国際宗教同志会平成25年度総会 記念講演2013年2月14日、金光教泉尾教会の神徳館国際会議場において国際宗教同志会(村山廣甫会長)の平成25年度総会が、各宗派教団から約60名が参加して開催された。記念講演では、東京大学大学院人文社会系研究科の島薗進教授を招き、『東日本大震災と宗教の役割』と題する講演と質疑応答を行った。本誌では、この内容を数回に分けて紹介する。
『東日本大震災と宗教の役割』①
東京大学大学院 人文社会系研究科 教授
島薗 進
島薗 進 教授 |
▼公共空間における宗教のプレゼンス
皆さん、こんにちは。国際宗教同志会の錚々(そうそう)たるメンバーの先生方の前でお話しさせていただくことを大変光栄に存じております。自己紹介として、お配りいただいた私の経歴に書かれていないことを申し上げますと、私の母方の祖父(註:日本医師会会長を務めた田宮猛雄東京大学医学部教授)は高知の出身で、家の宗教は神道でございます。そして父方の祖父(註:島薗順次郎東京帝国大学医学部教授)が和歌山の出身で浄土宗でございます。そして、私の父(註:国立精神・神経センター初代総長を務めた島薗安雄医師)と伯父は京都で生まれました。伯父が平雄、父が安雄と申しますが、二人合わせると「平安」となります。けれどもウチの父は「名前の字の中に女が入っている」と、冗談で親の名前の付け方に文句を付けておりました。私は東京で生まれました。そして、父の仕事の関係で石川県には8年ほど居りましたので、少し関西弁が解ります。
現在は仕事の関係で、だいたい東日本に居りますが、やはり日本の宗教は関西が中心ですので、いつも東の彼方から仰ぎ見ている「宗教から遠い人間」という感じを持ったりもしております。3年前に亡くなった母はミッションスクールへ行っていましたが、私には春日大社や橿原神宮などのお守りをたくさんくれました。元気な内はずっとカトリックのシスターの悪口を言っていましたが、最期は熱心にカトリックのお祈りをしておりました。そういう家で育って、父が医師だったものですから「医者になりたい」と思っていましたが、どうも現代の医学は立派な研究をすればするほど人間から遠ざかっていくという感じを東京大学に入って持ちました。もともと人間が好きだから医学をやろうと思った訳ですが、どうも医学というのは、「人間をモノから研究するのだ」という気がいたしたものですから、宗教学に変わった事情がございます。
今日は資料のデータが小さい文字で申し訳ございません。私も読めなくなるため、もうひとつ眼鏡を持参しています。こちらのスクリーンもご覧になりながら聞いていただきたいと思います。この題で申し上げたいことは、多分いくらか推測も入っている訳ですが、東日本大震災がひとつのきっかけとなって、日本社会における宗教の役割が大きくなってくるのではないか…。最近「公共空間」ということを言いますが、政治の場に限った話ではありません。皆がお互いの生活について共に考え意見を述べ働きかけ合うオープンな場所が「公共空間」ですが、そこで宗教が果たす役割が大きくなっていく。社会における宗教のプレゼンスが増してくるのではないか。そういう風に思っている訳です。
国宗で熱弁を揮われる島薗進東京大学大学院教授
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日本のマスコミは、宗教をあまり取り上げません。これまで“宗教”が出てくる時はだいたいスキャンダル絡みですが、「今度は少し違うな…」ということであります。これは宮城県仙台市に本社がある河北新報社の2011年4月1日の記事ですが、こういう風に、若い僧侶が読経している場面がテレビや新聞に出てきます。テレビを見ている人は、亡くなった方のことを遠くに居ながらも考えている、あるいは身近な人が亡くなった方たちの気持ちを察している。その時に祈る、念じることなしに見ることはできないでしょうね。
そして「祈る」とか「念じる」といえば、やはり宗教でありますから、どうしても“宗教”が必要になってくる。こちらはお墓の写真でありますが、とにかく宮城、福島、岩手の海岸地域は、すっかり洗い流されてしまいました。三陸に行くと、入り組んだ湾や入り江の中には凄い津波が来た訳ですが、宮城から福島のほうは海岸線が平らですから、そこが全て流されてしまいました。そこには昔はあまり人が住まなかったようですが…。家が残っているところもあり、遠くから見ると「またここで暮らせるのかな」と一瞬思うのですが、近付いてみると、二階はそのまま残っているものの、一階部分が全部流されてしまっている。たいていのお家では、仏壇は一階にありますからね…。したがって、お墓もこのような具合になっており、お墓の中まで洗われて(遺骨が流出)いる状態です。
私は2011年の5月に行ったのですが、ほとんどお墓が片づいていない。お墓の蓋が開いており、骨壺がない。これは流されたのか、いち早く取って行かれたのか判りません。しかし、「ご仏壇はなくなってしまっていても、位牌は見つからなくても、せめてお骨だけは…」というようなことが多かったと思います。関東大震災の時に民俗学者の柳田國男が似たようなことを言っておりましたが、このようなことが起こっております。これは四十九日のニュースですが、この頃はまだ亡くなった方は14,000人と言っています。相馬市で真言宗豊山派の僧侶が合同慰霊祭をするという内容ですが、面白いのがこれが「日刊スポーツ」の記事だということです。スポーツ紙も、この時期は宗教のことに思いを致さざるを得ない。こういうことが起こった訳です。こういうことは新しいと思います。
▼不条理が人を宗教に向かわせる
私たちの世代は、学校では「宗教は古臭いものだ。これからは、どんどんとプライベートなものに矮小化されていくのだ」と教わりました。つまり、「宗教はプライベートなものとしてはこれからも残ってゆくだろうけれども、公的なこととしては、宗教なしに決められてゆくだろう。それが政教分離なんだ」と言われていた訳なのですが、しかし昨今は「果たして皆が参加する公共的な場面に宗教がなくていいのか?」こういうことが自覚されるようになりました。これは日本だけではないのです。政教分離といえば、フランスやアメリカといった「近代制度」を引っ張ってきた国がそういう方向へ進んでいったのですが、そういう国でも同じようなことが起こっている。つまり、「公共空間が精神的に空っぽになっている」それでいいのか? ということです。
しばしば話題になったのは、1775年にポルトガルで起こったリスボン大地震であります。リスボン大地震の時は津波も起こったんです。カントのような哲学者が、それについていろいろ考えました。当時はまだキリスト教の神を疑うことは難しかったのですが、「神が居るなら、どうしてこのような不条理なことが起きるのか?」という疑問が湧いてきた訳です。私の感じは少し違います。そういう風に人に理解できないことが起こった。そして、「神様が居るならどうしてだろう?」という時こそ、人の気持ちは神に向かうといいますか、人間を超えたものに向かうのだと思います。答えられない問題、普通の宗教の言葉で分かりやすく説明できないようなものの時にこそ、宗教心の元になるようなものが揺り動かされる。そういう感じがいたします。
金光教大崎教会長の田中元雄先生とは、かねてから親しくさせていただいておりますが、首都圏の金光教の方たちが気仙沼を中心に活動しておられ、その様子がよく金光新聞に載ったものです。今日は同じ金光教の泉尾教会で話をするからこの記事が出てきたという訳ではなく、私は普段からよく使っている話です。「何を学び、どう改まるべきか」というのは金光教らしい言い方でありますけれども、私はこの記事になかなか考えさせられたという気がします。「金光教には『天地と共に』ということが信心の根幹にあり、自然を征服するという考え方はないです。地震は地球のくしゃみやおならだと子供たちに説明しているのを聞きました」これが私には面白い言い方だと思いました。つまり、教会長なのに「(自然観について)金光教ではこんな風に説明するのだ」と自ら教えてあげるという風ではなく、「信徒のお母さんがこんなことを言っておられたよ」と言っておられる訳です。
今回の大震災に際して、天罰論というのも出たんですけれども、そんな風に「神様なり天なりは、人間を罰したいとか、悪意を持ってるようなものなんだろうか?」と…。そういう風に思う方もいるかと思います。「誰かが悪い、特に被災した人たちが何か悪いことをしたんだろうか? それはおかしいんじゃないか」といったようなことから、天罰論が大変な反響を呼んだ訳です。そこから見ると、自然が人間の思いも寄らない働きをするということは計り知れないことなんです。しかし、それは決して罰してやろうとかこらしめるというようなものではないんじゃないかという感覚を、少なくともこのお母さんは持っておられるということかと思っています。
私も被災地に参りまして、大変な光景を目にしました。ほとんど流されてしまった中に、鉄筋コンクリートの四階建てのビルが残っていて、その屋上に自動車が乗っかっているとか、海岸線からかなり内陸に入ったところに船が道路の横にあるといった光景を見て、大津波の凄まじさをあらためて実感しました。岩手県、宮城県の少し内陸のほうに入っていきますと、本当に美しい大自然が広がっています。首都圏はいたるところ建物だらけですけれども、東北新幹線で北へ行くに従って、だんたん建物が減ってきます。そして、豊かな自然、緑の山、田畑が見えてきます。やはり日本の自然は豊かです。実は、私は震災以後、日本酒を飲むようになったのですが、それは、日本酒を飲むと、やはり日本の自然が私の体の中に入ってくるような気がするということなんですね。
ここでも、「天地の恵みの中に住まわせてもらっているのに、自然を人間の使い勝手の良いように改造してきた。ところが、地球がひょこっと体を震わせたら大津波になったというような子供への物語です。自然災害というけれど、それは人間にとっては災害であっても、天地自然にとっては元来備わっているリズムの運行そのものなんですね」、「ですから災害という見方に立つ前に、まず天地に対する畏敬と謙虚さをもって恵みに感謝する姿勢を取り戻すことが大切だと思います」、「この大震災は我情我欲にふける私たちの生き方や…お金や物に振り回され、科学の力を利用してわが物顔に自然を破壊していく現代人のライフスタイルに対する揺さぶりだったのではないかと思えてなりませんでした。原発に象徴されるように、このままいけばもっとひどいことになるかもしれない、このままではいけない、という天地からの覚醒と受け止めることができるのではないでしょうか。文明のありようそのものが問われたように思いました」これは天罰論とは微妙に違うのですが、やっぱり何かを知らせてもらっている、何かわれわれが気付かなきゃならないことがあるんじゃないか。やっぱり(人間は)傲慢だったんじゃないか。こういう風に受け止めておられます。
これは私自身の感じ方にも近いです。と申しますのは、私たち戦後世代の者は、高度成長の恩恵に浴して参りました。そして、科学技術や経済発展といった、いいものをたくさん味わってきました。それを子供たち、孫たちにうまく受け渡せるかというと、どうもそうじゃない。今回、そのことが強く実感された訳ですが、田中先生のインタビューはそれをよく表していると思いました。
▼苦しんでいる人のもとに行って…
曹洞宗の青年会の方々と何度か支援活動をご一緒させていただきましたが、これはそこが作っておられるパンフレットです。福島辺りでは、大変放射線量の高い所を子供が平気で歩いている一方で、政府はなかなか動きません。去年のある時期から除染活動は大々的に行われるようになりましたが、それより以前は、政府主導の除染活動は、発災後一年以上行われなかった訳です。そういう中で、曹洞宗のお寺の方たちは、かなり熱心に支援活動を展開し、全日本仏教会の方々もこれに協力しました。もうすぐ三回忌ですが、昨年の一周忌の時には、全国曹洞宗青年会の現地支援対策本部がある伊達市の成林寺に私もご一緒させていただきました。伝統仏教の各宗派、そして海外からも仏教徒の方々が来られて共に法要されました。実は、全部の宗派が共通して唱えられるお経はありませんので、仏教界の方が共に法要するのはなかなか難しいんですが、いろんな工夫をされていました。
ご年配の先生方の中には「ボランティア活動や除染活動はわれわれがする必要はない。宗教家は宗教家らしく、宗教本来のことをやればいい」とおっしゃる方も居られますが、若い方たちはどうも違う。人が悩み苦しんでいるところで活動する中でこそ、何か求めているもの、悟りの道に近付いていけると…。つまり、「助けてあげる」というよりも「学ぶ機会を得る」という感じでしょうか…。若い僧侶の方たちが、在家の方たちと一緒に動いておられますが、彼らはこの活動を「縁(よ)り添い」と表現しています。これは要するに、昔から日本の仏教には、山に籠もって修行し(悟りを開くという面と)、下界(娑婆(しゃば))に降りて(人々を救済に)いくという両面がある訳ですが、こういう時にこそ「下界に降りていって、苦しんでいる方たちと共に働きたい」という気持ちがよく表れているパンフレットです。
これを表すものとして、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』がよく唱えられたということです。これは途中からなんですが、「東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束を負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ…」宮沢賢治が岩手県の詩人だということもありますが、今回の大震災の後、この『雨ニモマケズ』がよく唱えられ、外国語にも翻訳されました。
この中でひとつ大事なことは、この「行ッテ」というところだと思います。よく「(私が被災地に)行っても何もできないから、行かない」という方には、とにかく一度「行って」みてはどうかと勧めています。今でも福島の方は「来てください」とおっしゃいます。自分たちが忘れられてしまうんじゃないかという危惧もあります。岩手や宮城でも復興が進んでいますが、最後までとり残されてしまう方が居るんですね。今行われているようなことは、阪神淡路大震災の後に行われたことがきっかけとなり、そこから中越大地震や台風被害がある中で、一般の人にとっても大いに関心がある災害支援に、宗教が加わるということは当然であるという風に変わってきています。
▼常不軽菩薩に学べ
もうひとつは「デクノボー(木偶の坊)」というくだりです。支援活動をされる方に能力があるにこしたことはないですが、避難所に行っても仮設に行っても、私など何も芸がないですから、「人の話を聞く」といってもどういう風に相槌を打っていいのかも判らない。曹洞宗の青年会の方たちがお茶とお菓子を持って仮設住宅へ行き話をするのに一緒に行かせてもらったことがあるのですが、曹洞宗ではこれを「行茶」と呼びます。だいたいおばさんたちが多いですから、私なんかが行くよりも若いお坊さんのほうが良いに決まっていますが。私どもが行くしばらく前に有名な歌舞伎役者が来たそうで、その写真が貼ってありました。避難所の方々は、とても期待していたらしいですが、ちょっとがっかりしたそうです。というのも、彼は避難所に来て挨拶をして帰ったそうですが、握手をしなかったらしいんです。
私は何もできないけれども、握手だけはして帰ってきました。握手をするだけでも気持ちは伝わりますよね。そういうようなことはでくの坊でもできるといいますか…。実は、宮沢賢治は大変な天才なんですが、自分自身はでくの坊だと思っていました。それは法華経に関係があります。法華経には常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という菩薩が出てきますが、もともとのサンスクリット語では「常に軽んぜられる菩薩」で、訳は「いつも軽んじない菩薩」。つまりどんな人にも仏性があるので相手に向かって手を合わせる。いつも相手に向かって手を合わせるので、「嫌な奴だ」とか「変な奴だ」といって、石を投げられる。だから軽んじられる。そういうところから来ています。これは、法華経の中のひとつの菩薩の理想でもある訳です。
『雨ニモマケズ』は、宮沢賢治の死後、鞄の中から出てきた手帳の中に書かれていたのですが、その中には、この『雨ニモマケズ』の詩が出てくると共に、常不軽菩薩のことを書いた詩が出てきます。 もう少し仏教教義的に申しますと「増上慢(ぞうじょうまん)」という言葉がありますが、仏教における常不軽菩薩が最も問題にしていたのが「如何にして“慢”を無くすか」ということですが、自分自身が持っており、人が持っている“慢”を無くす。これは六波羅蜜という大乗仏教の修行の中に出てくる「忍辱(にんにく)」の実践なんですね。
いろんな方の支援活動の話を聞く中で非常に印象を受けた話がいろいろあるのですが、中でも「足湯のボランティア」というのがありました。温泉に行くと「足湯」という入湯料を払わなくても勝手に浸かっていられるものがありますが、災害支援の足湯は、お湯を入れたバケツで被災者の足を揉んであげるという行為のことです。これは阪神淡路大震災の時に始まったものです。何処かの業者が始めたのですが、今は学生がやるようになっています。学生は支援活動に行った場合、瓦礫の片付けなどには役立つんですが、こころのケアにはあまり役に立たないかもしれません。けれども、若い学生の方たちが来てくれたら、被災者は嬉しいかもしれませんね。もしかしたら、この中には阪神淡路大震災の被災者の方も居られるかもしれませんが、どうでしょうか…。
もし、若い学生が足湯をやってくれるとなると、少し年配の人も「よく来たね」と心を開いて話をしてくれるんじゃないでしょうか。この足湯を僧侶の方がされる「高野山足湯隊」というのがありますが、これは、金沢の宝泉寺の方が、2007年に起きた能登の地震の時に始められた活動です。今回の東日本大震災の被災地でもやっておられますが、これも常不軽菩薩の修行ととてもよく似ています。
(次号につづく 文責編集部)
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福島県県民健康管理調査は住民の信頼を得られるものだったか?
公開日: 2013/05/05
島薗進氏 (元東京大学大学院人文社会系研究科 教授)
2013.5.5公開フォーラム (日比谷コンベンションホール)
子どもたちの未来のために・・・・
1mSvを守ろう
2013.5.5公開フォーラム (日比谷コンベンションホール)
子どもたちの未来のために・・・・
1mSvを守ろう
カテゴリ
非営利団体と社会活動
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なぜ1mSvか? 国際的な研究が示す低線量被ばくの健康への影響
公開日: 2013/05/05
崎山比早子氏 (元放射線医学研究所主任研究官)
2013.5.5公開フォーラム (日比谷コンベンションホール)
子どもたちの未来のために・・・・
1mSvを守ろう
2013.5.5公開フォーラム (日比谷コンベンションホール)
子どもたちの未来のために・・・・
1mSvを守ろう
カテゴリ
非営利団体と社会活動
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2013/05/05 公開フォーラム 子どもたちの未来のために 健康被害の未然防止と支援法の早期実施を求め、1mSvを守ろう
IWJ Independent Web Journal
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/77354
2013年5月5日(日)、東京・日比谷コンベンションホールで「5/5 公開フォーラム 子どもたちの未来のために… 健康被害の未然防止と支援法の早期実施を求め、1mSvを守ろう」が行われた。
■内容(予定)13:30~16:20
- 「原発事故子ども・被災者支援法の現状と今後」
- 崎山比早子氏(高木学校、元放射線医学総合研究所主任研究官、医学博士)「なぜ1mSvか? 国際的な研究が示す低線量被ばくの健康への影響」
- 島薗進氏(上智大学教授)「福島県県民健康管理調査の問題点」
- 吉田由布子氏(チェルノブイリ被害調査・救援」女性ネットワーク)「チェルノブイリからの教訓」
- 荒川朋子氏(那須野が原の放射能汚染を考える住民の会)/柴田圭子氏(放射能からこどもを守ろう関東ネット)/二瓶和子さん (SnowDrop) ほか「子どもたちの健康を守るために」
- 会場もまじえてパネルディスカッション
パネリスト 崎山比早子氏/島薗進氏/山田真氏/阪上武氏/福田健治氏/吉田由布子氏/荒川朋子氏/柴田圭子氏/二瓶和子氏ほか/コーディネーター 満田夏花氏
■詳細 http://www.foejapan.org/energy/evt/130505.html(FoE Japan)
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Conversations with History - Susumu Shimazono
アップロード日: 2010/04/07
From Salvation to Spirituality
Susumu Shimazono,Professor of Religious Studies, University of Tokyo
Conversations host Harry Kreisler welcomes Susumu Shimazono, Professor of Religious Studies at the University of Tokyo for a discussion of popular religious movements in Japan. Professor Shimazono discusses the origins of his interest in religious studies; the role of religion in modernization; and the emergence of new religions as a global phenomena in the 1970s with special reference to Japanese examples. Professor Shimazono distinguishes these spiritual movements from salvation religions by
identifying their unique features and their future evolution. He also analyzes Aum Shinrikyo as an abhorrent manifestation. He concludes with an analysis of the implications of new religions for politics and suggests their strengths and weaknesses as an enduring phenomena.
http://globetrotter.berkeley.edu/iis/...
http://globetrotter.berkeley.edu/conv...
http://conversationswithhistory.typep...
http://www.thenewpress.com/index.php?...
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島薗進
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E8%96%97%E9%80%B2
島薗 進(しまぞの すすむ、1948年 - )は、日本の宗教学者である。前東京大学大学院人文社会系研究科教授。
Susumu Shimazono,Professor of Religious Studies, University of Tokyo
Conversations host Harry Kreisler welcomes Susumu Shimazono, Professor of Religious Studies at the University of Tokyo for a discussion of popular religious movements in Japan. Professor Shimazono discusses the origins of his interest in religious studies; the role of religion in modernization; and the emergence of new religions as a global phenomena in the 1970s with special reference to Japanese examples. Professor Shimazono distinguishes these spiritual movements from salvation religions by
identifying their unique features and their future evolution. He also analyzes Aum Shinrikyo as an abhorrent manifestation. He concludes with an analysis of the implications of new religions for politics and suggests their strengths and weaknesses as an enduring phenomena.
http://globetrotter.berkeley.edu/iis/...
http://globetrotter.berkeley.edu/conv...
http://conversationswithhistory.typep...
http://www.thenewpress.com/index.php?...
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島薗進
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E8%96%97%E9%80%B2
島薗 進(しまぞの すすむ、1948年 - )は、日本の宗教学者である。前東京大学大学院人文社会系研究科教授。
人物
東京都出身。父方の祖父は東京大学医学部教授等を務めた島薗順次郎[1]。母方の祖父は衛生学者の田宮猛雄[1]。父は国立精神・神経センター総長や日本学術会議会員を務めた精神科医の島薗安雄[1]。父方の伯母・正子は地球物理学者で随筆家の坪井忠二に嫁ぎ[1]、坪井忠二・正子夫妻の娘すなわち進の従姉は安川第五郎の四男で医師の幾島明に嫁いでいる[1]。
1972年、東京大学文学部宗教学科卒業。東大入学時は理科三類に所属し、父の跡を継いで医師になろうと考えていたが、ある時そんな自分に疑問を持ち、進学振り分けの最終段階で宗教学科に進路を変える決心をした。筑波大学研究員、東京外国語大学日本語学科助手、東京大学大学院人文社会系研究科・文学部宗教学科教授を歴任。
宗教を基盤に幅広い社会的・文化的事象に興味を持ち、多数の著書・論文等の業績があり、フィールドワークも積極的に行っている。
略歴
1972年3月 東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業1974年3月 同大学院人文科学研究科修士課程修了。
1977年4月 同博士課程単位取得退学、筑波大学哲学思想学系研究員(文部技官)。
1981年4月 東京外国語大学外国語学部日本語学科助手
同専任講師、助教授
1984年8月 カリフォルニア大学バークレー校に留学( - 1985年7月、フルブライト奨学金)
1987年4月 東京大学文学部宗教学・宗教史学科助教授
1994年1月 教授
1995年4月 同大学大学院人文社会系研究科教授
1996年3月 シカゴ大学宗教学部客員教授( - 1996年5月)。
1997年11月 フランス社会科学高等研究員招聘教授(-1997年12月)。
2000年6月 テュービンゲン大学日本文化研究所客員教授(-2000年7月)。
2013年 東大を定年退任
『現代救済宗教論』青弓社、1992年『新新宗教と宗教ブーム』岩波ブックレット、1992年
『オウム真理教の軌跡』岩波ブックレット、1995年
『精神世界のゆくえ―現代世界と新霊性運動』東京堂出版、1996
『現代宗教の可能性―オウム真理教と暴力』岩波書店、1997年
『時代のなかの新宗教―出居清太郎の世界1899-1945弘文堂、1999年
『ポストモダンの新宗教―現代日本の精神状況の底流』東京堂出版、2001年
『〈癒す知〉の系譜―科学と宗教のはざま』吉川弘文館、2003年
『いのちの始まりの生命倫理―受精卵・クローン胚の作成・利用は認められるか』春秋社、2006年
『スピリチュアリティの興隆 新霊性文化とその周辺』 岩波書店、2007年
『宗教学の名著30』ちくま新書、2008年
『国家神道と日本人』岩波新書、2010年
『現代宗教とスピリチュアリティ』弘文堂 2012 現代社会学ライブラリー
編著
『救いと徳―新宗教信仰者の生活と思想』弘文堂、1992年、ISBN 4335160224『宗教のことば ―宗教思想研究の新しい地平―』大明堂、1993年、 ISBN 4470200387(鶴岡賀雄との共編)
『何のための「宗教」か?―現代宗教の抑圧と自由』青弓社、1994年、ISBN 4787210203
『消費される「宗教」』春秋社、1996年、ISBN 4393291204(石井研士との共編)
『教祖と信者たち ―カルトと終末思想 新霊性運動・ニューエイジ・精神世界 メディアとの関わり―』大蔵出版、1996年、ISBN 4804352104(米山義男、越智道雄、島田裕巳との共著)
『中山みき・その生涯と思想 ―救いと解放の歩み―』明石書店、1998年、ISBN 4750310220(池田士郎、関一敏との共著)
『心情の変容(情報社会の文化4)』東京大学出版会、1998年、ISBN 4130550942(越智貢との共編)
『癒しを生きた人々 ―近代知のオルタナティブ―』専修大学出版局、1999年、ISBN 4881251090(田邊信太郎、弓山達也との共編)
『宗教心理の探求』東京大学出版会、2001年、ISBN 4130104039(西平直との共編)
『グノーシス 蔭の精神史』岩波書店、2001年、ISBN 4000226037(大貫隆、高橋義人、村上陽一郎との共編)
『グノーシス 異端と近代』岩波書店、2001年、ISBN 4000226045(大貫隆、高橋義人、村上陽一郎との共編)
『コスモロジーの「近世」(岩波講座・近代日本の文化史2)』岩波書店、2001年、ISBN 4000110721(小森陽一、酒井直樹、千野香織、成田龍一、吉見俊哉との共編)
『宗教から東アジアの近代を問う ―日韓の対話を通して―』ぺりかん社、2002年、ISBN 4831509949 (柳炳徳、安丸良夫、鄭鎮弘との共編)
『つながりの中の癒し ―セラピー文化の展開―』専修大学出版局、2002年、ISBN 4881251309(田邊信太郎との共編)
『現代日本人の生のゆくえ ―つながりと自律―』藤原書店、2003年、ISBN 4894343258(越智貢著、宮島喬との共編)
『岩波講座 近代日本の文化史10 問われる歴史と主体』岩波書店、2003年、ISBN 4000110802(小森陽一、酒井直樹、千野香織、成田龍一、吉見俊哉との共編)
『〈宗教〉再考』ぺりかん社、2004年、ISBN 4831510580(鶴岡賀雄との共編)
『思想の身体 悪の巻』 春秋社 2006年
『谷口雅春とその時代』 小野泰博、東京堂出版、1995年 -遺稿の整理・あとがき
所属学会
日本宗教学会(常務理事、2002年9月-)
SISR(International Society for the Sociology of Religion, 国際宗教社会学会)(理事、-2003年8月)
専門分野
宗教社会学近現代日本宗教史
近現代宗教理論
外部リンク
島薗進・宗教学とその周辺 公式ブログ
島薗進 公式ツイッターアカウント
最終更新 2013年4月2日 (火) 12:10
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なぜ1mSvか? 国際的な研究が示す低線量被ばくの健康への影響
公開日: 2013/05/05
崎山比早子氏 (元放射線医学研究所主任研究官)
2013.5.5公開フォーラム (日比谷コンベンションホール)
子どもたちの未来のために・・・・
1mSvを守ろう
2013.5.5公開フォーラム (日比谷コンベンションホール)
子どもたちの未来のために・・・・
1mSvを守ろう
カテゴリ
非営利団体と社会活動
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