2014年3月16日日曜日

ベスラン学校占拠事件

ベスラン学校占拠事件

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%8D%A0%E6%8B%A0%E4%BA%8B%E4%BB%B6

ベスラン学校占拠事件(ベスランがっこうせんきょじけん)は、2004年9月1日から9月3日にかけてロシア北オセチア共和国ベスラン市のベスラン第一中等学校で、チェチェン共和国独立派を中心とする多国籍の武装集団(約30名)によって起こされた占拠事件。
9月1日に実行された占拠により、7歳から18歳の少年少女とその保護者、1181人が人質となった。3日間の膠着状態ののち、9月3日に犯人グループと治安部隊との間で銃撃戦が行われ、治安部隊が建物を制圧し事件は終了したものの、386人以上が死亡[1](うち186人が子供[2])、負傷者700人以上という犠牲を出す大惨事となった。首謀者はチェチェン人シャミル・バサエフ

事件前の情勢
ロシア領北カフカスチェチェン共和国では1990年代初頭のソビエト連邦崩壊以来、独立を目指す独立派チェチェン人と、独立を阻止しようとするロシア当局側の間で対立と抗争が続いてきた。
1999年第二次チェチェン紛争の勃発以後は強力な指導力を発揮するロシアのウラジーミル・プーチン政権の攻勢によってチェチェン独立派はチェチェンの政権を追われ、親ロシア・反独立派のチェチェン人による政権が樹立されていた。しかし、ゲリラ化した独立派はこれを傀儡政権とみなして抵抗を先鋭化させてテロリズムを辞さない方針に転じ、2002年10月には人質100人以上が死亡する惨事となったモスクワ劇場占拠事件を起こした。過激化したチェチェンの独立派には、アルカーイダなどの国外のイスラム過激派組織との繋がりが指摘されている。
2004年5月9日には、チェチェン共和国の親露派政権の大統領であるアフマド・カディロフシャミル・バサエフ配下のテロリストに爆殺される事件が起こる。これに対し後任の大統領を決定する選挙が8月29日に行われることになり、プーチン大統領の支持を受けた候補が当選したが、この選挙に前後して8月21日には独立派が警察署などを襲撃して双方に60人以上が死亡、8月24日には旅客機2機が相次いで墜落して89人が死亡、8月31日にはモスクワで10人が死亡する自爆攻撃があるなど、国外のイスラム過激派の関与を思わせるものも含めて戦闘やテロが活発化していた。

ロシアの反応
ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、これまで同様チェチェン独立派と対話のテーブルにつくつもりはないことを繰り返している。また国外まで視野に入れて今回の事件の徹底的な調査を行う考えで、ロシア政府は、その所在を問わず、全てのテロ組織へのあらゆる手段による先制攻撃を言明している。
もしこの方針が実行に移されれば、今後攻撃を受けることになるテロ組織の拠点は、これまで通りの北カフカスに留まらず、アフガニスタンなどにまで拡大されることになる。
事実、既に相次ぐテロの影響で、ロシア経済は打撃を受け、10月中旬までの2週間分のキャンセルだけで400億円の損害、今年度は旅行業界全体で2,000億円規模に上る。

アメリカの反応
アメリカ合衆国ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領は、9月1日の占拠事件発生直後、即座にテロリストを非難する声明を発表し、ロシアのテロとの戦いに対する全面的支援を約束した。また、この事件と同時期に行われている大統領選挙戦においてテロとの戦いを強調するブッシュにとって、この事件は追い風となっている。

イスラム諸国の反応
アメリカ合衆国を中心とする連合国に抵抗するための人質事件、テロ事件が頻発しているイラクでは、ベスラン学校占拠事件後、武装勢力の間で、人質を取る行為の是非についての議論が高まったようである。
ベスラン学校占拠事件終結2日後の2004年9月5日、イラク武装集団はスンナ派のイスラム指導者による組織イラク・ムスリム・ウラマー協会に対し、「拉致が不当な行為であれば、抵抗運動をしている組織は、我々も他の組織もそのファトワー(宗教令)に従う」と人質を取る行為の是非についてのファトワーを出すよう求めた。もともとイラク・ムスリム・ウラマー協会は、日本人人質事件で人質解放に向け尽力したように、外国人拉致に批判的な立場を取っている。
また、イラク以外のイスラム教徒が多数を占める諸国では、もともと頻発するテロ事件に対し、ムスリム(イスラム教徒)全体が過激派であるように見られることに対して拒否感が強く、各国の政府・マスメディア宗教指導者たちは口を揃えてベスランの占拠事件を非難した。例えば、スンナ派イスラム世界でひろく権威を認められているエジプトカイロにあるアズハルの指導者は、人質事件はイスラムの寛容と公正の精神に相容れず、拉致を行う者はイスラムに照らして犯罪者であることを言明した。
しかし、このような事件がおこる原因はロシア政府がチェチェン共和国の独立を認めないことにあるのだとロシア側も批判的に言及することも多く、背後にはチェチェン問題に対する同じイスラム教徒のチェチェン側への同情がある。


最終更新 2014年1月2日





Dispatches - Beslan (2006)



公開日: 2013/03/14
The school siege at Beslan was the bloodiest act of terrorism ever to take place on Russian soil. Yet beyond this horrible truth remain many unanswered questions. There is no agreement on who the terrorists were. How many they numbered? Where they came from? How they got to Beslan? What they wanted? Whether they were all killed or captured? And just how the siege which began on September 1 2004, ended so catastrophically?

This Dispatches special uses testimony from eyewitnesses, survivors and security services. This is combined with video and audio archive footage presents the fullest account of what happened at Beslan.

The film examines the background to the events of Beslan. It also looks at the Russian state's reaction to the atrocity and the motivation of the hostage-takers. Beslan School Siege also documents how a small town is coming to terms with the loss of its children.



BESLAN HOSTAGE OPERATION MUJAHIDEEN VIDEO



アップロード日: 2008/12/22
CBS NEWS - 2004

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