2014年12月1日月曜日

1250年間行方不明 大刀が聖武天皇の遺品と判明(10/10/26)

1250年間行方不明 大刀が聖武天皇の遺品と判明(10/10/26)



2010/10/25 にアップロード
奈良の東大寺に埋められていた2本の大刀が、1250年間行方不明だった聖武天皇の宝­剣だったことが分かりました。



東大寺 Japanese temple Todai-ji



2008/05/13 にアップロード
In 752, The inaugural ceremony of Great Buddha, or opening eye of the
Great Buddha was held, with 10,000 priests and laymen present. Many
of them were invited from Korea, China and India.
The reigning Empress Kôken, retired emperor Shômu and his wife, the
former empress Komyô were present in the ceremony. Indian Priest
Bodai Senna ( In Japanese ) worked as a master of ceremony.
Other temple buildings were built one after another until 789.





奈良 東大寺



2011/10/23 にアップロード
東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺である。現別当(­住職・220世)は、北河原公敬。
金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(­8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる­盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁僧正(ろうべんそうじょ­う)である[1]。
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メー­トル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した­。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、現存する­大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3­分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を­集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余­か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けられた。
東大寺は1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録され­ている。
出典: フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)
音楽提供 TAM Music Factory (http://www.tam-music.com/)




奈良時代、聖武天皇~東大寺大仏殿など

http://youtu.be/Ze0CU4smB7I
2009/01/29 にアップロード
奈良時代の代表的な出来事。




奈良・東大寺大仏殿 Part1 of Todai-ji Daibutsuden in Nara Japan



2011/10/19 にアップロード
このビデオは Part1 です。奈良の東大寺の参道から、南大門、大仏のある金堂までご覧いただけます。Par­t 2 では大仏殿の中に入ります。

Part 2
http://www.youtube.com/watch?v=IeF06X...

This video is Part1. Todai-ji (Great Eastern Temple) is a Buddhist temple located in the city of Nara, Japan. The temple is a listed UNESCO World Heritage Site as "Historic Monuments of Ancient Nara", together with seven other sites including temples, shrines and places in the city of Nara. Deer (Shika), regarded as messengers of the gods in the Shinto religion, roam the grounds freely. Todaiji was constructed in 752 A.D. as the head temple of all provincial Buddhist temples of Japan.



奈良・東大寺大仏殿 Part2 of Todai-ji Daibutsuden in Nara Japan







国分寺建立の詔 (PDF 1.2MB) - 国分寺市

http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/239/explanatory_sheetno.2.pdf


国分寺建立の詔(武蔵国分寺跡資料館)

http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/004/239/news10.pdf






http://lunabura.exblog.jp/15365933


東大寺で出土した剣に
陰剣・陽剣の刻印を発見

正倉院から取り下げて大仏の膝元に埋納されていたことが判明





(写真は頼光和弘氏ー一部変更)

25日、東大寺の「陰陽の二振りの剣」についてテレビ報道がありました。
今回発表された二振りの剣は、大仏の膝辺りの土の中から、
明治時代にすでに発見されていたものです。
最近、改めてX線撮影された結果、「陰剣」「陽剣」という文字が
彫られていたのがくっきりと映し出されました。



(元興寺文化財研究所提供)

調査の結果、その陰陽の剣はいったん正倉院に奉納されながら、
「徐物」となって持ち出された剣だという点が明らかになりました。
1250年前の話です。
その詳細の記事を、書き写します。


明治時代に東大寺大仏足元で出土
幻の宝剣と判明
正倉院から1250年間不明 


聖武天皇が建立した東大寺(奈良)の大仏足元から明治時代に出土した国宝の「金銀荘太刀」(きんぎんそうのたち)二本が、約1250年間にわたり行方不明だった宝剣「陽宝剣」(ようのほうけん)「陰宝剣」(いんのほうけん)とエックス線調査で分かり、同寺と調査した元興寺文化財研究所(奈良)が25日発表した。

光明皇后が天皇の遺品として東大寺に献納後、正倉院から取り出し、埋納したとみられるが、理由は不明。皇后からの献納品目録「国家珍宝帳」の武器リスト筆頭に記した貴重な宝剣で、正倉院研究の上でも画期的史料といえる。

東大寺と正倉院事務所によると、六百数十点の献納物を記載した国家珍宝帳には、今回の宝剣を含め「徐物」(じょもつ)の付箋(ふせん)を張って、リストから外した宝物が7件あるが、所在が判明したのは初めて。

「陽宝剣」と「陰宝剣」は鉄製で、長さはいずれも1メートル弱。さやは木製の漆塗りで金銀の金具で装飾されている。

明治末期、作業用の柱を立てるために大仏の台座そばに穴を掘った際、右ひざ近くから出土。同時期に見つかった別の太刀、銀製のつぼ、水晶合子(ごうす)などとともに「東大寺金堂鎮壇具」(ちんだんぐ)そして1930年に国宝指定された。

これまで奈良国立博物館が預かっていたが、保存修理に備えて、元興寺研究所がエックス線写真を撮影し、刀身の柄に近い部分に象眼の「陽剱」「陰剱」の銘文を発見した。 
(2010年10月26日 西日本新聞) 



これが正倉院の「国家珍宝帳」です。
光明皇后が亡き聖武天皇の遺品を納めたリストです。
太刀を百振りも納めていたのが分かります。
そして話題の「陽宝剣と陰宝剣」が筆頭です。最高の太刀です。
寸法や細工のようすが書かれています。紫、黒紫、紅という字も見えます。
その上に「除物」と紙が張り付けてあって、取り下げられた事が分かります。

756年に聖武天皇の四十九日の法要があって、
その時に献納した太刀と特徴が一致しているそうです。
光明皇后が遺品をこうして納めたのですね。
東大寺こそ夫の聖武天皇が建立したものだから、
そこに最高のものをと選んだ気持ちが伺えます。

正倉院内の御物は鉄の刀でも今なお錆びないで光っています。
しかし、この宝剣は土の中に埋められたので錆びています。
それでも、他の鉄の出土物から見ると、ずいぶん良好な保存状態で、
細工のようすもよく伺えます。
これをじっくりと見ると、やっぱり細工がすごい。

宝剣と同時期に見つかったのが、別の宝剣と銀製のつぼ、
水晶の合子(ごうす・ごうし 蓋付きの器。)
(クリスタルの小さな入れ物なんて、すごいなあ。)
具体的な埋納状況が知りたいですね。



東大寺大仏
(この右ひざの下あたりで出土)

光明皇后が取り戻した7点のうちの他の2点については、この夏、
NHKテレビ番組で「天皇の愛用の品を取り戻していた」という内容で
放送があっていました。
あいにく、具体的な品物の名は忘れたのですが、
亡き天皇をしのぶ皇后の思いを初めて知りました。
だから、今回の太刀を知って、あれこれと想像しています。
再放送がないかなあ。






http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010102501000463.html


1250年ぶり幻の宝剣と判明 東大寺大仏足元出土の2本



聖武天皇ゆかりの品として光明皇后が献納後、約1250年間にわたり行方不明だった陽宝剣(上)と陰宝剣の柄=25日午後、奈良県生駒市の元興寺文化財研究所保存科学センター

聖武天皇が建立した東大寺(奈良市)の大仏足元から明治時代に出土した国宝の「金銀荘大刀」2本が、約1250年間にわたり行方不明だった宝剣「陽宝剣」「陰宝剣」とエックス線調査で分かり、同寺と調査した元興寺文化財研究所(同市)が25日、発表した。

光明皇后が天皇の遺品として東大寺に献納後、正倉院から取り出し、埋納したとみられるが、理由は不明。皇后からの献納品目録「国家珍宝帳」の武器リスト筆頭に記した貴重な宝剣で、正倉院研究の上でも画期的史料といえる。

東大寺と正倉院事務所によると、六百数十点の献納物を記載した国家珍宝帳には、今回の宝剣を含め「除物」の付せんを張ってリストから外した宝物が7件あるが、所在が判明したのは初めて。

「陽宝剣」と「陰宝剣」は鉄製で、長さはいずれも1メートル弱。さやは木製の漆塗りで金銀の金具で装飾されている。明治末期、作業用の柱を立てるために大仏の台座そばに穴を掘った際、右ひざ近くから出土。同時期に見つかった別の大刀、銀製のつぼ、水晶合子などとともに「東大寺金堂鎮壇具」として1930年に国宝指定された。