2013年5月9日木曜日

青山貞一:日本の大マスコミが抱える深刻な諸問題 E-wave Tokyo

青山貞一:日本の大マスコミが抱える深刻な諸問題 E-wave Tokyo 



アップロード日: 2012/01/08
Recorded on 2011/04/11 日本の大マスコミが抱えるさまざま深刻な問題を具体的に事例を交え詳細に話してもらい­ました。また受ける側の日本国民が抱える問題についても、調査結果を交え話されていま­す。大マスコミの代わりとなる独立系メディア、代替メディアについて、青山さんがこれ­から行う独立系メディア E-wave Tokyoの詳細についてもお話しいただきました!

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青山貞一:繰り返される津波被害の半分は人災? E-wave Tokyo

青山貞一:繰り返される津波被害の半分は人災? E-wave Tokyo



アップロード日: 2012/01/08
東日本大震災の津波は1000年に一度、想定外だから仕方がないとか、自然災害だから­仕方がないと思っていないだろうか? だが、調べてみると3.11波の津波は明治三陸津波など、せいぜい100年に一度起き­ており、決して想定外などではない。 三陸や皆木県南部、福島県の臨海部をくまなく歩き、調査してしてきた東京都市大学の青­山貞一さんは、津波被害の半分は天災ではなく、人災だという。本動画はその青山さんが­実際に現地を調べ、文献を調べたうえd、3.11津波の多くが人災であり、国、自治体­にその責任の多くがあると言う。ぜひ、最後まで聞いてほしい。


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青山貞一:原発事故をどう受けとめ学びの場につなげるか E-wave Tokyo

青山貞一:原発事故をどう受けとめ学びの場につなげるか E-wave Tokyo



公開日: 2012/04/01
東日本大震災、津波による福島第一原発事故を私たちがどう受けとめ、認識し、それを小­中学校の児童や高等学校の生徒にどう伝えるか、学びの場にどうつなげるかは、きわめて­重要な課題である。

実際、そのような試みをしている教諭や大人はあまりいないだろう。

そのためには、まず教諭が大震災、津波、福島原発事故によって起きていることを現場主­義的に知らなければならないと思う。たまたま教諭のネットワークから講演を依頼された­が、私自身もこのような重要かつ重い課題に正面から向き合ってきたわけではない。

大学にいると、どうしても調査、研究が先行し、子供たちと向かい合う機会がほどんどな­いからだ。

講演の日の2012年3月31日、東京都心はものすごい風、さらに雨まで降り出した。­広尾駅から高台にある聖心女子大に向かい階段を何段も上ると、そこはしっとりとした到­底渋谷区にあるとは思えない静寂な時空があった。

会場となった渋谷区広尾の聖心女子大学は研究の同僚、池田こみちさんの母校である。見­て分かったのだが、会場の宮代ホールは本当にすばらしいホールである。今まで何100­と講演してきたが、こんなすばらしいホールはなかった。

現場主義で生きてきた私は、やはりここでもいつものように、現地を歩き見聞きしてきた­ことを話すことにした。

本動画は1時間あるが、100%ノーカットである。ぜひ、最後まで聞いて欲しい。

青山貞一 東京都品川区の自宅にて

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青山貞一:福島原発事故で本当に怖いのは魚介汚染 E-wave Tokyo

青山貞一:福島原発事故で本当に怖いのは魚介汚染 E-wave Tokyo 



アップロード日: 2012/02/06
原発事故以来、官民を問わず膨大な量のモニタリングデータが公にされてきたが、なぜか­魚介類に含まれる放射性物質汚染に関するデータは、きわめて限られている。
理由はやはり太平洋側の海洋汚染が相当深刻なためだろう。
日本の気象庁の気象研究所が2011年11月16日に発表したシミュレーション結果に­よると、放射性物質のうち、とくに放射性セシウムは今年の4月までに70~80%が海­に落ち、陸地に降ったセシウムは30%程度と推測している。
気象研究所の研究チームによれば、2011年3~4月は偏西風で運ばれるために陸地に­落ちる量は少なく、その分海洋が汚染されたとみている。ヨウ素131は放出量の約65­%が海に落ちたとしている。
ちなみに私たち環境総合研究所が2011年春に行った放射性物質の3次元の移流、拡散­シミュレーションでも類似の結果がでている。通常、陸側が表示されるが当然のこととし­て、西風系の場合には放射性物質は太平洋側に落ちる。
陸側におちた放射性物質も最終的に海に流れ込む。今後、近海魚や回遊魚だけでなく、底­生魚介類の汚染が深刻になると推察される。
本動画は、この分野第一線で漁民やNPOとも議論しあう中で調査研究をしてきた青山貞­一さんに詳しくその実態、裏事情、一般国民はどうすればよいかなどについてのご意見を­伺った。
池田こみち 環境総合研究所副所長/インタビューア 2012.2.6

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【第一話】日本の魚は大丈夫? -KONG DE SHOW JAPAN- 



アップロード日: 2012/01/24
東日本大震災による原発事故以降の「海洋汚染」と「食の安全」をコングがレポート。福­島県最南端(勿来漁港)、茨城県最北端(平潟漁港)を調査、福島県全域では漁が自粛さ­れているが、勿来漁港からわずか100mの平潟漁港では漁が行われている。漁師達は4­月に改正される放射能暫定基準値により、魚が売れなくなるのではないかと不安を抱える­。実際に魚を買い、放射線量測定をしてみる.「知られざる放射能汚染」による放射性セ­シウム137、セシウム134による魚や魚介類の汚染の実態を知り、特に子どもの低線­量の内部被曝を心配する方々には是非、食品の危険さを分かってほしい。 セシウム新基準を超える食べ物はかなり多いはずだ。2012年8月21日、基準値を大­幅に越えたアイナメが検出された。これも氷山の一角のはずだ。
[La radiación de Fukushima ya afecta al agua del mar y a la pesca]

※ 現在、コングは海外の高級5星ホテルで料理人として多忙な毎日。
帰国の際など、引き続きコングは不定期で登場予定。(2012年12月)

※制作協力 KBC(京都文化社) http://kyoto-bunkasha.com/

※制作支援金のお願い
振込先/三菱東京UFJ銀行/(普通口座)口座店(京都中央支店)/店番号(501)­/口座番号0056180/口座名 ユウゲンガイシヤ ツルカメ

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【第二話】日本の魚は大丈夫?(続) -KONG DE SHOW JAPAN-



アップロード日: 2012/01/24
東日本大震災による原発事故以降の「海洋汚染」と「食の安全」の現状をコングがレポー­ト。第一話の続き、北茨城の漁港で買ったヒラメの放射線量を放射能測定センターへ持ち­込み、実際に測ってみる。
測定場所: CRMS 市民放射能測定所 http://www.crms-jpn.com
「知られざる放射能汚染」による放射性セシウム137、セシウム134による魚や魚介­類の汚染の実態を知り、特に子どもの低線 量の内部被曝を心配する方々には是非、食品の危険さを分かってほしい。 セシウムの「新基準」を超える食品はかなり多いはずだ。2012年8月21日、基準値­を大幅に越えたアイナメが公表された。これも氷山の一角のはずである。
賢い人がもっと賢くなることも大切。また、詳しく情報を知っている人に、より新しい情­報を提供することも大切。だが、一連のコングジャパンで強く意図する­ことは、何も知­らない無知な人に少しでも情報を提供し、考える機会になればと思い活動を行っています­。無知だった為に起こる悲劇を繰り返さない為にも。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

※ 現在、コングは海外の高級5星ホテルで料理人として多忙な毎日。
帰国の際など、引き続きコングは不定期で登場予定。(2012年12月)

※制作協力/KBC(京都文化社) http://kyoto-bunkasha.com

※制作支援金のお願い
振込先/三菱東京UFJ銀行/(普通口座)口座店(京都中央支店)/店番号(501)­/口座番号0056180/口座名 ユウゲンガイシヤ ツルカメ

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【第三話】 福島県に接する町の苦悩 -KONG DE SHOW JAPAN-



アップロード日: 2012/01/24
東日本大震災による原発事故以降の現状をコングがレポート。第三話は福島県に隣接する­漁港町をレポート。

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【第四話】日本の漁業は大丈夫? -KONG DE SHOW JAPAN-



アップロード日: 2012/01/24
第四話では、宮城県最南端(山元町の磯浜漁港)、福島県最北端(釣師浜漁港)の現状を­レポート。しかし、そこは震災から10ヶ月たった今も津波と原発事故の被害で、復興の­兆しが見えない

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【第五話】福島の夜 -KONG DE SHOW JAPAN-



アップロード日: 2012/02/24
第五話では、KONG熱望の夜の街ロケを敢行編。3.11からの夜の街の賑わいなどに­ついてリポート。復興バブルって本当? 少し街を歩いてみよう。
 実際に歩いてみると、いろいろな方から問題提起、取材テーマ、現状、本音、、、を知る­ことができる。
 
 [kong de show japan]で強く意図することは、何も知らない無知な人、投票にもいかないような無­関心な人に、少しでも情報を提供し、「考えるきっかけ」になればと思い活動を行ってい­ます。無知だった為に起こる悲劇を繰り返さない為にも。

スタッフの4人中2人は、放射線に汚染した食品も気にせずに食べます。他の2人はでき­るだけ食べません。考えの違った仲間で取材した情報を配信しています。No5の演出に­はスタッフ内で議論はありました。思想や考えの違い、テーストの違いのある仲間が協力­するこで見えてくる部分もあるのでは。

真面目な報道は難しいから観ない。バラエティーやワイドショーだけを観ているような層­が多くいるのも事実です。、、、悲しいことにこの国の選挙の投票率は50%ぐらいです­。若者は特に低いです。

関心をもち、自分の考えをもって行動を起こすきっかけになれればと、
微力ですが情報発信をできるように頑張ります。

ちなみに、[kong de show japan ]は不定期です。
コングさんは、現在、海外の一流ホテルでシェフをしています。
第六弾も期待して下さい。

今後とも宜しくお願い致します

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環境影響調査から見た福島原発事故と汚染 青山貞一 E-wave Tokyo

環境影響調査から見た福島原発事故と汚染 青山貞一 E-wave Tokyo



公開日: 2012/06/25
独立系メディア E-wave Tokyo
http://eritokyo.jp/independent/aoyama...

2012年6月24日、茨城県東海村で開催されたシンポジウムにおける青山貞一講演の­ノーカット公開です。2011年4月から1年、青山らは10回の現地調査、放射線量測­定結果を被災三県に敢行。さらに講演では環境総合研究所が研究開発してきた3次元流体­モデルを用いた原発事故時の放射性物質移流、拡散シミュレーション結果をまじえたもの­となっています。
30年以上の歳月と巨額をかけた国のSPEEDIがこの間機能不全となるなか、昨年春­から福島原発のみならず日本各地の全原発を対象に事故時の放射性物質拡散シミュレーシ­ョンを行ってきた環境総研の概要報告でもあります。
主催者のゴミ弁連は、環境弁護士約100人により構成されるゴミ紛争、裁判を地域住民­を支援する任意団体、青山貞一はその技術顧問として過去、多くの訴訟に直接、間接にか­かわってきました。
今回の講演内容はこの春、聖心女子大学(東京都渋谷区広尾)の宮代ホールで行った講演­をベースにしています。
なお、環境行政改革フォーラムは、環境問題の研究と環境政策の研究の行動する学会。設­立して19年、青山はその代表でもあります。

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2013年5月8日水曜日

島薗 進 『東日本大震災と宗教の役割』

http://www.relnet.co.jp/kokusyu/brief/kkouen47.htm
国際宗教同志会平成25年度総会 記念講演
『東日本大震災と宗教の役割』①
東京大学大学院 人文社会系研究科 教授 
島薗 進
2013年2月14日、金光教泉尾教会の神徳館国際会議場において国際宗教同志会(村山廣甫会長)の平成25年度総会が、各宗派教団から約60名が参加して開催された。記念講演では、東京大学大学院人文社会系研究科の島薗進教授を招き、『東日本大震災と宗教の役割』と題する講演と質疑応答を行った。本誌では、この内容を数回に分けて紹介する。

島薗 進 教授
島薗 進 教授









▼公共空間における宗教のプレゼンス
皆さん、こんにちは。国際宗教同志会の錚々(そうそう)たるメンバーの先生方の前でお話しさせていただくことを大変光栄に存じております。自己紹介として、お配りいただいた私の経歴に書かれていないことを申し上げますと、私の母方の祖父(註:日本医師会会長を務めた田宮猛雄東京大学医学部教授)は高知の出身で、家の宗教は神道でございます。そして父方の祖父(註:島薗順次郎東京帝国大学医学部教授)が和歌山の出身で浄土宗でございます。そして、私の父(註:国立精神・神経センター初代総長を務めた島薗安雄医師)と伯父は京都で生まれました。伯父が平雄、父が安雄と申しますが、二人合わせると「平安」となります。けれどもウチの父は「名前の字の中に女が入っている」と、冗談で親の名前の付け方に文句を付けておりました。私は東京で生まれました。そして、父の仕事の関係で石川県には8年ほど居りましたので、少し関西弁が解ります。

現在は仕事の関係で、だいたい東日本に居りますが、やはり日本の宗教は関西が中心ですので、いつも東の彼方から仰ぎ見ている「宗教から遠い人間」という感じを持ったりもしております。3年前に亡くなった母はミッションスクールへ行っていましたが、私には春日大社や橿原神宮などのお守りをたくさんくれました。元気な内はずっとカトリックのシスターの悪口を言っていましたが、最期は熱心にカトリックのお祈りをしておりました。そういう家で育って、父が医師だったものですから「医者になりたい」と思っていましたが、どうも現代の医学は立派な研究をすればするほど人間から遠ざかっていくという感じを東京大学に入って持ちました。もともと人間が好きだから医学をやろうと思った訳ですが、どうも医学というのは、「人間をモノから研究するのだ」という気がいたしたものですから、宗教学に変わった事情がございます。

今日は資料のデータが小さい文字で申し訳ございません。私も読めなくなるため、もうひとつ眼鏡を持参しています。こちらのスクリーンもご覧になりながら聞いていただきたいと思います。この題で申し上げたいことは、多分いくらか推測も入っている訳ですが、東日本大震災がひとつのきっかけとなって、日本社会における宗教の役割が大きくなってくるのではないか…。最近「公共空間」ということを言いますが、政治の場に限った話ではありません。皆がお互いの生活について共に考え意見を述べ働きかけ合うオープンな場所が「公共空間」ですが、そこで宗教が果たす役割が大きくなっていく。社会における宗教のプレゼンスが増してくるのではないか。そういう風に思っている訳です。

国宗で熱弁を揮われる島薗進東京大学大学院教授授 国宗で熱弁を揮われる島薗進東京大学大学院教授

日本のマスコミは、宗教をあまり取り上げません。これまで“宗教”が出てくる時はだいたいスキャンダル絡みですが、「今度は少し違うな…」ということであります。これは宮城県仙台市に本社がある河北新報社の2011年4月1日の記事ですが、こういう風に、若い僧侶が読経している場面がテレビや新聞に出てきます。テレビを見ている人は、亡くなった方のことを遠くに居ながらも考えている、あるいは身近な人が亡くなった方たちの気持ちを察している。その時に祈る、念じることなしに見ることはできないでしょうね。

そして「祈る」とか「念じる」といえば、やはり宗教でありますから、どうしても“宗教”が必要になってくる。こちらはお墓の写真でありますが、とにかく宮城、福島、岩手の海岸地域は、すっかり洗い流されてしまいました。三陸に行くと、入り組んだ湾や入り江の中には凄い津波が来た訳ですが、宮城から福島のほうは海岸線が平らですから、そこが全て流されてしまいました。そこには昔はあまり人が住まなかったようですが…。家が残っているところもあり、遠くから見ると「またここで暮らせるのかな」と一瞬思うのですが、近付いてみると、二階はそのまま残っているものの、一階部分が全部流されてしまっている。たいていのお家では、仏壇は一階にありますからね…。したがって、お墓もこのような具合になっており、お墓の中まで洗われて(遺骨が流出)いる状態です。

私は2011年の5月に行ったのですが、ほとんどお墓が片づいていない。お墓の蓋が開いており、骨壺がない。これは流されたのか、いち早く取って行かれたのか判りません。しかし、「ご仏壇はなくなってしまっていても、位牌は見つからなくても、せめてお骨だけは…」というようなことが多かったと思います。関東大震災の時に民俗学者の柳田國男が似たようなことを言っておりましたが、このようなことが起こっております。これは四十九日のニュースですが、この頃はまだ亡くなった方は14,000人と言っています。相馬市で真言宗豊山派の僧侶が合同慰霊祭をするという内容ですが、面白いのがこれが「日刊スポーツ」の記事だということです。スポーツ紙も、この時期は宗教のことに思いを致さざるを得ない。こういうことが起こった訳です。こういうことは新しいと思います。


▼不条理が人を宗教に向かわせる

私たちの世代は、学校では「宗教は古臭いものだ。これからは、どんどんとプライベートなものに矮小化されていくのだ」と教わりました。つまり、「宗教はプライベートなものとしてはこれからも残ってゆくだろうけれども、公的なこととしては、宗教なしに決められてゆくだろう。それが政教分離なんだ」と言われていた訳なのですが、しかし昨今は「果たして皆が参加する公共的な場面に宗教がなくていいのか?」こういうことが自覚されるようになりました。これは日本だけではないのです。政教分離といえば、フランスやアメリカといった「近代制度」を引っ張ってきた国がそういう方向へ進んでいったのですが、そういう国でも同じようなことが起こっている。つまり、「公共空間が精神的に空っぽになっている」それでいいのか? ということです。

しばしば話題になったのは、1775年にポルトガルで起こったリスボン大地震であります。リスボン大地震の時は津波も起こったんです。カントのような哲学者が、それについていろいろ考えました。当時はまだキリスト教の神を疑うことは難しかったのですが、「神が居るなら、どうしてこのような不条理なことが起きるのか?」という疑問が湧いてきた訳です。私の感じは少し違います。そういう風に人に理解できないことが起こった。そして、「神様が居るならどうしてだろう?」という時こそ、人の気持ちは神に向かうといいますか、人間を超えたものに向かうのだと思います。答えられない問題、普通の宗教の言葉で分かりやすく説明できないようなものの時にこそ、宗教心の元になるようなものが揺り動かされる。そういう感じがいたします。

金光教大崎教会長の田中元雄先生とは、かねてから親しくさせていただいておりますが、首都圏の金光教の方たちが気仙沼を中心に活動しておられ、その様子がよく金光新聞に載ったものです。今日は同じ金光教の泉尾教会で話をするからこの記事が出てきたという訳ではなく、私は普段からよく使っている話です。「何を学び、どう改まるべきか」というのは金光教らしい言い方でありますけれども、私はこの記事になかなか考えさせられたという気がします。「金光教には『天地と共に』ということが信心の根幹にあり、自然を征服するという考え方はないです。地震は地球のくしゃみやおならだと子供たちに説明しているのを聞きました」これが私には面白い言い方だと思いました。つまり、教会長なのに「(自然観について)金光教ではこんな風に説明するのだ」と自ら教えてあげるという風ではなく、「信徒のお母さんがこんなことを言っておられたよ」と言っておられる訳です。

今回の大震災に際して、天罰論というのも出たんですけれども、そんな風に「神様なり天なりは、人間を罰したいとか、悪意を持ってるようなものなんだろうか?」と…。そういう風に思う方もいるかと思います。「誰かが悪い、特に被災した人たちが何か悪いことをしたんだろうか? それはおかしいんじゃないか」といったようなことから、天罰論が大変な反響を呼んだ訳です。そこから見ると、自然が人間の思いも寄らない働きをするということは計り知れないことなんです。しかし、それは決して罰してやろうとかこらしめるというようなものではないんじゃないかという感覚を、少なくともこのお母さんは持っておられるということかと思っています。

私も被災地に参りまして、大変な光景を目にしました。ほとんど流されてしまった中に、鉄筋コンクリートの四階建てのビルが残っていて、その屋上に自動車が乗っかっているとか、海岸線からかなり内陸に入ったところに船が道路の横にあるといった光景を見て、大津波の凄まじさをあらためて実感しました。岩手県、宮城県の少し内陸のほうに入っていきますと、本当に美しい大自然が広がっています。首都圏はいたるところ建物だらけですけれども、東北新幹線で北へ行くに従って、だんたん建物が減ってきます。そして、豊かな自然、緑の山、田畑が見えてきます。やはり日本の自然は豊かです。実は、私は震災以後、日本酒を飲むようになったのですが、それは、日本酒を飲むと、やはり日本の自然が私の体の中に入ってくるような気がするということなんですね。

ここでも、「天地の恵みの中に住まわせてもらっているのに、自然を人間の使い勝手の良いように改造してきた。ところが、地球がひょこっと体を震わせたら大津波になったというような子供への物語です。自然災害というけれど、それは人間にとっては災害であっても、天地自然にとっては元来備わっているリズムの運行そのものなんですね」、「ですから災害という見方に立つ前に、まず天地に対する畏敬と謙虚さをもって恵みに感謝する姿勢を取り戻すことが大切だと思います」、「この大震災は我情我欲にふける私たちの生き方や…お金や物に振り回され、科学の力を利用してわが物顔に自然を破壊していく現代人のライフスタイルに対する揺さぶりだったのではないかと思えてなりませんでした。原発に象徴されるように、このままいけばもっとひどいことになるかもしれない、このままではいけない、という天地からの覚醒と受け止めることができるのではないでしょうか。文明のありようそのものが問われたように思いました」これは天罰論とは微妙に違うのですが、やっぱり何かを知らせてもらっている、何かわれわれが気付かなきゃならないことがあるんじゃないか。やっぱり(人間は)傲慢だったんじゃないか。こういう風に受け止めておられます。

これは私自身の感じ方にも近いです。と申しますのは、私たち戦後世代の者は、高度成長の恩恵に浴して参りました。そして、科学技術や経済発展といった、いいものをたくさん味わってきました。それを子供たち、孫たちにうまく受け渡せるかというと、どうもそうじゃない。今回、そのことが強く実感された訳ですが、田中先生のインタビューはそれをよく表していると思いました。


▼苦しんでいる人のもとに行って…

曹洞宗の青年会の方々と何度か支援活動をご一緒させていただきましたが、これはそこが作っておられるパンフレットです。福島辺りでは、大変放射線量の高い所を子供が平気で歩いている一方で、政府はなかなか動きません。去年のある時期から除染活動は大々的に行われるようになりましたが、それより以前は、政府主導の除染活動は、発災後一年以上行われなかった訳です。そういう中で、曹洞宗のお寺の方たちは、かなり熱心に支援活動を展開し、全日本仏教会の方々もこれに協力しました。もうすぐ三回忌ですが、昨年の一周忌の時には、全国曹洞宗青年会の現地支援対策本部がある伊達市の成林寺に私もご一緒させていただきました。伝統仏教の各宗派、そして海外からも仏教徒の方々が来られて共に法要されました。実は、全部の宗派が共通して唱えられるお経はありませんので、仏教界の方が共に法要するのはなかなか難しいんですが、いろんな工夫をされていました。

ご年配の先生方の中には「ボランティア活動や除染活動はわれわれがする必要はない。宗教家は宗教家らしく、宗教本来のことをやればいい」とおっしゃる方も居られますが、若い方たちはどうも違う。人が悩み苦しんでいるところで活動する中でこそ、何か求めているもの、悟りの道に近付いていけると…。つまり、「助けてあげる」というよりも「学ぶ機会を得る」という感じでしょうか…。若い僧侶の方たちが、在家の方たちと一緒に動いておられますが、彼らはこの活動を「縁(よ)り添い」と表現しています。これは要するに、昔から日本の仏教には、山に籠もって修行し(悟りを開くという面と)、下界(娑婆(しゃば))に降りて(人々を救済に)いくという両面がある訳ですが、こういう時にこそ「下界に降りていって、苦しんでいる方たちと共に働きたい」という気持ちがよく表れているパンフレットです。

これを表すものとして、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』がよく唱えられたということです。これは途中からなんですが、「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束を負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ…」宮沢賢治が岩手県の詩人だということもありますが、今回の大震災の後、この『雨ニモマケズ』がよく唱えられ、外国語にも翻訳されました。

この中でひとつ大事なことは、この「行ッテ」というところだと思います。よく「(私が被災地に)行っても何もできないから、行かない」という方には、とにかく一度「行って」みてはどうかと勧めています。今でも福島の方は「来てください」とおっしゃいます。自分たちが忘れられてしまうんじゃないかという危惧もあります。岩手や宮城でも復興が進んでいますが、最後までとり残されてしまう方が居るんですね。今行われているようなことは、阪神淡路大震災の後に行われたことがきっかけとなり、そこから中越大地震や台風被害がある中で、一般の人にとっても大いに関心がある災害支援に、宗教が加わるということは当然であるという風に変わってきています。


▼常不軽菩薩に学べ

もうひとつは「デクノボー(木偶の坊)」というくだりです。支援活動をされる方に能力があるにこしたことはないですが、避難所に行っても仮設に行っても、私など何も芸がないですから、「人の話を聞く」といってもどういう風に相槌を打っていいのかも判らない。曹洞宗の青年会の方たちがお茶とお菓子を持って仮設住宅へ行き話をするのに一緒に行かせてもらったことがあるのですが、曹洞宗ではこれを「行茶」と呼びます。だいたいおばさんたちが多いですから、私なんかが行くよりも若いお坊さんのほうが良いに決まっていますが。私どもが行くしばらく前に有名な歌舞伎役者が来たそうで、その写真が貼ってありました。避難所の方々は、とても期待していたらしいですが、ちょっとがっかりしたそうです。というのも、彼は避難所に来て挨拶をして帰ったそうですが、握手をしなかったらしいんです。

私は何もできないけれども、握手だけはして帰ってきました。握手をするだけでも気持ちは伝わりますよね。そういうようなことはでくの坊でもできるといいますか…。実は、宮沢賢治は大変な天才なんですが、自分自身はでくの坊だと思っていました。それは法華経に関係があります。法華経には常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という菩薩が出てきますが、もともとのサンスクリット語では「常に軽んぜられる菩薩」で、訳は「いつも軽んじない菩薩」。つまりどんな人にも仏性があるので相手に向かって手を合わせる。いつも相手に向かって手を合わせるので、「嫌な奴だ」とか「変な奴だ」といって、石を投げられる。だから軽んじられる。そういうところから来ています。これは、法華経の中のひとつの菩薩の理想でもある訳です。

『雨ニモマケズ』は、宮沢賢治の死後、鞄の中から出てきた手帳の中に書かれていたのですが、その中には、この『雨ニモマケズ』の詩が出てくると共に、常不軽菩薩のことを書いた詩が出てきます。 もう少し仏教教義的に申しますと「増上慢(ぞうじょうまん)」という言葉がありますが、仏教における常不軽菩薩が最も問題にしていたのが「如何にして“慢”を無くすか」ということですが、自分自身が持っており、人が持っている“慢”を無くす。これは六波羅蜜という大乗仏教の修行の中に出てくる「忍辱(にんにく)」の実践なんですね。

いろんな方の支援活動の話を聞く中で非常に印象を受けた話がいろいろあるのですが、中でも「足湯のボランティア」というのがありました。温泉に行くと「足湯」という入湯料を払わなくても勝手に浸かっていられるものがありますが、災害支援の足湯は、お湯を入れたバケツで被災者の足を揉んであげるという行為のことです。これは阪神淡路大震災の時に始まったものです。何処かの業者が始めたのですが、今は学生がやるようになっています。学生は支援活動に行った場合、瓦礫の片付けなどには役立つんですが、こころのケアにはあまり役に立たないかもしれません。けれども、若い学生の方たちが来てくれたら、被災者は嬉しいかもしれませんね。もしかしたら、この中には阪神淡路大震災の被災者の方も居られるかもしれませんが、どうでしょうか…。

もし、若い学生が足湯をやってくれるとなると、少し年配の人も「よく来たね」と心を開いて話をしてくれるんじゃないでしょうか。この足湯を僧侶の方がされる「高野山足湯隊」というのがありますが、これは、金沢の宝泉寺の方が、2007年に起きた能登の地震の時に始められた活動です。今回の東日本大震災の被災地でもやっておられますが、これも常不軽菩薩の修行ととてもよく似ています。



(次号につづく 文責編集部)

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福島県県民健康管理調査は住民の信頼を得られるものだったか?



公開日: 2013/05/05
島薗進氏 (元東京大学大学院人文社会系研究科 教授)
2013.5.5公開フォーラム (日比谷コンベンションホール)
子どもたちの未来のために・・・・
1mSvを守ろう

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非営利団体と社会活動

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なぜ1mSvか? 国際的な研究が示す低線量被ばくの健康への影響



公開日: 2013/05/05
崎山比早子氏 (元放射線医学研究所主任研究官)
2013.5.5公開フォーラム (日比谷コンベンションホール)
子どもたちの未来のために・・・・
1mSvを守ろう

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非営利団体と社会活動

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2013/05/05 公開フォーラム 子どもたちの未来のために 健康被害の未然防止と支援法の早期実施を求め、1mSvを守ろう

IWJ Independent Web Journal

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/77354

2013年5月5日(日)、東京・日比谷コンベンションホールで「5/5 公開フォーラム 子どもたちの未来のために… 健康被害の未然防止と支援法の早期実施を求め、1mSvを守ろう」が行われた。

■内容(予定)13:30~16:20
  • 「原発事故子ども・被災者支援法の現状と今後」
  • 崎山比早子氏(高木学校、元放射線医学総合研究所主任研究官、医学博士)「なぜ1mSvか? 国際的な研究が示す低線量被ばくの健康への影響」
  • 島薗進氏(上智大学教授)「福島県県民健康管理調査の問題点」
  • 吉田由布子氏(チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク)「チェルノブイリからの教訓」
  • 荒川朋子氏(那須野が原の放射能汚染を考える住民の会)/柴田圭子氏(放射能からこどもを守ろう関東ネット)/二瓶和子さん (SnowDrop) ほか「子どもたちの健康を守るために」
  • 会場もまじえてパネルディスカッション
    パネリスト 崎山比早子氏/島薗進氏/山田真氏/阪上武氏/福田健治氏/吉田由布子氏/荒川朋子氏/柴田圭子氏/二瓶和子氏ほか/コーディネーター 満田夏花氏
■主催 放射線被ばくと健康管理のあり方に関する市民・専門家委員会
■詳細 http://www.foejapan.org/energy/evt/130505.html(FoE Japan)
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Conversations with History - Susumu Shimazono



アップロード日: 2010/04/07
From Salvation to Spirituality
Susumu Shimazono,Professor of Religious Studies, University of Tokyo

Conversations host Harry Kreisler welcomes Susumu Shimazono, Professor of Religious Studies at the University of Tokyo for a discussion of popular religious movements in Japan. Professor Shimazono discusses the origins of his interest in religious studies; the role of religion in modernization; and the emergence of new religions as a global phenomena in the 1970s with special reference to Japanese examples. Professor Shimazono distinguishes these spiritual movements from salvation religions by
identifying their unique features and their future evolution. He also analyzes Aum Shinrikyo as an abhorrent manifestation. He concludes with an analysis of the implications of new religions for politics and suggests their strengths and weaknesses as an enduring phenomena.

http://globetrotter.berkeley.edu/iis/...
http://globetrotter.berkeley.edu/conv...
http://conversationswithhistory.typep...
http://www.thenewpress.com/index.php?...

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島薗進

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E8%96%97%E9%80%B2

島薗 進(しまぞの すすむ、1948年 - )は、日本宗教学者である。前東京大学大学院人文社会系研究科教授。

人物
東京都出身。父方の祖父は東京大学医学部教授等を務めた島薗順次郎[1]。母方の祖父は衛生学者田宮猛雄[1]。父は国立精神・神経センター総長や日本学術会議会員を務めた精神科医島薗安雄[1]。父方の伯母・正子は地球物理学者随筆家坪井忠二に嫁ぎ[1]、坪井忠二・正子夫妻の娘すなわち進の従姉は安川第五郎の四男で医師の幾島明に嫁いでいる[1]
1972年東京大学文学部宗教学科卒業。東大入学時は理科三類に所属し、父の跡を継いで医師になろうと考えていたが、ある時そんな自分に疑問を持ち、進学振り分けの最終段階で宗教学科に進路を変える決心をした。筑波大学研究員、東京外国語大学日本語学科助手東京大学大学院人文社会系研究科・文学部宗教学科教授を歴任。
宗教を基盤に幅広い社会的・文化的事象に興味を持ち、多数の著書・論文等の業績があり、フィールドワークも積極的に行っている。

略歴
1972年3月 東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業1974年3月 同大学院人文科学研究科修士課程修了。
1977年4月 同博士課程単位取得退学、筑波大学哲学思想学系研究員(文部技官)。
1981年4月 東京外国語大学外国語学部日本語学科助手
同専任講師、助教授
1984年8月 カリフォルニア大学バークレー校に留学( - 1985年7月フルブライト奨学金
1987年4月 東京大学文学部宗教学・宗教史学科助教授
1994年1月 教授
1995年4月 同大学大学院人文社会系研究科教授
1996年3月 シカゴ大学宗教学部客員教授( - 1996年5月)。
1997年11月 フランス社会科学高等研究員招聘教授(-1997年12月)。
2000年6月 テュービンゲン大学日本文化研究所客員教授(-2000年7月)。
2013年 東大を定年退任

 
著作
『現代救済宗教論』青弓社1992年新新宗教と宗教ブーム』岩波ブックレット、1992年
オウム真理教の軌跡』岩波ブックレット、1995年
『精神世界のゆくえ―現代世界と新霊性運動』東京堂出版、1996
『現代宗教の可能性―オウム真理教と暴力』岩波書店、1997年
『時代のなかの新宗教―出居清太郎の世界1899-1945弘文堂、1999年
『ポストモダンの新宗教―現代日本の精神状況の底流』東京堂出版、2001年
『〈癒す知〉の系譜―科学と宗教のはざま』吉川弘文館、2003年
『いのちの始まりの生命倫理―受精卵・クローン胚の作成・利用は認められるか』春秋社、2006年
『スピリチュアリティの興隆 新霊性文化とその周辺』 岩波書店、2007年
『宗教学の名著30』ちくま新書、2008年
国家神道と日本人』岩波新書、2010年
『現代宗教とスピリチュアリティ』弘文堂 2012 現代社会学ライブラリー

編著
『救いと徳―新宗教信仰者の生活と思想』弘文堂1992年ISBN 4335160224『宗教のことば ―宗教思想研究の新しい地平―』大明堂1993年ISBN 4470200387鶴岡賀雄との共編)
『何のための「宗教」か?―現代宗教の抑圧と自由』青弓社、1994年ISBN 4787210203
『消費される「宗教」』春秋社1996年ISBN 4393291204石井研士との共編)
『教祖と信者たち ―カルトと終末思想 新霊性運動・ニューエイジ・精神世界 メディアとの関わり―』大蔵出版、1996年、ISBN 4804352104米山義男越智道雄島田裕巳との共著)
『中山みき・その生涯と思想 ―救いと解放の歩み―』明石書店1998年ISBN 4750310220池田士郎関一敏との共著)
『心情の変容(情報社会の文化4)』東京大学出版会、1998年、ISBN 4130550942越智貢との共編)
『癒しを生きた人々 ―近代知のオルタナティブ―』専修大学出版局、1999年ISBN 4881251090田邊信太郎弓山達也との共編)
『宗教心理の探求』東京大学出版会、2001年ISBN 4130104039西平直との共編)
『グノーシス 蔭の精神史』岩波書店、2001年、ISBN 4000226037大貫隆高橋義人村上陽一郎との共編)
『グノーシス 異端と近代』岩波書店、2001年、ISBN 4000226045(大貫隆、高橋義人、村上陽一郎との共編)
『コスモロジーの「近世」(岩波講座・近代日本の文化史2)』岩波書店、2001年、ISBN 4000110721小森陽一酒井直樹千野香織成田龍一吉見俊哉との共編)
『宗教から東アジアの近代を問う ―日韓の対話を通して―』ぺりかん社2002年ISBN 4831509949柳炳徳安丸良夫鄭鎮弘との共編)
『つながりの中の癒し ―セラピー文化の展開―』専修大学出版局、2002年、ISBN 4881251309(田邊信太郎との共編)
『現代日本人の生のゆくえ ―つながりと自律―』藤原書店2003年ISBN 4894343258(越智貢著、宮島喬との共編)
『岩波講座 近代日本の文化史10 問われる歴史と主体』岩波書店、2003年、ISBN 4000110802(小森陽一、酒井直樹、千野香織、成田龍一、吉見俊哉との共編)
『〈宗教〉再考』ぺりかん社、2004年ISBN 4831510580(鶴岡賀雄との共編)
『思想の身体 悪の巻』 春秋社 2006年
谷口雅春とその時代』 小野泰博、東京堂出版、1995年 -遺稿の整理・あとがき


所属学会

日本宗教学会(常務理事、2002年9月-)
SISR(International Society for the Sociology of Religion, 国際宗教社会学会)(理事、-2003年8月)


専門分野

宗教社会学近現代日本宗教史
近現代宗教理論


外部リンク

島薗進・宗教学とその周辺 公式ブログ
島薗進 公式ツイッターアカウント


最終更新 2013年4月2日 (火) 12:10

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なぜ1mSvか? 国際的な研究が示す低線量被ばくの健康への影響



公開日: 2013/05/05
崎山比早子氏 (元放射線医学研究所主任研究官)
2013.5.5公開フォーラム (日比谷コンベンションホール)
子どもたちの未来のために・・・・
1mSvを守ろう

カテゴリ
非営利団体と社会活動


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梅原猛「『草木国土悉皆成仏』という思想」

梅原猛「『草木国土悉皆成仏』という思想」



公開日: 2012/08/03
比叡山宗教サミット25周年記念
世界宗教者平和の祈りの集い(第1日目)
テーマ「自然災害の猛威と宗教者の役割──3・11大震災と原発事故への反省と実践」
国立京都国際会館、2012年8月3日

Katsuhiro KOHARA
梅原哲学の到達点、といってよいかもしれません。草木国土悉皆成­仏そのままの形では現代人にはピンときませんので、それをどのよ­うに解釈して、実際に適用していくのかが、これから求められるの­だと思います。

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http://www.aibisoft.co.jp/yume/no01.htm

次頁


 次頁



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http://www42.tok2.com/home/yasuiyutaka/tokimeki/23sansensoumoku.htm

宗教のときめき

23「山川草木悉皆成仏」と梅原猛

やすい ゆたか
草も木も山も川さえ御仏の現身なるや明けの明星



梅原猛最新講演集の編集についてやすいゆたかと打ち合わせする梅原先生


最近、梅原猛先生にはどうも世阿弥の霊が乗り移ったらしく、能の世界にのめり込んでおられます。

能楽全集の監修もされているということで、家の中には能楽関係の資料で溢れかえっていて、たくさん能をごらんになられているようです。

元々能というのは、怨霊鎮魂劇としてできているのですから、怨霊研究家として第一人者の梅原先生が、能にのめりこまれるは十分必然性がある話ですね。

それに梅原先生は仏教思想に関心をお持ちです。仏教思想からみても能には天台本覚思想が表現されていて、その意味から興味をそそられるようです。梅原先生が仏教に惹かれるのは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教的な一神教では独善的になりすぎて寛容をなくしたり、人間中心主義が行過ぎて自然破壊がすすみ、人類や地上生物の存続が危うくなる恐れがあるからです。

梅原先生は、唯一絶対の神という一元的な価値に統合するより、さまざまな原理や価値観を尊重し合い、共存できるような多元的な調和を目指す多神教的な宗教を好まられるのです。

その意味で大乗仏教はバラエティに富んでいますし、神道とも習合しています。しかも人間だけでなく、一切衆生に仏になる性質つまり仏性が備わっているとするのです。これを『大般涅槃経』では「一切衆生悉有仏性」と表現しています。つまり生きとし生けるものはことごとく仏になる性質があるということです。

ところがインドでは有情のものは動物までで、植物は感覚がないので無情の存在です。それで衆生には含まれないと考えていたらしいのです。それは肉食は禁じても、菜食は禁じられないので、植物は衆生に含まないということで食べてよいことにしたからだという解釈もあります。


しかしそれでは不徹底です。生きているものは大切にというのなら、植物も衆生に含めるべきではないかと思いますね。その上で食べたり食べられたりする命のつながりに大いなる生命の原理を見出すべきでしょう。

それで中国の天台宗湛然は『金剛錍』で非情の物も成仏するという非情成仏説を唱えたといいます。それは王陽明にも受け継がれました。『伝習録』には「草木土石は悉く良知をもつ、禽獣草木山川土石は人ともともと一体でしかないのだ」とあります。。

日本天台宗は密教化するにつれて土着の神道の自然信仰と習合したのか、動物だけではなく植物にも、さらには国土にまで仏性を認め「草木国土悉皆成仏」という言葉を生みました。それが現存する文献では最古のものとしては869~885年に書かれたと思われる安然の『斟成草木成仏私記』です。

鎌倉時代の禅宗では釈迦が明星を見て成道したとき、つまり仏になったとき、同時に有情非情草木国土も成道したという解釈を打ち出し、その時に「草木国土悉皆成仏」と釈迦が叫ばれたことになっていますが、その経典からの出典は明らかではありません。

この「草木国土悉皆成仏」は、室町時代に始まる能では良く使われているのです。『鵺』『墨染桜』『芭蕉』『杜若』『六浦』『現在七面』『西行桜』『高砂』『定家』などに出てきます。人間だけではなく、怪獣や桜、芭蕉、杜若といった植物や雪なども怨霊となって現われ、鎮魂されて成仏するという設定でなのです。

この語句は『中陰経』より引用とされていますが、現存する『中陰経』にはこの語句は存在しないということです。

ところでよく考えれば、人間は人間だけにひどいことをして怨みをいだかれているのではなく、動物や植物や大地に対しても、大虐殺、大伐採、砂漠化、コンクリート化とかまあえげつない破壊を文明の進歩の名の下に当然のごとくやってきました。怨みに思っているのは梅原先生の掌で息絶えたムツゴロウだけでないでしょう。人間中心主義の身勝手な発想を無反省に続けていたら駄目だと梅原先生は心底から思っておられます。

ところで「一切衆生悉有仏性」と「草木国土悉皆成仏」という言葉とならんで、「山川草木悉有仏性」や「山川草木悉皆成仏」という言葉があります。これらの言葉は、天台本覚思想を再評価し、草木や山川も含めて仏性を持ち、成仏するとして尊重しようということで、仏教的な環境思想として1970年代からさかんに使われるようになったらしいのです。

岡田真美子さんの「東アジア環境思想としての悉有仏性論」によりますと、その用例を仏典や平安、鎌倉、室町の文献に求めても一つも出ていないというのです。

1986年に中曽根首相が「山川草木悉皆成仏」という言葉を施政方針演説で使って有名になったらしいのです。批判仏教で知られる袴谷憲昭さんによれば、その言葉は梅原猛先生が良く使われていたので、その影響ではないかという。それで岡田真美子さんは、ひょっとして梅原猛先生の造語ではないかという仮説を立てたのです。

そのことを夫の岡田行弘さんが新幹線で同乗した梅原先生に確かめたところ、先生は肯定したらしいのです。「山川草木悉有仏性」より「山川草木悉皆成仏」の方が訴える力が強いからという事情です。もっとも「山川草木悉有仏性」は誰がいつから使い始めたかは分からないらしいのですが。

草木国土悉皆成仏」は国という語があるために環境用語としては相応しくないでしょう、その点「山川草木悉皆成仏」という言葉は日本の風土にぴったりの表現のような気がしますね。もちろん言い出したら切がありません、清澄な空気や美しい海や湖、産土(うぶすな)の大地というものをもっとしっかり含んだ表現にできないかという注文もあるでしょう。

とも覚思想を現代の環境思想として蘇生させる用語として「山川草木悉皆成仏」という用語は大変いいですね。それがいつの間にか広がって、誰が言い始めたか分からなくなっていたというのは面白いですね。それが梅原猛先生だということでなるほどと思います、そこでじゃあ梅原先生のどの文献や講演が最初かは、梅原研究者が確定しなければならないのかもしれないですね。

☆岡田真美子さんの「東アジア環境思想としての悉有仏性論」の感想として書いたものです。
http://www.indranet.jp/products/2002.11.16shituubussyouron.pdf

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「自然災害の猛威と宗教者の役割~3.11大震災と原発事故への反省と実践~」

http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/a28ece05dab3cb3e15d906be644b76cc

2012-08-27 09:17:04

比叡山宗教サミット25周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」(2012年8月3日~4日)

「自然災害の猛威と宗教者の役割~3.11大震災と原発事故への反省と実践~」

マイケル・イップグレイブ(英国教会ウーリッジ教区主教)

今日、私は三つのことをお話しします。昨年の東日本大震災と津波、及びその後の福島第一原子力発電所の危機が引き起こした人々の反応について話します。そして、このような状況で求められている宗教的リーダーシップの諸相について話します。しかしまず、その前提となる世界理解について手短にお話ししましょう。

私は、クリスチャンとして、世界は全ての人々を育み、安心して住める家として神さまによって創造されていると信じています。私たちは創造の秩序を尊重する責任ある生き方をすることで繁栄することができます。このビジョンが私たちの前に置かれた理想であり、私たちが目指すべきゴールです。それは現在私たちが生きている世界では実現されていません。しかし、イエス・キリストにおいて、平和と正義と調和の御国が訪れ、そこで全ての人々が真に我が家と感じられるようになるという確かな約束があります。キリスト教的な言葉遣いをしましたが、安全に生きることのできる全ての人のための家という世界のビジョンは、他の宗教の教えとも響き合うものです。俳人松尾芭蕉が津波に遭った地域のただ中にある松島湾を描写するのに用いた言葉が思い出されます。「松島湾には無数の島々がある。…まるで子や孫を可愛がっているかように、他の島々を背負っている島があり、他の島々を腕にかき抱いている島がある」と。芭蕉は、自然環境を育み守る家として、人間を語るようにして語っています。

※「島々の数をつくして欹つものは天を指し、ふすものは波にはらばふ。あるは二重にかさなり三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負へるあり、抱けるあり児孫を愛するがごとし。」(『奥の細道』)

人々はこの自然災害とエネルギー危機にどのように応じてきたでしょうか。それは三重のもの、苦しみの経験、反省の動き、そして家を失ったという根底にある感覚から成るものでした。

人々は苦しんできました。現在もその苦しみは続いています。住んでいた場所を破壊されたことによって直接的に。また原発事故によって間接的に。過剰に放射能を被爆することで被った身体的な被害の程度を私たちはまだ知りません。さらに、私たちは、今回の災害や、将来また起こるかもしれない災害がもたらす、相当な精神的な苦痛や心の痛みのことも考えなければなりません。今回の災害は、自然災害と人的災害が結びついた恐ろしいものでした。将来が見えないことや専門的な知識が不足していることで、被害はさらに大きくなっています。この凄まじい状況下に置かれながら普通の日本人が示した勇気、品位それに団結力は、世界中の人々に深く感銘を与えてきました。

第二に、今回の災害の原因とその重大性を反省する動きがあり、それは次第に大きくなっています。これは、心に大きな傷を残す出来事に対して自然にわき起こる反応であって、それぞれのケースで異なった形をとるものです。「純粋なる自然の」災害が発生すると、西欧では「神はどうしてこのようなことが起こることをお許しになられたのか?」という神学的ないしは哲学的な問いが問われます。しかし、今回の場合は、自然災害と人為災害の区別をつけることは容易ではありません。そのため、反省のプロセスは抗議や追及の様相を帯びてきました。会社側の不十分な対応について、原子力発電所を設置した場所について、原子力の利用そのものに対して、私たちの社会におけるエネルギー消費の程度に対して、疑問が投げかけられるようになりました。福島第一原子力発電所の事故がこうした疑問を引き起こしているのは、日本においてだけではありません。

苦痛と不安の経験や追及と抗議の動きの根底には、家を奪われたという感覚が深いところにあると、私は思います。松尾芭蕉の詩的な描写とは対照的に、被害に遭った人たちは、もはや環境を心から「我が家」と呼ぶことができるものとは感じられなくなっています。私たちを喜んで迎え入れ、育んでくれる場所、安心感と意味を与えてくれる場所とは感じられなくなっています。自分を自分の場所と編み合わせる所属の絆を引き裂いたのは人間の行いだと考えられています。この家の喪失の感覚が、洋の東西を問わず、今、私たちの文化の中で増大しています。それは、殊に原子力の問題について、また広くエネルギー利用の諸問題について、関心を集中させています。

人々がこのように応答している中、宗教指導者の役割は何でしょうか。キリスト教の指導者は、イエス・キリストを手本とします。イエスの働きは、伝統的に、預言者、祭司、そして王の「三重の職務」として説明されます。イエスは、祭司として、悩み苦しむ人々に手を差し伸べます。預言者として、社会に真実を伝えます。そして、王として、この世界が神の御国に作りかえられることを示します。このことから、福島に見ているような危機に取り組む全ての宗教指導者に意味を持つ三重の責任を考えることができるでしょう。

苦しんでいる人たちに手を差し伸べ、住む場所を失った人々に住まいを提供し、亡くなられた方々のために祈り、不安を抱える人々を力づけ、社会で最も弱い立場に置かれている人々~例えば、高齢者、精神的な問題を抱えている方、少数者~を特別に気遣う、祭司的役割があります。エネルギー問題が重大なものになるほど、社会の周縁にいる人々の苦しみはますます大きくなるでしょう。彼らを助け、慰めることは我々の仕事です。宗教団体の役割は、昨年の大災害に対する諸宗教団体の数多の働きの内に大いに示されました。

次に、預言者的な役割があります。自然界に於ける人間の立場を我々の社会に思い起こさせ、それを通してエネルギー政策を問うことです。こうした問題は、場所が異なれば、異なるものです。日本での原子力の問題は、イギリスでの問題とは異なります。しかし、どんな状況でも、私たちは、普段何気なく想定していること、期待していること、そして生活の仕方に対して疑問を投げかける必要があります。そうした問いかけをすることは、社会にとっても私たち自身にとっても心地よいものではないでしょう。

クリスチャンにとって神の国の約束は未来への希望を語るものです。どんな宗教も希望を与える力を持っており、それを分かち合うことができます。自然災害や人為災害に揺さぶられ、地球規模のエネルギー危機に直面し、人々はこの世界で家を失ったと感じています。宗教指導者として、私たちには人々に希望のビジョンを示す役割があります。世界は、私たち全てを育み、守る、本当の意味での家なのです。

真野 玄範 今夏、カンタベリー大主教の名代として比叡山宗教サミットに来られたマイケル・イップグレイブ師父のスピーチです。教区(管区?)から英文と和訳が送られてきたのですが、訳にいろいろと問題があったので、長坂聖マリヤ教会で配布するにあたってほとんど訳し直すことになってしまいました。

基本的で、かつ洞察と示唆に富む言葉で簡潔に語られています。是非お読みください。


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http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/2012_0803.htm

比叡山宗教サミット25周年
8/3~4

  2012年8月3・4両日、京都洛北宝ヶ池の国立京都国際会館と比叡山頂の延暦寺根本中堂前広場を会場に、比叡山宗教サミット25周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」が、内外から千名余の宗教者を集めて開催された。

開会式でスピーチを行う三宅善信代表
サウジアラビア宗教大臣のメッセージを代読する
同国宗教省大臣顧問のアブドル・アルヒーダン博士
 
1986年10月、時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の呼びかけにより実現した「アッシジ世界平和祈りの集会」の精神を受けて、翌1987年8月、山田恵諦天台座主(当時)の提唱で第1回の比叡山宗教サミットが開催された。爾来、年を重ねて昨年10月「アッシジ世界平和祈りの集会25周年記念行事」がイタリアで開催されたのと同様、今夏、「比叡山宗教サミット25周年記念行事」として開催された。

旧知のアルヒーダン博士と意見を交換する三宅善信代表
旧知のアルヒーダン博士と意見を交換する三宅善信代表
 
8月3日、国立京都国際会館で開催された今回の比叡山宗教サミット25周年記念行事は、世界仏教徒連盟会長(代読)やローマ教皇(代読)やサウジアラビア宗教大臣(代読)らがそれぞれメッセージを寄せた「式典」に引き続き、昨年3月11日、未曾有の被害を出した東日本大震災を受けて、『自然災害の猛威と宗教者の役割――3.11大震災と原発事故への反省と実践――』と題して、哲学者の梅原猛氏が基調講演を行い、各国の宗教指導者がそれぞれの教義に基づいて、自然観や救済観について議論を交えた。なお、アサド独裁政権に対する国民の反発から内戦状態になっているシリア正教会のアレッポ大主教のマール・グレゴリオス・イブラヒム師から「緊急声明」が発表された。
シリア正教会のイブラヒム大主教と三宅善信代表は、昨年もボルドーのG8宗教指導者サミットやアッシジの祈りで同席している
シリア正教会のイブラヒム大主教と三宅善信代表は、
昨年もボルドーのG8宗教指導者サミットやアッシジの祈りで同席している
 
同日の晩には、国際会館に隣接するグランドプリンスホテル京都を会場に歓迎レセプションが開催された。また、翌4日の午前中にも、国際会館を会場に『原発事故が提起したエネルギー問題と宗教者の立場』をテーマにフォーラムが開催された。

内外の宗教指導者を代表して、神習教教主の芳村正徳日本宗教連盟理事長が『比叡山メッセージ2012』を発表した
内外の宗教指導者を代表して、
神習教教主の芳村正徳日本宗教連盟理事長が
『比叡山メッセージ2012』を発表した
 
4日の午後には、会場を滋賀県大津市の比叡山頂の延暦寺根本中堂前広場に移し、特設ステージ上での少年少女たちによる献花に続いて、内外の宗教代表者が登壇して「平和の祈り」が行われ、全山に「平和の鐘」の音が響き渡たり、『比叡山メッセージ2012』が発表された。なお、三宅善信代表は、第1回比叡山宗教サミット以来、日本にいる限りほぼ毎年、この行事に列席している。


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有馬哲夫  原発・正力・CIA

松岡正剛の千夜千冊

1434夜

2011年10月14日

http://1000ya.isis.ne.jp/1434.html

有馬哲夫

原発・正力・CIA

新潮新書 2008
ISBN:4106102498
編集:後藤裕二 装幀:新潮社装幀室

原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史 (新潮新書)

イミシンなタイトルである。

日本の原子力利用と原発導入にあたって、

正力松太郎とCIAが

利害を一致させて動いたというのだ。

いや、それだけではなかった。

そこにはもっと複雑な戦後が政官財絡ませながら、

60年安保に向かって蠢いていた。

それにしても正力は、

なぜ初代原子力委員長になれたのか。

そしてなぜ科学技術庁長官と

国家公安委員長を兼任できたのか。


いま、日本政府はTPP(環太平洋経済連携協定)に参画するかどうか、土壇場の選択を迫られている。農産破壊や医療破壊がおこると反対する向きも多い。民主党の中も半数近い議員が反対署名をしたらしい。

とりあえずはEPA(経済連携協定)にどう対処するかを議論してから決めようというのだが、選択を迫られているといってもAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で意志表明をするのかどうか、そのリミットをオバマに区切られただけで、こんな時期に準備なく拙速に走ることはないのだが(もっと早くから組み立てておけばよかったが)、どうもそういう雰囲気にない。

似たようなことはしばしばおこっている。沖縄普天間基地の辺野古移転でもミスジャッジしてしまったし、ごく最近の暴力団排除条例もアメリカの意向やオバマの発言が反映していた。

しかし国が何をどのように決定するかという問題は、なかなか一筋縄では組み上がらない。一気呵成に進めるべきこともあれば、慎重に組み立てていく必要もある。歴史を見ればたちまちわかることであるが、意外なキーパーソンや協力者の登場によって決まることもある。

戦後社会では、とくにアメリカとの駆け引きでどんなカードを用意しているかによって、事態が二転三転していった。日本が原発開発を決定していった経緯にも、このことが如実だった。

本書に書いてあることがすべて事実であるかどうか、ぼくにはわからない。この手の多くはしばしば“陰謀史観”と言われてしまいかねないのだが、著者のこれまでの研究実績や、ここで述べられている事実追跡の細部性からみて、ほぼこのようなことがあったのだろうと思えた。著者は早稲田大学社会科学部のメディア論の教授で、ぼくより8年ほど若い同窓生にあたる。

本書が暴いたのは、日本が原子力発電所の開発に向かったについては、そこに正力松太郎の野望とアメリカ、とりわけCIAの要求と仕掛けとの少なからぬ合致があったということである。これらのことを有馬はアメリカ国立第二公文書館などの「CIA文書」を首っ引きで読み解くことで“実証”した。

念のために先に言っておくが、正力松太郎の野望は最初は原発にあったのではなかった。「マイクロ波通信網の建設」と「太平洋ネットワークの確立」にあり、そのために政治権力のトップの座にのぼりつめる必要があっただけだった。ところが理由はあとで説明するが、事情がいろいろ捩れて、これが原発開発プロジェクトの旗振り役に一転していった。

一方、アメリカの要求と仕掛けは、日本に親米政権をつくること、反共産主義の基盤を盤石にさせること、そのために正力を利用することだった。アメリカは日本に原子力エネルギーの研究や開発を用意させる気はなかった。そんなことを促進させれば、日本は被爆国でありつつ原爆を保有する国になり、たちまち一流国になる。それはアメリカのすぐ選ぶところではない。けれども、ここにまた別の幾つかの捩れが生じて、これが正力の原子力活用シナリオの導入につながっていった。

そういうふうになっていったのには、これらがおこった時期が重要になる。以上の一連の出来事は、日本が1955年の保守合同に向かっていこうとしていた時期であり、続いては1960年の新安保条約が締結されていく時期での出来事なのである。

以下、事態進行の概略を一応の順を追って書いておくが、正力松太郎がどんな前半生を歩んだかということについては、佐野眞一『巨怪伝』(769夜)のときにあらかた紹介しておいたので、ここでは省く。


正力松太郎
 
1945年8月、広島と長崎にアメリカが開発した原爆が投下された。アメリカは自粛するどころか、この技術を独占するため、1946年8月、原子力法(マクマオン原子力法)を制定した。これは原子力に関する知識や技術の国外流出を防ぐ立法だった。

ところが1949年8月、ソ連が原爆実験に成功した。このためトルーマン大統領は原子力法派の反対を押し切って、翌年1月に水爆開発を指令してソ連に対する軍事的優位をゼッタイ獲得することをめざし、1952年11月エニウェトク環礁で水爆実験に成功した。けれどもソ連はまたまたその水爆の実験にも成功した。原爆開発のときは4年がかかったのに、水爆では9カ月でソ連が追いついてきた。

驚いたアメリカは(かなり驚いた)、やむなくむマクマオンの原子力法の方針を転換した。きっと機密漏洩がおこっているか、共産圏のスパイが活動しているにちがいないと見たジョゼフ・マッカーシー上院議員は“レッドパージ”(赤狩り)の強硬をまくしたてた。

他方、まるでこれに呼応するかのように、アイゼンハワー大統領は1953年12月の国連総会で有名な「アトムズ・フォー・ピース」(原子力の平和利用)の演説をおこなった。核兵器の開発競争が世界平和の脅威になっているため、アメリカは原子力の平和利用を各国に呼びかけ、そのための共同開発を援助する用意があるというものだ。この提案を実現するための国際原子力機関を設置することも提案された(これがのちのIAEA)。

アメリカの意図はあきからだ。もはやソ連に先んじて原子力の軍事利用のカードを独占することは不可能だろうし、これ以上原爆・水爆の開発ばかりを進めると、アメリカは平和破壊のシンボルにされかねない。方針転換しつつ、そのかわりソ連圏の封じ込めを狙ったのだ。当然、このアメリカのシナリオでは日本にも一翼担わせたい。

敗戦後の日本は連合軍にすっかり占領されていた。SCAP(連合国軍最高司令官体制)のもと、マッカーサーGHQが“民主化”を徹底させていた。その渦中、国内では戦後復興をめざして、ありとあらゆる計画と再編と駆け引きと競争がおこっていた。

占領下の日本にとって、1949年10月に中華人民共和国が成立したことと、1950年6月に朝鮮戦争が勃発したこと、同7月に日本でも“赤狩り”が始まったことが大きかった。2・1ゼネストは中止され、下山事件・三鷹事件・松川事件などが仕組まれた。松本清張(289夜)がことごとく暴いたことである。

そうしたなか、マッカーサーは国家警察予備隊の創設と海上保安庁の拡充を指令した。51年9月にはサンフランシスコ条約と日米安全保障条約が調印締結された。全面講和ではなく、単独講和だった。単独講和にすぎなかったことが大問題で、このことがその後の日本の行方を決定づけたのだが、GHQのほうはこれで日本の兵器製造を緩和し、そのまま52年の保安隊の発足へ、54年の自衛隊の発足へと押し切っていった。

当時、日本の政権は吉田茂の日本自由党が握っていた。自由党はもともとは鳩山一郎が辻嘉六や児玉誉士夫の資金を得て敗戦直後に立ち上げたものだったのだが、鳩山は組閣直前に公職追放で表舞台から去った。鳩山の番頭格の三木武吉、河野一郎、石橋湛山も公職追放を受けた。
鳩山がもたついているあいだに、吉田は地歩を築いた。アメリカの評判も悪くない。戦争末期に吉田が近衛文麿・牧野伸顕らと組織した「ヨハンセン・グループ」の連絡役を務めていたことは、GHQやアメリカにも都合がよかったのだ。

51年に公職追放は解除されたが、吉田は鳩山に政権を渡そうとはしなかった。鳩山は離党と復党をくりかえしつつ、日本民主党の結成に向かった。この吉田と鳩山のシーソーゲームを睨んでいたのが読売新聞グループの総帥・正力松太郎だった。

正力は「マイクロ波通信網」を構想していた。マイクロ波は第二次世界大戦中にレーダー開発によって注目され、その後は音声・映像・文字・静止画像などの大量情報を高品質で伝送できるため、放送と通信の両方に用いることが可能そうだった。正力はこの通信網を全国に張って、ラジオ・テレビ・ファクシミリ・データ放送・警察無線・列車通信・自動車通信・長距離電話などの多重サービスを一手に握ろうと考えていた。1953年8月、正力は日本テレビを開局するが、その名称が「日本テレビ放送網株式会社」であったのは、この通信網構想を反映していた。
アメリカは正力のマイクロ波構想に賛成した。正力は折り紙付きの反共主義者だったし(もともと警視庁のボスだった→769夜参照)、正力の放送通信網ができれば、これを利用して日本に対する情報作戦や心理作戦がやりやすくなる。アメリカは正力の構想に100万ドルの借款を与える約束をした。
正力は心情的には鳩山に加担していたが、吉田にはマイクロ波構想を実現させたいと考えていた。しかし吉田はこの構想に反対する。のみならず、アメリカの100万ドル借款を崩すため、当時の電電公社総裁の梶井剛のほうに4年間100億円の借款を外国銀行に申し込むように指示した。公衆電気通信法によって電気通信事業は電電公社の独占になっていたから、公社が借款を獲得すれば、正力の借款に政府承認を与える理由がなくなるからだ。

吉田はアメリカの都合ばかりで日本が再軍備をすることには反対で、それなりの抵抗をしていたのである。そこからすると、正力の構想はアメリカが日本に要求する再軍備、とくに航空兵力の拡充と密接に結びつきすぎる。なんとか正力の野望を阻止しておかなければならない。

そんな折りの1953年9月、怪文書がばらまかれた。「正力は100万ドルの借款を売るためにアメリカ国防総省と密約を結んだ、これは国民のための通信インフラを外国に売り渡すことになる」というものだ。

怪文書は衆議院の委員会でもとりあげられ、正力はこれ以上の無理押しができなくなった。著者はこの怪文書は吉田が流したものだと見ている。アメリカも正力だけに頼ることに限界を感じて、駐留軍用のマイクロ波通信回線の建設と保守を電電公社に委託することにした(日本の電電体制もアメリカの意向を反映したわけなのである)。

ここで鳩山が動いた。正力を自陣営にとりこみ、読売新聞を使って打倒吉田キャンペーンを張ろうというものだ。鳩山は正力がこのことに協力してくれれば、鳩山が内閣をつくることになったときに“大臣の椅子”を用意すると言ったにちがいない。

発行部数は群を抜いていたが、正力の読売にとって永遠のライバルは朝日新聞である。しかも朝日には主筆に緒方竹虎(575夜)がいた。

緒方はやがて副社長で退社すると、東久邇宮内閣の書記官長をへて、吉田内閣では官房長官になっていた。このままでは自由党総裁にのぼりつめそうだった。ここはなんとしても鳩山と組んで吉田と緒方を打倒し、そのうえでアメリカとの連携をひそかに強め、ひいては朝日を睥睨したい。
新たなカードは53年12月のアイゼンハウアーの「アトムズ・フォー・ピース」に隠されたシナリオあった。マイクロ波構想を挫折させられたのなら、この新たな原子力シナリオの力を借り、勢いをつけたい。

すでにアメリカは年末ぎりぎりになってオネストジョンを沖縄に配置していた。地対地の核ミサイルである。さらに明けて54年1月、国務省が「原子力発電の経済性」という秘密文書を送り付けてきた。ジェネラル・ダイナミックス社が建造した原子力潜水艦ノーチラス号がコネティカット州グロートンで、2万人が見守る派手な式典のもとで進水したのはその直後のことだった(搭載原子炉はウェスティングハウス社製)。社長のジョン・ホプキンスはその後も日米の原子力折衝の黒幕になっていく。

正力は54年正月から読売新聞で大キャンペーン「ついに太陽をとらえた」を連載させると、3月の「原子力予算案」の可決に向けた準備に目を輝かせていた。日本の電源不足を補うために、吉田が7年越しの交渉のうえ、やっとアメリカの輸出入銀行から総額4200万ドルの借款を得たのだが(GEとウェスティングハウスが保証した)、これではとうていまにあいそうもなかったからだ。水力発電、火力発電に次ぐ“第三の火”としての原子力発電が必要なのである。


ノーチラス号の進水式
 
3つのグループが原子力発電に向かって作動していた。学者グループ、産業グループ、政界グループだ。

学者グループの中心は仁科芳雄である。本書にはあまりふれられていないけれど、仁科は理化学研究所(理研)に所属していて、戦時中に当時の大河内正敏所長から原爆の実現可能性についての研究を指令され(その指令の大元は陸軍航空技術研究所の安田武雄所長)、いわゆる「ニ号研究」に携わっていた。原爆製造としてはまことにお粗末な研究だった。ちなみに海軍にも「F研究」という原爆研究があって、これは京都帝国大学の荒勝文策の原子核実験が中心になっていたが、研究途上で敗戦によって潰えた。

戦後の仁科に研究の再開を促したのはGHQのハリー・ケリーだった(ケリーは「戦後日本の科学復興の恩人とみなされることがある)。そこへマンハンタッン計画の首脳の一人だったアーネスト・ローレンスが来日して実験核物理研究の背中を押した。ローレンス放射線研究所にいた東大の嵯峨根遼吉があいだをつないだ(日本の核物理学研究の発展にはアメリカのカードが次々に提示されていたのだ)。

産業グループの中心は電力事業業界である。のちの電力9社がこの主役を担ったのだが、それら電力事業各社が原子力発電にとりくむことになったのは、もともとは1939年に国策会社として発足した日本発送電株式会社(日発)が、戦後に設置した電力技術研究所を改編して、51年11月に電力中央研究所が誕生したことが大きかった。その傘下の電力経済研究所は、さっそく52年に新エネルギー委員会をつくって、ここで最初の本格的な原子力研究開発の下地ができた。
3つ目の政治家グループの中心は中曽根康弘(当時は改進党)と稲葉修(のちに法相となる)・斎藤憲三(のちにTDKを創業する)・川崎秀二・松前重義たちだった。

とくに中曽根は53年7月から11月までハーバード大学の国際問題研究会に出席するためアメリカ滞在をして、すっかり原子力のとりこになっていた。このとき中曽根の世話をしたのはハーバード助教授だったヘンリー・キッシンジャーである。日本の再軍備と原子力が中曽根のアタマの中ではっきり結び付いた瞬間だったろう。大井篤(元海軍大佐)をアメリカに呼んだ中曽根は、しきりに軍事施設の説明案内をさせた。大井はGHQ参謀第二部(通称G2)のウィロビーと昵懇だった。
54年3月1日、アメリカのビキニ環礁での水爆実験によって近くでマグロ漁業をしていた第五福竜丸が「死の灰」で被災した(まもなく乗組員二人が亡くなった)。杉並区の住民が立ち上がると、ここに全国的な原水爆反対運動が盛り上がっていった。日本の原発議論に、4つ目のグループ、原水禁グループが加わったのである。

第五福竜丸事件と原水禁運動の高揚はアメリカを苦らせた。国会でも「核の持ち込み」をめぐる議論が沸騰し、穂積七郎や中田吉雄が事前協議の必要性をアメリカに談判するべきだと問うた。

伏見康治をリーダーとする日本学術会議も検討に乗り出し、「核兵器研究の拒否と原子力研究の三原則」を策定した。このままでは反米運動がおこりかねない。ホプキンスはさっそく「原子力のマーシャル・プラン」を提唱して、アメリカが開発途上国に対して原子炉を与える用意があることを示した。

稲葉・中曽根らの政治家グループはここで攻勢に出る。54年5月に原子力利用準備調査会を立ち上げると(副総理が会長、経済企画庁が事務局)、一挙に原子力予算をとる段取りを練った。
かくてようやく、このあたりから日米の原子炉推進派の利害が一致するようになっていく。正力は54年8月に新宿伊勢丹ですばやく「だれにでもわかる原子力」展を催させ、会場に被爆した第五福竜丸を展示するという離れ業をやってのけた。

正力の腹心である柴田秀利(のちの日本テレビ専務)は、東京某所(寿司屋「源」らしい)でCIA局員と何度か会って、正力の原子力作戦に協力してほしい旨を頼みこんでいた。このCIA局員はダニエル・スタンレー・ワトスンという人物で、佐野眞一の『巨怪伝』にも柴田とともに出てくる。

二人のあいだには、①現在の政権政党が混乱と分裂を続けているのは、親米保守を日本が続けていくうえで危険であること、②このままでは共産主義者が反原子力を反米プロパガンダにしていくだろうこと、③その隙にソ連が台頭してくるだろうこと、④これらを防ぐには早々にホプキンスなどの原子力専門家が来日すべきであること、⑤読売グループこれらの来日を大きく喧伝できるだろうことなどが交わされた。

だいたいこんなふうな駆け引きのなか、アメリカでは「D-27計画」という対日心理作戦のあらかたが出来上がり、正力は日本の原子力平和利用の盟主として確固たる地位を獲得したのである。どうやらアメリカの日本洗脳と正力の野望が重なっていったのだ。

政界の表舞台に出る準備も整ってきた。こうして54年3月に衆議院本会議を通過した原子力予算案にもとづき(原子炉築造予算2億3500万円)、“堂々たる原子力計画”が船出をした。折よく12月には鳩山念願の民主党政権が誕生していた。

1955年に入ると、事態は次々に「原発日本」に向かって進み始めた。アメリカは井口駐米大使に原子力要員の訓練と濃縮ウランの提供をちらつかせ、日本テレビは「原子力の平和利用」や映画『原子未来戦』を放映し、正力は衆議院議員に打って出て初当選をはたした。

そこへアメリカの原子力平和利用使節団(ホプキンス・ミッション)がやってきて、各地で原子力賛歌の講演会やイベントなどが打ち続くと、もう事態はとまらない。日米原子力協定が仮調印され、アメリカからの濃縮ウラン受け入れも決定された。

しかし政権が不安定すぎた。55年2月の総選挙では鳩山の民主党は第一党になったものの、過半数には達しない。自由党の総議席数ともそれほどの差がつかない。社会党も右派と左派に分かれていたが、両派がまとまってこれに共産党が加われば民主党の議席を上回る。民主党・自由党・革新野党が三すくみなのだ。これでは政権は安定しない。日本の発展もない。こうしたなか自由党と民主党を合体させて、巨大な保守政党をつくろうとする動きが水面下で活発になってきた。

正力はただちに動いた。5月17日、高輪の料亭「志保原」で自由党総務会長の大野伴睦と民主党総務会長の三木武吉を会談させ、保守大合同の第一歩を踏み出せたのだ。正力は大野と三木に2000万円の軍資金を渡した(実際にはそれ以前にアラビア石油の山下太郎が二人を密会させていたという説もあるし、そこに藤山愛一郎が加わっていたという説もある)。

こうなると正力に擦りよる者も出る。揉み手をする者もアトをたたない。その一人、民主党の大麻唯男が正力に近づいて、保守大合同が成就した暁には、正力を総理にすることを約束した。この“密約”のことはCIA文書の中であきらかにされている。

11月15日、民主党と自由党は解党し、自由民主党という巨大保守党が誕生した。しかし、正力は総理にはなれなかった。いや、誰もこの日には総裁になってはいない。幹事長の岸信介と総務会長の石井光次郎は総選挙をしたのちの総裁選びに転じたからだ。

とはいえ正力に総理の椅子に座るチャンスがなくなったわけではなかった。先送りされただけだ。そう見た正力は引き続いて原子力カードを総裁レースの切り札にしようと、アメリカ相手に工作を重ねていった。CIAはこうした正力を「ポダム」の暗号で、当時の正力の“おねだり”の大半を文書に残していた。それによると、アメリカは正力の“死に物狂い”に呆れ始めたのだ。「正力は利にさとく、食えない奴だ」ということになっていったのである。


来日した原子力平和利用使節団

(右端がウェルシュ、その左がホプキンス)を出迎える正力(左端)
正力は総理大臣にはなれなかったものの、55年年末に原子力三法(原子力基本法・原子力委員会設置法・総理府設置法)が可決されると、明けた56年1月1日に総理府に原子力委員会が発足し、そこで初代の原子力委員長に就任した。1月5日に第1回の原子力委員会で、正力は「5年以内に採算のとれる原子力発電所を建設したい」とぶち上げた。

産業界にも拍車がかかった。最初に走り出したのは三菱原子動力委員会で、旧三菱財閥系23社がずらりと顔を揃えた。ついで日立と昭和電工による16社の東京原子力産業懇談会が発足し、住友系14社の住友原子力委員会が、56年6月には東芝など三井系37社の日本原子力事業会がつくられた。

原発はまさに挙国一致体制によって発進することになったのである。その頂点に正力松太郎がいた。日本原子力研究所の敷地として東海村が決定すると、その鍬入れをしたのは正力だった。かくて1960年1月16日、東海村の原子炉建設が着工した。その3日後、新日米安全保障条約(60年安保)がアメリカで調印された。

本書はこのあとの正力の変転をさらに描き出しているのだが(たとえば原子炉開発のパートナーをアメリカからイギリスに乗り換えしようとしたことなど)、またアメリカとの複雑怪奇な駆け引きの裏面史を浮き彫りにしているのだが、実際には正力は“原子力の父”の誉れを得たのちは、しだいに“メディア王”のほうに戻っていくことになる。

では、その後の原発開発はどうなっていったのかということは、本書よりも、吉岡斉の『原子力の社会史』(朝日選書)や武田徹の『私たちはこうして原発大国を選んだ』(中公新書ラクレ)のほうが詳しい。いずれも3・11以降に新版が出ている。


東海村で鍬入れをする正力(1956年8日)
 
新潮新書249
『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史』
著者:有馬哲夫
2008年2月20日 発行
発行者:佐藤隆信
発行所:株式会社新潮社
【目次情報】
プロローグ 連鎖反応
第一章 なぜ正力が原子力だったのか
メディア王と原子力発電/正力マイクロ構想/政界進出を決心させたもの/
テレビ人脈と原子力
第二章 政治カードとしての原子力
アトムズ・フォー・ピース/アメリカの狙い、日本の思惑/軍産複合体/
流れを変えた第五福竜丸事件/正力は原子力カードを握った
第三章 
sis.ne.jp/1434.html
正力とCIAの同床異夢
寿司屋での会談/親米世論の形成/却下された正力の計画/
讀賣の大キャンペーン柴田の狙いは/保守大合同工作
第四章 博覧会で世論を変えよ
再び正力マイクロ構想/幻に終った訪米/CIAの協力体制/
博覧会で世論を転換
第五章 動力炉で総理の椅子を引き寄せろ
アメリカから見た保守合同/死に物狂いの正力、突き放すCIA/
科学プロパガンダ映画『わが友原子力』
第六章 ついに対決した正力とCIA
総理の椅子に肉薄/東海村の選定/原子力朝貢外交/ついにCIAと決別/
訪英視察団で衝動買いを止めろ/ソ連から動力炉を入手していいのか/
大野派買収計画/閣外に去る
第七章 政界の孤児、テレビに帰る
石橋政権は短命に/政界の孤児となる/ジェット戦闘機とディズニー/
とどめを刺したイギリスの免責条項/東京ディズニーランドへの道
第八章 ニュー・メディアとCIA
足長おじさんを誰にするのか/衛星放送の父になり損なう
エピローグ 連鎖の果てに
あとがき
本書のソース
年表

【著者情報】
有馬哲夫[ありま てつお]
1953年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。93年ミズーリ大学客員教授。現在、早稲田大学社会学部・大学院社会科学研究科教授(メディア論)。著書に『中傷と陰謀』『日本テレビとCIA』など。

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Keep San Onofre Shut Down

原発反対の味方や仲間を増やそう。


chibarei ♥NO NUCLEAR
chibarei ♥NO NUCLEAR‏@CHIBAREI_DURGA4月26日
RT @matuoka7ocean #CHIBAREI No more Fukushima Nuclear Disaster: Remember Chernobyl. 26. April 1986: http://youtu.be/-260nNVOrCI #nonukes


Gary Headrick
Gary Headrick‏@SCGreenGH5月6日
@CHIBAREI_DURGA @matuoka7ocean Pls RT to help prevent another nuclear disaster, http://t.co/yaXJOMBhJU

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Keep San Onofre Shut Down

http://www.ipetitions.com/petition/keep-san-onofre-shut-down/

The Petition

Your signature on this Petition (and vote on the poll below) will send a message, loud and clear to the U.S. NRC and our elected representatives to NOT allow a reckless restart of the defective San Onofre nuclear reactor.
......................................................................



190303045790643.jpg?r=0.6982825817540288

Edison proposes to restart a defective nuclear reactor as early as June 1st.

Without fixing the problem first, SC Edison admits that the reactor could not run safely for more than 11 months at 100%; but says it can run at 70% power for 5 months. If this proposed experiment fails, we won't know until radiation releases from containment out into the environment again. This time, a cascading event with thousands of already weakened tubes could rupture.There is no way to anticipate a rupture when it is under power, and if that happens, it will be too late. Southern California could become a vast wasteland.


Edison's proposition

is completely unacceptable!


 
“There is a growing consensus from cities in the Southland that Edison’s restart plan amounts to a dangerous experiment that gambles with the safety

of millions of Southern Californians,” said S. David Freeman, former head of the Los Angeles

Department of Water and Power".


There have been no blackouts for the 15 months since it was shut down for leaking radiation.

Grid operators say we will have surplus energy without San Onofre on line.

We simply don't need it.

Yet Edison expects us to risk our beautiful and diverse ecosystem, the value of our homes and businesses and our health and well being -


all for Edison's profit.

We strongly oppose such an irresponsible action and will stand together to prevent a terrible nuclear disaster in California.

Vote YES on this POLL to
Keep San Onofre Shut Down
(Friends of the Earth just notified us that Edison has put this poll out to their entire Nuclear Advocacy Network and we are getting hammered!)
 

CLICK HERE

to see this important 4 minute video with experts explaining why a restart is so risky.

588080681161955.jpg?r=0.560334918089211

After signing, you will end up on a page asking for a donation to I-Petitions, (not to our cause). That is great if you choose to do so, but we want you to understand that this is entirely optional. You can close the window at that point and you will still be entered on the petition without making a donation.


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Video
http://abcnews.go.com/GMA/video/radiation-leak-california-nuclear-power-plant-15496213

Radiation Leak at California Nuclear Power Plant




Officials contained a potentially dangerous leak at the San Onofre plant.
01:55 | 02/02/2012
 
 
Related Links:


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