2013年2月21日木曜日

班目氏が認めた事故対応の失敗 烏賀陽 弘道

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波野‏@rinnrinnoo
班目氏が認めた事故対応の失敗 http://goo.gl/dyux3

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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/37192
2013.02.21(木)

烏賀陽 弘道 Hiromichi Ugaya
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班目氏が認めた事故対応の失敗

元原子力安全委員会委員長、班目春樹氏の証言(第1回)

11当時の原子力安全委員会委員長だった班目春樹氏(元東大教授)にインタビューした。直接のきっかけは、2012年11月、3.11当時を振り返った回顧録『証言 班目春樹』(新潮社)が出版されたことである。新潮社の説明によると、この本は班目氏の話を教え子である岡本孝司・東大大学院工学系研究科教授ら数人が聞いてまとめたものだ。著者は岡本教授になっている。



『証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?』(岡本孝司著、新潮社、1470円、税込)
 
本を一読して、政府中枢で福島第一原発事故対応に関わったキーパーソンの証言として、非常に貴重な内容が含まれていることが分かった。当時官邸にいた人間の中で、班目教授は数少ない原子力の専門家である。そして原子力安全委員長(内閣への助言機関)という重要なポジションにいた。事故対応で、班目氏が分からなかったことは、他の官僚や政治家も分からなかったと考えることができる。
原発事故や住民避難対応の失敗について、班目氏にはバッシングに近い激しい非難が加えられてきた。しかし一方、制度や法律枠組みで、本来法的な権限のないこと、任務ではないことまで混同して同氏のせいにして、非難するのは筋が違うと思った。そうした「原子力安全委員長はここまではできるが、これはできない」という制度や法律の制限を無視した批判が多すぎるように思えた。
また政治家や官僚が失敗の責任を班目氏に押し付けようとしている気配も感じた。そうしたことをすべて含めて「班目春樹・原子力安全委員長から見たら、3.11はこう見える」という話を聞いておきたかった。こうした班目氏にまつわる話には、本人に取材して言い分や反論を聞いた報道がほとんどない。そこで新潮社を通じて取材を申し込んだ。班目氏からは、快諾の返事がすぐに来た。

「自分が知っている事実」を語った班目氏

インタビューは2013年1月11日午後、東京・矢来町の新潮社の会議室で行われた。時間は約2時間である。机をはさんで班目氏と私が向かい合い、横で担当編集者が立ち会った。インタビュー中は、新潮社側からの介入はなかった。班目氏が回答を拒否した質問もなかった。
取材申し込みの段階で、班目氏にいくつかの点を伝えた。記者としての私は原発否定論・推進論いずれの立場も取らないこと。班目氏を糾弾したり一方的に非難したりするつもりはないこと。記憶が曖昧だったり、忘れたり、知らないことは無理をせずその旨告げてほしいこと。ニュアンスを読者に伝えるよう、発言をできるだけそのまま書くこと。インターネットという媒体は紙媒体と違ってスペースに制限がないので、一問一答をできるだけそのまま再現すること。言葉をできるだけそのまま再現し、削除したり、強引にまとめたり、書き換えたりしないこと。
インタビューは非常に内容が濃密だった。著作とインタビューを通じた筆者の印象として、班目氏は誠実かつ率直に「自分が知る事実」を話しているという印象を持った。「誤解していた」「考えが至らなかった」と自分の誤ちや失敗をいくつも認めているからだ。その中には「家に帰って就寝していたら官邸に電話で呼び戻された」など、本来「認めるのが格好が悪い事実」も含まれている。また、自ら言わなければ知られることのなかった誤解や失敗も明かしている。
世間が言う「学者・官僚がもたれ合う原子力ムラ」とはまったく違って、法律上は原発事故や住民避難の要になるはずだった原子力安全・保安院と経産省がまったく機能しなかったことを厳しく批判している。あるいは過去の原子力安全委員はじめ学界も痛烈に批判している。これはもちろん、班目氏が失敗の責任を他者に転嫁していると理解することもできる。最終的に同氏の発言をどう評価するかの判断は読者に委ねる。

 
事故対応で重要な点を挙げておく。(1)班目氏は、福島第一原発が冷却用の電源をすべて失った後も「直流電源は生きている」と根拠なく思い込んだ。
(2)本来は住民避難開始の「ヨーイドン」になるはずだった原災法15条通報を「水位が見えないための念のための通報」と過小に理解した。
(3)根拠なく「見えない所でしかるべきことをちゃんとやってくれている」と思った。過小な行動しか取らなかった。
この(1)~(3)を念頭に置くと、班目氏が提案、あるいは政府の実施した対策すべて過小あるいは後手であることの理由の一端が分かってくる。
もちろん、班目氏の誤解や失敗が原発事故対応の失敗の原因のすべてではない。私はこれまでの取材で福島第一原発事故対応は「長年にわたる巨大で醜悪な無作為と無責任の集積」という感触を持っている。班目氏の誤解や失敗はそのほんの一部にすぎないと考えている。
インタビューはすべて班目氏の了解を得て録音した。終了後録音を書き起こし、班目氏にメールで送った。校正・校閲のためである。班目氏からは一部「発言を取り消したい」という要請があった。しかし校正・校閲の範囲を超えるものは断った。該当部分と理由は文中に記す。インタビュー終了後にこちらがメールで再質問したもの、班目氏から補足があったものは、そのように書いておいた。誤認や記憶違いも、可能な限りそのままにして、注釈で訂正した。「班目氏がもう覚えていない」ことも事実として記録すべきだからである。

「官邸で何があったか」が伝わっていない

──ずっとお話を伺いたかったので、お目にかかれてうれしく思っています。3.11のあと私は福島・浜通りに20回以上取材に通いました。そうした現場から取材を始めて、東京に戻ってきて、政府内部の取材を始めました。当時、首相官邸内部でのみなさんのいろいろなやりとりを後から知りました。そして、次第に「なるほど福島で見たものは、政府でのこういう決定や判断があって、ああなったのだな」という順番で、認識してきたんです。そして国会事故調や政府事故調などの報告書が出ました。菅直人首相はじめ政治家のみなさんの回顧録も出ました。それらに目を通すうちに、班目さんの本にも接することになりました。今回、インターネットは紙媒体と違ってスペース制限がないですから、お話にできるだけ編集を加えない形にしようと思っています。糾弾しようというつもりは全くございませんので、どうぞおくつろぎください。
班目春樹氏(以下、敬称略) 「どうぞ何でも聞いてください。私はもう、どこでも平気でこうやってしゃべってます」
──ご存じないことやお忘れになったことはそのままおっしゃってくだされば結構です。
班目 「ほとんど忘れているんですよ。本当に飛んじゃってるんですよ。断片的にだけど覚えているシーンがいくつかあって、でも順番がめちゃくちゃだったり。例えば東電のビデオのような動かぬ証拠を突きつけられて認めざるを得なくてそうだったんだと思ったり、当時の私の知識からいって、質問に対していかにも私が答えそうな内容を喋ったと言われると、これは私自身認めてしまってそうだと思うようになったりといったところです。とにかくいろいろな段階の記憶らしきものが、積み重なっています」

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──分かりました。おそらくああいう大混乱の現場ですので、ご記憶も完璧とは言えないと思います。そういうところはそのままおっしゃってください。
班目 「はい」
──月並みな質問から始めさせていただきますが、今この本(『証言 班目春樹』)を出そうと思われた動機はなんだったんですか?
班目 「まず『官邸で何があったか』という事実が、あまりにも伝わっていないと思いました。もちろん政治家の方々も本を書かれていますが、この手の本は多分、当時の秘書官だったような人が手伝っているのではないかと見当をつけています。私が考えていたこととは大分違っている。これはどうしても、詳しい人間と詳しくない人間とのコミュニケーションギャップだと思います。私の意図とは違う形で受け取られているということも多々ある。ある程度原子力に詳しい人間がああいう場面でどう振る舞ったかということを、きちっと出しておくべきだろうと。それが一番の理由ですね」
──特に「これは事実と違う」とお考えのものは何でしょうか。
班目 「それはいくつもあります。例えば、これはほんの一例に過ぎませんし、海江田さん(注:海江田万里氏、当時の経産省大臣)ご本人の責任だとも思いませんが(海江田氏の本には)私がヘリコプターで現地から帰ってきて、それから自宅に風呂に入りに戻ったとか書いてある。こんなことあり得ないんですよ。実際にヘリコプターが東京に戻ってきたのは11時ちょっと前で、11時30分過ぎには呼び戻されてますから。そもそも海江田さんのSPが私と事務局長を引き離したので、私は官邸のどこに行けばよいのかも分からないという状態だったのです。しょうがないから4号館まで歩いて帰っているんですよね」
──「4号館」とは霞が関にある「中央合同庁舎4号館」のことですね。原子力安全委員会の事務局がある。
班目 「よく晴れて、人っ子ひとりいない通りだったことをよく覚えています。12日の朝11時くらい。ヘリコプターが着いて徒歩で戻って、戻った途端に呼び戻されて、また官邸に車で行ったと。当時から、あたかも私が家に帰っているという噂を流している週刊誌などがあったことは私も知っていたが、政治家ともあろう方がそれを堂々と本に書いてしまうというのは、いかがなものか。ちょっと悪意を感じますから。『悪びれもせずにまた席に座った』などと」
(注:これは海江田万里氏が2012年11月に出版した回顧録『海江田ノート』<講談社>41ページの記述への反論。同著では、班目氏は3月12日午前中、菅直人首相との現地視察から帰った後、1号機の水素爆発の前に帰宅したと記述されている。班目本では3月13日午前1時ごろ帰宅したと書いてある)
──確かにそう書いてあります。
班目 「ひっでえなぁって思いました。ああいう顔をして『私はどうなっても構わないんです』とか散々国会で話した挙句こうです。実は人をかなりの悪意を持って見る人だなと。そう思わざるを得ないところはありますよ」
(筆者注)
インタビュー後、文面を見た班目氏がメールを送ってきた。上記「ああいう顔をして~ありますよ」部分を削除してほしい、と筆者に伝えてきた。「カッとして吐いた悪口雑言で、我ながらいやになりました」「刑事告発されている身の上らしいので、さらに名誉棄損で訴えられるようなことだけは避けたいとの気持ちでいっぱいです」との理由が述べられていた。また「班目氏が検察の事情聴取を受けた」と報道が流れたことで、自宅周辺をしばらく記者らしい人物がうろうろして神経質になっている、とも伝えてきた。削除の申し入れは複数回メールで来た。

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班目氏が憔悴していること、感情的になったり神経質になる気持ちはよく理解できる。個人としては班目氏の窮状に同情している。
しかし、筆者はこの申し入れを断った。この申し出を受け入れると、報道の原則を侵してしまうからだ。
(1)3.11当時の原子力安全委員長だった班目氏は「公人」である。
(2)その班目氏が福島第一原発事故について話す内容は「公共性」が極めて高い。
(3)このインタビュー記事は報道記者である筆者(烏賀陽)が班目氏に取材して書く記事であり、執筆主体は筆者である。班目氏の口述筆記原稿ではない。
(4)インタビュー後に文面を見てもらうのは校正・校閲のためである。読者に間違った情報を伝えないことが第一目的である。その範囲を超えるものを被取材者が修正することはごく限定的な例外に留める。
(5)班目氏がいったん発言し、録音・記録され、記者が聞いたことを、読者に知らせる前に取り消す行為は、読者との信義を裏切ることになる。拡大すると、政治家など公人が「失言」しても、いくらでも後から取り消せることになってしまう。
(6)報道する際、記事内容に被取材者の合意を得る必要は必ずしもない。
また、そもそも班目氏の発言は海江田氏の記述をきっかけとする「反論」である。加えて「3.11当時の事故対応の過程で、原発の所管大臣だった海江田氏と、班目氏の間に感情的なものが残るような出来事があった」「事故対応について、両者の記憶は食い違っている部分がある」「感情的なものは事故後2年近く経っても残っている」などの言外の事実も、歴史に記録し、読者に知らせるべきだ。筆者はそう考えた。
インタビューに戻る。

悪かったのは保安院だけではない

──『証言 班目春樹』によるとご帰宅は「3月13日未明」となっていますね。「12日午前中ではない」とおっしゃるのですね。

インタビューに応じる班目春樹氏(筆者撮影)
 
班目 「あり得ません。不可能です。12日の土曜日の午前中に、官邸みたいな場所でタクシーが捕まるわけがないじゃないですか。そんなの調べればすぐ分かることなのに、調べもせずに悪意を持って本を書かれるというのは、果たして政治家としていかがなものでしょうか。海江田さんの悪口ばかり言っていますけど、各々の方々にみんなありますよ」
「でもそれはしょうがないでしょう。あの本は海江田さんご本人が書かれたものとは思ってません。当時、海江田さんは経済産業大臣でしたから、秘書官は当然経済産業省のお役人ですよね。そういう人たちから見ると、原子力安全委員会という、これから潰れる組織になるべく責任を負わせたいわけですよね。そういう意図から一生懸命やっている。要するに経済産業省のお役人であった保安院が、ものすごい体たらくでしたから」

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──それは原子力防災本部の事務局長である寺坂信昭氏(原子力安全・保安院の院長)が菅首相に詰問されたあと官邸から姿を消してしまったとか、そういった事実を指しているのですね。
班目 「逃げちゃって何もしなかった。『でも、保安院だけが悪いんじゃない』と言いたいんですよね」
──なるほど。
班目 「だからなんとなく、官僚組織全体としての悪意が多分あって、それに海江田さんなんかは踊らされているんだろうな。気の毒だな、と思っているのが私の正直な気持ちです」
──海江田さんは経済産業大臣に着任されて間がなかった(2011年1月に就任)。班目さんはその前(2010年)から安全委員会の委員長をやっていらっしゃる。その時代から保安院とのやり取りは結構あったんですか?
班目 「実は私は東大時代には原子力安全委員会の仕事はやったことがないんです。保安院の仕事ばかりだった。総合エネルギー調査会の臨時委員など、保安院関係の審議会の委員長はいくつ務めたか、数えることができないくらいです。検査の在り方検討会の委員長とか原子炉安全小委員会の委員長とか中越沖地震の調査委員長とか、保安院の仕事はたくさん引き受けていました」
──じゃあ例えば、寺坂院長や平岡英治次長ともよくご存じだったのですか。
班目 「もちろん、昔からよく知っていました」
──ご著書には「3.11の進行中は寺坂院長と官邸で会うことはなかった」とあります。それでよろしいですね?
班目 「1回もないです。官邸では多分一度も見ていないと思います」
──ということは、班目先生が駆けつけられた時にはもう、寺坂さんは菅首相に詰問されて退出された後だったのですか?
班目 「だと思います。平岡さんしかいなかった」

安全委員会に福島第一原発の図面がなかった

──時系列で事実をお伺いしたいのですが、ご著書によりますと地震が発生した時は、中央合同庁舎4号館6階の原子力安全委員会の執務室におられたということですね。馬鹿な質問で恐縮なのですが、原子力安全委員長は常勤でやってらっしゃったのですね?
班目 「はい、もちろん常勤だったわけです。兼業は一切していませんから」
──ということは、3.11当時は執務室に出勤し、そこが仕事場でいらっしゃった。
班目 「震災の前は、大体9時前には部屋に入っていましたね。ずっと判で押したような生活をしていました」
──なるほど。霞が関に出勤されるということですね。それはちゃんと迎えが来るんですか?
班目 「ありました」
──3.11当時は、官邸との間を行ったり来たりで大変だったと思うのですが、その時は歩いて行かずに迎えが来てくれるんですね。

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班目 「例外的に歩いたのはその1回くらいであとは全部車です。家内に送ってもらったこともあるし、まあいろいろなケースがありますけどね」
──ご著書に生々しい記述があります。地震が起きた14時46分に「隣の庁舎の建物が揺れているのか見た」と書いておられますね。
班目 「見れるかなと思ったのですが分からなかったですね。もう少し長く見ていればよかったんですよね、きっと」
──そのあと原災法(原子力災害対策特別措置法)の第10条通報(11日15時42分)が福島第一原発から来た(注:第10条は原子力防災管理者の通報義務を定めている)。そのあとで15条通報が来る(16時45分=全電源を喪失した、冷却不能になったことを知らせる緊急事態の通報。ここが住民避難の開始になるはずだった)。これで大体地震発生から2時間が経過しています。ご著書に「原発の専門家20人にメールを送った」とありますね。
班目 「それは10条通報の直後ですね」
──例えば他にはどんなことをしていらしたのですか?
班目 「まず、真っ先にテレビをつけて、震源地や津波のことを知るということですね。そのうち一番厳しいのは福島第一だということが分かってくるわけですね。10条通報も15条通報も福島第一から来る」
──同じ津波被災地域でも、宮城県の女川原発とかではなく福島第一原発が厳しい状況にある、ということですね。
班目 「まあ、女川が、福島第二が、東海第二がどうのこうのというのが入ってきはしますけれども」
──まず津波被災地域の原発が気になったということですね。
班目 「はいそうです。とにかく福島第一が一番凄いことになるのは確実だった。安全委員会の中に福島第一に関する資料がどれだけあるか探させた。私自身も、持ってきてくれた設置許可申請書を見て、何が分かるか一所懸命調べていましたね」
──ご著書に「福島第一原発の図面が安全委員会になかった」と書いておられます。その時からもうないことに気づかれていたんですか?
班目 「ないんです、最初から。設置許可申請書は初めて見るわけではなくて、まあ見るまでもなかったくらいでしたが、何か手がかりがあるんじゃないかと、一所懸命探してましたね」
──簡単な概略図はあっても、構造を示すような設計図がないと書かれています。
班目 「本当に概略図しかないのです。一応、熱交換機とポンプとが線でつながっているような感じのものはあったが、知りたかったのは、例えば非常用ディーゼルがどこにあるかとか、そういうことなのです。記憶ではタービン建屋の地下だとは知っていましたが、増設したものがどこにあるのかとか、そういうことが分からない。津波でやられてますから、どの程度やられているのかという話と、どういう所に何があるかということを、しっかり押さえたかったんですよ」

15条通報は「念のため」出されたものと受け止めた

──ご著書の中に「専門家にメールを送った」ということが書いてあったので、そこまで委員長がしなければならないのかと意外に思いました。
班目 「私が送ったのではないです。それはもちろん事務局に送ってもらいました。『一斉招集をかける必要がありますね』『じゃあやってください』という感じで」

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──安全委員会の事務局の規模は、100人くらいと聞きました。
班目 「実際には常勤が六十数名で、あとの残りは非常勤なんです。これは原研などのOBですね。退職された方々に技術参与という形で、例えば安全審査や指針類を作るお手伝いをしてもらうと。これは専門家の方にしかできませんから。ただ非常勤なので毎日来るわけではない」
──実感として今回の3.11を乗り切って行くには、60人という人数は少なかったですか?
班目 「実際にはかわいそうなくらいバタバタになってしまった。人数の問題としては、保安院と安全委員会が別組織であるということが最大の問題で、1つの組織であるならば、保安院には300名近くいますから、十分やれる人数だと思いますけれども。それと保安院は他に、JNES(原子力安全基盤機構)という別組織を持っていますから、そこも合わせると、かなりの人数がいる。で、安全委員会の方は非常勤の人を含めても、たかだか100人という。そして仕事としても、実務というよりは安全審査のダブルチェックをやったり指針類を作ったり、そんなことですから、これはむしろ普段小所帯でやっていてよい組織なんです」
──地震が発生して15条通報、全電源喪失の知らせが来るまでに2時間くらいある。この間はそういう形で図面を探されたりしていたわけですね。15条通報が安全委員会に到達したのも、保安院と同じ16時45分と考えてよろしいですか?
班目 「そんなには変わらないと思います。17時前だろうと思いますね。これは保安院経由で来ます」
──第一報のファクスは原発から保安院に着くはずです。
班目 「そうです」
──だから時間的にはそんなにラグはないということですよね。
班目 「まあ5~10分の差はあるかもしれませんが」
──福島第一から保安院にはファクスで来るそうです。安全委員会にはどういう形で着くんですか?
班目 「そのファクスがそのまま転送されるんじゃないかな。記憶がはっきりしませんが、10条通報の時はなかなか紙が届かなかった気がします。15条通報の時には『水位が見えないから、念のために15条通報を出す』という発表を、最初に東電が出しているんです。その『念のためというのが随分頭の中に残った気がするので、ひょっとたらその紙は割と早い時間に見ているのかもしれません」
──それは東電が知らせてきたのだが、「これは念のためだから」という注釈が付いていたということですか?
班目 「それが付いているようなものが送られて来ているんです。どっちにしろ、私は多分紙は見ていません。あとで事務局がコピーして皆さんに配るのですが、とりあえず15条通報が出されたことを口頭で教えてもらっていた。それが多分夕方の5時くらい」
──海江田さんの本によりますと、海江田さんの所に15条通報の知らせが来たのが、何と17時35分(注:つまり保安院に到達してから、担当大臣である経産大臣に到達するまでに50分かかっている=経産省内部だけで50分かかった)と書いてあったんですよ。もちろん海江田さんは「どうしてそんなに時間がかかったのか」という不満を述べてられます。班目先生のご本には16時45分と書いてある。なので、原子力安全委員会の方が早く伝達されたのかと思ったのです。

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班目 「それはどうなんでしょう、分かりません。17時前に本当に見ていたどうかは分かりません。ただ1つだけ言えるのは、私は17時30分過ぎに4号館を出発するんです」

福島第一原発の様子は一切伝わってこなかった

──15条通報があって、その時点で首相官邸に向かわれたのですね。確かにそう書かれている。
班目 「というのは、15条通報があったら原災(原子力災害)本部が必ず開かれるからです」
──首相官邸の原災本部に招集がかかるわけですね。
班目 「正式メンバーではないが、助言役として必ず同席しなければいけないとルール上なっていますので。17時30分ころに出発するのですが、まだ官邸から招集がかからないのかと言っていた記憶があるので、その間に30分近く時間があった気がするので、やはり17時頃に15条通報を知ったんだと思います。行かなくてもよいのかと言いながら例の上着を着て待機して、結局行った方がよいということで17時30分過ぎには出発してますから、17時30分くらいまで知らなかったということはあり得ないですね」
──その間に、原子力安全保安院が福島第一原発の様子などを伝えてきたりはしないんですか? 原子力安全委員長に情報が届いていないのは不思議な気がします。
班目 「本当は安全委員会とERCという保安院の対策室との間に、テレビ会議システムが繋がっていろいろなやり取りができるんですけれども、15条通報が出て最初に官邸に行くまでは、テレビ会議システムを立ち上げてなかったと思います。保安院からの連絡を事務局の誰かが受けて、それを我々に伝えてくるという形だったと思いますね」
──例えばそれは、今1号機の圧力や温度がこうなっている、2号機は、3号機はというような、そういう詳しい話ではないのですか?
班目 「一切なしです。というか我々も、保安院もその情報が入ってこなくて困っているだろうと思っていましたから」
──それに対してイライラされましたか。
班目 「保安院も苦労していて分からないんだろうなと思っていました。最初に10条通報、全電源喪失の時点で非常用ディーゼル発電機がせっかく立ち上がったのに、きっと水をかぶって本当の全交流電源喪失になってしまった。そのように理解していたので、これはもう現地は本当に大変なことになっていると」
──なるほど。
班目 「そして、私は何点かずっと誤解し続けるんです。3つくらい間違ったことを考えていました」

(つづく)

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