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《第3回 韓國佛敎學結集大會》(http://skb.or.kr/2006/index.html)
・日時:2006年4月22日(土) 午後
・場所:海印寺 (http://www.haeinsa.or.kr/home.html)
・発表:三友健容(立正大学教授)
・題目:鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』1600年目の真実-一佛乗と観世音菩薩-
・資料:(http://kr.buddhism.org/~skb/down/pape...)
・日時:2006年4月22日(土) 午後
・場所:海印寺 (http://www.haeinsa.or.kr/home.html)
・発表:三友健容(立正大学教授)
・題目:鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』1600年目の真実-一佛乗と観世音菩薩-
・資料:(http://kr.buddhism.org/~skb/down/pape...)
http://www.skb.or.kr/down/papers/065.pdf
鳩摩羅什訳妙法蓮華経1600年目の真実
― 一佛乗と観世音菩薩―
三友健容 (立正大学)
1 問題の所在
東南アジアを通じて観音菩薩ほど民衆に親しまれて来た菩薩はいない。この菩薩は初期大
乗仏典に早くから現れてきており1、観音菩薩についての纏まった記述は法華経「観世音菩
薩普門品」にある。そして、ここをもとに密教に至るまで十一面観音など種々の観音菩薩が説
かれるようになった。観音菩薩がさまざまに変化して救済するという大慈悲と、女性的な母性を
感じさせる姿もひとびとの祈りを聞き届けてくれる大菩薩として人気があった理由のひとつであろ
う。
ところで、「観音」が「光世音」「観世音」「観自在」とも漢訳されているのは如何なる理由からで
あろうか。またなぜ観音の信仰が法華経のなかに取り込まれたのであろうか。漢訳にはない
のに、梵文テキストの普門品の偈頌には、阿弥陀仏と観音菩薩が出てくるのはなぜであろう
か。この論文では、これらの問題について論じようとするものである。
2 梵文法華経と観音経
鳩摩羅什は丁度今から1600年前の406年に妙法蓮華経を漢訳したが、周知のように、そ
こには「観世音菩薩普門品」の偈頌部分が欠落していて長行の部分だけが漢訳されている2。
1 『法華経』(T9,56c,128c)、『無量寿経』(T12,342c)、『華厳経』「入法界品」(T9,717c)ほか
2 『妙法蓮華経』の「観世音菩薩普門品」には以下の讃頌が付いていて、如何に重要視されていた
かがわかる。「御製觀世音普門品經序。觀世音菩薩。以爍迦羅心。應變無窮。自在神通。遍遊法界。入
微塵國土。説法濟度。具足妙相。弘誓如海。凡有因縁。發清淨心。纔舉聲稱。即隨聲而應。所有欲願。
即獲如意。妙法蓮華經普門品者。為度脱苦惱之真詮也。人能常以是經作觀。一念方萌。即見大悲勝相。
能滅一切諸苦。其功徳不可思議。朕惟。天道福善禍淫。故佛示果報。使人為善。而不敢為惡。夫天堂地
獄。皆由人為。不違於方寸之内。故為善者得升天堂。為惡者即墮地獄。夫忠臣孝子吉人貞士其心即佛。
故神明芘佑。業障倶泯。是以生不犯於憲條。沒不墮於無間。夫兇頑之徒。一於為惡。棄五倫如敝帚。蹈
すなわち現在我々が羅什訳と称して長行と偈頌まで読誦しているものは、闍那崛多が校訂した
添品妙法蓮華経によるものである。この「観世音菩薩普門品」は人々の救済を説くものとして
好まれ、早くから法華経とは別に世に流布していた3。ところで、この梵文写本とチベット語
訳だけには阿弥陀仏と観音に関する追加偈が付加されている4。正法華経は普門品の偈頌
がないし、添品法華経にもこの追加偈がない。しかも、法華経の現存梵文写本のうち、
刑法如飲甘。寧餧羅刹。不欽佛道。然人性本善。所為惡者。特氣質之偏。苟能改心易慮。修省避畏。轉
移之間。惡可為善矣。為善則即善人。昔之所積之咎。如太空點塵。紅罏片雪。消滌淨盡。雖有果報。將
安施乎。朕恒念此。惟恐世之人。有過而不知改。乃甘心焉以自棄。遂表章是經。使善良君子。永堅禁戒
之心。廣納無量之福。為善功徳。豈有涯涘哉。永樂九年五月初一日。妙法蓮華經觀世音菩薩普門品經。
姚秦三藏法師鳩摩羅什譯長行。隋北天竺沙門闍那崛多譯重頌」(T9,198b)
竺法護訳の『正法華経』にも普門品の偈頌がない(『正法華経』大正蔵9, 129c)。
3 隋代以前に既に北凉では曇摩羅讖法師(伊波勒菩薩)が別行本として流布しており(『観音玄義』
大正蔵34, 891c) 、また別名「當途王經」とも呼ばれていた(『法華文句』大正蔵34,144c)。また、上記の
讃頌からもわかるように、「觀世音菩薩普門品經」とも呼ばれていたようである。また、『法華伝記』
(T51,52.b)には、「光世音經一卷。西晉永嘉二年竺法護譯。普門品經一卷。東晉代沙門祇多蜜譯。觀世音
經一卷。後秦羅什於長安逍遙園譯。觀世音經一卷。宋代安陽侯京聲於高唱譯。普門重誦偈一卷。梁武帝
代北天竺乾闥國沙門闍那崛多。在益州龍泉寺。共梁譙王宇文譯。已上五經。大部中普門品同本。既有普
門品經一卷十五紙。彼大寶積文殊會同本。非法華別出」とあって、羅什などの三本を合わせて五本の観
音経が民間に流布していたことがわかる。また、未詳であるとするが、『高王觀世音經』 (T51,52c)も
あったようである。
4 追加偈は以下のとおりである。
〔28〕lokes;vara-ra\ja-nayakobhiks≥uDharma\karu loka-pu\jito,
bahu-kalpa-s;ata\m≥s;caritva ca pra\ptu bodhi viraja\m≥anuttara\m.
世自在王導師という法蔵比丘は世間から供養されて、
幾百劫という多年のあいだ修行して、汚れない最上の悟りに到達した。
〔29〕sthita daks≥in≥a-va\matastatha\ vêjayantaAmita\bha-na\yakam,
†††††††††††ma\yopamata\ sama\dhina\ sarva-ks≥etrejina\ gatva pu\jis≥u.
〔阿弥陀佛の〕右あるいは左に立っている彼は、阿弥陀導師を仰ぎ見て
幻のような一切の国土において三昧によって勝者に供養した。
〔30〕dis;ipas;cimatah≥sukh &a\kara\loka-dha\tu viraja\ Sukha\vatê,
†††††††††††yatra hy Amita\bha-na\yakah≥sam≥pratitis≥t≥hatisattva-sa\rathih≥.
西の方角に幸福の相をした汚れ無き極楽という世界があり、
そこには、じつに有情の調御者である阿弥陀導師が住んでいる。
〔31〕na caistrin≥atatra sam≥bhavona\pi ca maithuna-dharma sarvas;ah≥,
††††††††††††upapa\duka te jinorasa\h≥padma-garbhes≥unis≥an≥n≥anirmala\h≥.
そこでは女性が生まれることがないので、結婚する習慣も全くない。
勝者の子どもたちは、そこに生まれ、蓮華の胎内に坐していて汚れることもない。
〔32〕sa caivaAmita\bha-na\yakah≥padma-garbhe viraje mano-rame,
††††††††††††sim≥h& a\sani sam≥nis≥an≥n≥akos;a\la-ra\jo yatha\ vira\jate.
かの阿弥陀導師は汚れのなく心地よい蓮華の胎内において
獅子座に坐していて、沙羅樹王のように輝いている。
〔33〕so&pi tatha\ loka-na\yako yasya na\sti tri-bhavesmi sa\dr≥s;ah≥,
††††††††††††yan me pun≥ya stutva sam≥citam≥ks≥iprabhomi yatha tvam≥narottama iti.
かれは、また世間の導師として三界に匹敵するものがない。
わたくしは功徳を積んで、速やかにあなたのように最高のひとになりたいと〔願う〕。
(『梵文法華経写本集成』XII, p.154ff.)
普門品偈を含むものは、みなこの付加偈があり、チベット訳にも付加偈があるから、漢訳三本
だけにないというのは、7世紀以降のインドにおける付加とみて差し支えない。すなわち、現存
梵文法華経写本ならびにこれをもととしたチベット語訳はすべて7世紀以降の構成を伝承してい
ることになる。
では、なぜこのような偈が付加されたのだろうか。この第28偈では、世自在王導師
(lokes;vara-ra\ja-nayaka)と比丘(bhiks≥u)と法蔵(Dharma\kara)が同格の名詞変化すなわち主格
になっている。この梵文の現代語訳は「世自在王を指導者とする法蔵比丘」としているが、これ
は無量寿経5 に明らかなように、世自在王佛と法蔵比丘とは本来別人格であるから、それを
もとにして現代語訳されている訳である。しかし、梵文法華経では世自在王と比丘と法蔵が同
格の名詞変化すなわち主格になっているのであるから、実際は同一人物を意味していることに
なってしまう。別人格の佛と法蔵比丘が同一に扱われてしまったのは、本来、観音と法蔵とは
無関係であるのに、世自在(lokes;vara)が、観自在(Avalokites;vara)と同一視されてしまった混
乱によって付加されたと思われる6。さらに重要なことは、サンスクリットテキストからは、阿弥陀
佛の脇に立っているのは観音である法蔵比丘ということになる。また、浄土系経典では、観音
は大勢至菩薩とともに阿弥陀佛の脇士として説かれており、観音にちなんだ普門品に阿弥陀
佛を付加してしまった可能性もある7。
3 観世音菩薩の名前(光世音と観世音)
Avalokita-svara, Avalokites;vara (観世音)の名称は、如何にも不思議である。アビダルマ
でなくとも、svara(音)は聞くものであって観られるものではない。この漢訳語には「蓋樓[一旦」「
闚音」「現音聲」「光世音」「觀世音」「観音」「観世念8」「觀世自在」「觀自在」「観世音自在」など
5 爾時次有佛。名世自在王如來應供等正覺明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊。時有國
王。聞佛説法心懷悦豫尋發無上正真道意。棄國捐王行作沙門。號曰法藏。高才勇哲與世超異。詣世自在
王如來所。稽首佛足右遶三匝(大正蔵12,267a)
6 密教では金剛界の阿弥陀佛は観自在王であり観音と阿弥陀佛とが関係があることが指摘されてい
る。『法華経』の梵文写本が、7世紀以降の密教が盛んになる頃のものであるから、この影響によるもの
と言えなくはない。
7 阿弥陀佛と観音とのつながりは、浄土系経典だけではなく、『華厳経』「入法界品」(T9,786b)、
『佛名経』(T14,163a)などにも出てくる。『大宝積経』(T11,501b,571b)、『文殊師利問経』(T14,492c)は
観音と大勢至との関連が出てくる。
8 岩本裕〔1978〕p.208, 辛島〔1998〕p.40。両論文とも「観世念」について述べていないが、羅什
はこの名称も挙げている(『注維摩経』(T38,p.331a))
が当てられてきた。
avalokita は ava√lok(観る) からの言葉であろうから、「現」「觀」と訳されたに違いない9[
9]。次の svara は、「音」という意味がある。「光」は ava を a\bha\(光)と理解したためと思わ
れ、西北インド方言の Ga\ndha\rê では、-bh- と -v –が区別されず10、Kharos≥t≥hê 書体では母
音の長短が区別されない。竺法護が用いたテキストが、これらの特色を具えたものであるなら
ば、「光世音」と訳したことも理解できよう。また「世」は lokita をloka(世間) からの派生語とみ
れば、「世音」となる。
一方、「観自在」は、avalokita とês;vara(自在)との合成語から、Avalokites;varaとなっていた
ことによると考えられる。このような訳例は6世紀の菩提流支ごろから現れると言われている11。
菩提流支訳の勝思惟梵天所問経などでは「観世自在」と使われている12[12]。普門品では、
自在天(ês;vara)大自在天(Mahes;vara)の姿を表して救済することが述べられているから、自在天
(ês;vara)信仰とも関係があると思われる。西暦759年の碑文には、Avalokites;varaといわずに、
シヴァ神の別名であるlokes;a(世界の主)と同じ意味のlokes;varaが使われているから、シヴァ神
の信仰が盛んになったのちの成立とも考えられている13。これに対して、6世紀ごろまでには、
「観自在」と訳されることはなかったので、音韻の変化によるものではないかとも考えられてい
る。すなわち、s と s; との混合は梵文写本のよくみられることから、もともとは Avalokita-svara
であったものが、Avalokita-s;vara と発音され、Avalokites;varaに変化していったというものであ
る14。 事実。このようなs と s; との混合の用例は法華経梵文写本のなかにいくつも認められる
から、この可能性も大きい。また、普門品には「觀世音菩薩。有如是自在神力15」とあって、
観音は自分に与えられた宝珠の瓔珞を二分して、釈尊と多宝如来に献上すると、釈尊から観
音はこのように自在の神力があって娑婆世界に遊ぶと讃えられているから、この ês;vara は必ず
しもシヴァ神との関連ではないかもしれないが、この「自在神力」は梵本にはない16。すなわち
9 この avalokita はもともと avalokitr≥(観者)ではなかったかという意見もある(荻原〔1972〕p.25
0)。なぜならば、avalokitaでは「観られた」という受動態となり、「観ること」でもないからで、チベッ
ト訳も spyan-nas gzigs dban-phyug とあって、「能見、見者」となっていると論述する。大変興味深い
考え方である。
10 Brough〔1962〕§44, 辛島〔1998〕p.43
11 辛島〔1998〕p.45, note 16
12 『勝思惟梵天所問経』(T15,80c),『不必定入定入印經』(T15,699b)など。
13 岩本〔1978〕p.209
14 辛島〔1998〕p.47
15 『法華経』(T9,57c)
16 善男子よ、観世音菩薩摩訶薩は、このような神変によって、この娑婆世界に遊歴するのである。
羅什訳には、「自在」(ês;vara)がないのである。僧肇が羅什に佛教教理について質問をし、そ
れ対する羅什の答えが残っている注維摩経には、
觀世音菩薩。什曰。世有危難稱名自歸。菩薩觀其音聲即得解脱也。亦名觀世念亦名觀自
在也17
とあるから、すでに4世紀後半から5世紀初めの羅什は「観自在」「観世音」も知ってい
たことになる18。それならば、なぜ羅什は「観自在」とは訳さずに「観世音」と訳したので
あろうか。この点について華厳の澄観は、もともとサンスクリットに違いがあり、観自
在の場合は avalokites;vara であるが、観世音は攝伐多を音と訳したものであるとい
う19。そうすると、攝伐多は、svara には還元できず、s;obataとなる。これを √s;ru 「聞
く」から派生した言葉と理解することも可能だとおもわれる。パーリ語には savana (聞
くこと、耳) とあるから、現在のところ的確な言葉が見当たらないが、羅什のテキスト
がもともと亀茲語(トカラ語B)だとするとサンスクリット語のs;abda (音) に類似する言葉
であったとも考えられよう。いずれにしてもテキストの「音」という言葉から「観世音」と
したことが窺える。
ではなぜ「世の音を聴く」のではなくて、「世の音を観る」としたのであろうか。これについて、
吉蔵は羅什の意見などをとりあげながら、述べている20。すなわち、「光」というのは菩薩の智
(êdr≥s;ya\ kula-putra vikuruvaya\ &valokites;varobodhisattvo maha\sattvo &ya\m≥saha\ya\m≥loka-dha\ta\vanuvicarati.)『梵
文法華経写本集成』XII,p.96
17 『注維摩経』(T38,p.331.1)
18 この「觀自在」は「觀世自在」の間違いであるという指摘もある(的場〔1981〕p.365f.)が、いず
れにしても羅什は ês;vara 「自在」と見る見方も知っていたことになる。
19 又觀自在者。或云觀世音。梵云婆盧枳底。觀也。濕伐羅。此云自在。若云攝伐多。此云音。然梵
本之中自有二種不同。故譯者隨異。而法華觀音品中云。觀其音聲皆得解脱。即觀世音也(澄観『華厳経
疏』T.35,940a)羅什が依用した『法華経』のテキストが梵文ではなかったことは、『添品法華経』の序
に、「昔燉煌沙門竺法護。於晉武之世。譯正法華。後秦姚興。更請羅什。譯妙法蓮華。考驗二譯。定非
一本。護似多羅之葉。什似龜茲之文。余撿經藏。備見二本。多羅則與正法符會。龜茲則共妙法允同。護
葉尚有所遺。什文寧無其漏」(T9,54b)にある。
20 次論觀音名。觀音可具二義。一者智境合題二者應感雙舉。觀謂能觀之智。世音即所觀之境。故名
境智也。觀即是觀察赴應。世音即是衆生機感。故名應感也。問。境智為名具幾智耶。答。正是實方便智
耳。知世間音聲即不有有不聞聞義。既了世間音不有有。即知有不有。若識不聞聞。即知聞不聞。以識不
有有不聞聞義。名為實方便。若知有不有名為方便實。不有有豈是有。有不有豈是不有。故非有亦非不
有。非實非方便。名為中道觀。故觀音之名具三觀。世諦觀.真諦觀.非真俗中道觀也。問。今文但言觀
世音耳。何處有三觀。答。觀音受記經出觀音所解具三觀音也。又論云。因縁所生法。即是空。即是中道
者。明世間音聲即是因縁即空即中道。故具得三觀也。所言世音者。世有三種。一者衆生世間。二者五陰
世間。三者國土世間。衆生世間者謂之五陰十二入十八界衆法中生故云衆生。五陰世間。謂能成衆生之
慧を意味しており、竺法護の「光世音」では観音の大悲を充分に表していないが、羅什の「観
世音」は、ひとびとが観音に救済を求める叫び声を観察して苦しみを解脱させるからだといい、
これは観世音、観世意、観世身という身口意の三業による観察によって救済するということにな
る。ここでは「音」は救済を求める声であり、これを「聴く」だけではなく、「よく観察して救済する
」ことを意味して羅什が「観世音」と漢訳したことがわかる。しかし、荻原博士が指摘しているよう
に、avalokitaは過去受動分詞であるから、「観察された」ということであって「観察する」という能
動性はない。そこで荻原博士は、もともと avalokitr≥ が avalokita になったのではないかと述
べている21。この可能性も否定できない。なぜならば、町に流布していた、いわゆる町版の梵
文法華経には、avalokr≥ta という用例があるからである22。また、普門品の偈頌では「念彼観音
力」として「念」(smr≥ti)が多く用いられている。「念」(smr≥ti)とは、アビダルマによれば「よく明記し
て忘れないこと」を意味している。まさに「観想する」ことである。人々が救済を求めて観音を観
想することによって、安心を与えるのであるから、この場合の観音の「念」(smr≥ti)は「観」を意味
していることになる。しかし、長行部分には「憶念」はなく、「観音のなまえを耳にするならば苦
しみから解脱する」「観音のなまえをたもつならば、災難から救われる」「観音を呼べば救ってく
れる」「種々の姿を現して説法する」という構成になっている。長行部分が古い成立となると、偈
頌部分はまさに般舟三昧経の「観佛」(pratyutpanna-sama\dhi)とおなじような立場にあって、
長行とはやや異なっていることがわかる。すなわち、長行の方がより易しい救済を示しているの
に対して、偈頌は三昧を修することなくしては救済されないことになるから、より高度な修行で
あるとも言える。すなわち法華経の当初の観音菩薩は、ひとびとの叫び声を聴いて救済する
法。即是色之與心。三國土世間即是色法為體。謂國土風俗。今菩薩正觀衆生世間。但五陰能成衆生。國
土是衆生所託。不得相離。故總名世間也。世音者世間語通。音是世間中之別。子夏毛詩序云。以聲成文
謂之音。尋大小經論明音與聲不異。雜心界品云。聲有三種。一因受四大聲。謂有情物聲。二因不受四大
聲。謂外物如鐘鈴等聲。三因倶聲。如人吹管等聲。此則但解聲不明音。故知音與聲不異也。成實論云。
如人欲聽鐘鈴等聲則以耳就鈴。此品云即時觀其音聲。化城品云迦陵頻伽聲。如是等皆明音不異聲。普者
上明觀其聲未必周普。故今明普門。普以周普為義。但普有二種。一心普二事普。凡夫二乘倶無二普。始
行菩薩心雖周普而事不普。觀音心事倶普。大悲欲普拔衆衆苦。大慈欲普與物樂。謂心普也。外現一切身
説一切聲。謂事普也。門者以心事二普為法門。故云門。又令衆生悟入能通正道。故名為門。問。觀世音
有幾名。答。古經云光世音。今云觀世音也。未詳方言。故為此號耳。若欲釋者光猶是智慧如大經云光明
者即是智慧智慧即是觀也。又菩薩智慧光明照於世間故云光也。華嚴云。觀音菩薩説大悲經光明之行。大
悲即是功徳光明謂智慧。則知光世音不失此意也。羅什注淨名經明有三名。觀世音觀世意觀世身。什今所
以作此釋者。見普門品具釋三名。故有三號耳。問。何故立三名耶。答。立此三名則遍察衆生事盡。衆生
唯有三業。菩薩具觀其三業。故立三名也。又隨衆生好樂不同。又衆生或口不能言。或身不能禮。故具説
三名。又衆生忌諱不同。故備三名(『法華玄論』T34,448c)
21 荻原〔1972,p.250〕
22 H. Kern &B. Nanjio〔1908-12 p.438〕
菩薩であるから、羅什は「世間の音を観察して救済する菩薩」の意味と理解して「観世音菩薩」
と漢訳したのであろう23。それとは別に偈頌は観佛三昧のひとつとして、「観音菩薩を憶念する
ことによって、不可思議な力で救済される」ということである。第4偈では「順次に〔観音の名
を〕聞き、〔観音を〕見、同様に憶念するならば、この〔娑婆世界の〕生命あるものたちは
豊かとなり、一切の苦しみと存在の憂いを生滅させる24」とある。この「生滅させる」(na\s;aka)ひと
が観音であるとも解釈できよう25]が、梵本のこの偈からみると「観音の名を聞き、見るひと」が苦
しみを生滅させ、「〔観音菩薩は〕神通力を完全に会得し、広大な智慧と方便を学んでお
り、あらゆる十方のすべての世界に余すことなく現れる(dr≥s;yate)26」とあるから、長行のように
種々に変化して現れるのが観音菩薩ということになろう。
ところで、中国、日本では観音菩薩は32身或いは33身に変化して、それぞれの衆生に応じ
て救済すると言われている27。本生譚(Jātaka)では、菩薩はさまざまな生類に生まれ変わって
救済することが述べており、そのままの体で変身するという形式は、この法華経「観世音菩薩
品」と「妙音菩薩品」にも説かれている28。
天台智顗の法華文句には、観音が33身を現すと説いているが29[29]、羅什訳では「人」と
「非人」とを加えると35身となる。梵文写本はいずれも16身を現すことになっている30から、この
33身説は智顗独自の考え方であって、その他には見られない31。
23 第17偈では「幾百もの多くの苦しみに責められ、多くの苦しみに悶えている衆生たちを見て
(dr≥s≥tvā)、知力の清浄な彼の〔観音〕は明らかに観察して(vilokiyā,avalokiyā)、そこで神々を含む世間
の救済者となる」とあり、観音は見る、観察するという能動性から観音と名付けられていることが理解
されよう。
24 H. Kern &B. Nanjio〔1908-12 p.448/3〕
25 松濤〔1976,p.227〕は「彼は、あらゆる生存における苦悩や愁苦を除くものである」としてい
て、「彼」がだれを指すのかは明確でないが、観音と理解しているようである。『添品法華経』も「聞
名及見身 心念不空過 能滅諸有苦」(T9,57c)としていて苦しみを滅するのが誰であるかは明らかでな
い。
26 H. Kern &B. Nanjio〔1908-12 p.451/5-6〕
27 中国では、32身といわれているが、日本では33身というのが一般的である。
28 「妙音菩薩品」では、31身が説かれている。『大佛頂如来密因修証了義諸菩薩萬行首楞厳経』
(T19,128b)には32身説があり、『涅槃経』(T12,628b,630a)にも「我已久住是大涅槃。種種示現神通變
化。於此三千大千世界百億日月百億閻浮提。種種示現如首楞嚴經中廣説。我於三千大千世界。或閻浮提
示現涅槃。」とあって、『首楞厳経』をもとに二十五有を現すと説かれているから、インドでは変化身
は一般的であったことがわかる。
29 普門者顯作利益。目睹三十三聖容。耳聞十九尊教也(『法華文句』大正蔵34,145a)
30 『法華経写本集成』XII,p.67ff.但し、梵文とチベット訳には、漢訳にない pis;a\ca が含まれてい
る。
31 壬生〔1981〕p.109
4 観音菩薩の起源
それでは、観音の起源はどこにあるのであろうか。華厳経「入法界品」は補陀落山と観音
との関係について述べており、この Potalaka山がシュリランカの Potiyil 山に関係するともいわ
れている32が、法華経ではこのような描写がないところから、「入法界品」の頃に、このような
考え方が出てきたのであろう33。観音信仰の源流としては法華経の「普門品」がもっとも成立
が古いから、観音信仰はバラモン教の「自在天」(Īs;vara)と無関係であるとは言えない34。大乗
佛教興起のころに信仰されていた民衆の神も諸天善神のひとりとして佛教的に取り入れたとして
も問題はない。ただし佛教の「自在」は必ずしも自在にひとびとの要望に応えることだけが目的
ではない。執着を離れた「空」の立場での観音自身の自由自在なのである。「空」だからこそ大
慈悲に基づいて自由自在に救済活動ができるのであって、「自在」なるこころは執着を離れた
解脱へと導く手段なのである。梵文普門品には、観音の形容として samanta-mukha と出てく
る。これが「普門」と漢訳された訳だが、元来の意味は「あらゆる方角に向いている」ということで
あると同時に、mukhaには「口」「顔」という意味があり、のちに十一面観音(Eka\das;a-mukha)
の出現へと結びついていく。
ところで、観音菩薩は当初男性であることを表現する方法として口髭をもっていた佛像が、
次第に女性的に表現されるようになってきた。勿論、大乗佛教の立場からいえば菩薩は男女
の相違があろうはずがないが、アビダルマ佛教以来、菩薩は釈尊の前身として表現され男性
でなければならないという前提がある35から、これを踏襲したガンダーラなどの佛像はみな男性
身として現されている。インドにおいてこの姿が女性的に表現されてくるのは、ヒンズー教の影
響のもとで密教化されターラー菩薩として表現されるようになってからのことであろう。
一切衆生の救済のために変身して法を説くという観音菩薩の信仰が法華経思想のなかに取
り込まれてくるのは、すでに法華経成立の当初からである。法華経は在家の菩薩と出家
の菩薩が説かれているから、観音菩薩の姿が在家とも出家とも判然としないが、基本的には当
32 彦坂〔1989〕p.373
33 妹尾〔1987〕p.538
34 自在天はアビダルマ佛教でも漢訳で「他化自在天」とあるが、これは Paranirmita-vas;a-vartin で
あるから、īs;vara ではない。
35 『大毘婆沙論』でも「復次修妙相業時。捨五劣事得五勝事。一捨諸惡趣恒生善趣。二捨下劣家恒
生貴家。三捨非男身恒得男身。四捨不具根恒具諸根。五捨有忘失念恒得自性生念。由此得名真實菩
薩。」(T27,887a)「問相異熟業何處起耶。答在欲界。非餘界。在人趣非餘趣在贍部洲非餘洲。依何身起
者。依男身起非女身等。」(887c)として男性であることになっている。
時のガンダーラの菩薩像のように在家の王子の姿として表現されていたものと考えられる36。
5 法華経と観音経(一乗思想の観点より)
法華経には、しばしば「この法華経を受持せよ」という文章が出てくる。しかしどれを指して
法華経と言っているのかというと決して明確ではない。
そこでこの法華経とは、その特色である二乗作佛と久遠実成の釈尊を説いていることにあ
り、まさに悪人と女人の成佛説は一切衆生の救済を表していると言われてきた。この基本的立
場に立って法華経は積極的に周辺の神々の信仰も取り入れてきたのである。
法華経の第5章「薬草諭品」は、三草二木があまねく釈尊の慈悲の雨を受けて、それぞ
れの立場で成長することを述べている。決して草が木に成長せよと言っているのではない。草
は草のままでも存在価値があるのである。これが法華経に一貫して流れている考え方であ
る。
姿や形にとらわれることなく、人々の性格に応じて、相応しい姿をあらわして法を説き、生き
とし生きる者をさとりへと誘う観音菩薩のあり方こそ、法華経が目指している大乗佛教実践者
の理想的姿だと言える。
参考文献
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荻原雲来 1972 荻原雲来文集、東京、山喜房
梵文法華経写本集成XII,1982, 立正大学法華経文化研究所、梵文法華経刊行会
Brough,John
1962 The Gāndhārī Dhammapada, London.(London Oriental Series, vol.7)
1982 “Amitābha and Avalokiteśvara inan inscribed Gandhāran sculpture”, Indologica
36 岩本〔1978,p.217〕は、観音がイランの女神ナナイア(Nanaia)あるいはアドルフショー(Ardoxśo)
が源流であり、観音のもつ蓮華や水瓶が女性であることを暗示しているというが、もともと観音の出て
くる経典としては普門品が最初であり、bodhisattva は男性名詞であって女性名詞は出てこないし、菩薩
像としても男性像である。
Taurinesia, X, pp.65-70
H. Kern &B. Nanjio 1908-12 Saddharmapun≥arêka, Bibliotheca Buddhiica X, St-petersbourg,
Reprint, Osnabruck ,1970.
辛島静志 1998 「法華経の文献学的研究(二) 観音 Avalokitasvara の語義解釈」(「創価大学・国
際仏教学高等研究所年報」平成10年度第2号)
壬生台舜 1981 「観音三十三身について」 勝又俊教博士古稀記念論集大乗仏教から密教へ
的場慶雅 1981 「当代における観世音菩薩信仰について」印仏研30-1
大田利生 1990 無量寿経の研究京都、永田文昌堂
妹尾匡海 1987 「補陀落思想と「普門品」の問題点」印仏研35-2
彦坂周 1989 「南印ボディヤ山、観音信仰発祥の聖地」印仏研38-1
芳岡良音 1070 「観世音菩薩の起源」印仏研12-1
要旨
鳩摩羅什は丁度1600年前の406年に『妙法蓮華経』を漢訳したが、周知のように観世音菩
薩普門品は長行だけであって、有名な観音偈がない。すなわち現在、我々が羅什訳と称して
長行と偈頌まで読誦しているものは、闍那崛多が校訂した『添品妙法蓮華経』によるものであ
る。東南アジアを通して観音菩薩くらい人々に親しまれている菩薩はいない。様々に身体を変
えて人々を苦海から救済するという母性が人々を魅了するためであろう。ところで、なぜ観音は
“光世音”,“観世音”或いは“観自在□と漢訳されたのであろうか。またなぜ観音信仰が法華経
に取り込まれたのであろうか。さらに、漢訳法華経の三本には阿彌陀佛と観音との関係が説か
れていないのに、なぜサンスクリットとチベット語訳だけにはこの偈が加わっているのであろう
か。
本論文は、これらの疑問について考察することを目的としている。
[キーワード] Avalokiteśvara, 法華経, 阿彌陀佛, 観世音
ABSTRACT
The 1600 years’ Truth of the Lotus Sutra
translated by Kumārajīva
—Ekayāna Buddhism and Avalokiteśvara —
Kenyo Mitomo
Rissho University
Kumārajīva(鳩摩羅什) translated the Lotus Sūtra into Chinese in AD.406. It was just
1600 years ago. As is generally known, Verses(偈) of "観世音菩薩普門品" lacks in his
translation. In other words, the “妙法蓮華経” which we are now reading with the
prose(長行) and the verses(頌) is not the original translation of Kumārajīva. That means
we depend on "添品妙法蓮華経" JJānagupta revised.
There is not such a Bodhisattva who has been close to the people as
Kannon(AvalokiteZvara) Bodhisattva through Southeast Asia.
The story that Kannon relieves people by transforming himself variously and
Kannon’s motherhood attracted people in the painful world.
By the way, why did Chinese translate him "光世音", "観世音" or" 観自在"? Why did
the Lotus Sūtra accept the faith of Kannon?
In addition, the whole Chinese translation text does not have a story of Amitābhā
Buddha and Kannon, but Sanskrit and Tibetan texts have it. Why does this story appear
only in a Sanskrit and Tibetan texts?
This paper aims to solve these problems at the 1600 memorial year of the Lotus
Sūtra translated by Kumārajīva.
[Key Words] Avalokiteśvara, Lotus Sūtra, Amitābhā Buddha, 観世音
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