2014年5月28日水曜日

福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか‬(詳細解説)

福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか‬(詳細解説)  



2011/10/28 にアップロード
TeamH2O発表「福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか」における大前研一、柴­田巌両氏による詳細解説となります。

解説で用いた詳細資料は以下のURLからダウンロード可能です。
http://pr.bbt757.com/



福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか (中間報告)2011年10月28日
http://pr.bbt757.com/pdf/interimrepo_111028.pdf


福島第一原子力発電所事故から何を学ぶか (最終報告)2011年12月21日
http://pr.bbt757.com/pdf/conclusion_111227.pdf


福島第一原子力発電所における津波の調査結果、再現計算結果
http://www.nsr.go.jp/archive/nisa/earthquake/houkoku7/siryou06.pdf



ショート論評 久しぶりの硬骨裁判官 / 武田 邦彦 [ 2014.05.22 ]  



2014/05/21 に公開
中部大学教授・武田邦彦さんのブログ音声をご紹介します
( ご本人のご厚意により、引用が認められています )
 
武田邦彦さんのサイト [ http://takedanet.com ]
 
・ ショート論評 久しぶりの硬骨裁判官
2014/05/22 [ http://youtu.be/j09LwkFhvRA ]
 
【お知らせ(重要)】 現在、STARS LIFE ☆ YouTube [ http://www.youtube.com/starslife2011 ] から、チャンネル移転中ですが、移転先のURLが [ http://www.youtube.com/channelk2014 ] に変更となりました。今後は、STARS LIFE ☆ YouTube のサブチャンネルとして、独自の動画を発信します。両方のチャンネル登録をお願いしま­­す。 [ 2014年04月25日 / 清瀬 航輝 ]
 
関連語句 [ 武田 邦彦 , 中部大学教授 , 甲状腺ガン , 甲状腺癌 , 甲状腺がん , 食材汚染 , ICRP , 脱原発 , 反原発 , 再稼働反対 , 大飯原発 . 反原発デモ , 脱原発デモ , 首相官邸前 , 官邸前デモ , 官邸前抗議活動 , 首都圏反原発連合 , 反原連 , 安倍 晋三 , 安倍首相 , 安倍総理 , 核武装 , 自民党 , 自由民主党 , 秘密保護法 , 福島県 , ふくしま , 福島第一原発 , 原発事故 , 福島原発事故 , 原子力発電所 , 放射能 , 放射線 , プルサーマル発電 , 核燃料サイクル , もんじゅ , 大飯原発 , 関西電力 , 東京電力 , 関電 , 東電 , 東日本大震災 , 東北大震災 , 震災 , 地震 , 津波 , 復興 , 震災復興 , 自然エネルギー , 再生可能エネルギー , 太陽光発電 , 石油 , 天然ガス , シェールガス , メタンハイドレード , 経産省 , 経済産業省 , 電事連 , 電気事業連合会 , 原子力村 , 原発村 , 原子力マフィア , マスコミ , ジャーナリズム , ジャーナリスト , 報道関係者 , ニュース , 報道ステーション , 朝生 , 朝まで生テレビ , テレビタックル , TVタックル , ニュース7 , ニュースウォッチ7 , クローズアップ現代 , 報道特集 , ニュース23 , サンデーモーニング , 関口 宏 , 古館 伊知郎 , 久米 宏 , 筑紫 哲也 , 田原 総一郎 , 合同会社スターズライフ , 合同会社 STARS LIFE , 前城 充幸 , 美味しんぼ , 雁屋 哲 , 花咲 アキラ , 福島の真実 , 鼻血 , 井戸川 克隆 , 小学館 , 風評被害 , 情報操作 , 世論誘導 , テレビ , 新聞 , ラジオ , 放送 , NHK , 電通 , 被災 , 被曝 , ウラン , プルトニウム , 使用済み核燃料 , 核燃料 , 核武装 , 原爆 , 原子爆弾 , 核のゴミ , 放射能汚染 , 汚染 , 最終処分場 , 六ヶ所村 , 被曝労働 , 原発作業員 , 地球温暖化 , 寒冷化 , エルニーニョ現象 , CO2 , 気候変動 , 温室効果ガス , エコ , 寒冷化 , 日本国憲法 , 憲法 , 9条 , 九条 , 護憲 , 改憲 , 憲法改正 , 憲法問題 , 解釈改憲 ]




田中知 日本原子力学会会長 2011.8.12  



2011/08/18 にアップロード
Satoshi TANAKA, President, Atomic Energy Society of Japan

シリーズ企画「3.11大震災」

司会 日本記者クラブ企画委員 瀬川至朗

日本原子力学会のホームページ
http://www.aesj.or.jp/

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記者による会見リポート(日本記者クラブ会報2011年9月号に掲載)

教訓生かし専門家として発信を
会員数7千、原子力の専門家集団である日本原子力学会のトップに就いたのは、福島第一­原子力発電所事故への対応に追われるさなかの6月のことだ。
2人の副会長らも同席した会見ではまず、今回の事故で広範囲に放射性物質を拡散させて­しまったことに対し、プラント設計に携わった立場から「遺憾の意」を表明し、会長とし­て「自ら作った壁の中で考えるのでなく、社会や他分野の専門家の声に耳を傾けていきた­い」と抱負を述べた。
そのうえで、今回の原発事故への学会としての対応や今後の課題について語った。事故の­教訓を今後に生かすことはもちろん、事故の記録をきちんと残すこと、そして、放射性物­質によって汚染された周辺地域の環境修復が遅れていることが懸念されるとして、学会と­して最大限の貢献をしたいとした。
今回の事故対応をめぐっては「反省すべき点」が多々あったことも認めた。
事故直後、原子炉がいったいどうなっているのか、多くの国民が不安に思っていたとき、­もっと情報があれば、専門家として分析して発信できたはずだった。しかし、情報の不足­でそれができなかったことが悔やまれる、とした。
また、政府の対策本部に対しても、学会としてもっと提言すべきであったとの批判があっ­たといい、緊急時に専門家をどう集めて対応するか、十分でなかった面もあるとして、こ­れも反省材料とした。
社会に対する正確な情報発信のためには常日頃からメディアとの情報交換が必要だとして­、勉強会を始めたという。
今回の原発事故を通して、専門家がどう貢献し、社会に対して発信していくかが問われて­いる。今回の反省が組織としてどう生かされるのか、注目していきたい。
朝日新聞論説委員 辻 篤子


 

Lessons Learned From Fukushima Dai-ichi (3. PWR & Final Report. 2011. 12. 25)  



2012/03/21 に公開
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意見メモ(田中知)

http://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_problem_committee/002/pdf/111026-715.pdf

意見メモ(田中知)
1.原子力発電所の安全確保と社会的・技術的リスクへの対応
(日本の原子力発電所の技術的リスクは増大したのか?)
東京電力福島第一原子力発電所(1F)では大量の放射性物質が環境に放出さ
れるという、あってはならない事故を起こした。その直接・間接の原因、及び
それらの奥にある遠因を解明し、必要な対応を時期を明らかしつつ行うことが
求められる。既に、国からの要請により、緊急安全対策等が行われ、最近では
ストレステストが実施されている。また、原子力安全庁の設置に向けての準備
や、安全審査類の改訂も進んでいる。
1F 事故は、日本の原子力発電所あるいは軽水炉技術がもともと持っていたリ
スクが、地震及び津波の来襲をトリガーとして顕在化したものであり、1F 事故
によって原子力の技術的リスクが高まったというわけではないことに注意を喚
起したい。もちろん、その顕在化を防げなかったという点については痛切な反
省と徹底したアクシデントマネジメントの再確立が必要である。しかしながら、
ひとたびそれがなされ、かつ上記のような取り組みを通じた所要の技術的対策
の実施や制度的な基盤整備が進み、再発防止に万全の対策をとることによって、
原子力発電所の技術的リスクを充分に低いレベルにまで制御できると考えられ
る。「絶対安全」ということは誤解を生むものであるが、絶対安全に近い安全の
確保を追求しつつ、環境への放射性物質の放出が起こるような事故を現実的に
なくせると考える。したがって、原子力の利用に当たっては、原子力発電所の
技術的リスクを定量的に評価し、さらに、それが技術的対策や制度的な基盤の
整備等の対策によって、充分に低減していることを社会に示し、許容しうるレ
ベル以下であることを確認できるプロセスが重要となる。
(他国の原子力技術的リスク低減への貢献)
ある国での原発事故は世界の原発の運転、エネルギー政策等に大きな影響が
ある。今後海外では原発の拡大が行われる国や、あらたに導入を考えている国
が多い。海外の原子力発電所の安全確保に、我が国を始めとする各国の技術や
経験を反映することは重要であり、そのために我が国も応分の貢献をすること
で、世界全体の原子力の技術的リスクの制御に有益な影響を及ぼすことができ
る。

(原子力の社会的リスク)
環境に放射性物質が放出される事故では、広域的な避難、放射線による被ば
2
く、環境修復など、甚大な社会的影響を及ぼす。このような大規模なリスクの
顕在化は決してあってはいけないものであり、万全の再発防止策が求められる。
また、原子力発電所の事故は、たとえ単一のサイトや炉に係るものであって
も、同種のプラントへの水平展開的チェックを要請され、その間は運転を停止
せざるを得ず、結果的に電力安定供給に多大な影響を及ぼす。さらに、過去の
東電自主点検記録不正問題など、原発の技術的不具合に直接起因しない複数発
電所の停止等も、結果として同様に電力安定供給に大きな悪影響をもたらす。
こうした電力安定供給への悪影響は、原子力の技術的リスクの制御に必要不可
欠なものであればやむを得ないものとして受忍すべきものであるが、過度ある
いは不合理な規制慣習などに因っているものがあるのであれば、適切な合理化
が求められる。さらに、原発の起動に際して地方自治体の了解が必要であるが、
種々の理由により遅れる場合がある。電力の安定供給という観点ではこのよう
なことに配慮し、適切な対応が必要であろう。このような社会的リスクの根幹
にあるものは、結局のところ、一般国民の原子力技術体系やその担い手に対す
る信頼感の程度に帰結する。原子力の社会的リスクを理解し、考量し、受忍可
能な水準に制御するためにも、原子力発電所の運営主体たる電力会社、設計・
施工の主体たるメーカー、規制主体等の各々のアクターが、この機会にいま一
度信頼の再獲得に向けた努力を築き直していくことが、何よりも必要である。

2.国際情勢の中での技術立国
技術立国であり、それによる国際貢献が求められており、それが国益にも叶
うと考えられる我が国としては、中国などの原子力を拡大していく国や、ベト
ナムなど新規導入国に原子力技術・規制等での貢献が必要である。我が国は、
そのような貢献を果たす能力を持つだけでなく、貢献の実現をこれまでにIAEA
などを通じて約束してきた。これは国際信義の問題でもある。
地球温暖化対策という国際約束も重要である。火力発電の増加は少なくても
短期的には止むを得ないところもあるが、温室効果ガス排出量がどのくらい増
大するかの見極めをするとともに、省エネルギー技術や原子力技術、再生可能
エネルギー技術により世界での温室効果ガス排出低減に貢献すべきである。
また、核不拡散および核セキュリティー分野での国際責務と貢献という点で
の我が国の重要性も認識すべきである。これは非核兵器国であり、商用核燃料
サイクル施設を有するという世界的にもユニークな立場故の責務でもある。さ
らには、海外再処理に伴って発生した、現在英仏にあるプルトニウムの適切な
処理も我が国の責任である。
このように、原子力利用の大小にかかわらず、我が国で原子力技術を保有す
3
ることの意義は国際的に大きいものがある。

3.原子力から見たあるべきベストミックス
まず、ベストミックスの議論は中長期的な観点で冷静に行う必要がある。一
般に、平穏・安定時での判断基準は、将来の成長を睨みつつ、最適な選択を指
向することができるが、逆に、危機・混乱時での判断基準は、近い将来の損失
を最小限に食い止めるべく最悪をさける選択を指向することが多いことを認識
すべきである。従って現状において念頭におくべきこととして、まず全ての選
択肢を安易に手放さないことである。殆どの場合、選択肢を維持継承するコス
トは、手放した結果二度と取り戻せないことの機会損失を大きく下回る。次に、
長期の到達状態より、短期の過程を重視することが重要であり、遠大かつ困難
な目標設定よりも通過点の見極めが大事である。
このように、一刀両断に遠大かつ実現困難な目標を置くのではなく、現実的
な目標設定と、その達成確認・目標再設定のステップの繰り返しで臨むべきで
ある。
このようなことから、原子力から見るエネルギーベストミックの議論におい
ては、まず、エネルギー政策は国の最重要施策の一つであり重篤な誤りは許さ
れないことを認識すべきである。その上で重要な観点として次のようなものが
あり、これらを総合的に考える必要がある。「脱原発依存」など、大きな変化に
対する社会・技術システムの慣性があり、実現までに要する時間遅れがあるこ
と。エネルギーセキュリティーに関する地政学的な検討を深化する必要がある
こと。中長期的検討と短期的課題への対応の両立を図る必要があること。原子
力インフラ維持、人材育成、核燃料サイクルの意義などの観点の適切な反映が
あること。原子力発電所のサイト特性をも考慮すること。
(以上)





福島第一原子力発電所
東北地方太平洋沖地震に伴う原子炉施設への影響について
平成24年5月
東京電力株式会社
https://www.nsr.go.jp/archive/nisa/earthquake/houkoku7/main.pdf







東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会
最 終 報 告
(本文編)
平成24年7月23日
http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2012/pdf/jikocho/honbun.pdf



東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会
最終報告(資料編)
平成24年7月23日
http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2012/pdf/jikocho/siryou.pdf





http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=4461162

①「原発事故調査を終えて〈柳田邦男さんに聞く〉」 1)「失敗学で調査する」「3・11 東日本大震災:福島第1原発事故」
本日〔2012年8月4日『朝日新聞』朝刊「オピニオン」欄にインタビュー記事,「原発事故調査を終えて〈柳田邦男さんに聞く〉」が掲載されていた。本ブログの筆者は,「失敗学の権威者」であると,とくに「3・11」の原発事故以後になるとなぜか,急に喧伝されてきた工学者畑村洋太郎が委員長を務めた「政府の事故調査・検証委員会」の報告については,「2012.7.25」「■東電原発「事故調査・検証委員会」■」「◎畑村洋太郎が委員長の調査委員会は究明不足◎」「【始めから判っていたこの「失敗学の権威」であるこの委員長の限界】」がとりあげていた。

 失敗,とりわけ過酷事故の絶対に許されない発電装置である原子力発電が一度でも失敗〔事故〕を起こすと,この地球の自然・環境・風土のみならず,地上において生活する人間・家庭や,いろいろな生産活動に従事する事業・組織すべてもが,徹底的に壊滅的な悪影響をこうむることになる。なかでも,1986年に発生したソ連のチェルノブイリ原発事故を経たあと,2011年の日本の福島第1原発事故の発生は,畑村洋太郎が創案したという「応用工学的な学問」である「失敗学」の発想を,そのまま簡単に適用できる大事件ではなかった。
 出所)写真は,http://www.js.kogakuin.ac.jp/news/2009/011401.html より。

原発の稼働を日常的に維持・管理する電力会社の工学技術的な仕事は,その建設技術によって機械構造的に築造された装置であるこの原発を,つねに効率的に稼働させ,かつ安全に運営していかねばならない。しかし,「人間-機会システム」においては「失敗・失策・不具合」は不可避:つきものであって,完全に回避することはできない。さらに,機械・装置の取扱においては,自然災害を原因とする「3・11」のような大地震による被害はもちろんのこと,そこにいつも絡みつくように,それも多種多様なかたちをとって発生する「人間のエラー(human error)」の影響も,事故の原因を提供する。

本ブログ筆者にいわせれば,失敗学の提唱者である畑村洋太郎が,政府の設置した「3・11」福島第1原発事故の事故・検証委員会委員長になったというニュースを聞いたとき,これではきっと,まともな「調査(検証)の結果(結論)」は出てこないと直観(達観:諦観)した。それでもともかく,この「3・11」のあと急に,マスコミの注目を浴びる様相で〔筆者の感じかたでいうと不自然に〕登場した畑村洋太郎が,福島第1原発事故に関して置かれた4つの事故調査委員会のうち,政府の設置した事故・検証委員会の委員長になっていた。

 2) 政府設置の事故調査・検証委員会
東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(略称:内閣事故調,政府事故調)は,2011年5月24日の閣議により開催が決定され,2011年12月26日に中間報告,2012年7月23日に最終報告を提出した。この委員会は「東京電力株式会社福島第1原子力発電所及び福島第2原子力発電所における事故の原因及び当該事故による被害の原因を究明するための調査・検証を,国民の目線に立って開かれた中立的な立場から多角的に行い,もって当該事故による被害の拡大防止及び同種事故の再発防止等に関する政策提言を行うことを目的」として,内閣官房に設置される委員会」であると解説されている。

本委員会の構成員は,以下のとおりである。

◎ 委員長:畑村洋太郎--工学者,東京大学名誉教授,工学院大学教授,失敗学会初代会長,株式会社畑村創造工学研究所代表取締役。元日立製作所社員。

◎ 委員長代理:柳田 邦男--作家,科学評論家。

◎ 委 員
○ 尾池 和夫--地震学者,京都大学名誉教授,前京都大学総長,地震予知連絡会委員,財団法人国際高等研究所理事・所長。
○ 柿沼志津子--独立行政法人放射線医学総合研究所研究員,同放射線防護研究センター発達期被ばく健康影響グループチームリーダー。専門: 放射線生物学,分子生物学,疫学。
○ 高須 幸雄--元外務省官僚,元国際連合日本政府常駐代表,元在ウィーン国際機関日本政府代表部特命全権大使(IAEAに対する日本の代表)。
○ 高野 利雄--弁護士,元名古屋高等検察庁検事長,元東京地方検察庁検事正,元財団法人国際研修協力機構理事長。
○ 田中康郎--弁護士,明治大学法科大学院教授,元札幌高等裁判所長官。
○ 林  陽子--弁護士,国連女子差別撤廃委員会委員。
○ 古川 道郎--福島県川俣町町長。
○ 吉岡  斉--科学史家,九州大学教授・副学長。

 
註記)http://www.nhk.or.jp/special/onair/111227.html

この委員たちのうちとくに吉岡 斉の発言について本ブログは,すでに記述していた。ここでは,本ブログ内で「吉岡 斉」をもって検索した結果,その最初にまとまって出てくる10件のなかから,最近のものに限って4点を列挙しておく。

「2012.7.26」「■石油の一滴は「?」の一滴■」「◎脱原発の未来展望◎」「【原発事故は人類・人間の血を狂わす(遺伝子を破壊する)】」

「2012.1.23」「■福島第1原発事故の衝撃・恐怖■」「◎日本国と原子力政策と東京電力◎」「【電力会社幹部の無責任な逃亡状態を許しておいていいのか】」

「2011.8.20」「■電力会社が提示する電力事情・供給力の真偽■」「◎なにを基準に電力の需給関係数値を公表するのか◎」「【自社が「管理可能な電力供給力」源までを『管理不能の要因である』かのように扮装させていないか?】」

「2011.8.17」「■原発を捨てるなと日本に勧める変な英米人たち■」「◎『学問のすすめ』ならぬ「原発の勧め」を説く変な外国人◎」「【あるイギリス人の「余計なお世話」】」

本日の記述にとって最大の関心事は,畑村洋太郎委員長がその執筆を柳田邦男に任せた政府事故調査・検証委員会「報告書」が,はたして柳田邦男によってどのように書かれたかに向けられる。

 3) 事故調査・検証委員会「報告書」
首相官邸のホームページには「平成24年7月23日 東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 最終報告書提出式」という記事が掲載されており,ここには事故調査・検証委員会の畑村委員長から「『最終報告書』を受け取る野田総理」という写真がかかげられたあとに,この報告書「全文」が公開されている。

 平成24年7月23日,野田総理は大手町合同庁舎3号館で,東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会の畑村委員長から,「最終報告書」を受け取りました。野田総理はあいさつで,「政府といたしましては,この最終報告を精読をさせていただきたいと思います。

その上で,まもなく原子力規制委員会が発足をいたしますけれども,この規制委員会を中心に,二度とこのような事故が起こらないように,事故の再発防止に向けまして万全を期して取り組んでいきたいと考えております。先程、畑村委員長から「真摯に受け止めてほしい。」という言葉がございました。正に,真摯に受け止めて,しっかりと対応していきたいと思います。」と述べました。

☆-1 最終報告(概要)(PDF形式)
☆-2 最終報告(本文)(PDF形式)
☆-3 最終報告(資料編)(PDF形式)
  註記)以上,http://www.kantei.go.jp/jp/noda/actions/201207/23kenshou.html 参照。以上のホームページのリンクは「ここをクリック」

 ② 柳田邦男のインタビュー記事〔紹介および筆者の寸評

東京電力福島第1原発事故の真相は解明されたのか。原発事故で被害拡大を防ぐために必要な視点とはなにか。そもそも『事故調査とはどうあるべきか』。長年,航空機などの巨大システムの事故の取材を続け,7月に最終報告をまとめた政府の事故調査・検証委員会で委員長代理を務めた柳田邦男さんに聞いた。

柳田邦男(やなぎだ・くにお)は,政府原発事故調の委員長代理を務めた。1936年生まれ,NHK記者を経て,「マッハの恐怖」で大宅壮一ノンフィクション賞受賞後,作家活動に入る。著書に『生きなおす力』など多数ある。

 1) 全容解明するには時間も人も足りぬ 国は調査をつづけよ

 【記 者】 長く航空機や鉄道の事故の取材に携わってきた目からみて,今回の原発事故はどんな違いを感じましたか。

 「航空機の墜落や列車の脱線事故は多くの人命が瞬時に失われるという意味で重大ですが,被害の範囲は比較的限定されます。それに対して原発事故は,被害が広大な地域に広がり,数十万人の被害者を生み出します」。「事故調査も航空機・鉄道事故では,墜落・脱線のメカニズムやそこにいたるヒューマンエラーの分析ができれば8~9割は達成されます」。

〔ところが〕「原発事故の調査では,放射線量が高くて直接原子炉を調べられないばかりか,被害地域が広大で,しかも被害内容が健康,生活,職業,環境など多岐にわたります。短期間で全容を明らかにするのはとても無理で,立ちすくむ思いでした」。

 【記 者】 たとえばどういう点が解明できなかったのですか。

 「原発事故による避難の混乱を象徴的に示す事例として,搬送中や避難先の体育館などで患者数十人が亡くなった大熊町の双葉病院について調査しました。福島県全体の災害関連死者761人の打ち,かなりの人々が原発事故で避難した人です。1人ひとりの悲劇の経緯を調べることで原発事故時の避難がいかに大変で,生死を分ける条件はなにかが分かり,住民の命を守る避難計画の必要条件が引き出せるのですが,それには時間もマンパワーも足りませんでした」。

 【記 者】 調査には1年余りかけましたが,それでも足りませんか。

 「通常,事故調査の目的はシステムが破綻したメカニズムの解明と,それによって発生した被害の全容解明です。私は被害の膨大さからみて,2~3年はかけなければならないと思っていました。政府の原発推進政策のなかで,安全がどういう位置づけだったのか,という歴史的背景の調査も必要だと考えました。ところが,報告は急いで政策に生かされなければならないので,2013年度予算の概算要求前に出さなければならないというわけで,最初から7月というタイムリミットが設定されていました」。


  出所)以下の2葉も,柳田邦男の写真は記事から。

 【記 者】 マンパワーが足りないとは?

 「事故調の事務局は40人足らずの小規模な組織です。しかも法務・検察,警察,財務,文部科学,厚生労働の各省庁と大学から集められた人たちで,事故調査の経験のある人はいません。私は調査開始時に,国際的に確立された事故調査の方法について報告しました。あまり生かされませんでしたが」。

「事務局は,(1)事前の安全対策の調査,(2)原発プラント内で何が起きたかの調査,(3)被害の拡大と混乱の調査の3班に分けられたので,一つの班は10人程度です。たった10人で被害の全貌を解明するのは無理です。国は今回の事故調の報告で終わりとせず,『人間の被害』の全容を明らかにするプロジェクトを発足させ,教訓を後世に伝えるべきです」。

 補注)柳田のこの応答を聞いていると,政府が置いた「福島第1原発事故」に対する事故調査・検証委員会は,これがかけるべきであった〈時間の要素〉,そして〈組織・人員の準備・調達〉において絶対的な不足・不備があって,十分な調査がおこなわれたとはいえないと断言されている。失敗学の創設者である畑村洋太郎はこうした委員会の長として,柳田がこのようにインタビュー記事で発言した内容を,どのように受けとめるか興味がある。本ブログ筆者は,この事故調査・検証委員会は,政府の要求に応えるために拙速に走り,不十分は調査報告しかできなかったと,柳田の口調を推し量り論断しておいてよい,と考える。

 2) 原発対策,被害者への想像力欠如-総括で伝統的な発想の転換を求めた-

 【記 者】 最終報告で誇れる部分は?

 「ここからは私の個人的な見解として話しますが,総括の部分に書いた『発生確率が低い事故や災害でも,それによる被害が重大なばあい,しっかりとした対策をとる防災思想の転換が必要だ』という部分です」。

 【記 者】 どんな意味があるのですか。

 「行政の論理としては,限られた予算とマンパワーのなかでは,学問的に研究が進んで発生確率が高いとされた地域や分野に優先的,重点的に対策を講じるという発想が強く,確率が小さいか不明のリスクは対策からはずす傾向が強いのです。実は,2005年に起きたJR福知山線の脱線事故について航空・鉄道事故調査委員会がまとめた報告書でも『発生頻度が小さくても,一度発生すれば重大な人的被害を生ずるおそれのあるものについては対策の推進を図るべきである』として,伝統的な発想の転換を求めていたのです」。


 補注)「発生頻度が小さくても,一度発生すれば重大な人的被害を生ずるおそれのあるもの』とは,まさしく原発事故の危険性,それもそのリスク管理の困難さを端的に表現している。原発で燃料に使用する原子力を〈化けもの〉と名づけたり,本ブログ筆者のように《悪魔の火》だからこれを人間の手によっては管理不能と理解したりする必要は,批判の余地もないほど明確ではないか。

前掲の『最終報告(概要)』は,こう述べていた。--原子力発電所の大規模な事故は,施設・設備の壊滅的破壊という事故そのものが重大であるだけでなく,放出された放射性物質の拡散によって,広範な地域の住民等の健康・生命に影響を与え,市街地・農地・山林・海水を汚染し,経済的活動を停滞させ,ひいては地域社会を崩壊させるなど,他の分野の事故にはみられない深刻な影響をもたらすという点で,きわめて特異である。
 註記)http://www.kantei.go.jp/jp/topics/2012/pdf/jikocho/gaiyou.pdf,7-8頁。

 【記 者】 その教訓はなぜ生かされなかったのですか。

 「原子力の専門家は『鉄道と原子力は違う』というプライドが強く,鉄道で起きたことを教訓にして安全対策に役立てようという発想がなかったのでしょう」。


 補注)原発事故を契機に「安全神話」の基本的な弊害が一挙に現象した。原発事故は1回でも発生させてはいけなかった。それなのに,東電福島第1原発においてとんでもない過酷事故が起きてしまった。日本という地震国に,一番多いときは55基もの原発を建設・稼働させていた。この状況をみたアメリカのある原発関係技術者は,この状態じたいが〈重大な過誤〉を犯していると発言するほどであった。一番危ない国土=地震多発国の地面のあちらこちらに多数の原発を立地させておきながら,しかもこの危険性を承知していたからこそなのか,科学的・工学的な根拠の全然なかった「安全神話」を盲信してもいた。このような「国家-企業」の強制体制を,国民生活のなかにまで押しつけてきた。その結末が福島第1原発事故であった。もうとりかえしのつかない事態が出現した。

 【記 者】 最終報告では,東電や原子力安全・保安院に安全文化が定着していなかった,と指摘しました。

 「国際民間航空機関(ICAO)が作る事故調査マニュアルでは2003年度版以降,事故調査のさいには,事故の背景にある組織の安全文化にもメスを入れるよう勧告しています。チェック項目も『過去の事故の教訓を生かしているか』『不都合なデータを隠蔽する体質がないか』『安全が重要な組織の目標になっているか』などと例示しています。日本では必要性があまり認識されていませんでしたが,今回の最終報告では,組織の安全文化についても指摘しました。政府の報告としては画期的なことだと自負しています」。

 【記 者】 たとえばどんなことですか。

 「東電は2008年ごろから,巨大津波の問題について不安を感じ,独自に調査して最大15.7メートルの津波が起きうるという試算が出ました。危機感をもった担当部長が原発担当の役員に進言したという証言もありますが,10メートル以上の堤防をつくるのに数百億円の費用がかかるため,結果的に『仮の試算にすぎない』として対策は見送られてしまいました。リスクへの危機感の弱さと,安全対策をコスト意識からためらう企業文化があったとみることができます」。


 補注)東電は「国策民営」という隠れ蓑のもとに,営利追求を思う存分実現・享受してきた電力会社であった。「コストの論理:要請」
が目前に立ちはだかるときは,原発のリスクは最小化の方向において解釈され,始末される。「企業の論理」のなかには「リスク計算」をなじませる必然性がみいだせず,ひたすらないがしろにされていた。ただ,原発の危険性を先験的に排除する経営的感覚が最大限に尊重されていた。

 【記 者】 東電幹部らを業務上過失致死傷の疑いで刑事告訴したり,株主代表訴訟も提起されたりして,責任追及の動きも出ています。

 「事故調査は,事故発生にいたる構造的な問題を明らかにすることで,つぎの安全対策を提示することを目的にしており,責任追及を目的とはしていません。背景には『個人を処罰するだけでは巨大システムの事故を防ぐことはできない』という思想があるのです。結果的に調査結果が責任追及の根拠の一つとして利用されることはやむをえませんが,事故調査と責任追及はあくまでも別物だと考えています」。

 補注)畑村洋太郎委員長も事前の発言として「個人を処罰するだけでは巨大システムの事故を防ぐことはできない」から,この委員会では原発事故の「責任追及はしない」と明言していた。政府の置いた事故調査・検証委員会が「3・11」という重大な原発事故の責任追及をしないとなれば,画竜点睛を欠く委員会であったと批判されても,これにいいかえすだけの根拠はない。

 3) 東電という会社の視点,その基本的な問題性-2.5人称の視点を-

 【記 者】 「原発事故の最大の問題は,専門家の想像力の欠如」とかねて指摘されています。

 「原発を推進してきた専門家,政府,電力会社のすべてに共通するのは,原子力技術への自信過剰です。それが『安全神話』を浸透させ,万が一の事故に備える発想の芽をつんでしまいました。自分自身や家族が原発事故によって自宅も仕事も田畑も捨て,いつ戻れるともしれない避難生活を強いられたらどうなるだろうか。そういう被害者の視点から発想して原発システムと地域防災計画を厳しくチェックし,事故対策を立てれば,違った展開になっていただろうと思うのです」。

 補注)この種の〈失敗〉は,原子力村という日本国内〔からあるいは国外までつながる〕利益共同体が複合的に作用しあい,生むことになっていた,つまり「原発事故という大失敗」をその共同体が招来させていたからには,この日本国全体を覆っていた〈原子力村〉という体制内の政治経済的な権力構造にも,その失敗の原因を求める分析が入れられる必要がある。

 【記 者】 「被害者の視点」ですか。

 「電力会社や行政の担当者は,システムの中枢部分の安全対策には精力を注ぎます。それも不完全だったわけですが,周辺住民をどうやって安全に避難させるかといった問題はいわば遠景として軽くみがちです。『自分や家族が周辺住民だったら』という視点で考えたら,避難方法や事故情報の伝達のあり方などについても真剣に考えるはずです」。

 【記 者】 柳田さんといえば,航空機事故などの取材で主にシステム中枢系のミスの発生原因に注目されていた印象がありますが,どういうことから,周辺領域に関心を持つようになったのですか。

 「息子が脳死状態になったことを契機に,『命の人称性』という問題を考えるようになりました。それまでは理屈のみで『脳死=人の死』と考えていましたが,息子は脳死状態になっても心臓は鼓動するし,体も温かいし,ひげも伸びます。息子と魂の会話を繰り返している中で,息子の体を死体と考えることはとてもできませんでした。同じ死でも,自分の死,家族の死,第三者の死ではそれぞれ意味が違うのです。それが『死の人称性』です」

「周辺住民の命を見る官僚や専門家は『三人称の視点』でみているわけです。客観性,平等性を重視するので,どうしても乾いた冷たい目で事故や災害をみがちです。『もしこれが,自分や家族だったら』という被害者側に寄り添う視点があれば,避難計画の策定もより真剣になっていたでしょう。私は客観性のある三人称と二人称の間の『2.5人称』の視点を提唱しています」。

 補注)もしかすると,柳田が気づいたこの『2.5人称』の視点は,今回における政府原発事故調の委員長畑村洋太郎の「失敗学」を,根源から批判している。経済・社会における「失敗」という現象の発生は,畑村の見地によれば,完全に回避することができない。失敗というものの本質は〈そういうもの〉として把握されてもいる。だから,原発事故の究明にさいしては,今後においてまた繰りかえし生起するかもしれない「失敗」に備えて,その原因を探究することになる。これがすなわち「失敗学の基本概念である」と解釈できる。

 しかし,本ブログの筆者はさんざん論じてきた。原発装置の事故に限っていえば,失敗=事故の再発生は絶対に許されない。この1点は非常に大事な理解である。現に,1986年「チェルノブイリ原発事故」,そして2011年「福島第1原発事故」は,人類・人間の営む生命・生産活動にとって致命的な損害を与えた。この地球の表面にとりついて生活できている〈われわれ〉にとって,もはやとりかえしのつかない大惨事が発生させられていた。

 それら原発事故を調査・検証しその原因を分析・究明するに当たっては,柳田が以前かかわってきた航空・鉄道事故調査に比較するに,質的にも次元的にもまったく異相における認識の方法が要求されている。2005年に起きたJR福知山線の脱線事故では「乗客と運転士合わせて107名が死亡した」けれども,この種の鉄道事故が今後も絶対に起きないとは,誰にも保証できない。日本は鉄道網が発達している国である。鉄道事故史において死亡者の出る事故はもうなくなったというぐあいに,その幕引きをできる事由はいまもなお用意できていない。

 それと同様に,原発「事故史」についても想定しておくべき一定の前提がある。原発を利用しているかぎり,この原発の事故が今後において絶対に起こらないとはいえない。原発の事故が起こらないと確信するための理由は,間違いなく「絶対に」与えられていない。だが,百名単位で人間が事故死する鉄道事故,ならびに主に津波被害で2万4千人近くもの命を落とさせた災害の記録〔行方不明者も含むが〕はともに,福島県の9万2千人の「生活の基盤」を破壊し,県内外に避難させた原発事故と簡単に比較の対象にするわけにはいかない。

 高木仁三郎『市民科学者として生きる』(岩波書店,1999年)は,つぎのように論及していた。「原子力には,放射能の生命と生態系への危険性,とりわけ 原発の巨大事故のリスクの問題がある」。「巨大科学技術システムが共通に負っている,けっしてゼロにはできない破局的事故の可能性,それに絡むヒューマン エラーの可能性の問題が,原子力には凝縮したかたちで存在している」。「一度でも起これば,とり返し不可能な影響を全地上の生命に与えうるような事故の可 能性に対して,技術〔失敗学!〕によって確率を下げるというだけでは,究極的な安心(心の平和)を人びとに与えることはできない」(217頁。〔 〕内補足は筆者)

 いいたくはないが,これからも多くの死者を出すかもしれない鉄道事故が起きないという絶対の保証はない。ましてや,原発をまだ50基も国中に保有し,なかには活断層の上にも建つ原発もあるという。それなのにこの国は,今後において原発を再稼働させていく意向である。原発事故が「絶対にない」などとは「絶対に」いえない。

 筆者は事故調査・検証委員会の委員長が「失敗学」の権威者だからといって勝手に期待されていた「世間の信頼」度を,根柢から疑ってきたのである。「今後の失敗」に備えて「失敗を起こさないように」対策を立てるための知見がえられるという『失敗学』がありうるとしたら,それは原発を廃絶していく過程で起こりうるかもしれない可能性,いいかえれば「あらゆる種類の失敗」が発生しないように予防的な対策を講じることしかない。

そこで
失敗学は「想定しうるかぎり」でしかありえないけれども,「失敗の現象・予見」に対して《未然・事前の対策》を講じようと努力するほかない。そのときはすでに,失敗学が失敗学ではなくなる。それでもただ必死に,消極的には「失敗」を起こさせない対策を網羅する努力と同時に,積極的にはその意味を反転させて結果的に「成功学」とする努力をする。

とはいっても,なんどもいうが,原発事故に失敗学は似合わない。前段の議論は詭弁に近い論述をせざるをえなかった。仮に,畑村洋太郎「失敗学」に類似する論理の運びが,以上の記述中にあったとすれば,これは「失敗の学」の構想じたいのなかに「克服しようもないアポリア:ゆきづまり」が潜在するからだと認めることにしたい。

 出所)写真は,http://muragon.boo.jp/blog1/2012/03/24_2151.html より。
   『失敗学』は勧めてほしくないし,かりそめにでも,失敗を勧めることも勧めてほしくない。
失敗しないための失敗学だとは思うが,失敗の絶対に許されない原発事故 問題に対して,
この発想は絶対に適用不可である。
その構想は奇抜ではあっても,現実の世界に当てはめてはいけない。

なぜかといえば,そこには「失敗しか待ち受けていない」からである。
 【記 者】 取材を終えて〔この記者(山口栄二)の感想〕
--柳田邦男が「死ぬ気でやってますから」ということばにどきりとした。委員長代理を引き受けてから作家としての新しい仕事は断わり,最終報告に向け翌日の委員会に出す原稿を書くのに睡眠1~2時間という日がつづいた。週末は被災者救援や子どもの心のケアなどの活動に参加しているという。あらためて最終報告を読み返すと,ことばがより強く心に迫ってきた。

「失敗学」の提唱者畑村洋太郎は,自分が「これ以上失敗しない(!?)」ことも含めて,「原発事故調査・検証委員会」の報告書を直接に自分で「死ぬ気でもって」執筆することをしなかった。その代わりに,委員長代理の柳田邦男に報告書の執筆を任せていた。ある意味で,これこそ失敗学者畑村洋太郎の「失敗」現象ではなかったか。柳田は代理であってもむろん,委員長の立場=意向を十二分に反映させた報告書を書いている。けれども,委員長自身がじかに書かなかった意味を,ここであらためて問うてみる価値もある。