2013年8月3日土曜日

幻の映像 1923年関東大震災衝撃映像

幻の映像 1923年関東大震災衝撃映像

http://youtu.be/s46RFPNBG1s



アップロード日: 2011/05/18
関東大震災の映像が70数年ぶりに発見されました

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参考リンク:

関東大震災の写真集
http://www.toshima.ne.jp/~esashi/shockphot.htm

この間、古い本箱の整理をしていたら関東大震災の写真が出てきた。オヤジが残したものだ。この手の写真は他にも沢山現存しており、他のHPでも公開されているがこれはかなりどぎつい。
最近全国各地で大きな地震が頻発しており、大きな被害が発生している。
東京大震災も時間の問題だろう。毎年9月1日は震災記念日(防災の日)だ。

ちょっとショッキングな写真だが公開してみた。震災直後のおぞましくオソロシイ様子が写し出されている。写真には修正を加えていない。以下の写真のコメントは写真の裏にメモされていたものをそのまま転記した。見覚えがある親父の手である。なお、この写真の入手先等については不知である。また、あまりにも惨い写真は除外した。(03/08)


大正12年関東大震災
淀橋貯水場(新宿西側)近くから
見た最初の黒煙



千住方面から見た9月1日
午後の都心部の黒煙


<地震のデータ>
・・・・・・1923年(大正12年)9月1日午前11時58分44秒、マグニチュード7.9の激震が関東一円を襲った。
死者行方不明14万2800人 (東京10万7500人、神奈川3万3000人、他県2300人)。関東大震災である。 ・・・・

<あとがき>
かつて「地震,雷、火事、親父」は怖いものの代名詞であったが、今でもオヤジ以外は依然としてオソロシイ。中でも地震は飛びぬけておっかない。大地震の被害は戦争に匹敵するかそれ以上に及ぶことがある。

若い頃、私はある損保会社に在籍し、地震損害の調査に加わったことがある。
その時は北海道札幌の支店に転勤していた。まだ30代の前半であった。地震はたしか十勝沖で発生し、釧路や函館でかなりの被害が出た。
私は会社からの指示で支店から函館へ向かい「地震特約付帯契約者」を回り損害状況を調べて回った。
幸い倒壊するような被害にあった契約者は居なかったが、市内のあちこちでレンガの煙突やブロック塀の損壊がひどかった。傾いたり湾曲した建物は無数に見られ、中にはペシャンコにつぶれた建物も散見され地震のコワサを目の当たりにした。しかし、火災が発生しなかったのは不幸中の幸いだった。本当に怖いのは火災による損害だ。関東大震災や近年の阪神淡路大震災の例を見れば明らかである。
確かに昔と異なり大火の危険は無くなったと言えるが、メガロポリスならではの予想外のリスクは昔とは比べ物にならないほど増えているのではないか。

現場を見てもう一つ思ったのは非常事態のときの逃げ方だ。
二階建ての家では仮に一階部分がペシャンコにつぶれても二階はそっくり残っている。地震の時二階に居たらあわてて飛び降りたり退避しないほうが得策ではないか。あわてると大怪我をするか下手をすると命を落とす事にもなりかねない。特に夜間だと瞬時に真っ暗になるからだ。
少しゆれが収まるまで二階にとどまり、仮につぶれても二階が一階になるだけなので容易に逃げられる筈だ。ただ、理屈はそうであってもイザとなると行動に移すことは難しいかも知れない。
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関東大震災サイトの後日談(2008/9月更新)

事の発端
今年(2008)のゴールデンウイークの頃、私の上記サイトに関して、パリ在住の日本人フリージャーナリストのKKさんという方に引き続いて朝日新聞、編集局記者のTIさんという方々から突然メールを頂きました。

趣旨は、「フランスの有名新聞、ルモンドに「広島原爆の惨状未公開写真」として10枚の写真が公開されたが、これらは私のサイトの「震災写真」に酷似しており少なくとも二枚は同じものである…」などと書かれ、私の親父が撮ったものか、または出版社名など、写真の入手経路を聞いてきました。
また朝日新聞のほうは「米国スタンフォード大のフーバー研究所がこのほど、広島で見つかったという写真を公表しました。日本占領軍にいたロバート・キャップ氏が偶然見つけ、同研究所に寄贈したものの、10年間の非公表を条件としたそうです。米メディアや欧州メディアがそのように報じた10枚の写真の一部が、指方さんのサイトの写真のものと同一でないかと思われるのです…」と書かれ、真相を明らかにしたいと協力依頼を受けました。

エェー!と驚き。教えられたURL でルモンドの記事を調べてみますとその通りでした。これらの少なくとも一部は原爆未公開原爆写真などではなく正に私のサイトに乗っている大震災の写真そのものでした。これはインチキだと思いました。
米国の一流研究機関がこんなことするのだろうか…疑問にも感じました。

その後、私からのメールを読んだ方々が真偽のほどを追求し、ルモンドは訂正記事を出したとの事ですが、犯人である本家本元のフーバー研究所の方はダンマリを決め込んでいるそうです。真におかしな話ですが私にとってはどちらでもよい話です。しかし、少なくとも私の写真は原爆の未公開被害写真ではありません。
確かにこれら写真は私のサイトでは飛びぬけて反響が大きく、ジャーナリストからこんな問題提起があるとは思ってもおりませんでした。真偽に関する最終決着はついていない様子ですが、改めてネットのすごさや恐ろしさを身を以って感じた次第です。

■ルモンドのHP
_http://www.lemonde.fr/web/portfolio/0,12-0@2-3216,31-1042879@51-
1043027,0.html


その後の展開
私のサイトの関東大震災の写真に関して複数のメディア関係者か
ら照会があったことをお伝えしましたが、最近のウェブに「ルモンドの記事は間
違っており訂正した」との記事がいくつか見られます。しかし、写真の出所であ
る「スタンフォード大学、フーバー研究所」のデタラメについては不解明のまま
です。写真の真偽については専門家の分析ですぐにばれたようです。私にとって
はどうでもよい話ですが、人騒がせなことでした。以下ご参考までにアサヒコム
の記事を載せておきます。それにしても名の通ったアメリカの大学研究所やフラ
ンスを代表するような新聞がこんなインチキ記事を平気で載せるとは… 新聞記
事だからといって頭から信用するのは考え物だと思いました。

◆記事内容の引用
広島原爆の写真…実は関東大震災 仏ルモンド紙「訂正」
2008年05月14日12時03分
 【パリ=飯竹恒一】仏ルモンド紙は13日、1945年の原爆投下直後の広島
市内の未公開資料として同紙がこのほど掲載した犠牲者の写真について、「23
年の関東大震災直後の東京近辺の写真だったようだ」と伝えた。

原爆投下直後の広島とされる写真を掲載した10日付の仏ルモンド紙。「誰も見
たことのない広島」との見出しがついている

 同紙は10日、焼け野原に死体が積み重なった光景など白黒写真2枚を掲載。
「犠牲者の写真を禁じた米占領当局の検閲で、こうした写真は公開されなかっ
た」と説明した。 同紙によると、当時の米兵士(故人)が98年、10年後の
公開を条件に米スタンフォード大学フーバー研究所に託した10枚のうちの2
枚。兵士は広島周辺の洞窟(どうくつ)で写真のフィルムを発見したという。ル
モンド紙は同研究所の許可を得て掲載したという。

 だが、13日の同紙は「極めて疑わしい写真」という大型記事を掲載。10枚
のうち少なくとも4枚が関東大震災直後のものとする専門家の指摘などを紹介し
た。犠牲者の帽子が20年代のものであることや、当時の広島にはなかった煙突
が見えていることなどを理由に挙げ、「フーバー研究所が、確認できていない写
真を公開するとは想像もしていなかった」と弁明した云々 とある。

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参考リンク:
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1923--kantoDAISHINSAI/index.html#document1

災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成18年7月
1923 関東大震災


 報告書の概要
    
<はじめに>  
   関東大震災は近代化した首都圏を襲った唯一の巨大地震であり、その被害の大きさ、社会的インパクトとも比較を絶する災害であった。そのため関東大震災報告書は以下の三部構成で作成されることとなった(第5回専門調査会議事録参照)。
 ○第一編 発災とメカニズム(概要報告書
 ○第二編 救援と救済
 ○第三編 復興と社会的インパクト
<第一編 発災とメカニズム>  
第1章 被害の全体像 
   1923(大正12)年9月1日正午2分前に発生した関東大地震はマグニチュード7.9と推定される、近代化した首都圏を襲った唯一の巨大地震であり、南関東から東海地域に及ぶ地域に広範な被害が発生した。死者105,385、全潰全焼流出家屋293,387に上り、電気、水道、道路、鉄道等のライフラインにも甚大な被害が発生した。
第2章 地震の発生機構 
   関東大地震は、地殻を構成するプレート同士が、接触面で一気にずれ動くことにより生じた地震であって、震源域の近い地震としては元禄16(1703)年の元禄地震(推定マグニチュード8.2)があり、このような巨大地震の発生間隔は200〜400年と推定されている。
第3章 地変と津波 
   関東南部、特に神奈川県西部及び千葉県の房総地域においては、地震やその直後の大雨により、崩壊や地すべり、土石流などによる土砂災害が多数発生し、特に今の小田原市根府川では土石流により埋没64戸、死者406人という被害が発生したが、沖積低地や都心部の建物崩壊や火災の陰に隠れてあまり社会的関心をもたれなかった。
 東京湾岸部の干拓地や埋め立て地、相模川、荒川、古利根川などの河川沿いの低地においては地盤の液状化が起こり、地盤の陥没や地割れ、建物の沈下、傾斜、地下水や砂の噴出などの現象が起こった。
 相模湾周辺と房総半島の南端では最大高さ12m(熱海)、9m(館山)の津波が起こったが、各地で元禄地震や安政元(1854)年の東海地震の津波による災害経験が生かされ、地震直後の適切な避難行動により人的被害が最小限に食い止められた地域もあった。
第4章 揺れと被害 
   震度7の地域は震源近くに分布しているが、震度6弱以上の地域をみると、震源から離れていても1000年前の利根川、荒川の流路に沿って分布している。より細かくみると、かつての沼沢地や河川の流路だったところは震度が高くなる傾向がある。
 地震により米国流や煉瓦造りのビルが倒壊したのに対して、日本流の耐震設計のビルが被害軽微であったことを契機として、地震の翌年の1924(大正13)年に市街地建築物法の構造強度規定が改正され、世界で初めての法令による地震力規定が誕生した。
 当時日本列島には既に世界的にみてももっとも密度の高い地震観測網がしかれていた。濃尾地震を契機に設置された震災予防調査会は報告第100号を出して解散し、その事業は東京大学地震研究所に引き継がれたが、この報告書は後世も高く評価されている。
第5章 火災被害の実態と特徴 
   震災前の防火体制は人民保護を担う警察行政の一環とされてきた。消防組織は東京、横浜は専任の職員がおかれたが多くの地域はボランティア的な人々に担われていた。
 装備は当時の最新のものがおかれていたが水源を水道に頼っており、断水と火災の同時多発には対応できなかった。
 地震が昼食時に起こったこともあり竈(かまど)、七輪から同時多発的に火災が発生し、水道が断水したため最新の装備も役に立たず、おりからの強風によって火災はたちまち延焼し、消防能力を超えた。さらに避難者の家財などが延焼促進要因になった。逆に焼け止まりの原因をみると、破壊消防を含む消火活動や、広場や道路などの空地の効用がわかる。
 火災被害では東京市の本所被服廠跡地の悲劇が有名であるが、その原因といわれる火災旋風についてはまだ研究すべき点が残っている。横浜市においても市街地全域が焼失し、石油タンクの火災は12日間も続いた。
おわりに 〜関東大震災(第一編)の教訓〜 
 ・関東大震災は近代未曾有の大災害であったが、被害を食い止めた例の検討を通じて、数多くの教訓を得ることができ、後の災害対策の礎になったと評価できる。それらについてはこの後の第二編、第三編において取り上げることとし、ここでは例示にとどめる。
・伊豆、房総を襲った津波の被害が最小限にとどめられたのは、過去の災害教訓の伝承がなされていたことによるものであった。
・消防体制において、地震と火災といった複数の要因に対応し得る備えがなされるべきである。
・また、建物の耐震化、空間や緑地の確保などの災害に強いまちづくり、災害時に町内で助け合って被害を軽減するような共助の取り組みなどに平時から取り組んでおくことが重要である。
<第二編 救援と救済>  
 ・・・(調査中) 
<第三編 復興と社会的インパクト>  
 ・・・(調査中) 
<広報「ぼうさい」>
 シリーズ「過去の災害に学ぶ」(第13回):広報「ぼうさい」 (No.39)2007年5月号,20-21 ページ
 シリーズ「過去の災害に学ぶ」(第14回):広報「ぼうさい」 (No.40)2007年7月号、12-13 ページ
  
 報告書(PDF)
  
<第一編 発災とメカニズム>  
表 紙
PDF9KB
口 絵
PDF5.41MB
目 次
PDF295KB
第1章 被害の全体像
PDF1.63MB
第2章 地震の発生機構
PDF1.45MB
第3章 地変と津波
PDF6.28MB
第4章 揺れと被害
PDF4.28MB
第5章 火災被害の実態と特徴※平成24年11月19日訂正
PDF5.09MB
おわりに 〜関東大震災(第一編)の教訓〜
PDF285KB
資料編
PDF322KB
災害概略シート
PDF120KB
謝 辞
PDF114KB
奥 付
PDF145KB
付 図

内閣府政策統括官(防災担当) 〒 100-8969 東京都千代田区霞が関1-2-2 中央合同庁舎第5号館3階 電話番号:03-5253-2111(大代表)

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