyo.  The article was written down by Professor Yamaguchi on the basis of his talk at the YMCA on Feb. 26, 2013.  On my request, Prof. Yamaguchi has allowed me to post here (a) the article in Japanese , (b) slides of the talk in Japanese , and (c) slide in English presented at a news release in Nov. 2011.    
On the Fukushima nuclear plant accident, it is widely known that four mutually independent teams investigated and reported.  They are:   
(1) 'Minkan Jikocho': Voluntary independent group headed by Dr. Koichi Kitazawa, report of 412 pages in Japanese on Mar. 11, 2012.  
(2) 'TEPCO Jikocho': Investigation committee inside TEPCO, interim report on Dec. 2, 2011 and final report on Jun. 20, 2012.  
(3) 'Diet Jikocho': Investigation committee organized by the Diet and headed by Mr. Kiyoshi Kurokawa, report on Jul. 5, 2012.  
(4) 'Government Jikocho': Investigation committee organized by the Government and headed by Prof. Yotaro Hatamura, interim report on Dec. 26, 2011, final report on Jul. 23, 2012.
Prof. Eiichi Yamaguchi has lead another team for investigation, i.e.  
(5) 'Grass-root Jikocho': Fukushima Project, a voluntary independent group headed by Prof. Eiichi Yamaguchi, report of 503 pages on Jan. 30, 2012. As sumamrized in the present news release in English, his Project has revealed an importatnt aspect how and why the reactors lost the control to make the accident so disastrous.  This pointing is important, I think, because the four other 'Jikochos' do not mention this point clearly.
Note (T. Nakagawa, Oct. 3, 2013): Prof. Yamaguchi's presentation in English at ISIS2012 is now posted

 
Book Cover published in Japanese
 
 
 
Title page of this News Release
 
 
 
  
 Structure of Reactors No. 2 and No. 3:

 

Graph presented by TEPCO. Even after the station black-out due to the tsunami attack at 15:28 on March 11, 2011, "the last fort" RCIC and sequentially HPCI kept cooling the reactor core of Unit 3 very well, which was hence in a controllable state for 35 hours until 02:44 on March 13.
         
 

presented by TEPCO. Even after the station black-out due to the tsunami attack at 15:28 on March 11, 2011, "the last fort" RCIC kept cooling the reactor core of Unit 2 very well, which was hence in a controllable state for 70 hours until 13:22 on March 14.

       


Yasushi HIBINO (Executive Vice-President of JAIST) testified that, in the evening on March 12, he and Prime Minister Naoto KAN strongly requested the management of TEPCO to make a decision of injecting sea water into the reactor pressure vessel after opening the vent as soon as possible within this controllable state.  However, the management of TEPCO politely refused the request.  Finally, TEPCO injected sea water at 09:25 on March 13, more than six hours after making the reactor uncontrollable.  This refusal finally resulted in the majority of radioactive pollution.  Precisely the same thing happened with Unit 2.
              
 

 
 

See: FUKUSHIMA Report (2): The actual reason why this accident could not have been avoided, by Eiichi Yamaguchi (Doshisha Univ.), Presented at ISIS2012 (posted on Oct. 3, 2013)      

         
Top of this pageSlidesFukushima Report (2) by E. Yamaguchi in English Article in Japanese Article in PDF in Japanese Slides in PDF in Japanese Japanese page
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 Last updated on  Oct. 3, 2013.     Access point:  Editor: nakagawa@ogu.ac.jp

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 http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/eTRIZ/eforum/e2013Forum/eYamaguchi2013/eYamaguchi-Fukushima-2-130929.html               

FUKUSHIMA Report (2):

The actual reason why this accident could not have been avoided
Eiichi Yamaguchi (Doshisha Univ.),
Presented at the 3rd International Symposium on Innovation Strategy (ISIS2012), held on Sept. 11, 2012, at University of Cambridge, UK
Japanese page: 'Core problem in the TEPCO nuclear plant accident -- Similarity with the JR West train accident at Amagasaki',  by Eiichi Yamaguchi (Doshisha Univ.), Talk on Feb. 26, 2013
Posted on Oct. 3, 2013    
==> See:  FUKUSHIMA Report (1): Criminal error in TEPCO management of technology and damages given to "Brand Japan" by Eiichi Yamaguchi (Doshisha Univ.) and Morinosuke Kawaguchi (Arthur D. Little (Japan), Inc.) (Fukushima Project Committee), News Release, Nov.  2011  (Posted on Sept. 20,2013)
Editor's Note (Toru Nakagawa, Sept. 29, 2013)
This page is Prof. Yamaguchi's Fukushima Report in English in a more readable form than the page posted a week ago. 
 On the Fukushima Report posted a week ago, Mr. Richard Platt asked us to translate Yamaguchi's Japanese article into English for better readability.  Prof. Yamaguchi sent me a PPT file of his English presentation at ISIS2012 held at University of Cambridge on Sept. 11, 2012.  This page posts the presentation slides with the narration note in the text.
For further reference, you will find the following Web sites and articles useful:
ISIS2012 Site (English):  http://www.itec.doshisha-u.jp/ISIS2012/index.html      Special Session:         http://www.itec.doshisha-u.jp/ISIS2012/program_2.html      Presentation by Prof. Yamaguchi:  http://www.itec.doshisha-u.jp/ISIS2012/pdf/20120911_ey.pdf
Prof. Eiichi Yamaguchi's Lab. official site (English):  http://www.doshisha-u.jp/~ey/index.html


http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/eTRIZ/eforum/e2013Forum/eYamaguchi2013/eYamaguchi-Fukushima-2-130929.html

Presentation Slides                PDF
 Good morning. My name is Eiichi Yamaguchi from Doshisha University. Now, we would like to begin with the Special Session "Essential Cause of the Fukushima Nuclear Plant Accident" in the 3rd International Symposium on Innovation Strategy (ISIS-2012).
 First, I will give a lecture about "The actual reason why this accident could not have been avoided". Here, I will make it clearly understandable how the accident occurred. I am sure you never need technical background. You will find it so easy to understand the essential cause of the accident. Here I will show you only 16 slides, which are already uploaded to the server. So, if you go to the ISIS web site, you will get the pdf of each slide like this.
The next one is an invited talk entitled "The engineering ethics as the key to bind the business and scientific knowledge - Case of two nuclear power plants: Fukushima and Onagawa" written by Taku HIRANO and Professor FUJIMURA from Tokyo Inst. Technology.
We will have a coffee break after that, but please make sure that we will take the photo during the break. Please come to the outside and we will take your picture.
Finally, Professor Sabine ROESER from Delft University of Technology will give an invited talk about "Fukushima, risk and moral emotions". .
 Now, I will start my talk entitled "The actual reason why this accident could not have been avoided".   This is an executive summary of FUKUSHIMA Report, and during the talk I will circulate this book.  
As shown in the photo, Destroyed part of Fukushima Daiichi Nuclear Power Station consists of four units.  Here, No.1, No. 3 and No.4 are destroyed at the top floor because of hydrogen explosion.  Since No. 4 was out of operation, the hydrogen is supposed to be leaked from No.3. 
From now on to the forth slide, I will use the same four slides as I used in the last year to make you understand clearly. 
 This shows the location of commercial nuclear power stations in Japan.  As shown here, there are 17 nuclear power stations.  Each contain several plants so that there are 50 nuclear plants in Japan.
All the nuclear plants are now out of operation except for two, which is No.3 and No.4 at Oi nuclear plant station.
 Fukushima Daiichi Station is located 200 km far from Tokyo, and 700 km far from Kyoto. 
On 15th of March, TEPCO wanted to evacuate all the employees of Fukushima Daiichi at the midnight of 14th of March, 2011, but Prime Minister Kan scolded the president of TEPCO as "Japan will be completely destroyed if you evacuate them. " at 3 am on 15th of March.  Actually, if they were evacuated on 15th of March, even Tokyo would be radioactivated. 
 It is interesting that, near the Fukushima Daiichi Station, there are two nuclear stations.  One is TEPCO Fukushima Daini Nuclear Station within 20 km south.  The other is Tohoku EPCO Onagawa Nuclear Station. 
The reason why Onagawa Nuclear Station was saved will be discussed by Professor Fujimura at the second lecture of this special session. 
Fukushima Daini was located at the same sea level as Daiichi, it was damaged by 14 m Tsunami but it was finally saved because the external electricity was alive.
 On the other hand, at the Fukushima Daiichi Nuclear Station, external electricity as well as the emergency power generator were destroyed, so that these No.1, 2, 3 and 4 plants confronted severe accident.
 
 As shown in this photo, the facilities at the sea coast was completely destroyed.  Since the emergency power generator was situated at the basement floor, all became out of control after tsunami.
Here I must note one essential point.  All the mass media have reported that, after the tsunami, all the station became black-out, and that these nuclear plant immediately lost their control.  However, it is not true.  As a matter of fact, there is the last fortification which keep cooling the reactor core for eight hours or more than 20 hours.
 This figure illustrates the piping configuration of No. 1 reactor for Fukushima Daiichi Nuclear Station.  In this Reactor Pressure Vessel (RPV), steam generated by nuclear fission in this nuclear fuel goes to the turbine and generates the electric power.  Then, the steam is made water by tremendous amount of sea water at the condenser, and come back to RPV.  If this water current is stopped due to some reason, the control rod would be inserted into the fuel rod and stop the nuclear fission.  Nevertheless, decay heat would continuously be generated, and boil the water in RPV.  In order not to prevent the explosion of RPV due to the generated steam, you have to inject the fresh water from this water tank by HPCI (High Pressure Core Injection) pump as well as by CS (Core Spray) pump.  Simultaneously, this Safety Relief Valve (SRV) will be open to decrease the pressure in RPV.  This set of HPCI, CS and SRV is called ECCS (Emergency Core Cooling System). However, these pumps are operated by the external power. so that ECCS would not work  without any external power. 
In such sever cases, there is the last fortification for No.1 reactor.  This is isolation condenser, IC.  The IC can passively work without external power, in which generated steam is automatically delivered to the pool and cool down to the water.  This IC can work for about 8 hours.
I explained this last fortification of No.1 last year, so this year I would like to explain the last fortification of No. 2 and No.3 reactors.
 As shown in this figure, No. 2 and 3 reactors have the evolved last fortification as shown in this figure.  Instead of IC, there is RCIC, Reactor Core Injection Cooling Systems.  Namely, the steam from RPV can rotate this pump.  Then, this pump can draw up the water in the suppression chamber.  The RCIC, the last fortification for No.2 and 3 reactors is designed to work for more than 20 hours.
At this opportunity, I would like to show the investigation of No.2 and 3 reactors, so please focus of this type of the last fortification, the RCIC. 
 To make the following explanation clearly understandable, please remember these three physical quantities.
The first quantity is the water level in RPV which is measured from the top of active fuel. 
If the water level is positive, the fuel is completely immersed in the water and in the controllable state.  On the other hand, the water level is negative, a part of the fuel is exposed in the steam, and then generates tremendous amounts of decay heat.  Once the water level is negative, the melt-down process will start to produce radio-isotopes, Iodine 131, Cesium 134 and 137 etc., and the core is in the uncontrollable state.  So, human-being MUST try to keep the water level positive.  In other words, this quantity clearly shows the border of physics limit. 
The second quantity is the pressure in RPV.  The RPV is designed to resist high pressures at most 83 atmosphere.  To prevent the explosion of RPV, this safety relief valve (SRV) is designed to automatically open when the pressure in RPV exceeds 65 atmosphere. 
The third quantity is the pressure in Primary Containment Vessel (PCV).  The PCV is designed to resist the pressure up to 3.8 atm at maximum for No.2 and N. 3 reactors.
 
Here, I have to note that, if the water level is decreased toward zero, you MUST inject the sea water from this fire pump line.  To do so, you have to decrease the pressure in RPV below 6 or 8 atmosphere by opening the SRV.  But if you open the SRV, the pressure in PCV will be increased to result in the explosion of PCV.  This will be the hell like Chernobyl.  Therefore, to avoid it, you have to open the vent as soon as possible.  However,  if you open the vent after the uncontrollable state, radioactive cesium and iodine will be emitted out to the atmosphere.  Therefore, the vent MUST be opened by hand within the controllable state with positive water level.
Now you are the professionals of atomic nuclear plant.  It is not nuclear science but just high pressure technology.  It is quite easy to understand.
 
 First, let us analyze the time evolution of water level for No.3 reactors. 
The RCIC for No.3 manually turned on just after the earthquake at 1505.  That is why the RCIC kept cooling the core even when the ECCS was turned off due to the Tsunami at 1527.  However, the RCIC was off at 1136 on 12th of March, due to some human error. But very fortunately the HPCI, which is a part of ECCS, was automatically turned on 1 hour later at 1235 on 12th.  The HPCI kept working until 244 on 13th of March. 
So, I conclude that the No.3 reactor was in a controllable state for 36 hours due to the RCIC and then HPCI.  However, from this point when HPCI was off, the reactor soon was entering into an uncontrollable state, and the negative water level gave the core melt down, producing tremendous amount of radioactive materials. 
 This figure shows the time evolution of pressures in RPV by red circle, and pressures in PCV by blue circles.  You will find a strange phenomenon for pressures in RPV in the afternoon on 12th.  Do you understand why the strong drop of pressures up to almost about 8 atmosphere?
Yes, this is the period while HPCI was working from here to here.  The HPCI has the cooling capacity of 10 times more  than RCIC.  That is why the core was cooled very well in this time region.  This means that if TEPCO inject sea water during the time when pressures were below 10 atm, you do not have to even open the vent.  However TEPCO did not.  TEPCO even refused it.  Then several hours after the reactor is in the uncontrollable phase here at 847, they finally opened the vent.  Due to that, radioisotopes of cesium and iodine were emitted into the outside environment. 
They decided to inject sea water at 925, but it was too late.  Too ridiculous. 
So, now you completely understand that if CEO or CTO of TEPCO made a clear decision of sea water injection during this period in the afternoon on 12th of March,  Fukushima people and the people on the globe would never suffer from the radioactive pollution from No.3. 
 This figure shows the time evolution of water level for No. 2 reactors.  As you can see from this figure, the RCIC kept working for 69 hours, which is almost 3 days.  During the RCIC working, the water level was maintained around 4m, which made the reactor within a controllable state. 
But finally the RCIC was shut off at 1322 on 14th, because it has finite life time,  Then, the reactor was in the uncontrollable phase around 5pm on 14th.  After the melt down of core,  TEPCO finally injected sea water, but again it was too late to recover the reactor from uncontrollable state. 
That is the nature.
 This figure shows pressure in RPV by red and pressure in PCV by blue..  As you can see easily, the pressure in RPV was maintained below 65 atm, due to the SRV release.  That is why the pressure in PCV was increased gradually, and finally exceeded the maximal limit 3.8 atm.  Here, you can see abrupt increase of the pressure in RPV here after the runaway of the reactor, then sudden drop of pressure in RPV at here.  Do you understand what happened here.
Yes, the RPV had cracks and tremendous amount of radioactive materials came out here.  They finally injected sea water at 1954 but again too late. 
So, now you completely understand that if CEO or CTO of TEPCO made a clear decision of sea water injection during this period in the afternoon on 12th of March,  Fukushima people and the people on the globe would never suffer from the radioactive pollution from No.2.  As a matter of fact, the radioactive pollution from No.3 and No.2 are five times bigger than from No.1, which means that the damage from radioactive pollution would be one sixth.   
So, now we were trying our best to find out the reason why TEPCO management could not make any decision to inject sea water in the evening on 12th of March, 2011. 
Finally, we succeeded in happening to meet Lady Luck,  Dr. Hibino.  Hibino was a colleague when I worked for NTT Basic Research Labs as a physicist.  Dr. Hibino was a computer scientist, but originally a physicist.  He was a very good friend of Prime Minister Kan, and only trustable scientist for Kan.  On the other hand, all other nuclear technologist around Prime Minister Kan was the residents of the so-called nuclear village. 
After the accident, Kan called Hibino and asked Hibino to come to the Prime Minister's House immediately.  Then, Hibino saw everything what happened in the evening on 12th of March. 
 And, Hibino finally testified as follows:
When I arrived at the Prime Minister's Official Residence (Kantei) at 21:00 on March 12, Prime Minister Kan had started to get the feeling that the same thing might possibly happen to reactors No.2 and No.3 as No.1. And, Kan has frequently instructed that TEPCO should forestall the situation.  However, TEPCO stalled the vents and sea water injection with the reason that the RCIC was still working.
 So, on the grounds that there was still working cooling system in place, they chose to delay opening the vent and  inject sea water into the reactor vessels.
Prime Minister Kan asserted that even if we were to say that the RCIC had indeed been functioning as intended, (as there was no heat coming out of the containment area), we can infer that the heat and pressure more than likely continued to gradually build up as it had nowhere to escape. Which is exactly why they should have quickly opened up the vents and inject sea water into the reactors immediately to cool down the out of control reactors. However,  Representative of TEPCO refused.
  

 
  
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Last updated on  Oct. 3, 2013.     Access point:  Editor: nakagawa@ogu.ac.jp  
 
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  http://f-pj.org/e-publication.html

FUKUSHIMA PROJECT

Our Plan

       Plan for publication of the Power plant Accident Verification Report
  • Objectives and Summary
  • Outline of this Publication
  • Method of Investigation and Surveying
  • Assembly Plan
  • Current Schefule
  • Fukushima Project Committee

  • Objectives and Summary

    With regard to the accident which occurred in the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station, this enormous problem was not only limited to the scopes of technology and management involved, but also to the undermining of the fundamental government's safety and security policies. There will be nothing more valuable for the future than the lessons that we can learn through awareness and analysis of this catastrophe (and in addition to altering the future strategy for Technology Management and the Nation). From this kind of awareness, we can guess that TEPCO and the Government involved had control over the content in the investigation reports that were released to the media. Additionally, most well-informed people will probably look at this and publish their own works based on the controversy that lies within. As for the first part of this work, it will simply talk about the fact that we cannot deny the possibility that it simply just reflects the intentions of the main people who are behind the scenes pulling the strings (being those who possess the largest financial interests therein). The content of the latter part, being based on market principles, will talk about the level of absurdity and irresponsibility of those people who are trying to run away from the problem at hand. Based on these circumstances, our objectives, of this book which we will publish, are to use all efforts to investigate, analyze and think about how these outsiders (who were affected) must be feeling and then take the lessons learned and then let them be known to the future generations through one suggestion which will be presented in depth.


    Outline of this Publication

    An appeal will be made for contributions and then this capital will be used to organize and publish a report. We will call this book the “Fukushima Project”, In order to promote this book we will organize a committee. The planning and editing for this book will be handled by the editing department in the organization that exists under the committee. The profitable information gathered from the report will be edited and compiled into a book by this editing department. The committee will personally entrust appropriate individuals and companies with the responsibility of determining what information is relevant and appropriate for publishing.
     
    In the case that someone who donates money does not want personal information such as their name displayed in the back of the book it will be removed as desired.
     
    We, the Fukushima Committee, are going to conduct this research free of charge and in doing so renounce all royalties made from sales of this book.
     
    We, the Fukushima Committee, are going to conduct this research free of charge and in doing so renounce all royalties made from sales of this book.
     
    Contributions will be used to pay expenses related to research and investigation, as well as, printing costs and other associated costs necessary to complete this project. To be more specific, one example of the previously mentioned associated costs will be incurred in setting up a web page to provide information related to our findings to the public.
     
    If we receive more than the desired amount, then the remainder will be donated to the victims affected through an appropriate organization (such as Red Cross).
     
    If the amount of contributions received is less than the amount, in the event that it leads to difficulties in the publication of this work, the publication will be produced as an electronic version or through some other means in order to inform the public of our findings.
     
    There will be 2 versions for this publication: a book and a digest version. The digest will not require a copyright fee and will provide a free electronic copy at the viewers request. Electronic copies will also be provided for free at viewers request. We will also provide translations of the book for free upon request.
     
    This book will be released into the market as well as a regular subscription which will also be provided at the lowest price possible.
     
    The sales incurred from the book and the detailed report will be used to first pay for commissions, public relations, post-survey activities, etc. and then the remaining amount will be donated to the victims affected through an appropriate organization (such as Red Cross).             
     
    Method of Investigation and Surveying
        
    The committee which organized the "Fukushima Project", which consists of well-informed individuals from all over the world including Japan (being individuals with no conflict of interest in relation to this incident), will be in charge of the survey and analysis of this incident.
     
    The costs associated with the collecting information and materials collection activities, the holding of committee meetings, etc. and other required fees from operating costs will be covered through the collected donations previously mentioned above.
     

      Assembly Plan

      (October 25, 2011)
      Chapter 1 - Covers events which took place between March 11, 2011 and May 15, 2011.
      1.1 How did the TEPCO Power Plant Accident occur?
      1.2 How did the first reactor reach an uncontrollable state?
      1.3 How did the second and third reactors reach an uncontrollable state?
      1.4 March 15 - A Sudden Change
      1.5 What are obvious measures that need to be taken?
      Chapter 2 - An account of the events which took place up until March 11, 2011.
      2.1 A country's safety system which cannot prevent accidents from happening.
      2.2 Everything about this was foreseeable.
      2.3 The ambiguity of where fault lies within a Privatized System of National Policy.
      Chapter 3 - An account of the events which took place onward from May 15, 2011.
      3.1 An overview of what measures have been taken to deal with the accident thus far.
      3.2 Verification of accident prevention countermeasures.
      3.3 Problems that currently exist within TEPCO, NISA and Government Correspondence.
      3.4 Victim Compensation Scheme
      3.5 What has Journalism covered? What has it not covered?
      Chapter 4 - Potential severity of damages incurred due to radiation
      Chapter 5 - Taking into consideration financial damage caused by harmful rumors or misinformation.
      5.1 The seriousness of rumors.
      5.2 How each medium of media gathers and processes information.
      5.3 "Trial" as a means of doing something
      5.4 Trial for function and verification.
      5.5 Another device for bringing things to light
      5.6 General remarks regarding                      
      "Language Barriers"
      "Wall of Shame" brought about by "Suspicious News Reports"
      "The Influence Social Media Holds-A Foreign Journalist's Experience" 
      Chapter 6 - How Europe saw Fukushima on 3.11.
      6.1 How England saw Fukushima on 3.11
      6.2 How France saw Fukushima on 3.11
      6.3 How Germany saw Fukushima on 3.11Chapter 7 - What Japan's Atomic Energy Policy had been pursuing.
      Chapter 7 - What Japan's Atomic Energy Policy had been pursuing.
      7.1 Policy with a goal to realize Fast Breeder Reactors in over half a century.
      7.2 The potential nuclear weapons possess.
      7.3 Clinging to self-sustaining energy
      "Enrichment, Reprocess, Proliferation (Fast Breeding)"
      "The battle concerning reprocessing and the fluctuation in government policy"
      "How Korea and Taiwan deal with the disposal of used up nuclear fuel"  
      Chapter 8 - What the power plant has brought about to the region.
      8.1 Colonial Four Layer Structure
      8.2 Atomic Power has brought about increased employment and wealth.
      8.3 Dependence upon power plants - Without power plants our economy would cease to exist as we know it.
      8.4 Primary location--In recent years, power plant internal expansion has become mainstream
      8.5 Future sites for power plants after "3.11"
      Chapter 9 - The costs incurred with nuclear power plants and the financial costs of the electricity they produce.
      9.1 The actual cost performance of power plants
      9.2 The costs involved with nuclear power plants
      9.3 Financial costs of electricity-Overall cost formula
      Chapter 10 - Power plant modernization henceforth
      10.1 Power plant modernization moving from developed nations to developing nations
      10.2 Arguments and opinions regarding Safety and Security
      10.3 Views on the modernization of new technology and new products.
      Chapter 11 - Henceforth
      11.1 Population shrinkage in Japan and the supply and demand of energy
      11.2 Global Warming due to carbon dioxide
      11.3 The irrationality behind the "Fast Breeder Reactors-Reprocessing" plan.
      11.4 Can Japan, a country prone to earthquakes, really afford to rely on power plants?
      11.5 Separation of electrical power production from power distribution and transmission / Smart Grids / Energy storage.
      11.6 Arguments on protecting industries
      11.7 Possibilities and limitations of renewable energy sources
      11.8 Japanese social norms and the Fukushima power plant accident
      Appendix:
      A-1 Atomic Energy
      A-2 Mechanisms for electricity produced from atomic energy
      A-3 Boiling Water Reactory
      A-4 Radioactive Waste and Spent Nuclear Fuel
      A-5 Fast Breeder Reactors
      A-6 Pluthermal (Plutonium-Phermal)
      A-7 Unprecedented Accidents of the Past
       
       
      Current Schefule     
      ・March 2011
      : Project begins.
      ・April 2011
      : Committee is organized and information collection begins.
      ・August 2011
      : Set up Home Page and begin to gather contribution funds to write, edit, publish etc.
      ・November 2011
      : (Current Plan) - Put the book into the market for sale as well as a Digest.


      Fukushima Project Committee

      Chief Founder
      Hiroyuki Mizuno (Vice President at Osaka Electro-Communications University and the former Vice President of Panasonic)
      Committee Chairman
      Eiichi Yamaguchi (Professor of Doshisha University, Deputy Director of ITEC)
      Editing Department Manager
      Nishimura Yoshio (A Visiting Professor of Politics in the Graduate Program at Waseda University)
      Committee Member
      Hiroyuki Kawai (Lawyer, Co-Partner at Sakura Kyodo Law Offices)
      Committee Member
      Shunji Iio (Associate Professor of Nuclear Engineering at Tokyo Institute of Technology
      Committee Member
      Tomohiro Nakamori (Nikkei BP Consulting Chief Strategist)
      Committee Member
      Morinosuke Kawaguchi (Arthur D. Little (Japan), Associate Director)
      Committee Member
      Koujirou Honda (Doshisha University ITEC Research Assistant)


      Back to the top.
    Copyright (c) 2011 FUKUSHIMA PROJECT All rights reserved. The creator of this web site is one of the Members of the Fukushima Project Committee Any Questions about this website should be directed to the "Fukushima Project" Secretariat at info@f-pj.org
      
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    http://f-pj.org/e-committee.html
           
    FUKUSHIMA PROJECT

    「FUKUSHIMAプロジェクト」委員会 委員略歴(生年順)

    • representative and Originator Hiroyuki Mizuno
    • Committe chairman Yamaguchi Eiichi
    • Editorial Chairman Yoshio Nishimura
    • Committee Member Hiroyuki Kawai
    • Committee Member Shunji Iio
    • Committee Member Tomohiro Nakamori
    • Committee Member Morinosuke Kawaguchi
    • Committee Member Koujirou Honda

    Chief Founder Hiroki Mizuno Doctor of Science (Ph.D.) Osaka Electro-Communication Vice President Hiroshima Prefectural Institute of Industrial Science and Technology Director

    Born in 1929. In 1952, after graduating from Kyoto University's Faculty of Science he acquired employment at Matsushita Electric Industrial Co., Ltd.. In 1985, he became a director at Panasonic. In 1990, he received the sole responsibility for activities related to technology when he became a Vice-President (at Panasonic). He served as a representative of the US-Japan Semiconductor Council (having understood the changes that occurred during the IT Revolution). After retiring from Panasonic in 1993, he went to serve as an advising professor at Stanford University, Georgetown University, Ritsumeikan University, Ryukoku University etc., and has been engaged in research activities in both the US and Japan as well as Served as Vice President at Kochi University of Technology. He is currently a Vice President of Osaka Electro-Communication, serves on the Board of Directors at Hiroshima Prefectural Institute of Industrial Science and Technology, Professor Emeritus at Kochi University of Technology, an Adviser to the Shiga Prefecture local government, Chairman at the Japan Productivity Center for Technology Management, serves on the Board of Directors at Konami, Chairman of the Technical Advisor Japan E-Si, Senior Adviser at Olympus Capital Holdings, serves on the Board of Directors at 45 Corporation and serves as an Adviser to Intellectual Ventures Japan, etc.

    Committee Chairman Yamaguchi Eiichi Doctor of Science Professor,Department of Technology and Innovative Management,Doshisha University Deputy Director of ITEC(Institute for Technology,Enterprise and Competitiveness)

    Born in 1955. He graduated from Department of Physics, Faculty of Science, the University of Tokyo in 1977. He received D.Sc. degree in Physics from the University of Tokyo in 1984. He joined NTT in 1979 and worked for the Musashino Electrical Communication Laboratories. From 1984 to 1985, He worked as a Visiting Scholar at University of Notre Dame in U.S.A. From 1986 to 1998, he was a Senior Research Scientist, Supervisor, of NTT Basic Research Laboratories. Between 1993 and 1998, he was invited to be a Chief Scientist of IMRA Europe in France. From 1999 to 2003, he was an Executive Fellow of the 21st Century Public Institute at the Federation of Economic Organizations. In 2003, he was appointed to be a Professor of Doshisha University. From 2006 onward he has been serving as an Adjunct Fellow of CRDS (Center for Research and Development Strategy) at Japan Science and Technology Agency. From 2008 to 2009, he served as a Visiting Fellow of Clare Hall at the University of Cambridge in U.K. He founded venture startup companies such as ArcZone (1998), Powdec (2001) and ALGAN (2005), and serves on the board of directors for them.
    Main Works Include
    "Root for the JR Fukuchiyama Train Incident -- Rethinking Corporate Social Responsibility from Science" (NTT Publication, 2007), "Recovering from Success: Innovation And Technology Management in Japan" (Oxford University Press, 2006) Co-Author, "Innovation and Disruption and Resonance"(NTT Publication, 2006), "The Science Industry" (NTT Publication, 2003) Co-Author, "The Test Tube in the middle of the Sun" (Kodansha, 1993) "Synthesis and Properties of Boron Nitride" (Trans Tech Publication, 1990) etc.

    Editorial Chairman Yoshio Nishimura Doctor of Engineering (Ph.D.) Visiting Professor,Waseda University Advisor to the President, Tokyo Institute of Technology

    Born in 1942. He received the B.E., M.E. and Ph.D. degrees in electronics, all from the Tokyo Institute of Technology, in 1965, 1967, and 1971, respectively. From 1967 to 1968, he studied at the Solid-State Electronics Research Center of the University of Montpellier, France. During his doctoral studies, he was engaged in research on microwave semiconductor devices and semiconductor lasers. In 1971, he joined Nikkei-McGraw-Hill, Inc. (presently Nikkei Business Publications, Inc.), where he experienced editor-in-chief of the Nikkei Electronics magazine, publisher of various publications and R&D bureau director. From 2002 to 2003, he was with The University of Tokyo as a professor of The Graduate School of Engineering. From 2004 to 2009, he was an auditor of Tokyo Institute of Technology. Also from 2004 to present, he is a visiting professor of Waseda university, where he has been engaged in the education of journalists in the Graduate School of Political Science. During these years, he has also been with Nikkei Business Publications Inc. as an editorial advisor. From 2009 to present, he serves to Tokyo Institute of Technology as a special advisor to the president.
    He is the author of books such as
    "Technology and Culture of Silico-Lithic Age" (Nihon Keizai Shimbun, 1985), "Future of Semiconductor Industry" (Maruzen, 1995), "Industry-University Collaboration" (Nikkei Business Publications, 2003), "Information Industry" (University of Air Publications, 2004), and "Education of Journalists in Science and Technology" (TDU Publications, 2010).

    Committee Member Hiroyuki Kawai Lawyer Co-Partner at Sakura Kyodo Law Offices

    Born in 1944. In 1968, received undergraduate degree in Law from Tokyo University. In 1970, became a registered Lawyer. In 1972, established Sakura Kyodo Law Offices. In 1977, studied abroad (short-term at the Dallas International and Comparative Law Center. In 1986 and 1987, served as Chairman at the Second Tokyo Bar Association. Specialized in Collective Debt management, Debt Collection, Company Law Relations, International Transaction Relations, intellectual property rights such as copyrights, industrial property, patent, trademark, as well as dealt with the Douglas Grumman case, relations dealing with the acquisition of abandoned Chinese Orphans, Head of the Lawyer's Association area responsible for the suspension lawsuits against the Hamaoka Nuclear Power Station (He happens to be a Guru in this field), Chairman of a group which supports the National Acquisition of abandoned Chinese orphans, on the board of directors of a supporting foundation of the FASF Corporate abandoned Chinese orphans, a representative for the board of directors for a natural energy dot com company, Auditor of Save the Children Japan (Public Association) as well as serves as the Vice President of the Japan Federation of Bar Associations' Commission for Environmental Pollution Control etc..

    Committee Member Shunji Iio Ph.D. Associate Professor at of Nuclear Reactor Engineering at Tokyo Institute of Technology

    Born in 1955. In 1978, graduated from the Department of Physics at Tokyo University. In 1983, completed his Doctoral degree in Physics at Tokyo University and following his graduation he received employment at the Japan Atomic Energy Research Institute and joined a group which conducted experiments using the JT-60 (A Large sized Tokamak Device). He also did research on and performed other duties related to the maintenance on the instrument measuring devices, particle confinement, energy confinement, H-mode, and studies related to properties of Divertors. During this time, he was sent abroad twice (once for an 8 month period between 1985-1986 working with JET Undertaking in England and again for a 2 month period in 1990 working at the Princeton Plasma Physics Laboratory in America). In 1992, he became the Vice Senior Researcher at the Japan Atomic Energy Research Institute, was Group leader for "research on Particle Impurities Control and Plasma Boundaries" and therefore, in charge of, and lead, experiments which used the JT-60. In 1995, became an Assistant Professor of the Nuclear Reactor Engineering Graduate Faculty at the Tokyo Institute of Technology. From 2007, his current position (title changed in 2008), Supervisor of the Plasma and Fusion Research Association.

    Committee Member Tomohiro Nakamori Nikkei BP Consulting Chief Strategist/Producer

    Born in 1959. After graduating from Waseda University with a Degree in Applied Chemistry, became employed at OKI's Research Laboratories performing research related to thin-film devices, crystal growth method etc.. In 1989, since joining Nikkei Business Publications, Inc. he served as a reporter for the Nikkei Electronics Magazine since he was involved with R&D, consumer electronics, displays, peripherals, and other fields related to electronic devices. In addition, over the years he also served as an Magazine Associate Editor (Nikkei Electronics Magazine), Editor-in Chief of Nikkei Mechanical (Now known as Nikkei Monozukuri), Editor-in Chief of Nikkei Automotive Technology, Editor-in Chief of Nikkei BizTech, Editor-in Chief of NVC Online and served on the Editorial Board of the Bureau of Electronics and Mechanics. Since 2010, (current position) he has been working at the Tokyo Institute of Technology as a Part-time Lecturer and Program Officer, Supervisor of the Nanotechnology Forum at Waseda University, Technical Evaluation Committee Chairman for the New Energy and Industrial Technology Development Organization (NEDO), among other endeavors.

    Committee Member Morinosuke Kawaguchi principal,Associate Director at Arthur D.Little (Japan),Inc.

    Born in 1961. Graduated from Keio University's Faculty of Engineering with a Bachelors Degree in Applied Chemistry. Received an MS in Chemistry at the University of Illinois at Chicago. Before joining Arthur D. Little, he worked at the Kansai Research Institute, a technology consulting firm focusing on evaluating the marketability of each type of manufacturing technology, building technology strategy, setting IP strategy. Prior to becoming a consultant, he worked as an engineer for 15 years at Hitachi Co. Ltd, where he gained experience in product development, as well as materials and production technology R&D for their OA equipment, household appliances, and heavy industry equipment businesses. Kawaguchi is Principal, Associate Director for Arthur D. Little (Japan), Inc, the global strategy consulting firm. His main areas of expertise include an array of strategic issues focusing on the electronics, precision instruments, machine and chemical manufacturing industries. He is an expert in Management of Technology (MOT), Intellectual Property Management (IPM), and Technology and Innovation Management (TIM) in various industries such as telecommunications, electronics and the car industry. His book “Otaku de onnanoko na kuni no monozukuri” received the Nikkei BP BizTech Book Award in 2008. This book has been translated into Korean, Chinese, Thai and English.

    Committee Member Koujirou Honda Doshisha University ITEC research Assistant

    In 1995, he graduated from the Tokyo University of Agriculture with a degree in Bio-active Substances from the Engineering Department. In 1997, graduated from the Applied Sciences Biological Systems Master's Program at Doshisha University before entering the Ph. D program. In the same year he was accepted to the Philosophy of Science Undergraduate Program at Hokkaido University. In 2000, he graduated and then went back for his Masters in Thought Cultural Studies. In 2003, he graduated and then progressed to the Doctoral Program in the same field. In 2008, after completing a few courses in the Ph. D program he decided to take some time off. From 2005-2008, he worked as a Full-time Lecturer in the Basic Education Department at the Kanazawa Institute of Technology. From 2008-2011, he worked as a Full-time Lecturer in the Business Department at Doshisha University. Currently, he is working on various research activities as a Research Assistant in the ITEC Department at Doshisha University.
     
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    Copyright (c) 2011 FUKUSHIMA PROJECT All rights reserved. The creator of this web site is one of the Members of the Fukushima Project Committee Any Questions about this website should be directed to the "Fukushima Project" Secretariat at info@f-pj.org

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    FNPP1 reactor parameters

    https://dgr4quake.wordpress.com/fukushima-npp1-parameters/fukushima-npp1-parameters/

    [updated 06/27  00:30]

    Quick jumps to graphs

    Intro

    Here are the graphs depicting the evolution of the main parameters of Fukushima NPP1 reactors (unit1 to unit3) since the accident. You can find similar and additional interesting graphs on this other website from a Brazilian University, as well as, since 5/17, from TEPCO themselves. You may also find worth reading NISA’s own interpretation of what happened on the first stages of the accident.
    Data Sources
    • NISA and METI press releases
    • TEPCO’s own website (EN, JP),
    • All data and graphics are available online at the following online Excel workbook, which I update more frequently than the graphs bellow. Most NISA/METI PRs can be downloaded here.
    Evolution highlights
    • [04/14] Added “under investigation” tags to the graphs following NISA press releases. According to TEPCO they are simply not sure all indicators are working properly, and they are closely following a number of “suspect” ones.
    • [04/18] Added several new sensors as provided by TEPCO/NISA (noteworthy are those with PCV temperature info); Hope the graphs are still relatively easy to read, but I’m open for any suggestion so please don’t hesitate to comment.
    • [05/11] After gaining access to #1 Reactor Building and correcting RPV water level gauge A, TEPCO estimates the whole core had melted on the early stages of the accident. As of 6/27 a similar scenario is not ruled out on #2 and #3
    • [05/22] Added “water injection rate” graphs to help understanding other params evol.
    • [06/04] TEPCO installed a new temporary pressure measuring system on #1 RPV (details).
    • [06/21] Facing continuous problems with radioactive water purification facility, TEPCO decided to lower water injection on all 3 reactors in a bid to reduce storage filling pace.
    • [06/24] TEPCO gained access to #2 and installed pressure meas syst, corrected water level.
    TEPCO’s recovery roadmap evolution
    • [04/17] 1st Version; 6-9 months to stabilize the situation ; don’t expect sub 100ºC core temp in the next 3 months
    • [05/17] 2nd Version; timeframe unchanged; countermeasures modified for 100% melt-down scenario.
    • [06/17] 3rd Version; no major changes from v2.0
    …..

    Core Water Level

    Notes:
    • A and B are two different instrumentations
    • Core height is approximately 4.5m (here are the actual specs).
    • At the very beginning of the accident all 3 units spent some hours without any water on the core after losing their cooling systems. You can see more details on the evolution of the accident early stages in this PPT from Areva’s Dr Braun .
    • Since then all cores remain above half filled with water, which was sea-water at the beginning then progressively changed for fresh water. An early NRC report (thx Joe Wein) suggested half filled cores would indicate likely failure from recirculation pump seals, but as you can see most sensors are closer to 66% (normal value estimated by NRC) than 50%, so I wonder if that early assessment was accurate.
    • [5/11] After gaining access to the interior of n1, TEPCO operators said to have “corrected” #1-A gauge, which was found to be “down-scale” (i.e. core empty).  Since temperature is low all over the reactor the fuel is assumed to have completely melted down and reached the bottom of the RPV where it’s kept cool. As of 6/27 TEPCO keeps on repporting #1-B (half filled core) as well.
    • [6/06] Tepco is closely investigating the evolution of all water level gauges (except #1-A)
    • [6/22] Tepco gained access to #2 reactor building and tried to correct gauge level; corrected level [6/24] remains about 1/2 filled core, but TEPCO is still not sure of their “new calibration”.
    .RPV Temperature

     
    Notes:
    • Properly cooled down reactor RPV temperature is ~ 20 to 30ºC.
    • “Cool shut down” is considered ~ bellow boiling point (100ºC at atm pres)
    • [6/09] After checking it, TEPCO has determined #3 FW-Nozzle is reliable again
    • [6/15] TEPCO believes all temperature readings are now reliable.
    .

    RPV Pressure

    Notes:
    • Gauge pressure = Absolute Pressure – Atmospheric Pressure (atm pressure ~ 0.1MPa)
    • Properly cooled down reactor RPV pressure is ~ 0 to 0.1 MPa gauge
    • RPV normal operating pressure is ~ 7MPa, max. design pressure ~ 8.7 MPa
    • [06/04] TEPCO installed a new temporary measuring system on #1 RPV (details), showing a low pressure level, similar to that in #2 and #3. I removed previous data because it was obviously wrong; you can still find it here if you feel like it.
    • [06/24] TEPCO installed on #2 a temporary measuring system ~ #1.
    .

    PCV Temperature


     
    Notes:
    Notes:
    • Data for PCV temperature started on 4/17 ; You can see the respective locations of each sensor here:
      • HVH: Heating Ventilating Handling Unit: ~ bottom part
      • Bellow Seal: ~ upper part
    .
    PCV Pressure
    Notes:
    • Maximum DW design pressure is .528 MPa abs ;
    • Properly cooled down reactor PCV (DW or SC) pressure is just above atm pressure (~ 0.1 MPa abs)
    • Whenever pressure approaches design max. TEPCO is forced to “vent” to prevent any risk of containment failure.
    • Rise observed on #1 D/W after 4/7 is due to N2 injection to reduce the risk of H2 explosion within the PCV in case of RPV leak (IAEA, NISA). After a few days it seems pressure has been distributed between DW and SC
    …..
    CAMS absorbed dose monitoring
    Notes:
    • Containment Atmospheric Monitoring System (CAMS) measures H2 and O2 concentration, as well as gamma radioactivity, within the Dry Well (D/W) and Suppression Chamber (S/C).
    • You read it right, these are “Sieverts/h“, no “mili”, nor “micro”; keep in mind CAMS measures radioactivity within the containment: that is no place for people to go around
    • [04/08] Unit1 CAMS sudden increase happened just before instrument malfunction and it remains unclear whether it was part of such problem or an actual reading.
    • [04/17] TEPCO added many new sensors, but most of them have dubious readings (A & B are two different instrumentations measuring the same thing).
    • [06/09] TEPCO checked #2 SC(B) sensor and determined it was broken (→ removed from graphs; you can still see its pre-check evolution here if you want).
    • [06/15] TEPCO believes all SC sensors but #2-B are now reliable.
    .
    Explanatory drawings
    Here are some schematic drawings showing the relevant parts to understand the measurement points of the graphs bellow.
    .



    Reactor building main components (showing RPV, D/W, S/C)
    You can find more details on the reactor building parts in this figure at wikipedia; I stripped it to show only the relevant parts for the graphs.

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    TEPCO Says Core of Unit 1 Melted

    http://allthingsnuclear.org/tepco-says-core-of-unit-1-melted/

    co-director and senior scientist   David Wright                   

    Last week, Tokyo Electric Power Company (TEPCO) officials announced that they now believe essentially all the fuel in reactor 1 at Fukushima melted early in the crisis, and is now lying in a mass at the bottom of the reactor vessel. But they believe that it did not melt through the bottom of the vessel—which would have been a full “meltdown”—and that it is mostly covered with water and has achieved “stable cooling.”

    TEPCO’s announcement about the extent of the fuel damage in Unit 1 came about last week when workers calibrated water-level sensors and found that the water level in the reactor vessel appears to be below the level where the bottom of the fuel rods should be in normal operation, and appears to have been that low since shortly after the earthquake and tsunami. This means that the fuel could no longer be in its usual location since without cooling it would have melted.

    On May 15, TEPCO released details of its current guess about what happened in the core. This analysis says that most or all of the core had melted and relocated to the bottom of the reactor vessel within 16 hours of the time the reactor shut down. This analysis assumes the cooling system “lost its function after the tsunami arrived at around 15:30,” so relocation of the fuel happened within 15 hours of the end of cooling.

    Figure 1 below shows what TEPCO believes the water level was in the Unit 1 reactor during the first 33 hours of the crisis, according to its new analysis (the vertical dotted lines mark 6-hour increments). The red lines show the top and bottom of the fuel assemblies under normal “active” conditions.

    According to Figure 1, the water level dropped to the level of the bottom of the fuel within about 4 hours after the earthquake hit and the reactor shut down. And it stayed there despite workers’ attempts to pump first fresh water and then sea water into the reactor. It has apparently stayed at that level since then, although faulty readings from the water-level sensors led workers to believe it was actually much higher. The fact that the water level was this low despite water being pumped into the reactor suggests the cooling water is leaking out.


    Figure 1: Results of a TEPCO analysis, adapted from, “Reactor Core Status of Fukushima Daiichi Nuclear Power Station Unit 1,” 15 May 2001.

    I’ve marked the time of the explosion in Unit 1, believed to be due to hydrogen created by the damaged fuel, which occurred at 3:30 pm on March 12. This is about 20 hours after TEPCO believes the fuel was exposed to air.

    The water level in Unit 1 is believed to have dropped much faster than for Units 2 and 3.

    Why would this have occurred in Unit 1 and not Units 2 and 3? It’s possible it was due to whatever specific damage was caused by the earthquake and tsunami. A recent press story suggests instead that a worker may have shut down Unit 1’s cooling system shortly after the earthquake hit, causing the water to quickly boil away.

    But Dave Lochbaum notes that Unit 1 had a different “water makeup system”—which is used to keep water levels where they should be—than Units 2 and 3. Moreover, even if the cooling system had not been shut off by a worker, it would have failed shortly on its own.

    This is what Dave says about the makeup systems:
    Unit 1 did not have the steam-driven vessel makeup system that was installed and used on Units 2 and 3. Unit 1 had what is called an isolation condenser to perform vessel water inventory control and vessel pressure control (see Figure 2). 
    The isolation condenser is a large tank of water. If the normal makeup flow of water to the reactor vessel is lost, battery-powered valves open to allow steam produced by decay heat in the reactor core to flow through thousands of tubes in the isolation condenser.
    That steam is condensed back into water and flows by gravity to the reactor vessel. This process controls the amount of water in the pressure vessel, since it limits the steam (and thus water) lost through relief valves to the torus (which is part of the primary containment vessel). 
    This process also controls the reactor vessel pressure, since the water in the isolation condenser absorbs decay heat that would otherwise cause the pressure inside the reactor vessel to rise. 
    But the water inside the isolation condenser is of finite volume. In less than 90 minutes after a reactor shut down from 100 percent power, the decay heat from the reactor core will have warmed that water to the point of boiling and begun to boil it away. Boiling water reactors with isolation condensers are supposed to use electric powered pumps to refill the isolation condenser tanks well before its water boils away. Workers at Fukushima had no pumps available to top off the tank after the earthquake took away the normal power supply and the tsunami took away the backup power supply. 
    With the loss cooling from the isolation condenser, the decay heat from the reactor core boiled away the water from the reactor vessel, exposing the fuel in the reactor core. 
    Units 2 and 3 would have used their steam-driven makeup pumps to control the reactor vessel water inventory and pressure for at least 8 hours after the tsunami damaged the backup power supplies, until their batteries were depleted. Depending on whether the Unit 1 was shut down or boiled dry, it was 6 to 8 hours ahead of them on the path to reactor core damage.

    Figure 2: A schematic showing the isolation condenser at the upper left. The blue lines show the water flow from the reactor vessel—the cylinder on the right surrounded by the inverted lightbulb shape, which is the primary containment vessel.

    It’s worth noting that modeling of the crisis indicates that meltdowns should have occurred at all three reactors (1. 2, and 3), given the length of time they were all without cooling. The modeling also suggests that without cooling the molten fuel would have melted through the bottom of the reactor vessel about 7 hours after the fuel relocated to the bottom of the vessel. TEPCO says that cooling water was injected in to prevent this. According to Figure 1, the injection of cooling water started about 10 hours after the water level dropped below the bottom of the fuel in the reactor.
    Finally, much of the confusion about what’s happening in the reactors results from the lack of operating or trustworthy monitoring sensors, since many of the sensors were damaged by the earthquake or tsunami. This illustrates the need for diverse, reliable monitoring equipment backed by sound guidance for the operators to apply in event of unavailable or inaccurate instrumentation readings. The lack of reliable sensors was a problem after the TMI accident in 1979, and remains a problem more than 30 years later.

    Posted in: Japan nuclear, Nuclear Power Safety Tags: ,
    About the author: Dr. Wright received his PhD in physics from Cornell University in 1983, and worked for five years as a research physicist. He was an SSRC-MacArthur Foundation Fellow in International Peace and Security in the Center for Science and International Affairs in the Kennedy School of Government at Harvard, and a Senior Analyst at the Federation of American Scientists. He is a Fellow of the American Physics Society (APS) and a recipient of APS Joseph A. Burton Forum Award in 2001. He has been at UCS since 1992. Areas of expertise: Space weapons and security, ballistic missile proliferation, ballistic missile defense, U.S. nuclear weapons and nuclear weapons policy
     
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    10月 12th, 2011
     
    聞き手/文 林愛子: 
     
    東京電力福島第一原子力発電所の事故は技術経営のミスに起因するもので、天災でも偶然でもなく、100%予見可能な事故だった――。
     
    同志社大学ITEC副センター長の山口栄一教授はそう指摘する。 山口教授は現在「FUKUSHIMAプロジェクト 」の委員長として、技術経営の観点から原発事故の本質に迫る調査活動にあたっている。プロジェクトの目的は特定の利害関係に捉われることなく第三者の立場で事故を分析し、未来に向けた提言を発することだ。

    山口教授は現在「FUKUSHIMAプロジェクト 」の委員長として、技術経営の観点から原発事故の本質に迫る調査活動にあたっている。プロジェクトの目的は特定の利害関係に捉われることなく第三者の立場で事故を分析し、未来に向けた提言を発することだ。


    山口 栄一(やまぐち・えいいち)同志社大学大学院総合政策科学研究科教授、同志社大学ITEC副センター長



    ――技術経営および理論物理の専門家として、今回の原発事故をどのようにご覧になっていたのかを教えてください。

    山口栄一教授(以下敬称略) 私は原発反対派でもなければ推進派でもないので、客観的に報道を見ていましたが、津波襲来とともに全電源を喪失して制御不能になったとの論調には違和感を覚えました。日本のエンジニアは所属する組織よりも、社会正義や倫理観で動く傾向が強い。「対策はこれで十分」と言われても、社会のために必要だと思えば“最後の砦”を用意するのがエンジニアです。そんな彼らが電源喪失と同時に制御不能に陥るような設計をするはずがないと思いました。その直感に従って調査を始めたところ、やはり“最後の砦”が見つかりました。

    ――それは何ですか?

    山口 簡単に言えば、無電源でも一定時間原子炉を冷却できる仕組みがあったんです。1号機には炉の内側と外側の温度差で動く「隔離時復水器」が、2号機と3号機には隔離時復水器の進化版である「原子炉隔離時冷却系」がそれぞれ設置されていました。その結果、津波で電源を喪失した後も、1号機は約8時間、2号機は約63時間、3号機は約32時間、それぞれは冷却が続き、制御可能な状態だったと考えられます(※詳しくは日経ビジネスオンライン「見逃されている原発事故の本質」を参照)。

     いずれも稼働時間はほぼ設計通りであり、現場のエンジニアはそれが“最後の砦”だと知っていました。言い換えれば、やがて冷却が止まって原子炉が制御不能の状態に陥るとわかっていたのです。1号機の場合は毎時25tの水を入れ続ければ熱暴走を防げますが、貯水タンク内の淡水では到底足りません。豊富にあるのは海水だけ。もはや、海水注入以外の選択肢はなかったのです。

    廃炉の判断が遅れたために事態が悪化

    ――実際に1号機への海水注入が始まったのは3月12日午後7時過ぎ。制御不能の状態に陥ってから、さらに20時間が過ぎていたことになります。これほど意思決定が遅れた理由は何だったのでしょうか?

    山口 海水を注入すれば、廃炉になるからです。現場判断で海水を注入できたとも言われていますが、それはどうでしょうか。もし海水を入れて廃炉になったとしたら、その人物は懲戒免職となり、何百億円、何千億円もの損害賠償請求を受けることになるでしょう。そんな大きな経営判断に対して責任を負えるのは経営陣をおいてほかにいません。

     そう考えると、意思決定に必要なすべての情報は勝俣恒久会長や清水正孝社長(当時)をはじめとする経営陣のもとに届いていた、と見るのが自然です。ということは、海水注入までの20時間、経営陣は廃炉の判断を躊躇していたことになります。ほかに選択肢はなく、判断が遅れれば制御不能になることは100%予見可能でした。しかも、1号機のみならず、2号機と3号機でも海水注入までにはかなりの時間を要しています。これは明らかに刑法上の不作為にあたり、東京電力の経営責任は極めて重いと考えます。

    ――当時から海水注入のタイミングが遅いとの指摘はありましたね。

    山口 一部ではベントにてこずったせいだとも言われていますが、原子炉には消火設備用のラインがあるので、少なくとも水を入れることはできたと思われます。現場のエンジニアはおそらく、淡水の後は即座に海水注入だと考えたでしょう。人間には放射性物質の半減期を制御することができないのですから。

     原子炉は最後の砦が動いているうちは解決手段は“こちら側”にあったのに、海水注入の決断が遅れたために、人類の手に負えない“向こう側”に行ってしまったのだと思います。事故原因としては非常用ディーゼル発電機の設置環境や津波対策の不備なども指摘できますが、いずれも決定打ではありません。本質は、制御可能なものが制御不能になることの意味を理解できなかった経営陣による技術経営のミス。そう思い至ったとき、2005年に起きたJR福知山線事故と同じだと思いました。

    100%予見可能な事故がなぜ起きた?

    ――福知山線事故も技術経営のミスだったのでしょうか。

    山口 福知山線事故は当初、速度超過による脱線事故だと報じられました。しかし、脱線であれば内側に倒れるはずの事故車両がカーブの外側に倒れていたので、これは遠心力で転がる転覆事故ではないかと思いました。脱線は不確定要素が多くて予測できませんが、転覆は予測ができます。さっそく理論計算してみると、あのカーブは時速106kmで必ず転覆することがわかりました。事故は100%予見可能だったのです。にもかかわらず、JR西日本は何ら対策をとっていなかったばかりか、時速106kmという転覆限界速度の計算すらしていませんでした。明らかな技術経営のミスです。

     事故から2年後、私は被害者女性との共著『JR福知山線事故の本質』を出版し、事故調査委員会の委員に送りました。彼らが出す最終報告書は警察が唯一の鑑定書とするくらい重みがあるので、そこで経営陣の責任に触れてくれたら、被害者への賠償が手厚くなるだろうと期待したのです。しかし、事故調査委員会は経営責任には触れず、死亡した運転士のせいだと結論付けました。これでは交通事故程度の賠償内容になってしまいます。このままでは正義が廃ると思いました。

     そこで私はただちに福知山線事故に関するシンポジウムを開催し、書籍に書いたとおり、経営陣に責任があると訴えました。そのとき最前列で講演を聞いていたのが兵庫県警の刑事さん。捜査のために会場まで足を運んでくださったのです。それを境に経営陣への捜査が進み、ついには当時の経営陣8人が起訴されるに至りました。彼女との共同で書いた書籍が警察を動かし、司法をも動かしたのですから、感慨深いものがあります。

    ――先生が委員長を務める「FUKUSHIMAプロジェクト」でも、書籍を刊行するそうですね。

    山口 「FUKUSHIMAプロジェクト」は第三者の立場から事故の本質を明らかにし、未来への提言と共に国民の前に提示することを目的に、3月に発足しました。代表発起人である松下電器産業(現・パナソニック)元副社長の水野博之さんをはじめ、法曹界や電力業界、原子炉工学やエネルギー問題、技術倫理、風評被害など、さまざまな分野に通じたメンバーがプロジェクトに加わっています。11月には調査結果を書籍として刊行するほか、ダイジェスト版を無料配信する予定です。

     事故調査レポートは東電福島原発の事故調査・検証委員会や東京電力も発行するでしょうし、専門家や有識者による書籍も多数出ると思います。しかし、原発は国の制度設計に則って電力会社が運用し、国の一部機関がサポートする仕組みですから、国も東京電力も当事者です。事故調査委員会もある種の官製組織です。事故を客観的に分析し、国民に誠意をもって事実を伝えられるのは我々のような組織だけなのです。

     FUKUSHIMAプロジェクトは賛同者からの寄付を原資に活動します。余剰金が発生した場合は被害者救済のための義援金とし、我々メンバーは無報酬で印税も受け取りません。それゆえに、特定の団体や組織の影響を受けることも、書籍の市場性を意識することもなく、純粋に事故の本質を探究できるのです。

    超一流の巧妙なプレスリリース

    ――寄付を募るという珍しいスキームを使ってでも、第三者の立場にこだわる理由をもう少し詳しく教えてください。

    山口 先ほどお話しした、“最後の砦”や廃炉の判断の遅れ、技術経営のミスといったことを最初に発表したのは、5月13日発刊の雑誌とウェブ媒体でした。おかげさまで予想以上に多くの方の目に止まったようで、さまざまな感想や質問を送っていただきましたから、これで一つの役割を果たしたと思っていたのです。

     ところが、その2日後の5月15日、東京電力は記者会見を開き、原子炉の水位や格納容器の圧力などのデータを突如として発表します。翌朝の新聞記事には「津波の直後からメルトダウンは始まっていた」「東京電力が燃料溶融の事実をついに認める」というような内容の見出しが躍りました。各社の記事を総合すると、前日の会見は「地震の後に1号機の水位が低下」「地震で水漏れにつながる傷が出来た可能性がある」「翌朝には水位低下で燃料棒が一部露出」「淡水を入れても水位は上がらず、露出した燃料が溶融」という内容だったようです。

     報道各社はメルトダウンのことばかり取り上げましたが、この会見で東京電力が言わんとしていたのは「事故原因は地震で原子炉が破損したこと」です。事故は技術的な問題だったと主張することで、「技術経営のミス」という私の指摘を葬ろうとしたのだと思います。

     その後、件のプレスリリースを見て、私は改めて驚きました。水位や圧力のデータはすでに発表されていたものと大差ないのですが、グラフには小さな文字で留意事項が書かれていました。内容を要約すると「計測器は地震や津波などの影響で正しく動作していない可能性があるから、このデータは実測値ではなく、複数の情報をもとに計算したもの」。ほかにも「仮定」「推定」「暫定解析」といった条件が随所に書かれていました。よって、公表されたデータは嘘ではない。しかし、事実でもない。それなのにプレスリリースを見た記者は「あれほどの災害だから、シミュレーションデータしか求められないのは仕方ない」と理解して記事を書いたのだと思います。

     私は東京電力の超一級の情報戦略を目の当たりにして、背筋が凍る思いでした。このとき改めて、我々が正しい情報を発信しなければならないと、強い使命感を感じました。

    傷ついた福島が立ち上がる日

    ――なぜ東京電力はそこまでの戦略を採ったと思われますか?

    山口 東京電力は事故後も一貫して原子炉と原子炉行政を守ろうとしていたはずです。ところが、事故が技術経営のミスによる不作為で引き起こされたことが証明されれば、当時の社長をはじめ経営陣が刑事罰に問われます。また、3月11日16時36分の原子力緊急事態宣言とともに原子力災害対策本部が置かれましたから、本部長である菅直人首相(当時)にも大きな責任があったはずです。場合によっては東京電力経営陣と共に刑事責任を問われることになりかねません。それだけは何としても避けたいので、技術のせいにしたのでしょう。

     繰り返しますが、本質は技術経営のミスです。私は、重大なミスを犯した東京電力の経営陣と彼らをサポートする国家の一部の人たちによって、福島に原発事故が落とされたと思っています。広島と長崎が原爆で粉みじんにされたように、原発事故は福島の街と人々の暮らしを粉みじんにしました。それなのに、まるで大した罪がないかのように東京電力を温存しようという風潮になっているのはおかしい。このままでは日本が世界から後ろ指をさされ、“ヘタレ”な国家になり果てることでしょう。

     だからこそ、まずは事故の本質に迫り、真実を明らかにすることが最優先課題です。それを国民に見せて、一人ひとりが福島の問題を我がこととして受け止めること。そのプロセスがなければ福島は立ち直ることができませんし、それこそが日本が“ヘタレ”から抜け出る唯一の方法でもあるのです。

    ――FUKUSHIMAプロジェクトの書籍にはこのほかにどういった内容が盛り込まれるのでしょうか。

    山口 書籍は4章構成の予定です。第1章は震災当日から約2カ月の間に何が起こったかを明らかにします。第2章では事故以前の原発の位置づけなどを振り返り、第3章では事故のその後として事故収束のシナリオや補償問題に触れます。そして、第4章はメンバーそれぞれの専門性を生かした提言です。再生可能エネルギーの可能性や発送電分離、スマートグリッドなどについても論じます。

    今回の原発事故では「国や東京電力が発信する情報を信じられない」という声が多数挙がりました。知りたい情報が直ちに発信されず、情報の透明性も保たれていないと、国民は今なお感じています。これは、国民が「正しくモノを見よう」としていることの現われではないでしょうか。不透明な部分も、未だ表に出てきていないことも包み隠さず教えて欲しい、我々はすべてを知りたいのだ――そんな国民の声に、誰かが応えなければなりません。3月末に“最後の砦”に気付いたとき、私はそう思いましたし、5月に超一級の情報戦略を見せつけられたときに改めてその思いを強くしました。

     FUKUSHIMAプロジェクトの書籍は広く一般の方々に読んでいただける内容を目指しています。「科学」の視点が入ると、それまで見えていなかった部分が明らかになります。福知山線事故の検証はまさに科学の力でした。FUKUSHIMAプロジェクトの書籍にもぜひご期待ください。

    山口 栄一(やまぐち・えいいち)
    同志社大学大学院総合政策科学研究科教授、同志社大学ITEC副センター長。
    1955年福岡県生まれ。77年東京大学理学部物理学科卒業。79年東京大学大学院理学系研究科物理学専攻修士課程修了、1984年理学博士(東京大学)。79年、日本電信電話公社に入社し武蔵野電気通信研究所基礎研究部に赴任。86年NTT基礎研究所主任研究員、90年同研究所主幹研究員。99年経団連21世紀政策研究所主席研究員、2001年同研究所研究主幹。2003年から現職。2006年から科学技術振興機構 研究開発戦略センター特認フェロー、2008~2009年ケンブリッジ大学クレア・ホール客員フェロー。主な著作として『JR福知山線事故の本質―企業の社会的責任を科学から捉える』(NTT出版、2007年)、『イノベーション 破壊と共鳴』(NTT出版、2006年)、共著『サイエンス型産業』(NTT出版、2003年)、『試験管の中の太陽』(講談社、1993年)など。

     http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20110928/108520/?P=1&ST=rebuild

    ====================================================

    Reference:

    ① [PDF]  Fukushima Nuclear Accident Analysis Report

    http://www.tepco.co.jp/en/press/corp-com/release/betu12_e/images/120620e0104.pdf

    June 20 , 2012

    Tokyo Electric Power Company,Inc.

    PDF 1~503p

    ② Reactor Core Status of Fukushima Daiichi Nuclear Power Station Unit 1,” 15 May 2001.

    http://www.tepco.co.jp/en/press/corp-com/release/betu11_e/images/110515e10.

    PDF 1~6p

    ③  [PDF]  福島原子力発電所等の事故の発生・進展 1.

    http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2011/pdf/04-accident.pdf

    PDF 1~119p

    ④  [PDF]  Ⅳ Occurrence and Development the Accident at the Fukushima Nuclear Power Station

    http://japan.kantei.go.jp/kan/topics/201106/pdf/chapter_iv_all.pdf

    PDF 1~148p

    ⑤ 福島第1原子力発電所の事故の概要と30項目の対策案」の詳細版

    http://www.gepr.org/ja/contents/20121119-05/pdf/fukushima-daiichi30.pdf

    ⑥ 原子力安全・保安院によるこれまでの検討
       

       平成24年3月19日
    http://www.pref.shimane.lg.jp/bousai_info/bousai/bousai/genshiryoku/anntai67.data/67-7.pdf

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    http://japan.kantei.go.jp/kan/topics/201106/iaea_houkokusho_e.html

    [英語 ( English )]

    Report of Japanese Government to the IAEA Ministerial Conference on Nuclear Safety

     - The Accident at TEPCO's Fukushima Nuclear Power Stations -


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    [ JAPANESE ]

    http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2011/iaea_houkokusho.html

    原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書
    -東京電力福島原子力発電所の事故について-

    平成23年6月
    原子力災害対策本部


    (注)2011年6月18日時点で本報告書につき一部文言修正がございました。
    「原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書」についての語句修正(6月18日)
    (注)2011年8月時点での文言修正箇所の正誤表と添付資料です。
    IAEA6月報告書 正誤表
    [添付IXー4 修正版] 外国プレスに対する英語による記者会見

     
    Ⅰ.はじめに (PDF形式 
     
    Ⅱ.事故前の我が国の原子力安全規制等の仕組み (PDF形式 
     1.原子力安全の法規制の仕組みII-1
     2.原子力災害対応の法規制の仕組みII-5
     
    Ⅲ.東北地方太平洋沖地震とそれによる津波の被害 (PDF形式 
     1.地震と津波による我が国の被害 III- 1
     2.福島原子力発電所を襲った地震と津波による被害 III-27
     3.その他の原子力発電所を襲った地震と津波による被害 III-45
     4.地震及び津波による被害に関する評価 III-59
     
    Ⅳ.福島原子力発電所等の事故の発生と進展 (PDF形式 
     1.福島原子力発電所の概要 IV- 1
     2.福島原子力発電所の安全確保等の状況 IV- 3
     3.福島原子力発電所の地震発生前の運転状況 IV-28
     4.福島原子力発電所の事故の発生・進展 IV-31
     5.福島原子力発電所の各号機等の状況 IV-35
     6.その他の原子力発電所の状況 IV-97
     7.事故の発生と進展の評価 IV-100
     
    Ⅴ.原子力災害への対応 (PDF形式 
     1.事故発生後の緊急時対応 V- 1
     2.環境モニタリングの実施 V-13
     3.農産物、飲料水等に関する対応 V-24
     4.追加的な防護区域の対応 V-25
     5.原子力災害への対応の評価 V-28
     
    Ⅵ.放射性物質の環境への放出 (PDF形式 
     1.放射性物質の大気中への放出量の評価 VI-1
     2.放射性物質の海水中への放出量の評価 VI-3
     
    Ⅶ.放射線被ばくの状況 (PDF形式 
    1.放射線作業従事者を含む関係職業人の放射線被ばくの状況 VII-1
     2.周辺住民の放射線被ばくの状況 VII-6
     3.放射線被ばくの状況の評価 VII-8
     
    Ⅷ.国際社会との協力 (PDF形式 
     1.各国からの支援 VIII-1
     2.国際機関との協力 VIII-2
     3.国際社会との協力の評価 VIII-2
     
    Ⅸ.事故に関するコミュニケーション (PDF形式 
     1.国内の周辺住民や一般国民とのコミュニケーション IX- 1
     2.国際社会とのコミュニケーション IX- 6
     3.国際原子力・放射線事象評価尺度(INES)に基づく暫定評価 IX- 8
     4.事故に関するコミュニケーションの評価 IX-10
     
    Ⅹ.今後の事故収束への取組み (PDF形式 
     1.福島原子力発電所の原子炉等の現状 X- 1
     2.事業者による事故の収束に向けた道筋への対応 X -2
     3.国による対応 X -8
     
    ⅩⅠ.その他の原子力発電所における対応 (PDF形式 
     1.福島第一原子力発電所及び福島第二原子力発電所の
           事故を踏まえた他の発電所の緊急安全対策
    XI-1
     2.浜岡原子力発電所の停止 XI-3
     
    ⅩⅡ.現在までに得られた事故の教訓 (PDF形式 
     
    ⅩⅢ.むすび (PDF形式 
    (注:各章にある評価は、現時点での暫定的なものである。)
       
    添付資料編
     
     まとめてダウンロードされる場合はこちらをご利用ください。
     原子力安全に関するIAEA閣僚会議に対する日本国政府の報告書(PDF形式
     添付資料(PDF形式
     
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    http://hatake-eco-nuclear.blog.so-net.ne.jp/2014-09-12

    新潟県技術委検証、本店の緊急対策本部 海水注水を止めようとした東電  課題3 事故対応マネジメント⑨ 2014/8/27 [東電核災害の検証・新潟県技術委]

    新潟県原子力発電所の安全管理に関する技術委員会(平成26年8月27日開催)
    http://www.pref.niigata.lg.jp/genshiryoku/1356793671967.html

    東電、東京本店の緊急対策本部

    詳細をH26/8/25現在の議論の整理から抽出してみます。
    http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/495/108/20140821kadai3seiri.pdf

     1号機の海水注水を止めようとした東京電力

    東電の言い分
    (A)「1号機において、12日19時25分に官邸連絡者が総理の理解が得られていないと海水注入を止めるよう連絡があったことに対して、本店と発電所の対策本部で協議し、一旦注水を停止することとしましたが、発電所長は、事故の進展を防止するには何よりも注水を継続することが重要と考え、海水注入を継続しました。」
    (B)「本店対策本部の判断に反する判断をせざるを得ない状況に発電所長を追い込むことになり、事故の応急復旧に対する責任者である発電所対策本部長(発電所長)の判断を超えて本店対策本部が外部の意見を優先し、現場を混乱させたことは、反省すべきことであると考えております。」
    (C)「当時の官邸連絡者は武黒フェローでした。」
    (D)「武黒フェローは、12日の18時頃に始まった1回目の説明において、菅総理が海水注入に伴う影響について懸念を述べたり、現場準備状況を細部まで質問しているので、菅総理の納得を得ない限り次に進むことは出来ないと受け止めました。特に、海水注入によって再臨界が起きないことの説明を強く求められていました。原子力災害対策本部の最高責任者である総理の了解なしに現場作業が先行してしまうことは今後ますます必要な政府機関との連携において大きな妨げになる恐れがあること、また、再臨界の恐れがないことの説明さえ出来れば短時間の停止で済むと考えられたことから,注水を一旦停止することを本店対策本部に進言したものです。」(課題2、Ⅰ-1-⑥)

    武黒フェローの鈴をつけられるのは誰?

    武黒フェロー 武黒 一郎(たけくろ いちろう)氏の社歴は
    武黒(1).jpg2004年6月 常務取締役原子力・立地本部副本部長 兼 技術開発本部副本部長
    2005年6月 常務取締役原子力・立地本部長
    2008年6月 代表取締役副社長、原子力・立地本部長
    2010年6月 フェロー(非常勤の技術顧問、副社長待遇)
    2010年10月 国際原子力開発株式会社代表取締役社長 海外での原発受注に向けた調査・提案などを業務とする電力会社・メーカーや産業革新機構が出資 http://www.jined.co.jp/index.html

    東電核災害の発災当時の原子力部門の責任者、武藤栄氏の前上司。原子力・立地本部は2004年6月に従来は社長直属で並立していた立地地域本部、原子力本部、各原子力発電所の3組織を統合してできた。その発足当初に副本部長、1年後から7年間トップの本部長を務めている。2008年からは代表取締役。その下で武藤氏は、原子燃料サイクル部長、副本部長、取締役副本部長と出世し2010年に代表取締役、副社長、本部長の椅子を武黒氏から譲られている。会社員的に言えば、武藤氏は武黒氏に頭が上がらない。

     社長の清水氏は、2004年常務取締役(関連事業部と資材部)、2008年に勝俣 恒久(かつまた つねひさ)氏が柏崎刈羽原子力発電所のトラブルの責任を取り社長を引責辞任し、 代表権は保持したまま会長に就任する際に勝俣氏の引きで社長になっている。当時は勝俣氏の院政と言われたし、武黒氏も代表取締役に昇格している。武黒氏の2010年の処遇を見ても、清水氏に武黒氏を抑える力はない。武黒氏は副社長待遇のフェロー(非常勤の技術顧問)で東電社内に足場を残し、海外への日本の原発、つまり東電が開発し運用しているABWRと設計図段階のAPWRの輸出を手掛ける立場になった。

     2011年3月11日は「この日、本店に来ていた武黒は、12階に用意された自席にいるときに地震に遭った。なにかの役に立つだろうと、手すりを伝いながら階段を降りて、2階の対策本部に姿を現した。」「東京・内幸町の東電本店ーー。2階の対策本部にいた技術顧問職フェローの武黒一郎は誰かに声をかけられた。『官邸から誰かきて欲しいと言われています。行ってくれませんか』」「官邸行きを承諾した武黒は、スーツ姿のまま、黒塗りのハイヤーで官邸に向かった。原子力品質・安全部長の川俣晋ら3人と一緒だった。」(検証 福島原発事故 官邸の一〇〇時間、木村 英昭)
    武黒氏の「首に鈴をつけられる」勝俣氏は、中国に居て不在。

    武黒フェローが吉田所長に海水注水停止を指示

    東電の(D)「武黒フェローは、12日の18時頃に始まった1回目の説明において、菅総理が海水注入に伴う影響について懸念を述べたり、現場準備状況を細部まで質問しているので、菅総理の納得を得ない限り次に進むことは出来ないと受け止めました。特に、海水注入によって再臨界が起きないことの説明を強く求められていました。原子力災害対策本部の最高責任者である総理の了解なしに現場作業が先行してしまうことは今後ますます必要な政府機関との連携において大きな妨げになる恐れがあること、また、再臨界の恐れがないことの説明さえ出来れば短時間の停止で済むと考えられたことから,注水を一旦停止することを本店対策本部に進言したものです。」(課題2、Ⅰ-1-⑥)

    19時4分過ぎに官邸の武黒フェローから発電所の吉田所長にかけた電話で、「『今官邸で検討中だから、海水注入を待ってほしい。』旨、強く要請し」たとなっている。そして武黒フェローは「既に注水していた点については、海水がきちんと原子炉内に入るか否かを試すための試験注水であったと位置付けることにした。もっとも、前記議論再開後、菅総理がすぐに海水注入を了解したため、武黒フェローは、菅総理に対し既に海水を試験的に注水したなどと説明する機会を失った。」政府事故調の中間報告168頁

     2014年8月30日の読売新聞の報道によれば、「19時4分に海水注入した直後、首相官邸にいる(東電の)武黒フェローから電話があり、『官邸はまだ海水注入を了解していないので、四の五の言わずに止めろ』と指示があった。」と吉田所長が証言している。
     東電は武黒フェローは「本店対策本部」に進言としているが、発電所の対策本部長の吉田所長に強く要請、指示している。この点を県検証委員会は質すべきである。

    武黒6.jpg

     東電は武黒フェローは官邸連絡者としている。「官邸に当社の要員を派遣するルールはありませんでしたが、実際には官邸の求めに応じて、事故当日より専門知識を有する幹部社員を派遣しました。」(課題3、Ⅱ-3-①)とある。発電所の防災計画、原子力災害対策特別措置法(平成 11 年成立、原災法)で国に提出しチェックされた原子力事業者防災業務計画には、記載されていない要員である。11日16時頃、経産省資源エネルギー庁からの「技術的な話ができるものを官邸に差し向けるよう」という要請で送られた官邸連絡者である。

     連絡者が発電所の緊急対策本部に「四の五の言わずに止めろ」と強く要請、指示するフォーマルな根拠、権限を東電は与えていたのか。それは17時55分に経産大臣から出された海水注入の措置命令に違反するが、違法行為をも指示できる権限なのか。

    そして「吉田所長は、武黒フェローからの電話の後、いつ再開可能かも分からないのに海水注入を中断すれば、原子炉の状態が悪化の一途をたどるだけだと考え、本店対策本部(本部長・清水社長)やオフサイトセンターの武藤副社長らに対し、テレビ会議システムを通じて相談した。本店対策本部やオフサイトセンターの武藤副社長らは、いずれも、官邸で結論が出ていない以上、菅総理の了解も得ずに海水注入を継続するのは困難であり、一旦中断もやむを得ないという意見であった。」政府事故調の中間報告169頁

     石黒フェローの海水注水停止の指示は、技術的には原子炉の状態を悪化させるだけでメリットもない、法的には17時55分の経産大臣から出された海水注入の措置命令に違反しています。前代表取締役で前原子力・立地本部長とはいえ、原子力事業者防災業務計画には何の権限も持たない。吉田所長が代表取締役でもある武藤副社長・原子力・立地本部長、清水社長本店対策本部本部長に相談するのは当然です。

    ルールによる法治主義ではなく人治主義

    そして東電によれば「本店と発電所の対策本部で協議し、一旦注水を停止することとしました」(課題2、Ⅰ-1-⑥)

     この二人には総理大臣といえども法に従って権力・権限を行使する法治主義が欠けていた。フォーマルには無権限の連絡役でも二人が頭が上がらない武黒フェローには従うという人治主義が染みついて、法的には有効な措置命令・海水注水への違反もためらわない。

     「いつ再開可能かも分からないのに海水注入を中断すれば、原子炉の状態が悪化の一途をたどるだけ」という核災害リスクよりも「総理の了解なしに現場作業が先行してしまうことは今後ますます必要な政府機関との連携において大きな妨げになる恐れがある」という経営上のリスクを優先する判断をしている。この判断が社会的には許されない事だ。

    社会的視点が欠けている

     しかし、東電には社内的視点しかない。「本店対策本部の判断に反する判断をせざるを得ない状況に発電所長を追い込むことになり、事故の応急復旧に対する責任者である発電所対策本部長(発電所長)の判断を超えて本店対策本部が外部の意見を優先し、現場を混乱させたことは、反省すべきことであると考えております。」

     前回の事故対応マネジメント⑧海水注入では、原発の深層防護の第4層を成すシビアアクシデント・マネジメントAMのうちのソフト面、フェーズⅡの放出される放射能による被曝影響を抑制するマネジメントの運用的なAMが東電には欠けていたとしたが、それ以前に核災害を起こさない、被害を極小化するという原則も東電幹部にはなっかたのである。

    発災が「想定外」の要因、経過をたどっても、原子炉の物理的性質は変わらない。炉への最低注水量(時間当り)は事故時手順書(シビアアクシデント)によればスクラムから5時間まで1号機で20㎥、2、3号機は35㎥で合計90㎥、5~10時間は1号機で20㎥、2、3号機は32㎥で合計84㎥。これだけの淡水が最低でも確保できないのならば、何れ、海水注水に移行せざるを得ない。
    発災当時の東電の代表取締役ら経営幹部には、核災害を起こさない、被害を極小化するという原則、社会的視点がなかったから、海水注水の決断が遅れた。


     
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    http://www.47news.jp/47topics/e/255813.php

    「知らない」を許さず トップの責任、厳しく批判  原発事故の検審議決



    東京電力福島第1原発事故で当時の東電経営陣3人を「起訴相当」と判断した31日公表の東京第5検察審査会の議決は、 勝俣恒久 (かつまた・つねひさ) 元会長の安全管理意識の甘さを厳しく批判し「重要な点は知らなかった」との言い分を一蹴した。

     東京地検は今後、勝俣元会長ら起訴相当の3人と「不起訴不当」の1人について、業務上過失致死傷容疑で再捜査する。再び不起訴になっても、検審の再審査で今回起訴相当だった3人に起訴すべきだとの議決が出ると、強制起訴される。

     検審は、勝俣元会長が新潟県中越沖地震(2007年)による原発停止を受けた会議で津波のリスクを議論した可能性が高いとし、「最高責任者として各部署に対応策を取らせることが可能だった」と指摘。「重要な点は知らなかった」との主張は「資料を見る限り信用できない」と取り合わなかった。

      武藤栄 (むとう・さかえ) 元副社長と 武黒一郎 (たけくろ・いちろう) 元フェローの2人は、津波の危険性の具体的な報告を受けていたことが起訴相当の根拠となった。

     議決書などによると、東電は08年3月、政府の地震調査研究推進本部の長期評価に基づき、福島県沖で大地震が発生した場合、最大15・7メートルの津波が襲来すると試算。東電の土木調査グループは同6月、武藤元副社長に試算を報告し、武藤元副社長は武黒元フェローに伝えた。

     検審は「(元副社長と元フェローが)適切な措置を指示すれば、事故を回避できた」と指摘。武藤元副社長が推進本部の評価を土木学会に検討させようとしたことは「時間稼ぎ」と指摘した。

     不起訴不当の 小森明生 (こもり・あきお) 元常務は15・7メートルの試算結果を伝えられたが、対策を決める立場になかったと認定。 鼓紀男 (つづみ・のりお) 元副社長と 榎本聡明 (えのもと・としあき) 元副社長は、原発の安全管理に携わっていなかったことから不起訴相当となった。
     検審は原子力安全・保安院(当時)と東電の姿勢にも言及。「リスクを単なる数値と見ており、『原発は大丈夫』という安全神話の中にいたからといって、責任を免れることはできない」と批判した。

     (共同通信)
    2014/08/02 10:44

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    http://www.chunichi.co.jp/s/article/2014122690085703.html

    2014年12月26日 09時00分

    東電元幹部、再び不起訴へ 福島原発事故で東京地検

    東京電力福島第一原発事故をめぐり、検察審査会の「起訴すべき(起訴相当)」との議決を受けて、東電の勝俣恒久元会長(74)ら旧経営陣3人を業務上過失致死傷容疑で再捜査している東京地検が、3人を再び不起訴とする方針を固めたことが、関係者への取材で分かった。大規模津波の試算を把握していた旧経営陣が津波対策を取らなかったことについて、刑事責任を問うのは困難と判断したもようだ。東京高検など上級庁と協議の上、年明けに最終判断する。

     複数の市民グループによる告訴・告発を受けて捜査を始めた地検は昨年9月、旧経営陣3人や事故当時の首相だった菅直人氏ら42人全員を不起訴とした。これに対し、検審は7月に勝俣元会長ら3人を起訴相当と議決し、地検は再捜査している。

     関係者によると、捜査の最大の焦点は、2008年に東電が高さ15・7メートルの津波の試算を得た後、防潮堤の建設や非常用発電機の高台設置など対策を取らなかったことの是非。検審は「原発は1度、事故が起きると甚大な被害をもたらす。原発事業者にはより高度な注意義務があり、想定外の事態を前提に対策を取るべきだった」と指摘した。

     地検はあらためて地震や津波などの専門家から意見を聞き、旧経営陣ら関係者を聴取。市民グループ側は「15・7メートルの津波試算を得た後、対策を取っていれば深刻な事故は防げた」と主張してきたが、地検は今回の津波を予測し、事故を回避するのは困難だったと結論づけるとみられる。

     地検が3人を再び不起訴とした場合、起訴相当と議決した検審とは別のメンバーによる検審が、あらためて審査する。再び起訴相当と議決すれば、3人は強制的に起訴され、公判が開かれる。
     福島県民らでつくる福島原発告訴団は25日、最高検と東京地検に申し入れ書を提出。記者会見した武藤類子(るいこ)団長(61)は「原発事故の被害がどれだけひどかったかを理解し、起訴してほしい」と訴えた。

    (中日新聞)
     
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    http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014122602000128.html  

    津波対策「関わるとクビ」 10年 保安院内部で圧力

     2014年12月26日 朝刊

      政府は二十五日、東京電力福島第一原発事故で政府事故調査・検証委員会が政治家や東電関係者らに聴取した記録(調書)のうち、新たに百二十七人分を公開した。当時の規制機関だった経済産業省原子力安全・保安院は、大津波が襲う可能性を認識しながら、組織内の原発推進圧力の影響で、電力会社にきちんと指導しなかった実態が浮かんだ。 
              
     保安院の小林勝・耐震安全審査室長の調書によると、二〇〇九年ごろから、東日本大震災と同じクラスの貞観(じょうがん)地震(八六九年)の危険性が保安院内でも問題になっていた。独立行政法人「産業技術総合研究所」の岡村行信活断層・地震研究センター長は、貞観地震が福島第一周辺を襲った痕跡を指摘。自らの調書では「四百~八百年周期で反復していると考えている」と述べた。  
     岡村氏らの指摘を受け、小林室長らは貞観津波の再来リスクを検討するよう保安院幹部に提案したが、複数の幹部から一〇年に「あまり関わるとクビになるよ」「その件は原子力安全委員会と手を握っているから、余計なことを言うな」とくぎを刺されたという。    
     
     当時、国策で使用済み核燃料を再処理した混合酸化物(MOX)燃料の利用が推進されており、保安院の幹部の中には、地震・津波対策より国策の推進を重視する体質があった。
     
     これまでの本紙の取材で、プルサーマル関連のシンポジウムでは賛成派の動員要請などの「やらせ」に加わった。〇六年には、事故に備えた防災重点区域を検討しようとした原子力安全委員に、院長自らが「寝た子を起こすな」と圧力をかけたことも判明している。
         
     小林室長は、保安院内の雰囲気について「貞観地震に懸念を示す人もいれば、福島第一のプルサーマルを推進したいという東電側の事情に理解を示す人もいた」と打ち明けた。
     
     電力会社の姿勢について、保安院の山形浩史・原子力安全基準統括管理官は調書で「(電力会社は)ありとあらゆる場面で、嫌だ嫌だというような話だったし、指針の見直しだといった時も、ありとあらゆるところからプレッシャーを受けた」と吐露した。
      
     一方、東電の地震・津波対策を担当する吉田昌郎(まさお)原子力設備管理部長(後の福島第一所長)らは、一〇年三月ごろの朝会合で、保安院の担当者から「貞観地震の津波が大きかった」と指摘された。しかし、東電側は具体的な検討を先送りした。 (肩書はいずれも当時)
     
    <政府事故調> 2012年7月に最終報告書をまとめるにあたり、福島第一の吉田昌郎(まさお)所長(故人)や菅直人首相ら計772人を聴取。調書は、承諾が得られた関係者から順次、公開されている。公開は3回目で、計202人分になる。

         今回が最後の公開とみられる。
      
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    http://www2.odn.ne.jp/seimei/essay545.htm

    事故原因の核心                           

    2012年7月29日 寺岡克哉

      福島第1原発の事故を調査して、報告書を発表した調査機関には、国会事故調、政府事故調、民間事故調、東電事故調の、4つがあります。

     このうち、「事故原因の核心」に迫ろうとする気骨が、少しは感じられたのが国会事故調です。

     しかし、その他の3つは、新聞報道に載っていた報告書の要旨を見ただけでも、「事故原因の核心」に迫っているとは言いがたく、わざわざ取りあげて論評や考察する気など、起こらないものばかりでした。

      しかしながら、少しは気骨の感じる国会事故調といえども、「事故原因の核心」だと私が思っているところには、まったく触れられておらず、ものすごく不満が残っています。


      それは、なぜメルトダウンが起こる前に、原子炉に「注水」をして、メルトダウンを防ぐことが出来なかったのか?
    ということです。

      つまり私が、「事故原因の核心」だと思っているのは、 メルトダウンを防ぐことが十分可能だったのに、 冷却機能が喪失することの影響を過小評価したり、 あるいは「海水」を原子炉に注入する場合は、廃炉になることを懸念して躊躇(ちゅうちょ)し、 注水作業が「故意的に」遅れたために、メルトダウンを引き起こ したのではないか?
    ということです。

     そんな疑惑が、いま現在でも払拭(ふっしょく)されていないのです。


      もしも、メルトダウンを防ぐことが可能だったのに、「故意的」に手遅れに したのであれば、そこには「重大な過失」が存在することになり、事故の賠償責任などにも大きく影響するでしょう。


                  * * * * *


     たとえば・・・

     「原発はいらない (幻冬舎ルネッサンス新書 小出裕章 著)」という本の36~37ページには、次のような記述があります。

    -----------------------------

      3月12日に枝野幸男官房長官が記者会見で、「1号機の原子炉 圧力容器の水位が下がった」と述べました。

     専門家なら、誰でもこれが危険な兆候であると判断して当然です。

     にもかかわらず、そのあとNHKのニュースで東大の関村直人 教授が、「原子炉は停止したが、冷却されているので安全は確保できる」といった意味のことを発言したのです。

      これに対し、(元京都大学原子炉実験所助教授)の海老沢徹さん は、次のように反論しています。

     「関村さんの発言には唖然(あぜん)としましたよ。」

     「炉の冷却ができなくなってから100分くらい経つと水位が低下しはじめ、その後20分くらいで燃料棒を覆う被覆菅が融けて燃料が顔を出す。」

     「やがて炉心溶融に向かうのは、スリーマイルの事故報告書を見ればはっきりと書いてある。

     「研究者なら当然知っているはずなんですよ。」

     「関村さんの話を聞いて、『この段階で何を言っているのか』と思い ました。

     -----------------------------

      また、2011年5月23日付けの毎日新聞には、次のような記事があります。

    -----------------------------

      東京電力福島第1原発が冷却機能を失ってから3時間半後には大半の燃料が溶融したとするシミュレーション結果を、3月下旬に米国の専門家が報告書にまとめていたことが分かった。

     シミュレーションには、米アイダホ国立研究所が開発した原発の過酷事故(シビアアクシデント)の解析ソフトが使われた。

    開発者のクリス・アリソン博士が3月下旬、福島第1原発事故への対応を協議していた国際原子力機関(IAEA)に報告書を提出した。

     毎日新聞が入手した報告書によると、福島第1の1~3号機とほぼ同規格のメキシコの軽水炉「ラグナベルデ原発」の基礎データを使用。

     原子炉を冷やす緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動しなくなり、原子炉圧力容器への水の注入が止まると、約50分後に炉心溶融が始まった。約1時間20分後に制御棒や中性子の計測用の管などが融け始め、溶けた燃料が圧力容器の底に落下。約3時間 20分後、大半の燃料が底に溜まった。約4時間20分後には、底の温度が内張りのステンレス鋼の融点とほぼ同じ1642度に達し、 圧力容器を損傷させた可能性が言及されている。

     -----------------------------

      そして、  2011年5月15日に東京電力が発表した、「東京電力 福島第一原子力発電所1号機の炉心状態について 平成23年5月15日 東京電力株式会社」という資料によると、以下のようになっています。

    -----------------------------

      3月11日 14時46分   地震発生。

            15時30分頃  津波到達。

            18時頃     燃料の露出が始まる。

            19時30分頃  全ての燃料が露出し、燃料の損傷が
                      始まる。

     3月12日  6時50分頃  大部分の燃料が原子炉圧力容器底部
                      に落下。

     -----------------------------

     これについて、3月11日の15時37分に全交流電源が喪失したとき、原子炉の冷却機能も喪失したとすると、

     1号機の場合、

     燃料の露出が始まったのは、冷却機能喪失後およそ2時間20分。

     燃料の損傷が始まったのは、冷却機能喪失後およそ3時間50分。

     メルトダウンが完了したのは、冷却機能喪失後およそ15時間10分

     と、なります。


      そしてまた、2011年6月6日に原子力安全・保安院が発表した、

     「東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故に係る1号機、2号機及び3号機の炉心の状態に関する評価について」

     という資料によると、1号機では以下のようになっています。

    -----------------------------

      3月11日 15時37分   冷却機能喪失。

            17時頃     炉心(燃料)の露出が始まる。

            18時頃     水素発生、炉心(燃料)損傷が始まる。
                      (17時50分に放射線モニタの指示が
                      上昇したのと整合性がある。)

            20時頃     炉心溶融・移行(メルトダウン完了)

     -----------------------------

     これによると、1号機の場合、

     燃料の露出が始まったのは、冷却機能喪失後およそ1時間20分。

     燃料の損傷が始まったのは、冷却機能喪失後およそ2時間20分。

     メルトダウンが完了したのは、冷却機能喪失後およそ4時間20分

     と、なります。


                  * * * * *


     上に挙げた分析結果を比べてみると、冷却機能が喪失してから、
    燃料損傷が始まるまでの時間は、

     スリーマイル事故      2時間

     米アイダホ国立研究所       50分

     東京電力           3時間50分

     原子力安全・保安院    2時間20分

     となります。


      また、冷却機能が喪失してから、メルトダウンが完了するまでの
    時間は、

     米アイダホ国立研究所   3時間20分

     東京電力          15時間10分

     原子力安全・保安院     4時間20分

     と、なります。


      これらの分析結果を総合する(ただし東京電力の分析結果は、他の分析結果と大きく異なっていて信用できないので除く)と、

     原子炉の冷却機能が喪失すれば、その後およそ1時間~2時間で「燃料の損傷」が始まり、さらにその後、およそ2時間~2時間半で、メルトダウンが完了しています。
     つまり、冷却機能が喪失したら、遅くても2時間以内に「注水」をしなければ、メルトダウンを防げなかったことが分かります。

      それなのに、1号機に淡水の注入が試みられたのは、冷却機能が喪失してから
    14時間9分後の、3月12日の5時46分です。(しかしながら、水が原子炉に入っていない可能性あります。)

     そして、確実に海水が注入されたのは、冷却機能が喪失してから27時間27分後の、3月12日の19時04分だったのです。

     まったくもって、冷却機能が喪失したことの影響を過小評価し、軽視していたとしか思えないような対応です。


                 * * * * *


     ところでまた、福島第1原発の2号機と3号機については、2011年6月6日に原子力安全・保安院が発表した、「東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故に係る1号機、2号機及び3号機の炉心の状態に関する評価について」 という資料によると、次のようになっています。

      2号機では、冷却機能が喪失したのが、3月14日の13時25分で、海水を注入したのは、3月14日の19時54分です。

     その時間差は6時間29分で、2号機はメルトダウンを起こしてしまいました。(ただし、海水が原子炉に入っていなかった可能性があります。)


      3号機では、

     冷却機能が喪失したのが、3月13日の2時42分で、淡水を注入したのは、3月13日の9時25分です。

     その時間差は6時間43分で、3号機はメルトダウンを起こしてしまいました。

      もしも、冷却機能の喪失後、淡水であれ海水であれ、「直ちに」確実な注水をしていれば、2号機と3号機のメルトダウンも防げたかも知れません!

     逆に、「直ちに」注水をやらなかったために、1号機に引き続いて3号機、2号機と、
    同じ過ちをくり返して、次々とメルトダウンを起こしたとも言えるでしょう。

     もし、そうだとすれば、やはり、ここには「重大な過失」が存在することになります。

      とにかく、なぜ、冷却機能の喪失後、直ちに注水作業を行わなかったのか?

     冷却機能喪失の影響を、過小評価し、軽視していたのではないか?

     ほんとうに、メルトダウンを防ぐことは出来なかったのか?

     実はここに、「重大な過失」が存在しているのではないか?

      そこのところが明確にされなければ、「事故原因の核心」が、闇から闇へと葬(ほうむ)り去られ、「賠償責任」がウヤムヤにされることにも、なりかねないのです。


    プロフィール
     http://www2.odn.ne.jp/seimei/writer_page.htm 

    寺岡克哉(てらおかかつや)
    生年月日   1963年7月13日、北海道生まれ。
     職業      フリー
     趣味      高校、大学時代は山岳部に所属し、ロッククライミングや冬山
              登山の経験もあります。現在の趣味は散歩です。
     得意分野   自然科学、特に物理学。素粒子実験の分野で、理学修士と、
              博士課程の単位を取得しております。

    今までやってきたこと
     1986年 弘前大学  理学部 物理学科   卒業。
     1989年 弘前大学  修士課程(物理専攻) 修了。
     1990年 名古屋大学 博士課程(物理専攻) 編入。
     1993年 名古屋大学 博士課程        単位取得。


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    http://www.huffingtonpost.jp/foresight/yoshida-testimony-and-nuclear-worker_b_5924658.html

    投稿日: 更新:

    吉田調書を読み解く(上)「貞観地震」への過剰反応

    9月11日に公開されたいわゆる「吉田調書」には、驚天動地の新事実も、闇を照らす秘密の暴露もない。ここから無理やり特ダネを"捏造"した朝日新聞への大批判は、当然の帰結だろう。調書の作成を主導したのは、政府の「事故調査・検証委員会」の事務局内で最大勢力を占めた検察官たちで、一見すると、冗長で膨大な「羅列」でしかない吉田調書だが、あらかじめ設定された「検察的シナリオ」のにおいが、紙背からそこはかとなく漂ってくる。

     ざっくばらんに、時にべらんめえ口調で、率直に答える吉田昌郎所長(当時、昨年7月死去)の言葉の端々から伝わってくるのは、語れない事実の重さだ。世界に類例のない隣接する原発4基の連続過酷事故。自然災害が発端とはいえ、事故前の「不備」や事故後の「不始末」に話が及べば、企業責任が浮上する。

     断片的な詳述と一般論の繰り返し、核心を迂回した冗長な羅列にも、いくつかの破綻が存在する。そこを読み解くと、十数万人の平穏な日常を奪った福島原発事故の「構造」がおぼろげに見えてくる。

    「総長」も「総理」も「おっさん」
     吉田所長は、論旨不明瞭な妙に誘導的な質問にも、一貫して丁寧に答えている。その中で、特定の人物を「あのおっさん」呼ばわりして、声を荒らげる場面が、2カ所ある。

     
     1つは、福島第1原発の津波に対する備えについて問われた2011年11月6日の聴取に対する応答で、「おっさん」と呼ばれたのは元京大総長で政府事故調の委員を務めた地震学者の尾池和夫氏である。もう1つは、同じ日の午後、ご存じ菅直人総理(当時)の東京電力本店乗り込みと全員撤退問題に触れた発言で、おっさん呼ばわりの対象はもちろん菅氏である。

     2011年7月に始まった吉田所長に対する聞き取りは、この11月6日が最後である。質問者の事務局員とも顔なじみになり、菅氏が総理の座を離れた(9月2日辞職)後で、それまで抑えてきた怒りが表に噴き出し、おっさん呼ばわりにつながったのだろう、と推察できる。

     しかし、津波への備えに関する吉田所長の怒りはあまりに唐突で、不可解ですらある。前後をいくら読んでも、尾池元総長を「あのおっさん」となじる合理的理由は見当たらないし、感情的反発の理由も定かではない。

     869年(貞観11年)に東北の太平洋岸を襲った貞観大地震・大津波を例に、福島原発を大津波が襲う可能性を複数の研究者が指摘していただけに、もうちょっと何か備えはできなかったのか、という趣旨の質問に、吉田所長は突然、キレたのである。そのやりとりをかいつまんで紹介する(調書原文から一部を要約)。
     質問者 「私がそう思っているわけではなく、(思っているのは)国民の皆さんか、一部の委員なのかは置いておきまして、原発と言うのは何かあったら大変なんだから、結構(高い波が)きますよねという話もありうるということであれば、来るかもしれないということを見越して......」
     吉田所長 「その辺(を問題にしているの)は、京都大学の先生だと思うんですけれども、学者さんの発想であって、要するに設計が決まらなければ、デザインできないではないですから。それを、何をもって、ちょっとでもと。京大の某教授だと思うんですけれども、元の総長か、あのおっさんだと思うんですけれども、あのおっさんだって、知ってるんではないかと私は言いたい。実務でものをつくる人間が、デザインベースをもらわなければ設計出来ないですよ」
     吉田所長 「それが10(メートル)だと言われれば10(メートル)でもいいし、13(メートル)なら13(メートル)でもいいんですけれど、こう言う津波が来るよという具体的なモデルと波の形をもらえなければ、何の設計もできないわけです。ちょっとでもというのは、どこがちょっとなのだという話になるわけです」
     吉田氏が尾池委員を半ば名指しのような格好で口をきわめて論難した理由の1つは、妙に思わせぶりな質問の仕方にあることは間違いない。

     質問者は、わざわざ「一部の委員」という表現を使って、事故調委員の中で唯一の地震・津波の専門家である尾池氏が、東電の備えの薄さを批判しているかのように「ほのめかし」て、敵愾心を掻き立て、意図的に暴言を誘導しているようにも見える。

    ムキになって吐いた「暴言」
     それにしても、こんな単純な「ほのめかし誘導」に、「吉田の前に吉田なし、吉田の後に吉田なし」とまで言われた東電・原子力の逸材、吉田所長がなぜ、まんまと乗せられてしまったのだろうか。
     福島第1原発の連続過酷事故では、地震・津波に対する想定と備えの不足は、東電という企業体と経営トップの刑事責任に直結する。強烈な地震動や高い津波が襲来するリスクを承知していながら相応の備えを欠いていたとなれば、東電経営陣は刑事責任を問われ、起訴される。事故を予見できた可能性は高い、ということになるからだ。

     吉田所長は特にこの問題については、相当に神経質になっていた。前述の問答以外でも、貞観津波に話が及ぶと、とたんに語気が荒くなる。

     おっさん発言の3カ月前、8月の8、9両日にまたがって行われた3回目の聞き取りでも、貞観津波に関する持論を強烈に展開している。
     吉田所長 「貞観津波のお話をされる方には、特に言いたいんですけれども、貞観地震の波源の所に、マグニチュード9(の地震)が来ると言った人は、今回の地震が来るまでは誰もいなかったわけですから、それを何で考慮しなかったんだというのは無礼千万だと思っています」
     吉田所長 「これは声を大にして言いたいんだけれども、本当は原子力発電所の安全性だけでなくて、今回2万3000人死にましたね。これは誰が殺したんですか。マグニチュード9が来て死んでいるわけです。こちらに言うんだったら、あの人たちが死なないような対策をなぜそのとき(大津波のリスクが研究者から指摘されたとき)に打たなかったんだ。東京電力のここの話だけにもってくるのはおかしいだろう」
    思い込みによる安直な東電叩きに対して、現場の所長が現実を踏まえて、小気味よく反論するという構図だが、少しムキになっている分、論理の粗さと飛躍が目立ってしまう。

     原発事故こそが、地震・津波ではほとんど無傷だった10万人もの人々に長期間の避難生活を強い、人生で命の次に重要な「平穏な日常」を奪ったことに、全く思いは及んでいない。暴言である。

    握りつぶされた地震学者の指摘
     津波のリスク評価に関しては、貞観津波の波源は、福島よりずっと北の三陸沖と推定され、地震のマグニチュードも8前後、福島第1を津波が襲うにしても、波高はせいぜい3メートルほどだと評価していて、東電はそれには十分備えていた、というのが、吉田所長の一貫した主張だ。こちらの方は暴論ではない。ある意味で企業としては当然の主張である。

     しかし、2007年ごろから、貞観津波はこれまでの説よりもっとずっと高く、福島第1原発の付近でも、かなり内陸まで津波が到達していたとする研究論文が出始めた。また、政府の地震調査研究推進本部(推本)が、貞観津波、明治三陸津波、昭和三陸津波のような東日本の太平洋岸を襲う大津波は、必ずしも三陸沖だけが波源となるとは限らず、今後は三陸沖から福島沖、房総沖にかけて、どこで起きてもおかしくないという報告をまとめている。

     さらに2009年には、原発の地震・津波に対する安全性評価を抜本的に見直すための経済産業省の公式の会議で、福島第1と福島第2の両原発について、津波の想定を格段に厳しく見直すべきだという、専門家の具体的な指摘を東電は受けてしまう。「総合資源エネルギー調査会 原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤合同ワーキンググループ」という、とてつもなく長い名称の会議で、2009年6月、産業総合研究所の岡村行信活断層・地震研究センター長は、東電は津波対策として貞観地震を検討すべきと明言しているのだ。

    こうなると、何人かの研究者によるリスクの指摘とは、問題が違ってくる。福島の海岸線に10基の原発を持つ東電は、それなりの対応を迫られる。この時、本店の原子力設備管理部長として、その対応を取り仕切ったのが、ほかならぬ吉田昌郎その人だったのである。

     結果的に、東電は一連の指摘を握りつぶす。貞観津波のリスクは、波源の場所も、波の高さや形も、設計に使えるようにモデル化されていないという理由で無視し、津波の想定高さを、従来の5.7メートルから6.1メートルにわずかに上げ、6号機の機器をかさ上げして、津波対策の見直しを終了した。

    吉田氏の「自負と悔恨」
     調書の中で吉田所長は、普通なら「理工系」とひとまとめにする集団を、わざわざ理学者(地震・津波の研究者はほとんどが理学部出身)と、土木や機械などの工学者に分けて、論じている。自然災害の極端なリスクを言いつのる理学者=地震・津波学者の指摘は、改造や補強に適用できる工学者の評価を経ないと耳を傾けても意味はない、という主張を述べている。

     一連の貞観津波に関連する津波リスクの指摘を無視した経営責任を、それとなく探る質問には、吉田所長は毅然としてそれは自分の判断だと答えている。原子力本部長の副社長や勝俣恒久会長(当時)に対しては、津波の専門家である部下ではなく、部長の自分が直接、大津波のリスクは定説ではないし対応する根拠も方法もないと伝えた、と語っている。

     部下も上司もかばい、責任は一身に負う。まさに傑物、その気骨と覚悟、巨大企業の幹部社員としての人格は尊敬に値する。

     しかし、岡村センター長の指摘から2年もたたない2011年3月11日、大地震と大津波を受けて、福島第1原発は3基連続の燃料の溶融と落下(メルトダウン)と、4基連続の過酷事故(シビアアクシデント)を引き起こす。福島第1の所長に転出していた吉田氏は、ここで厳しい事態に直面することになる。

    吉田所長が、貞観津波というキーワードにいささか過剰に反応して、語気を荒らげ、地震学者をなじるのは、そこがまさに、福島第1原発事故の事故原因と企業責任をめぐる核心部分だと熟知していた証左ではないのか。加えて、原子力設備管理部長時代の自身のリスク評価と判断について、内心では自負と悔恨がないまぜになった複雑な感情が激しく揺れ動いていたことも、過剰反応の原因ではないか、と思われる。

    なぜか放棄された「事前の備え」検証
     公開された吉田調書にさしたる新事実はないと前述したが、吉田調書を通読して驚いたことが2つある。1つは、調書ではこれだけ雄弁に地震・津波への備えについて吉田所長が語っているのに、それが政府事故調の報告書にはほとんど反映されていないことだ。

     政府、国会、民間、東電と、4つの事故調報告を読み比べて、事故の真相に迫ろうと昨年2月に上梓した拙著『「原発事故報告書」の真実とウソ』(文春新書)では、政府事故調の地震・津波に関する記述を、こう評した。

    「1500ページを超す大部の報告書の中で、福島第1原発を襲った地震の大きさについての記述は、たった半ページに過ぎない」

    「津波の高さに関する記述は、地震動と同じように極めて淡白である。中間報告の本文19ページの上半分にあるだけで、他にどこを探してもみつからない」

    「何よりも、日本の地震学の権威、京大総長も務めた尾池和夫委員の学識が記述からはほとんど見えてこない」

     畑村洋太郎委員長の方針で、個人や組織の責任を追及せずに、事故の真相を解き明かすことを目的とした政府事故調は、事前の備えの検証を放棄して、地震津波後の事故の進展とそれへの対応に調査の力点を置いたのは確かだ。しかし、事前の備えに関するこれだけの膨大な聴取結果を、ほとんど無に帰した事故調の判断は理解に苦しむ。

     事故前の備えの薄さと欠陥が、事故につながったのだとすると、日本にある他の50基の原発再稼働は、備えの徹底検証無しには考えられなくなる。

     その本質問題を、政府事故調は回避したのだろうか。

    政府事故調は、福島第1原発を襲った、地震の強さや津波の高さという事故分析に不可欠なデータも、東電のいいなりの数字を並べているだけで、独自に検証していない。

     備えの欠陥に触れるのが、まるでタブーだったようにも読める。

     おっさん呼ばわりまでして、尾池委員の「理学者的学識」に警戒感をあらわにしていた吉田所長の言葉を、政府事故調の委員はそれぞれどう受け止めたのだろうか。

    「検事による調書」の狙い
     吉田調書に関して驚いたことのもう1つは、政府事故調への、想像をはるかに超える検察官の関与である。

     事故関係者を聴取して調書の作成にかかわった政府事故調の事務局員は30人ほどいたが、ほとんど氏名は公表されていなかった。今回、吉田調書のほか菅元総理など19人分の調書が公開され、聞き取りや調書の作成にかかわった事務局員の氏名が公表されたが、氏名だけで、出身母体・所属が不明なメンバーも6名ほどいる。

     所属が判明している事務局員はみな、検察庁、文部科学省、経産省、警察庁など中央官庁の官僚で、中でも検察官は事務局長の小川新二氏を含めて5名と、最大の勢力である。

     吉田所長の聴取は、2011年の7月22日、7月29日、8月の8日と9日、10月13日、11月6日の5回、6日間にわたって行われた。このうち5日間分はほぼ1人の事務局員の手で調書がつくられている。
    事故の真相解明に不可欠なキーパーソンの聴取をほぼ一手に担ったのは、検察官の加藤経将氏で、事務局の参事官補を務めた。

     個人や組織の責任を問わないことを前提にしたちょい甘な調査組織に、個人や組織の責任を秋霜烈日の凛とした気概で見極めるべき検事たちが、大勢で参画すると言う図には、少々気味の悪いものを感じてしまう。

     検察が事務局にもぐりこんだのではなく、検事の尋問能力が買われて迎えられたのだと推察するが、こんなに検察だらけの事務局だったことは、これまで3年間、国民には伏せられていたことになる。狼が羊の皮をかぶって、甘い言葉で赤ずきんちゃんに問いかけるみたいな、いやな感じはぬぐえない。

     検察は後に福島第1原発事故に関して、関係者全員の不起訴を決める。マグニチュード9という未曾有の大地震に伴う大津波は、予見不可能だったという理由である。「フォーサイト」に掲載した拙稿「原発事故『関係者全員不起訴』情報をリークした『検察』の思惑(2013年8月15日)」にもあるように、検察ははなから東電の企業責任、トップの経営責任を問わないことを決めていたフシがある。

     そのシナリオの正当性を瀬踏みしたり、確実なものにするために、羊の皮をかぶった敏腕検事は、政府事故調のヒアリングで巧みな問いかけと羅列的な調書のまとめを行ったということなのだろうか。(つづく)

    塩谷喜雄
    科学ジャーナリスト。1946年生れ。東北大学理学部卒業後、71年日本経済新聞社入社。科学技術部次長などを経て、97年より論説委員。コラム「春秋」「中外時評」などを担当した。2010年9月退社。

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    http://www.nikkei.com/article/DGXNZO46247170Y2A910C1000000/

    福島原発事故、遅れたベントから得た教訓

    米原子力発電運転協会が報告書

    編集委員 滝順一

    米国の原子力発電事業者が組織する原子力発電運転協会(INPO)は8月、「福島第1原子力発電所における原子力事故から得た教訓」と題した報告書を公表した。同協会は昨年3月の事故直後から東京電力本店に専門家を派遣し事故対応に協力してきた。事故からほぼ1年半を経て、原発を運転する同業者としての視点から東京電力の対応などに対し反省点や教訓を見いだしている。日本政府の事故調査・検証委員会などの指摘と重複もあるが、日本ではあまり議論されていない論点も含まれるのが興味深い。

    福島第1原子力発電所2号機の電源室(東京電力提供、2011年3月)
    画像の拡大
    福島第1原子力発電所2号機の電源室(東京電力提供、2011年3月)

     同協会は1979年の米スリーマイル島原発事故の教訓をもとに、原子力事業者が互いに運転経験を共有し相互チェックを通じて運転の質(安全や稼働率など)を向上させる目的で設立された。加盟事業者の発電所の格付けなどを実施している。内部での議論の多くは非公開だが、「(福島の)教訓はすべての原子力事業者に広く適用可能」とし、周知のため公開した。

     報告書は「東京電力と原子力産業界は福島第1で直面した極端な状況下で、重要な安全機能を維持し効果的な緊急時対応手順と事故管理計画を実行するための準備ができていなかったのは明白」と断定し、26項目の教訓を示した。

     もっとも重要な教訓として挙げたのは、定期的なレビューや新しい知見に基づく安全対策の見直しだ。

     貞観地震に関する新たな研究や、日本海溝沿いでマグニチュード8.2の地震が発生しうるという政府の地震調査研究推進本部の指摘などを受け、東京電力は社内で試算した結果、最高で15.7メートルの津波が福島第1を襲う可能性があることを2008年には認識していた。

     東電の上層部は試算を仮想的な前提に基づいたもので信頼性が低いと判断、全電源喪失をもたらす恐れのある浸水への対策強化を見送り、試算の妥当性の検証を土木学会に依頼した。この検証は2011年3月11日時点でまだ終わっていなかった。

     さらに東電は土木学会が社内試算と同様の結果を示した場合に備えて、2010年に10メートル超の巨大津波への対策を検討するグループを社内に設けた。事故時点ではこのグループによる対策づくりは完了していなかった。

     ただ作成中の対策は海際にある海水ポンプを津波から守ることを進言する内容にとどまっていたという。INPO報告は「プラントウォークダウン(現地踏査)を伴う詳細な安全解析は未実施であり、原子力施設での溢水(いっすい)の可能性を減ずるための対策は検討されていなかった」とする。つまり東電は高い津波の可能性を認識しただけでなく対策も検討し始めていたが、その対策は今回の災害に耐えうる中身ではなかった。

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    http://www.nikkei.com/article/DGXNZO46247170Y2A910C1000000/?df=2

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     INPO報告はまた、今回起きた炉心溶融事故への東電の対応から導き出せる教訓として「炉心冷却の維持の最優先」をあげた。東電の対策本部は冷却の状況にもっと注意を払い、消防ポンプなどによる代替冷却の進め方に関して明確な戦略をもって臨むべきだったと示唆する。

    順位付けに悪影響を与えたかもしれない」とした。例えば、現地の対策本部は1号機が非常用復水器(IC)によって冷却されているという誤った想定に基づいて、1号機に対し最も緊急に関心を払わねばならない時(3月11日夜)に2号機に多くの関心を払っていた。

    福島第1原子力発電所の緊急対策室(東京電力提供、2011年4月)
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    福島第1原子力発電所の緊急対策室(東京電力提供、2011年4月)
     
    3号機では運転員が13日に高圧注水系(HPCI)を手動停止し、結果的に冷却手段を失い状況を悪化させた。このときHPCIは本来の運転すべき条件とは違う低回転で動かしており、運転員は故障を心配した。この判断は手順書には適合するものだった。しかし深刻な事故がおきて核燃料の崩壊熱除去が最優先される場合には「壊れるまで運転するという対応を検討することは重要」だったと報告は指摘する。ポンプを止める判断に現地対策本部の主要メンバーは関わっておらず、より大局的な観点から助言できる人間もいなかった。

     INPO報告は格納容器内のガス(水蒸気など)を抜くベント(排気)のあり方についても問題点を指摘した。福島第1のベント配管には操作ミスなどによる意図せざる放出を防ぐためラプチャーディスク(破裂円板)と呼ぶ、ふたのようなものが備えられている。2号機では、このラプチャーディスクの破壊が格納容器圧力の1.2倍に設定されていたため、弁を開いてベントをしようにも格納容器圧力が十分に高くなかったため排気できなかった。

     米国の沸騰水型軽水炉(BWR)はラプチャーディスクを備えておらず、非常時には格納容器の設計圧力に到達する前に早くベントを開始することが手順書で要求されているという。

     対照的に日本の手順書は格納容器圧力が設計圧の2倍になるまでベント実施を遅らせることを許容している。日本の原子力事業者と原子炉メーカーは格納容器が2倍の圧力まで壊れないことを確認したうえで、早期ベントを回避する戦略を選択したからだ。しかしこの戦略を採用するにあたり「格納容器圧力が高い状況下での水素漏洩量の増加の可能性については十分対処されなかった」とINPOは指摘する。

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    http://www.nikkei.com/article/DGXNZO46247170Y2A910C1000000/?df=3

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    東電は2、3号機で早くからベントを計画しながらも、なかなか実行できなかった。余震や1号機の水素爆発などで思うように作業が進まなかったことが大きいが、格納容器の圧力が高まるのを待っていた側面もありそうだ。この遅れが結果的に水素漏洩を許すとともに、消防ポンプなどの低圧系による代替注水を困難にした。
     ゼネラル・エレクトリック(GE)が設計した米国生まれの原子炉であるにもかかわらず、ベントによる放射性物質の放出を嫌った日本の社会事情に合わせて運用しようとした。その点に根源的な誤りがあったとも受け取れる。

     INPO報告は21番目の教訓で、設計時とは異なる戦略を採用するにあたっては元々の標準的な考え方を確かめ、意図せざる結果が起きはしないかをよく考慮する必要があることを指摘し、日本流のベントのあり方を問題視している。

     INPO報告はさらに、東電が海外の事例から学ぶ機会を逃し、常に安全を最優先して考える「安全文化」の醸成の面でも不十分だったことも指摘している。

     一例として挙げたのは、フランスのルブレイエ原発の事故だ。同原発は1999年に河川の増水で原発施設が浸水し緊急事態に陥った。事故を契機に建屋の防水扉を強化するなどの改善策を盛った報告が公表され、世界の原子力事業者の間で共有されていた。東電も事故の経緯を承知していたはずだが、福島の津波対策には生かさなかった。

     原子力の安全文化の原則には「問いかける姿勢や仮定条件に疑いを持つ姿勢を養うことが含まれている」とINPOは指摘する。巨大津波が起こらないという前提に対し、東電社員が疑問を抱き問いかける姿勢を持っていれば事態は変わっていたかもしれない。

     また福島の事故では1号機の水位計が壊れて圧力容器内の正しい水位を示さなくなっていた。運転員らはこれに気がつかず冷却状態に関する判断を誤った。報告はシミュレーターを用いた運転員の教育訓練において、計測器が使えなかったり間違った数値を示したりする可能性を考慮するなど、より深いレベルで運転員らの能力を培う必要も指摘した。

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    http://www.nikkei.com/article/DGXNZO46247170Y2A910C1000000/?df=4

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    INPO報告はほかにも様々な教訓を示している。以下の骨子は筆者が原文を意訳した。日本原子力技術協会の中野益宏情報・分析部長による日本語訳を参考にし、同部長の助言も得た。

    INPO報告が示した教訓の骨子
     
    【想定外への備え】
    1) 安全確保態勢を定期的にレビューしたり新しい知見を取り入れることを通じ、設計条件を超えたリスクが生じていないか常にチェックし、そうしたリスクに安全系の共通故障原因が含まれる場合は迅速に対応する。
    2) 設計基準を上回る事態に備え、通常の事故対応を超えた設備や手順書の整備、訓練を追加的に備える必要がある。
    3) 原子力事業者の全社的なリスク管理において、炉心損傷をもたらしサイト外に放射能を拡散させる恐れのある低確率だが影響の大きい事象も検討すべきである。
    【運転上の対応】
    4) 炉心冷却を最優先し確実に冷却を継続する。冷却状態が不確実な場合は冷却確立のため直接的でタイムリーな行動がとられるべきだ。
    5) 事故対応の初期において、炉心冷却と復旧の明確な戦略を策定し周知されるべきだ。指揮者は明確な優先順位付けの下に戦略が実行されるよう指示すべきだ。
    6) 事故時の手順書に、格納容器の破壊を防ぎ水素を逃がし低圧注水を可能にする格納容器ベントの手順が示されるべきであり、電源喪失や高いレベルの放射線・高温といった状況下でもベントを実施できるようにする必要がある。
    【事故対応】
    7) 原子力事業者は過酷事故において原子炉を安定させるのに必要なインフラを確立しなければならない。複数原子炉の長時間にわたる事故対応に必要な人員、設備、訓練、手順書などが含まれる。
    8) 複数の原子炉がかかわる事故において、迅速に運転員をはじめ必要な職員をサイトと本店に配置し長時間の場合も想定して計画する。
    9) 緊急時対応にあたる人員の意思決定に影響を及ぼし能力を低下させかねない感情的な問題(家族との安否連絡など)にも配慮して対策や訓練を行う。
    10) 水位など原子炉の状態を示す数値を監視する代替手法を用意する。
    11) 所内電話など緊急対応に必要な発電所内外の施設は非常時でも機能するよう設計されるべきだ。
    12) 重機など特殊な事故対応設備を操作できる人員の確保。
    13) 意思疎通と意思決定を確実にするため緊急対応要員の役割と責任を明確化する。
    14) 正確で適宜な情報交換と公衆とのコミュニケーション、電力会社と政府の情報共有を可能にするコミュニケーションの手法と設備が必要である。
    15) 緊急時対応を支援する放射線防護のため必要な人員、設備、手順書を備える必要がある。
    16) 発電所の緊急時対応計画には放射線管理が適切に実施できる柔軟性を備えるべきだ。
    17) 緊急時の作業員の線量限度には柔軟性を持たせ、被曝(ひばく)リスクについて教育訓練を日ごろから行う必要がある。
    18) 外部電源喪失などの重大事態にあたって発電所外からの支援は優先して提供されるべきだ。
    【設計と設備】
    19) 全電源喪失や最終ヒートシンク喪失に対応するため不可欠な設備はいつでも使えるよう準備し保護・整備しておく。
    20) 全電源喪失や最終ヒートシンク喪失を起こさないようにするためプラントの改修が必要になる。
    【手順書】
    21) 事故対応に必要な戦略、手順書、ガイドラインなどは原子力事業者と原子炉メーカーがよく相談して作成し、合意した内容と違うものを採用する場合は改めて安全レビューをすべきだ。
    22) 事故時の状況によっては運転員らの判断・行動力の発揮が妨げられることを想定して、緊急時の手順書などをつくる必要がある。
    【知識と技能】
    23) 運転員や緊急時対応要員に対して、過酷事故対応について体系的な教育・訓練を実施すべきだ。
    【運転経験】
    24) 国際機関や国際フォーラムに積極的に参加し共有されている情報を最大限活用する。
    25) 国際的な経験から得た情報を活用する際に、同じような事象が異なる原因によって生じる可能性について検討する必要がある。
    【原子力安全文化】
    26) 福島事故における電力会社などの行動から自社の安全文化の強化につながる教訓を得ることは有益だ。

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    20140430 UPLAN 槌田敦 福島過酷事故は東電のデタラメ運転が原因



    2014/05/01 に公開
    【たんぽぽ舎・原発事故基礎講座(1)】
    事故は地震で始まったが、東電の業務上過失、未必の故意で苛酷事故災害となった
    参考文献 パンフ『福島原発事故3年 科学技術は大失敗した』
    1号機 
    東電は、非常用復水器に水素が溜まり、蒸気が流れなくなる欠陥を安全委員会に申告せず­、これを放置したまま運転して、原子炉の冷却に失敗した。
    2号機 
    東電は、陸地向け風なのに、格納容器の放射能を120m高の排気塔から放出して、福島­県民を大量被曝させた。しかも、この放出を福島県民に知らせなかった。
    3号機 
    3号機の非常用電源は津波に耐え、初期に高圧注水系、後期に低圧注水系が使用可能だっ­た。しかし、東電は、これらECCSを使用せず、苛酷事故にしてしまった。

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    20130427 UPLAN 槌田ゼミ#12 福島第一原発1号機の事故経過  



    2014/02/04 に公開
    ※20140130 UPLAN 槌田敦 福島原発事故3年・データに基づき再検証する【2】 は
    http://www.youtube.com/watch?v=4ZQNOY...
    からご覧になれます。

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    20130525 UPLAN 槌田敦 福島第一原発2号機の事故経過



    2013/09/01 に公開

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    国会事故調 第8回委員会 その1  
    参考人 :
    武黒 一郎 氏 東京電力 フェロー
    広瀬 研吉 氏 内閣府 参与



    2012/08/05 に公開
    国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会

    2012/3/28
    参考人 :
    武黒 一郎 氏 東京電力 フェロー
    広瀬 研吉 氏 内閣府 参与

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    国会事故調 第12回委員会 その1



    2012/08/08 に公開
    国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会

    2012/5/14
    参考人 :
    勝俣 恒久 氏 東京電力 会長

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    東京電力原子力発電所事故に関わる両院議運合同協議会 20111208  



    2012/07/24 に公開
    国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会

    2011/12/8
    国会事故調査委員会発足のための両院議運合同協議会

    衆議院TVはこちらから→http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.p...

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    [PDF] 1号機の24時間での水素爆発は 防げなかったのか(ICの操作)

    http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Article/234/122/131119No3,5.pdf
     
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    福島原発事故は防げなかったのか(その1)



    2012/07/19 に公開
    原発は地震や津波の被害があっても、炉心の冷却機能が失われない限り、メルトダウンに­至らない。では福島ではなぜその機能がどのようにして失われたのか。その真相を政府も­国会事故調査も国民に分かりやすい形で説明しないままでいる。「国」の責任が明らかに­なるのを怖れているのだ。NHKの有志は深夜放送などで2011年夏以来、数度に亘っ­て事故の真因を報道していたが世間の注目は十分とは言えない。反原発運動家も再稼働賛­成派も心してこのクリップに目を通して欲しい。
    (注目ニュース)福島原発事故、遅れたベントから得た教訓 米原子力発電運転協会が報告書
    http://www.nikkei.com/article/DGXNZO4...
    (注目ブログ)菅前々首相の責任
    http://agora-web.jp/archives/1517859....

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    福島原発事故は防げなかったのか(その2)1号機編



    2012/08/11 に公開
    福島第一原発1号機の水素爆発は、こうして進行した。政府事故調が11年12月に発表­した中間報告は電源喪失後も冷却のできた可能性を示している。別の報告では格納容器爆­発を防ぐためのベントが、原子炉建屋内への水素逆流と爆発を招いた皮肉を指摘する。こ­んな構造に誰がした?

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    福島原発事故は防げなかったのか(その3)2号機編  



    2012/08/11 に公開
    水素爆発を起こさなかった2号機が最大の放射能を排出した。原子炉格納容器の破損が考­えられるが、これは事前の対策があれば防ぎ得たはずである。そのメカニズムを解説。

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    福島原発事故は防げなかったのか(その4)3・4号機編  



    2012/08/11 に公開
    適切なバッテリーが届けば、冷却が継続してメルトダウンが防げた3号機。冷却不能にな­ったため緊急策として実施したベントで排出された水素ガスが4号機建屋に漏れて、そち­らでも水素爆発の連鎖が発生した。これって事前の検査や準備があれば充分防げたのでは­?アメリカの実例も紹介。

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    東京電力 福島第一原発事故後のTV会議映像(3/12_22:59~3/15_0:06)



    2012/10/10 に公開
    2012年3月12日22時59分~3月15日0時06分の映像
    【参考資料】
     「TV会議録画映像」の録画内容
      http://photo.tepco.co.jp/library/2012...

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    テレビ会議録画映像 東電福島第一原発 vs 本店ドキュメント



    2012/08/07 に公開
    福島第一原発免震重要棟 吉田昌郎所長(当時)
    東電本店非常災害対策室 清水正孝社長、武藤栄副社長、高橋明男フェロー(当時)
    福島オフサイトセンター 福島第二原発、柏崎刈羽原発 内閣府原子力安全委員会委員長 班目春樹

    タイム記録
    0:00:07 「浜通りに3mの津波警報が出ました」
    0:00:37 1号機原子炉建屋で爆発(音声なし)
    0:00:37 免震重要棟映像が揺れる
    0:02:42 1号機海水注入の経緯(音声なし)
    0:06:53 「浜通りに3mの津波警報が出ました」
    0:07:04 「本店、本店、大変です、大変です。3号機、多分水蒸気だと...爆発が今起こりまし­た。11時1分です。」

    文字起こし随時更新します。

    3月14日
    0:10:35 2号機SR弁による減圧操作

    0:24:37 3月14日 19時54分頃 退避関連 2/3 高橋フェロー

    0:29:49 3月15日 5時36分頃 菅総理来社(音声なし)

    3月11日からの1週間
    提供:東京電力株式会社
    http://photo.tepco.co.jp/date/2012/20... からダウンロード

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     日本学術会議 原発事故調査で明らかになったこと 第1部

                
    2012/09/12 に公開
    2012年8月31日 日本学術会議主催学術フォーラム 原発事故調査で明らかになったこと‐学術の役割と課題‐ 報告:黒川  清    国会事故調     「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」委員長     東京大学名誉教授、 政策研究大学院大学アカデミックフェロー 討論:後藤 弘子(千葉大学大学院専門法務研究科教授) 山下 俊一(福島県立医科大学副学長)

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    日本学術会議 原発事故調査で明らかになったこと 第2部

     
     
    2012/09/12 に公開
    2012年8月31日
     原発事故調査で明らかになったこと‐学術の役割と課題‐ 報告:畑村洋太郎 政府事故調 「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」委員長 東京大学名誉教授、 工学院大学教授 安部 誠治(同委員会技術顧問、 関西大学社会安全学部安全マネジメント学科教授) 討論:春日 文子(日本学術会議副会長)     岸本喜久雄(東京工業大学教授)

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